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2

 そういえば、湖のことをアルバにまだ話していなかった。でも今の彼の様子なら、わざわざいう必要もないだろう。

 昨夜様子を見に行った時には、彼のうめき声は聞こえなかった。さっきの話からも、よく眠れたと伺える。


 せっかく彼が元気になったのに、少し気が滅入るような話をしてしまったのは失敗だった。

 母のことなんて、私ひとりで背負い、受け入れていくしかないのに。


 一昨日と同じ森に入っても、すでに探したところにキランソウは当然ながら生えていない。

 湖を目的としなくても、奥まで行かなければおそらく見つからないだろう。

 奥に行こうと、きょろきょろと周辺を観察するアルバに声をかけようとすると、先に彼が口を開いた。


「そういえばセシル、この森に湖ってあるか」


「え⋯⋯」


「あ、いや、ないならいいんだ」


「あ、ありますよ⋯⋯でもなぜそれを」


 私の質問に、アルバは目線を下げて頬を指でなでながら答えた。


「実は昨日、夢にこの森そっくりの場所が出てきてな。そこには湖があったんだ。だからもしかしたらここにもあるかもと思って」


「はあ、まるで予知夢ですね」


 私が感心していると、アルバは少しうつむきながら考えるようなそぶりを見せた。


「予知夢⋯⋯というよりは分岐点を教えてくれる夢だったな」


「分岐点ですか⋯⋯」


 アルバはうなずくと顔を上げた。中身が気になってしまうけれど、それを聞くのは図々しい気もするので、私は黙って湖があるであろう場所を向いた。


「じゃあ行きましょうか。湖の場所まで。行けば咲いているかもしれませんし」


「ああ、案内頼むよ」


 任されたと首を振り、少しだけ前に出て歩く。

 落ち葉を踏みしめ、いつからあるのかわからない枯れ枝を踏んで足を滑らせそうになりながら、目的地に向かって黙々と歩いた。

 こういう時、話し上手なら会話が弾んで楽しいのだろうと思うが、残念ながら私は元来口下手だ。

 もしあの、見合い相手だったミラとうまくいっていたとしても、彼女は私と一緒では退屈していただろう。なにしろ、おしゃべりで騒がしいレナンと仲良しだったわけだし。いや、それなら私とギンはレナンと仲良くなっていないはずなので、性格は関係ないはずだ。


 なんだか、ここ最近は穏やかな川のようだった生活が、突如急流に変わっている気がしてならない。

 レナンのことを思い出したり、ギンと再会したり、そしてアルバと出会ったり。

 何の役にも立たなかった古文書から、役立つ記述が見つかったのもそのひとつだろう。

 いつまでも穏やかな人生など歩めるはずがないという、神からの訓示なのだろうか。


「待てセシル」


 突然、アルバに腕をつかまれて後ろにこけそうになった。


「ど、どうしました」


 振り返ると、アルバは神妙な面持ちで正面をじっと見据えている。


 目の前には木々の奥にもう湖が見えている。湖の周りだけが開け、光が全体に降り注がれている。

 水辺にはだれか先客がひとりいて、こちらに気が付いたのか、振り向いてきた。

 先客は、顎にひげを蓄えた男で、口元を腕で拭いながら、右手に握られているむき出しの剣をぎゅっと握りしめた。

 服はだいぶと土汚れが目立ち、青葉色だった木綿は、かなり薄汚れてしまっている。


 私も世間知らずのお人よしではないので、その男がただ風流に湖を眺めに来たのではないと、すぐに察せられた。


 男は剣を握る腕をたれ下げたまま、こちらに向かって歩いてきた。

 目的は金品だろうか、それともアルバだろうか。

 今すぐ走って逃げたいが、どうせ私の足では追い付かれるので、金目のもので済むなら今私の懐にある金でも渡して解決したい。


 そんな悠長なことを考えていると、アルバが私の前に出て、腰に差した剣の鞘をつかんだ。


「セシル、逃げろ」


 アルバが小さな声で言う。

 アルバが鞘に手をかけると、男はそれが刺激になったのか、くぐもった声を荒げながら叫んだ。


「おいそこの女。剣を捨ててこっちにこい、そこの後ろの奴は持ってるもの全部置いて失せろ」


 やはり予想通り案の定、男は賊だった。おそらくはひとりなのだろう。でも私は丸腰だし、アルバを女と勘違いしているので、問題ないと踏んで略奪行為を行おうとしているのだ。


