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目が覚めたら見知らぬ天井が⋯⋯なんてことはなく、いつもの寝室で目を覚ました。
真っ暗闇の天井に、ぼんやりと梁が映し出される。
隣には横向きになって心地よさそうに寝息を立てるタオ。もう何年も、私が彼より早く起きることなんてなかった。
どうやら、私は夢に魘されて起きてしまったらしい。
その証拠に、いつも木戸の隙間から差し込む光も何も無い。
魘されるような夢だったかと、首を傾げながら立ち上がる。
タオを起こさないようそっと戸を開け、暗い廊下に出る。
たしかに、子供達が軍に混ざっていたことについては驚愕した。
だがそれ以外は、なぜか白薔薇王が私を見つめるというだけで、特に悪夢と形容できるような要素はない。
なぜ白薔薇王が出てきたのか。私が心の奥底でずっと想っているからだろうか。
なにかの予知夢なら⋯⋯などと淡い期待を抱きかけてしまうが、あいにく私はそういう類のものはあまり信じていない。
壁に手を添えながら、目印のない廊下を歩く。
喉が渇いた。それに目が冴えている。
水を飲んですこし夜風にでも当たろう。
そう考えながら角を曲がり、アルバ達が寝ている部屋の前を通る。
彼らはまあ、こんな夜遅くだ。普通に眠っているだろう。
そう思って部屋の前を通り過ぎようとすると、話し声のようなものが聞こえた。
「アルバ様⋯⋯アルバ様っ⋯⋯」
モルトがアルバを呼んでいる。だがアルバの声は聞こえてこない。
なんだかモルトの声には、アルバを案じるような、小さな声だが必死に呼びかけているような、そんな雰囲気を感じた。
気になってそっと木戸を開ける。
「誰だ!」
流石は従者と言ったところなのか。この暗がりで物音なんて立てたつもりないのに、こちらを警戒している。
「私です。セシルです」
うっすらと見えるふたりは、アルバが仰向けに眠り、モルトが上体を起こし、アルバの体に手を乗せている。
「ああ、セシルさんですか⋯⋯すみません」
モルトの声の他に、呻き声のようなものが聞こえる。
それはモルトのすぐ側から発生していて、よく耳を澄ませると、一音一音が鮮明に聞こえてくる。
「やめろ⋯⋯やめろ⋯⋯」
夕方までのアルバからは考えられないような、重苦しいくぐもった声をしている。
「アルバ、どうしたのですか」
顔は見えないが、苦しんでいるとしか思えない彼の声を聞いてじっとしていられず、アルバの枕元に膝をつける。
暗くて顔がよく見えないがうめき声は今も聞こえる。
「やめろ⋯⋯やめろ⋯⋯」
息を荒くし、ひたすらに呟いている。まるで何かに追われているように。
呻く彼の頬に手を添えると、まだそれほど暑くないのに汗がびっしりと手に移る。
袖でアルバの頬を拭った。そのままそっと彼の頭を撫でる。
昼間日に照らされて輝いた淡黄の髪が、いなすように、その艶で手が滑る。
「アルバ、大丈夫ですよ⋯⋯」
声をかけながら、彼の髪をかき分け、額に手を添える。
熱は無い。薬草を探しに来たという話だが、実はアルバが病気を抱えて⋯⋯というわけではなさそうだ。
「ここにはモルトさんがいますし、何も怖いことなんてありませんよ」
何度も何度も、アルバの頭を撫でる。
昔悪夢にうなされた時、母が私にそうしたように、以前学校でお泊まり会をして、うなされていた子供にそうしたように。
少しずつ、アルバの呼吸が深く、ゆったりとしたものに変わっていく。
「さあ、そのまま眠っててください。起きたら怖いものなんてみんないなくなってますから」
呻き声が止み、唇が呼吸の際に僅かに震えるほどになる。
そっと彼の左目から垂れた涙を拭い、手を離す。
「すごい⋯⋯たったこれだけで⋯⋯」
顔を上げると、モルトがぽつりと言った。
「セシルさん⋯⋯ありがとうございます」
「いえ、私は何も。ただ落ち着かせてあげたくて」
