契
「セシル⋯⋯?」
王宮に入っていくセシルを、アルバは偶然目にした。
なぜセシルが都にいるのか、そんな疑問が浮かぶが、とにかく後を追って宮殿内に入場した。
宮殿奥の玉座では、相も変わらず国王が宮女を侍らせながら、踊り子たちの踊りを観覧している。
踊り子たちの衣服はどれも肌が透けるほど薄く、風に揺られて天を舞うような羽衣が靡いている。
踊り子たちのそばで、黒い官服を来た官人たちによる演奏が行われているが、笛を吹く息遣いも、琴を弾く指もたどたどしく、不協和音を奏でていた。
こんな演奏国王が許すのかと、再度玉座に目を向けた。王はお気に入りの女たちに夢中で、演奏などまったく気にしている様子がなく、それどころかアルバの存在にも気が付いていないらしい。
(そうだセシル⋯⋯)
宮中を見回すが、先に入ったはずのセシルの姿はどこにも見えない。
金糸で装飾された臙脂色の窓掛に隠れているわけでも、官人や踊り子たちの中に紛れているわけでもない。
「いた⋯⋯」
セシルの背中を、王の寝室に繋がる道の途中で発見し、後を追う。
「いったい何のために寝室になど」
アルバは一度だけ、王の寝室に入ったことがあった。
いくつもの銀の燭台があり、小さな火種がいくつも合わさって照らし出された寝室には、女が身なりを整えるための漆塗りの化粧台と、透明な絹のベールで囲われたベッドだけがひっそりと存在する。
数年前、無理矢理というより、王の誘いを断り切れなかったアルバは一度だけ正体を知られる危機に陥った。
(その時は確か、偶然町の中で耳にした情報に助けられたのだったか⋯⋯ああそうだ。女が誰かに相談していたのだ。どうすれば男の誘いを断れるかと。そしたらその者が、ヤマゴボウを汁を綿に吸わせて胸に斑点をつければ解決すると言ったんだった。それで真似をしたら、私の胸を見て気味悪がった王がすぐさま医者を呼んで私を遠ざけたのだ)
なぜ、いまこんなことを思い出したのか。またセシルの姿が見えなくなっているのに、どうしてそんな昔のことなど考えたのか。
なぜか衛兵のひとりもいない廊下に今更ながら疑問を抱きながら、セシルを追って寝室の中に入った。
「あれ⋯⋯どこだここ」
確かに、寝室への道を通ったはずだ。なのに今眼前に現れたのは、陰鬱とした部屋ではなく、小さな湖と、湖を囲う針葉樹の木々たちだった。
透き通った水は陽光に照らされ、水底の亀までもがはっきりと目視できる。
その湖のほとりに、一人の男が佇んでいた。
だがそれは追っていたセシルではなく、とっさに後ずさった。
その男は銀色の鎧と仮面を身に着け、淡黄の髪を母から受け継いだ藍色の髪留めで束ねた白薔薇王⋯⋯つまり自分自身だった。
「なぜおまえがここにいる」
アルバはまるで、知らない誰かに声をかけるように言った。
問いかけられた白薔薇王は、黙ったままおもむろに仮面を外した。
その素顔を見て、アルバは目を見張った。自分自身の写し鏡であるはずのその顔はひどくやつれ、目に光がなく、阻喪と絶望、そしてアルバに向けられた哀憐だけが宿っていた。
よく見ると、白薔薇王の鎧は傷だらけで、ところどころつぎはぎで修復した後もあれば、籠手を着けていない手にはまだらのように血がしみ込んでいる。
いや、手だけではない、その鎧にも髪にも、そして仮面にも血の跡がついている。
元来アルバは、鎧についた血や汚れなどはすぐに手入れして消していたのに、目の前の自分はそれすら怠っている。
「何か答えたらどうだ」
口を閉ざす自分に苛立ちながら、語気を強める。
「それとも、戦いすぎて言葉の発し方もわからなくなったのか」
皮肉めいた鼻笑いをして、アルバはふと我に返った。
目の前にいるのは、姿こそ異なるが、自分であることに違いないのだ。
そしてその自分は全身が傷つき、精神さえも蝕まれているらしい。
「ああ、そうか」
アルバは頷いた。何度もうなずきながら、自分の運命を恨んだ。
「このまま進めば、私はそのようになってしまうのだな」
初めて、白薔薇王が仮面を取る以外に動いた。ゆっくりと肯定したのだ。アルバの問いかけを。
白薔薇王は懐に手を入れると、一本の引きちぎられたような縄を取り出した。
革製の縄は黒ずみ、それをアルバに見せつけながら、強く握りしめた。
「そうか⋯⋯白龍は死んだか」
もはや笑うしかなかった。そんな未来を突き付けられて、いったいどうやって生きていけというのだろうか。
「それで、結局お前は何を伝えたいんだ。未来は悲惨だから今すぐ命を絶ったほうがいいか? それが、苦しまずに済む唯一の方法か?」
白薔薇王は突如後ろを向いた。背中についた鎧の傷を見せつけるように佇みながら、脇へそれた。
背中でふさがれていた眼前に、探していた男の姿が現れる。