 近づいてくる男の体躯はなかなかに精強で、身長も肩幅もアルバよりひと回りほど大きい。

 軍人としてアルバがどれだけ強いのか知らないが、正直正面から剣でやりあっては、アルバが負けてしまうのではと思ってしまう。


「アルバ、ふたりで逃げましょう」


 アルバの袖をつかみ、そっと耳打ちするように言う。

 足元を見れば、ここは砂も石もある。砂で目をつぶし、医師でひるませればなんとかアルバだけは逃げ切れるかもしれない。


 だがアルバは、私に笑いかけると、そっと腕を引きはがした。

 そしてアルバは剣を抜き、切っ先を男に向けた。鋼の刀身に太陽の光が反射する。


「今すぐ消えるなら見逃してやる。だが私とセシルに手出しするなら容赦はしないぞ」


 アルバがそう声を張り上げると、男は頭に血が上ったのか、わなわなと震えながら、剣を持ち上げて勢いよく迫ってきた。

 女に挑発されたと思って、余計に怒りが増したのだろう。そういう男は結構多い。

 向かってくる男に対して、アルバも前に進む。とっさに伸ばした指先がアルバの着物に掠れ、私は夢中で叫んだ。


「アルバ!」


 男はただの猪ではないのか、間合いに入る直前に踏ん張って足を止め、アルバに上から切りかかった。

 まっすぐ進んでいたアルバにとって、横へよけるのは困難だったのか、とっさに剣で一撃を受け止めた。

 体格の差もあって、アルバが押し負けるかと思った。しかしアルバは押されることもなく、剣を受け止めたまま男の腹に向かって蹴りを出した。

 押し出されるように後ろによろめく男に対して、アルバは切っ先を男に向け、胸目掛けて刃を突き刺した。

 アルバの剣から、鮮血が漏れ出しているのかと勘違いしそうになった。貫かれた胸から水が滴るように血が流れている。

 剣が胸から抜かれると、男はアルバに手を伸ばしながら、そのまま後ろに倒れ、動かなくなった。


 ほんの一瞬の出来事が、私にはかなりの時間に感じられた。

 攻撃を受け止め、ひるませてから一撃で仕留める。

 この国の軍人は皆こんなことができるのだろうか。私とは住む世界が違いすぎる。

 剣に付着した鮮血を一振りで振り払うと、静かに鞘に納めた。


「あれは⋯⋯」


 ふと、昔のことを思い出した。

 その納める所作や、風に揺れる長い淡黄の髪が、あの日の記憶と重なる。

 鮮やかな技で、自ら敵を貫き、戦う姿はまさに、あの日見たあの方によく似ていた。


「白薔薇王⋯⋯」


 気が付くと、私はアルバをそう呼んでいた。


 あれは、私が都にいたころ、この国の王に不満を持つ者たちが集まり、王宮を攻め落とそうとした事件があった。

 その時、私はその現場にいて、ともに編纂の職務に当たっていた男と一緒に物影に身を潜めていた。

 すぐに衛兵が駆け付け、反乱分子を鎮圧しようと戦闘になったが、彼らの戦意が高く、衛兵たちが押され、王宮に続く階段にその反乱軍が迫った。


 その時、数十の騎馬隊を連れて、白薔薇王が現れた。

 白薔薇王の軍勢は反乱軍の中に突撃し、白薔薇王自身も長い戟を両手に戦い、何人もの反乱軍を葬った。

 白銀の鎧と馬が、返り血で染まり、戟についた血を払う姿が、私の目に焼き付いて離れなかった。


 今、格好も武器も違うが、その姿とアルバが重なった。

 しかしながら、白薔薇王は女性のはずだし、だいたいもしアルバが白薔薇王の正体だとしても、なぜ性別を偽るのかもわからない。

 今のところ、実際共通しているのは髪の色くらいだ。別に珍しい髪色でもないし、ただの私の考えすぎだろう。


 戦いを終えたばかりだというのに、何事もなかったような表情で戻ってくるアルバから、なぜか私は目をそらした。


「お見事ですね」


「ああ、ありがとう」


 お互い黙ってしまい、なんだか私にとっては気まずい時間が流れた。


「なあセシル、白薔薇王を知っているのか」


 沈黙は破られたが、気まずい時間はどうやらまだ続く。まさか聞こえていたとは。


「ええ、いちどだけ見たことがあります」