「それだけで十分すぎますよ。今まで僕が何度呼びかけても、落ち着くまでもっと時間がかかってましたから」
モルトの声色から緊張が消える。だがそれよりも、気になる点があった。
「今まで? こういうことは何度もあったのですか?」
「ええ、何度もというか⋯⋯ほとんど毎日。アルバ様本人には伝えていませんが」
私は今一度アルバの寝顔を見つめた。
暗くてせっかくの顔がほとんど見えないが、安定した呼吸音を聞けば、うなされていないことくらいは想像がつく。
ほんの少し下に落ちた毛布を掛けなおす。
ほとんど毎日⋯⋯彼は軍人だと言っていたが、どれほどまでに深く記憶に刻み込まれるような辛い経験をしたのだろう。
この城壁の中で平和を享受して生きている私には、到底知りえない領域の話だ。
「大変ですねモルトさんも」
「いえ僕は⋯⋯これが仕事なので」
暗闇の中で、照れた従者は自分の頬を撫でている。
アルバは静かに眠っている。この姿を明かりの下で照らせば、どれだけ秀麗なものが見られるだろう。
「では、私はこれで」
そっとアルバを起こさないように立ち上がる。
「セシルさん⋯⋯ありがとうございます」
そっと謝意を放つ彼の顔は、全く見えないがきっと安堵の気持ちで綻んでいる。
そっと部屋を出て中庭へ向かうと、さっきは見向きもしなかった空に星が散りばめられていた。
喉の渇きも忘れ、しばらく縁側に腰掛けて星を眺めた。
アルバの苦しみは私には理解できないかもしれないが、できることなら取り除いてあげたい。
同年代の人間にこんなこと想うなんて、きっと今まで無かったはずだ。
翌朝、外が明るくなってから目を覚ますと、やはりタオの布団はもう畳まれていた。
なんだか、昨日はとても長い1日に思えた。
今日もそうなるのだろうか。
伸びをしながら、すぐにでも出かけられるよう、支度を整えるため部屋を出る。
晴れた空だか、珍しく中庭にタオが居た。
陽の光は嫌いという、石の裏のダンゴムシのような生態をしているあのタオが。
「おはようございます」
何をする訳でもなく、ただ空を見上げていた彼が
こちらを向いた。
「おはよう」
挨拶を返すと、タオはおもむろに首を捻った。
「ご主人、夜中にどこかへ行きましたか?」
「え? あ、ああ⋯⋯ちょっと水を飲みに」
「そうですか⋯⋯」
タオはまた空を見上げる。
目が覚めた時も戻ってきた時も、彼は眠っていたはずだ。どうして私が居なくなったことを知っているのだろう。
「タオも朝餉をいただきに行きましょうよ」
なぜ知っているのか聞いても、どうせ答えてくれないので、諦めて朝食に誘う。
というか、彼がここにいるということはユイがひとりで用意しているのだろう。それを思うとため息が漏れる。
タオは無言で頷くと、縁側へ上がって台所に向けて歩き出した。
どこまでも自然体で、大抵の事は気にしないタオのような性格をアルバが持っていれば、安眠できているのだろうか。
それとも、その程度じゃ拭えないような心の闇が、彼の中には渦巻いているのだろうか。
────
朝食を済ませ、アルバを迎えに行く。
彼ももう支度を済ませていたのか、長い髪は綺麗に櫛で梳かされていて、風に靡く旗よりも優雅に見えた。
浅葱色の着物がよく映える。いや、彼なら何を着ても似合ってしまうか。
「どうしたセシル?」
彼からの呼び掛けでハッとする。
どうやら見惚れていたらしい。彼は男なのに。
「い、いえ、ぼーっとしてただけです⋯⋯気にしないでください」
「そ、そうか」
首を傾ける動作ひとつとっても絵になる。
「昨夜はよく眠れましたか?」
考えていてはさらに意識してしまうから、話を変えて思考を払い除ける。
だがこれでは唐突すぎて、少々不審がられる恐れがある。
「ああ、よく眠れたよ。ありがとう」
「い、いえ、それならよかったです」
昨夜あの後また魘されていた可能性もあるので、果たしてこれが本心なのか、私を気遣っての台詞なのか、その真意が読めない。