「セシル⋯⋯」
セシルは胸元を握りしめながら、じっとアルバを見つめている。
その眼には、未来の自分にはない光が宿り、母と同じ目をしていた。
誰かを⋯⋯自分を受け入れてくれるであろう、陽だまりのような目だ。
陽だまりのような彼が、アルバに向かって手を差し出し、微笑みかける。
白薔薇王は、じっとアルバを見つめ、無言で何か訴えかけている。
何を言いたいのか、アルバはすぐに理解した。
「あの手を取れば、私は⋯⋯お前は救われるんだな」
そう語りかけると、白薔薇王の頬が微かに上がった気がした。
「なら、頑張ってみるよ」
アルバは前に歩き出し、セシルの手を握った。
「お待ちしてましたよ、アルバ」
「ああ、セシル⋯⋯私は⋯⋯君と⋯⋯」
何かを言いかけたところで、突然の暴風が吹き荒れ、穏やかな湖が波立つ。
木々が騒めきながら枝がしなり、葉がアルバめがけて飛んできた。
とっさに握っていた手を放し、両手で顔を隠し、風がやむのを待った。
風は徐々に穏やかになり、木の葉がひらりひらりと足元に舞い落ちる。
完全に風がおさまり、今いる空間が凪いだ。
「セシル⋯⋯私は⋯⋯セシル?」
顔を覆っていた手を下ろし、目を開いた時にはそこにいたはずのセシルはいなくなっていた。
振り返って探すと、白薔薇王の姿も見当たらない。
ただひとり取り残されたアルバは、水辺に向かって進み、水面に映る自分の姿に心底驚いた。
「いい顔してるじゃないか。あとは⋯⋯自分の手でつかみ取るしかないのだな」
湖に映る自分に笑いかける。不思議なことに、その前から水の中の自分は微笑んでいた。
昨日の雨が嘘のように、今朝は晴れ渡っていた。
朝食を運んできたタオが機能に比べて不機嫌なようだったが、アルバとモルトのふたりにはその理由は分からない。
「アルバ様、昨日は快眠だったみたいですね」
運ばれてきた朝食の汁物に手を付けながら、モルトが言う。
「もしかして、私がうなされていないか見ていたのか」
「いいえ、いつもアルバ様のうめき声でうなされるのですが、昨夜はそれがなかったので」
「うん⋯⋯それはすまなかった」
「いえいえ、常に主に気を配るのが僕の務めですから」
「それにしては少々無神経な気がするけどな」
苦笑いするモルトを無視し、アルバも汁を啜った。
わずかだか塩漬けの肉と大根の葉が入っていて、塩味が身に染みる。
「ま、そういう優しさは僕よりセシルさんのほうが向いているでしょうね」
「昨日もセシルはきたのか」
椀を持つ手が止まる。
「いえ、部屋の前までは来ていたようですが、中には入ってませんよ。そのころ僕布団で腕立てしてたので、来ていたのは分かりましたし」
「何やってるんだお前」
「だって、ここに来るまでと来てからでずいぶん体なまっちゃいましたし、ほら、せっかく作り上げたたくましい力こぶがこんなふうに」
そういって、モルトは箸を持ったまま右腕を上げ、力こぶを作って見せた。
「別に変わらんだろ」
「いいんですかそんな無関心で、この腕はアルバ様を守る腕ですよ」
「守られて覚えはないがな」
ふっと、笑みを浮かべながら、アルバは膳の上の小皿に箸をつける。
「そういえば、今日はどうします? 僕と行きますか」
アルバは白菜の塩漬けを嚙みながら、首を横に振り、白菜を飲み込んだ。
ふとあの森のことを思い浮かべると、隣に立っていたのはこの目の前の従者ではなかった。
「セシルが忙しいならお前と行く。セシルが来てくれるならふたりでいく」
「はいはい⋯⋯そうですかそうですか」
モルトは拗ねるようにほほを膨らませながら、からかうように目を細めた。
「たった数日で僕の立場なくなっちゃうじゃないですか。末恐ろしいお人ですねぇ。あの方」
「いや、セシルはお前の代わりにはならないしなれないよ」
モルトの期限を直そうと、アルバがつぶやくと、モルトはにやにやとしながら身を前に乗り出した。
「それはつまり、もっと他い間柄になりたいということですね」
アルバは自分の顔が熱くなるのを感じながら、せわしなく朝食を食べ進めた。
「そんなんじゃない⋯⋯大体私たち男同士だぞ、友人以上に何がある」
「いーじゃないですか。国王だって男のあなたを狙ってるんですから」
「それは女と思われているからだろ。男だってばれてたらもう死んでるよ」
「それもそうか。いやあ、おつらい立場ですねアルバ様」
アルバは何も答えず、黙々と食事を勧めた。
モルトはそんな主人の顔色がいつもより良いことに気が付くと、安心したように自分の食事に集中し始めた。
ちょうど食事を終えたころ、木戸が叩かれた。
「どうぞ」
ユイが食器を片付けに来たのだろうと、モルトが中へ来るよう促した。
「失礼します」