 答えると、なぜか今度はアルバが目をそらした。戦場で無茶な命令でもされたことがあるのだろうか。

 もしかしたら、アルバなら白薔薇王の本当の性別を知っているかもしれない。


「あの、アルバ」


「なんだ?」


「白薔薇王って結局のところ本当に女性なんでしょうか」


 ただ誰かに質問するみたいに尋ねてみると、アルバは口を結んでまっすぐ私を見据えたまま黙り込んでしまった。


「ああ、女だ。なにしろ王に好意を寄せられているわけだしな」


 別に後半は聞いていないのだが、女性だという裏付けのつもりなのだろうか。


「そうですか」


「ところでいつ会ったんだ。将軍に」


「ああ、それはですね――」


 私はいつどこで将軍にあったのかを語った。アルバは私が都にいたことがあることに驚き、あの店の肉は食べたかとか、都にいたらしい詐欺師の話をしてくれた。

 だがあいにく、仕事以外はほとんど宿にいた私は、話してくれたことをほとんど知らなかった。


 話が途切れ、賊の亡骸が目に入る。彼をこのまま放置するのは忍びない。


「アルバ」


「ああ、わかってる。さっさと埋葬してやろう」


 呼ぶだけで意が伝わったのか、アルバは剣を鞘ごと地面に置いた。

 適当な場所で、とにかく土を掘る。亡骸が雨で露にならないほどに、道具もないのでひたすら手で土を掘った。

 服が泥だらけになり、土が詰めの間に挟まり、指先が痛む。不謹慎かもしれないが、昔レナンやギンと泥遊びをしたことを思い出す。

 泥だらけで帰ると母にこっぴどく叱られたが、それはいい思い出だ。


「なあ、セシル」


 土を掘りながら、アルバが呼んだ。


「どうしました?」


「⋯⋯血塗られた手の持ち主は、自分の幸せを求めていいと思うか」


 一呼吸おいて、そんな言葉が投げかけられた。

 いったい誰の、何の話なのだろう。よくわからないが、頭を振り絞って考えてみた。


「いいんじゃないですか、汚れてない人間なんてそれこそ子供でもいませんし、人は大なり小なり汚れているものです。でもどうしてそんなことを?」


 考えながら話すと、土を掘る手が疎かになる。少々粘土質の土が多いのか、掘るのに一苦労する。

 どうして突然そんなことを聞くのだろう。このさっき奪った命のことを考えているなら、それは間違っている。あれはただ、私や自分を守る行為であって、誇るものではあっても恥ずべきことではない。


「私が軍人だって話はしたな」


「ええ、最初に聞きました」


「私は各地で戦う中で、多くの敵をこの手で殺めてきた。いや敵だけではない。時には無抵抗の民まで」


「⋯⋯そ、それはつまり」


 兵士ではない老人や女子供まで手にかけたということだろうか。

 なぜアルバがそんなことを、と彼を見つめていると、静かにゆっくりとうなずいた。



「君の考えている通りだ。私は⋯⋯愚かにもそれが戦争を終わらせる手っ取り早い方法だと考えた。敵国の者を多く殺め、我々の残虐性を見せつけることで、逆らう国がなくなるのではないかと」


 苦悩と感歎の入り混じった声が震えている。見ればアルバの手が止まっている。


「私は今、君に救われている。いつも毎晩私を奈落の底に沈めようとする亡霊たちから、その手が私を助けてくれた。だがふと思った。私は君に救われるに値する人間なのかと。この男だってそうだ。殺さずとも無力化する方法はあった。だが私は、手っ取り早く命を奪う選択に逃げた。セシル、私は本来、君の手に触れてはいけない人間なんだ」


 自分を戒め、さげすむような目つきでアルバはうつむいて語る。



 ――ああ、どうしてあなたがそんなに思い悩んでしまうのか。


 アルバは勘違いしている。君は血塗られているから苦しんでいるのではない。優しすぎるから苦しむのだ。

 戦場という極限の場所にいても、名も知らない人々を気にしてしまう。古来から敗れた国の民が殺されるなんてことは茶飯事だ。君だけが犯した罪ではないし、それがここ世界というものなのだ。