「では行きましょうか」
私はそう言って彼のそばに居る従者に目を向ける。
出来ることならモルトにも来て欲しい。
だがモルトは白い歯を少し見せると、アルバの肩を叩いた。
「ではアルバ様、どうぞお気をつけて。そうそう、これを持っていってください」
と言うと、モルトは壁に立て掛けてあった鞘に収められた剣をアルバの帯に差した。
少し長めの、細い剣だ。柄には金糸で装飾が施されている。ただの兵士が、そんな洒落た剣を持つのだろうか。
「お前は行かないのか?」
「僕は馬の世話をしてますから。あと彼女を探してここにいると伝えておきます」
「⋯⋯そうか。わかった」
ふたりの会話を聴きながら、アルバの顔を見て無言で頷く。
従者の彼にも来て欲しかったが、事情があるから仕方がない。
それにしても、彼の言う彼女とはいったい誰のことなのか。
「さあ、では行きましょう。もう城門は開いているはずです」
「ああ」
モルトに一礼して部屋を出る。
アルバがついてきているのを確認し、外へ出て西の城門へ向かって歩く。
アルバは隣を歩いているが、静かに街を眺めていて、話しかけられそうな雰囲気とは言い難い。
やはり城門は既に開かれていて、畑仕事や商売に向かう人達が大勢いる。
彼らの注目が、ほんの少し私達に向けられる。
といっても目当ては私ではなく、見慣れぬ美しい青年だろう。
一部足を止める人もいる中、私とアルバは並びながら城門を抜ける。
城から出るのは随分と久しい。
よく城壁の上から西に広がる平原とその奥に連なる嶮峻を眺めてはいたものの、城の外の土を踏むことは数える程しかなかった。
だからあの見合い相手のはずだったミラが暮らす集落にも行ったことがない。
「あの森ですよ。目当ての薬草があるとするなら」
北東にある小さな森を指差す。いや、厳密には小さくはない。ただ遠いのだ。
「私もあの森の勝手は覚えてないので、まあお急ぎでないならのんびり探しましょう」
「そうだな。のんびりとな」
柔らかな声で答えたアルバの頬が緩む。
森につくまでに、太陽の位置がかなり動いた。
森の中は木々の隙間から光が差し込んだ。
青々とした青葉の香りを胸いっぱいに浴びる。
辺境のド田舎に暮らしているのに、自然を味わう機会がないなんておかしな話だ。
今度子供たちを連れて情操教育でもしてみたいが、私一人では面倒が見切れない。それにこの辺りは危険な人物が現れても不思議ではない。
「ところでだ」
考え事をしながら歩いていると、声をかけられた。
ハッとして気が付いたが、まったく薬草を探していなかった。
「ど、どうしました?」
「いや、その薬草はどんな姿をしているのかと思ってな」
「あ、ああ。そうですね。説明してませんでしたね」
そういえばそれすら伝えていなかった。
いくら彼に意識が奪われているからといって、これでは役立たずすぎる。
「私の知るアルバが所望しているような効果を持つ薬草はキランソウといいまして、紫の花をつけるもので、この時期なら結構きわどいですけど、まだ花が咲いているはずです」
「なるほど、紫の花を探せばいいのだな」
「ええまあ、それでよいかと。あと葉に細かい毛のようなものが」
「よしわかった」
アルバが顎に手を当てながら地面に目を向け、観察を開始する。
私も彼ばかり見ているわけにはいかないので、地面を捜索してみるが、正直なところこの森でキランソウを見たのは何年も前の話だし、今でも薬草が咲いている保証はない。
「しかし⋯⋯学校の先生が薬草の知識も兼ね備えているとはな。かなりの勉強家なのだな」
ふと彼に感心される。
「いえ、ただの読書人ですよ。それしかすることがなかったといいますか」
実際、先生のおかげで小さいころに本への興味を持っただけで、私の本質としては無気力がもっとも表す言葉に近い。
「あとまあ⋯⋯薬草に関しては昔探しに来たので」