だが、その声の主はユイではなく、木戸を開けて入ってきた姿を見てアルバの顔に喜色が浮かび上がった。
「セシル⋯⋯どうしたのだ」
部屋の入口に立ったセシルは、モルトに向かって軽くお辞儀をすると、アルバを見据えた。
「ただ今日のお誘いに」
「仕事のほうは大丈夫なのか」
「ええ、少々お休みをいただきましたから」
セシルの言葉で、内心から喜びが沸き立つのがわかる。
アルバは口元を緩ませながら、頷いて部屋の壁に立てかけてあった剣を手に取った。
「ならよろしく頼む。モルト、留守番は任せたぞ」
密かに主の内心を察して笑っていた従者に声をかけ、アルバは部屋の出口へ向かった。
先にアルバが部屋を出て、セシルは踵を返す前にモルトに挨拶をした。
「では失礼します」
「はい。どうぞ楽しんでください」
言葉の意味が理解できず、セシルは首をかしげながら一礼してアルバの後を追った。
玄関を出て外に出ると、陽光が顔を照らし、ふたりはとっさに顔を手で隠した。
「今日は晴れてよかったですね」
「そうだな。雨が降ったらまた世話になる日が増えるところだった」
「私としては構わないんですけどね。客人がいてくれると楽しいですし⋯⋯」
セシルが微笑すると、アルバは踏みしめた地面に目を向けながら、静かに呟いた。
「いや、ただ世話になるだけの関係は終わりにしたい」
その独白は確かにセシルの耳に届いた。だがセシルはなんて答えたらよいのかわからず、黙ったまま聞いていないフリをした。
城門はもうとっくに開かれ、農作業をする人たちはとっくに外で働いていた。
ふたりはどこかの商人が新しく作った轍をたどりながら、森に向かって歩いた。
「そういえば」
しばらく黙っていたセシルが口を開く。
「昨日はどうして向かわれなかったのですか。雨とはいえ、あそこは別に危険なところではありませんし」
アルバは振り向きながら、セシルの浅黄色の着物の襟を見た。
「実は私が寝坊したのだ。もう昼近かったし、雨もそれなりに降っていたから億劫になってな」
「なるほど⋯⋯」
理由を聞いて安心し、微笑むセシルを見ながら、アルバはさらに言葉を続けた。
「その寝坊は君のおかげだ。ありがとう」
「え?」
二羽の小さな鳥が、ふと頭上を飛んで行った。笹の葉のような色と模様をした羽をもつこの地域では珍しい鳥で、「ジジロ、ジジロ」と囀りを響かせた。
戸惑ったセシルは足を動かしたまま、アルバを凝視した。
「どういうことですか」
セシルが困惑していることに気が付き、アルバは微笑しながら顔の前で手を振った。
「ああいや、ただ君のおかげでいつ以来かよく眠れたッてことだ」
「⋯⋯もしかして、モルトさんから聞きました?」
「ああ」
目でセシルに感謝を伝えるかのように、顔をほころばせる。
「聞いたよ。セシルが悪夢にうなされる私の手を握ってくれたこと、私に語り掛けてくれたこと」
セシルは瞠目しながら、大きく息を吸い込み、肩をすくませた。森へ向かうため、足を整備された道から荒れた原っぱへと踏み出す。
「余計なお世話だとは思いましたが、苦しむあなたを見るのはつらかったのでつい」
「どうして君が卑屈になるんだ。私は君の手に、セシルの声に救われたのだ。おかげで昨夜はうなされなかった。代わりに不思議な夢を見たが。君には感謝しかない」
「人に弱みを見せるのを嫌う方もいますから。アルバがそうかは存じませんが」
「私は⋯⋯見せたくないというよりも、見せられなかった。母がこの世を去ってから、頼れる人間はいなくなった。たしかにモルトはそばにいてくれるが、あいつは私が背負っていかなければならない相手だ。だから、こんなこと聞かされても困るとは思うが⋯⋯あいつから君が寄り添ってくれていたと聞いたとき、なぜか君と母の姿が重なったのだ。いつまで親離れできないのかと笑われそうだが」
冗談めかしく笑うアルバに、セシルは笑顔を返した。
「わかりますよその気持ち、男っていくつになっても母親の影を求めてしまうんですよ。学校の子供たちはみんな父親よりも母親が好きですし、かくいう私も、今でも昔の母親の像を追いかける時があります」
「そういえば、セシルの母親は今は寝たきりなのだったな」
「ええ、まあ、おそらくそんなに長くはないでしょう」
セシルが空を見上げる直前、唇を震わせたのをアルバは見逃さなかったが、かける言葉が見つからない。
アルバも経験したように、親や身内の死は自ら時の流れを借りて忘れていくしかないのだ。
ぱんっ、と柏手が響いた。セシルが暗い気持ちを振り払うように手のひらを合わせたのだ。
「さあ、なんだか暗くなってしまったので、気を取り直して薬草探しに向かいましょう」
「ああ、そうだな」
何度もうなずきながら、ふたりは気を取り直して森へ向かって足を速めた。