 この賊にしても、命を狙い、失敗して命を失っただけで、それは自然の摂理に過ぎないことなのに。


「なのに⋯⋯君のもとにいるべきではないと自分で理解しているのに」


 私の目に映るアルバの姿がわずかに滲んだ。

 アルバは手を動かし、また土を掘り始めているのに、今度は私の手が止まった。


「私の理性は警告しているのに、本能が君のそばにいることを求めてしまっているんだ」


 そう言って振り向いたアルバの目は、鮮やかな光を放った。瞳の色がそのまま光となって、私まで届いた。


「なら、いましょうよ。私も、もっとあなたといたい。あなたと語り合い、共にいたい。誰にだって自分の夢を追いかける権利はあるんですよ」



 アルバは驚いたように目を見開くと、ふっと口元を緩ませにこやかに笑った。

 それからはお互い、彼の躯を埋め終えるまで何も話さなかった。



 ────


 骸を無事埋め、湖の水で手を洗う。

 初夏なのにひんやりした水が、骸を抱いて感じた死人の冷たさを忘れさせてくれた。

 死んだら人は重くなると時々聞くが、あの男をアルバと持ち上げた時、それほど重いとは思わなかった。

 むしろ見た目の割には軽いくらいだった。


 爪の間や皮膚にこびり付いた土を、丹念に手を擦って洗い流す。透明な清水が溶けた土で濁るのは、少々見ていて心が痛む。

 手拭いを持ち合わせていないので、水滴を滴らせながら手を乾かす。


「さっきの話なのだが」


 先に立ち上がったアルバが、腰で手を拭っている。


「はい」


「私は⋯⋯セシルと生きたい。あの城か、どこか別の場所でもいい⋯⋯君と⋯⋯」


 言いかけたところで、アルバは何度も瞬きをしながら声を詰まらせた。

 なんだか、一世一代の告白でもされそうな雰囲気があるが、私達は男同士なのでそれはないだろう。

 アルバはいちど俯くと、それまで纏っていた重苦しい仮面を脱ぎ捨てたかのように、顔が晴れ晴れとした。


「君とそれぞれの生活を歩みながら、共に笑い、語らう⋯⋯そんな生き方がしたい」


 やはり愛の告白なんてものでは無かったが、何故かアルバの左手は強く握りしめられ、わずかだが震えている。


 これは要するに、私と彼は同じようなことを考えていたということでいいのだろうか。


 いつも近くに彼がいて、時々、いや毎日でも彼と話し、時には共に食事したりして過ごしたい。

 季節の移ろいを共に肌で感じ、学校での子供達の話なんかを聞いてもらいたい。


 そんな淡い夢物語を、それを求めていた相手も抱いていたとは、これはどんな幸運なことなのだろう。


「あ⋯⋯」


 アルバの後方、森の雑草たちの中に、青みが強淡い紫色の何かがちらりと見えた。


 立ち上がって、その一瞬だけ見えた紫色を求めて走った。

 いくつもの野草が茂る中に、その花はまるで誰かに見つかるのを待っていたかのように、可憐な花を咲かせていた。


「アルバっ」


 振り返れば、すぐ後ろにアルバがやってきている。私はしゃがみ込み、お目当ての薬草を指さした。


「ありましたよ。キランソウ。ここまで来てよかったですね」


「あ、ああ⋯⋯」


 アルバは目を見開きながら、少し困惑している様子で、左座に手をついて花を覗いた。

 そういえば、つい目に入って衝動的になってしまったが、話している途中だったのだ。

 だけれど、内容も相まってか、一度話が途切れてしまうと、私はなんだか恥ずかしくなってもう一度話を続けようという気持ちになれなかった。

 アルバも同じことを考えていたのか、もしくは話が中断されて期限が損なわれたのか、薬草を摘んで帰るまで、私たちの間に会話はなかった。







 翌朝、もう帰ると言い出したアルバたちを見送るため、馬車を曳くふたりのそばを歩いていると、慌てた様子で走ってくる女性がいた。


「ちょ、ちょっとまってください」


 女性が明らかにこっちに向かって叫ぶと、アルバとモルトは「あ」と気の抜けた声を出し、苦笑いして女性から目をそらした。

 なんだろう。知らない間に女遊びでもして問題を起こしたのだろうか。

 そう思っていると、女性は勢いそのままにやってきて馬車に乗り込んだ。

 同行者だったのだろうか。白い布で覆われた馬車の中から、安堵する音が聞こえた。


「おい、昨日伝えるって言ってなかったか」


「あはは、忘れてました」


 ふたりを見れば、アルバがモルトに顔を近づけながらすごんでいる。


「あの、今の方は?」


 アルバの形相がやや怖いが、恐る恐る尋ねると、アルバはいつもの柔い表情になった。


「ああ、同行していた医者だよ。一応私は病人としてここにきてるからな」


「え、病人?」


「といっても仮病だから、セシルが案じるところではない」


「ならよかったですけど」


 私には察せられない事情があるのだろう。もしかしたら、仕事を休んで慰安旅行に来たつもりだったのだろうか。


 馬車の隣を歩きながら、城門の前までやってくる。ここでお別れだ。結局、昨日あれから話の続きをしなかったせいで、あの話がどうなったのかわからない。

 でも、今を逃せばもう二度と会えないかもしれない。だから、ここは勇気を振り絞るしかない。


「あの、アルバ」


「なあセシル」


 ほとんど同時に声を出し、驚いて口を閉じてしまった。


「なんだ。言いたいことがあるなら先に言ってくれ」


 アルバは口元を緩ませながら、頭を少しだけ横に傾けた。


「いえ、お先にどうぞ」


「あ、ああ」


 アルバは咳ばらいをすると、私を、力強く雄々しい視線で見据えた。男らしいといっても、彼の造形では美しいという感想が先に来てしまうのだけれども。


「この数日、本当に君には世話になった。ありがとう」


「いえいえ、私はなにも。楽しかったですし、アルバに出会えて本当に良かったです」


 なんだか湿っぽい挨拶から始まると、アルバは朗らかに何度も頷いた。


「それでだセシル。昨日話したことなんだが。いつになるかはわからない。すぐかもしれないし、数年後かもしれない。でもいつか、今日までの礼を兼ねて私は必ず君を尋ねに来る。だからその時、君さえよければ、私が君のそばにいることを許してほしい」


 粛々と、厳かに声が頭の中に響く。ああ、私が一体彼のために何ができたのかわからないが、私のためにここまでの感情を抱いてくれていることが幸せでならない。

 もし、これがただの別れだったら、私は後で泣いていただろう。だがどうやら違う。アルバとの縁はこれからも続くのだ。

 だから私は、別れのあいさつではなく、再会を祈り笑った。


「はい。私はここにいますから。気長にお待ちしています」


「ああ、では⋯⋯待っていてくれセシル」


 アルバはそっと私の手を取って握手を交わすと、そのまま馬車の中へ乗り込んでいった。

 その姿が消える直前、アルバの後ろ姿に、白薔薇王の姿が重なった。アルバをこの地で待つなら、もうきっと白薔薇王と出会うことはないだろう。

 でも、それでもかまわない。彼が今は、私の心のよりどころなのだから。


「ではモルトさん、お気をつけて」


 御者台に上ったモルトに向けてお辞儀をすると、この従者は満面の笑みを返してくれた。


「セシルさん、本当にお世話のなりました。おふたりにもよろしく伝えてください」


「はい、必ず」


「あ、そうだ。セシルさんちょっと」


 モルトは私に手招きをすると、体をこちらに傾けてきた。

 私が一歩そばへ寄ると、彼は私の耳にそっと近づいて言った。


「アルバ様は今のままでは終われないと考えてらっしゃるので、そこは覚悟しておいてくださいね」


 言い終えて体勢を直すと、モルトは意味ありげに目で笑った。


「ではまた、お礼を楽しみにしていてください」


 鞭をしならせ、馬が嘶きを発しながら蹄を鳴らしてえ歩きだした。

 モルトの笑顔を見送り、馬車の後ろの入り口を見ると、今さっき初めて見たお医者さんがお辞儀し、アルバが微笑みかけながら手を振っていた。



 私は、そのアルバたちの姿が、地平線の向こうに消えていくまで、ずっと手を振り続けていた。


 アルバたちの姿が消えると、肩の荷が下りたのか、どっと疲労感が押し寄せてきた。

 だがそれは幸せな疲れで、体が重く感じるどころか、むしろ羽でも生えているんじゃないかと思うくらい軽い。

 完全に遅刻だが、今から学校に向かわなければならない。

 しばらく休みをもらうといったのに、たった一日で戻ったら、きっと先生は驚くだろう。










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