そう、あれはまだ子供のころ、熱が長引いた母を思って私は一人でこの森にやってきた。
薬草の話は近所の薬屋に教えてもらい、教えられた内容を頼りにキランソウを探し、運良く見つけることができた。
まあ結局、薬草はそのままでは使用できず、天日干しにして薬にする間に母は快癒したので、私の努力は意味をなさなかった。
だが元気になった母は、涙を流しながら私を抱きしめてくれた。
「私のために⋯⋯一人で森に⋯⋯」
震えた声で言いながら頭をなでられた時のことは今でも鮮明に覚えている。
「ありがとう⋯⋯ありがとうセシル」
そう、母は本来優しい方なのだ。いつも私の身を案じ、慈しみ愛情を注いでくれた。
私が都に行くときも、母は寝ずに着物を拵えてくれた。
その着物は今も大切に閉まってある。できれば母に何か吉報を届けられる時に着て喜ばせてあげたい。
まあ、そんな夢はもうかなわないだろうけども。
「うわっ」
「危ない」
考え事をしていたせいか、地面に突き出した木の根に足を引っかけて体が傾いた。
咄嗟に倒れてもいいように両手を前に出そうとすると、左腕にすごい力がかかり、視界が地面から遠くなった。
「大丈夫か?」
どうやらアルバが咄嗟に私の腕を引っ張ってくれたらしい。
「ありがとうございます」
「気を付けたほうがいいぞ」
おかげで転ばずに済んだのだが、ついさっきまで彼は咄嗟に手が届くような範囲にはいなかったはずだ。いつの間に近くに来ていたのだろう。
「はい。気を付けます」
笑顔を作って彼に向ける。
「何か考え事していたみたいだが、大丈夫か。あまりいい雰囲気ではなかったぞ」
だが彼は私の心の内を見抜いたかのように、言葉を発する。
「ええまあ少し気になることがあってそれで」
「⋯⋯ならいいのだが」
なんだかアルバは私の考え事の中身を知りたそうにしているように見えるが、人に話すようなものでもないのでごまかしておく。
だがいきなり、アルバの鋭利な双眸が私の目をとらえた。
「君には世話になりっぱなしだからな。人に話して楽になることならぜひ頼ってほしい」
「⋯⋯ありがとうございます。では頼りたくなる時が来ましたら」
アルバが口元を緩めながら短く息を吐く。
「頼られる日を楽しみにしているよ」
太陽が西に傾くまで探したが、望みの薬草は見つからなかった。
私の記憶では、確かにここに自生していたはずなのだが。
もしかしたら、もっと森の奥に入る必要があるのかもしれない。今日は近場ばかり探していたから。
「そろそろ戻り始めないと、城門が閉じてしまいますね」
いつからか探すのをやめて木陰で休んでいたアルバのもとへ行く。
「あ、ああ。たしかにそうだな」
土を払って立ち上がりながら、アルバはすこしも落胆したりせず、飄々とうなずいた。
「また明日にでも探しますか」
「いや、君に迷惑かけてもいられないから、明日はあいつと探そうかと⋯⋯」
一抹の侘しさが胸を突く。気遣ってくれている発言でしかないのだが、どうも物悲しい。
しかし、そんな何日も子供たちを放置して先生に任せるなんてこともしていられない。私の本業は教師なのだから。
「そう⋯⋯ですか。そうですよね」
できるだけ平常心で答えるつもりが、感情がそのまま言葉としてまろびでてしまう。
どこかの巣から鳥が飛び立った。エサを探しに行くのだろう。
「じゃあもどりましょうか」
「ああ」
森を出て城のほうに目を向けると、近隣の畑ではまだみんな作業しているのが、豆粒ほどの大きさで確認できる。
城門の上では、今日も兵器の開発が行われているのだろう。
あいにく、いま私から見える西の城壁には見張りしかいない。私としては兵器開発なんてさっさと終わってほしい。
城壁からの景色を見て心を癒したいのだ。
特に会話もなく、空が赤く染まりゆく中、城門を通り過ぎる。
城のあちこちの家からは、炊事の湯気が窓の向こうから上空に向かって立ち込めている。
何人か走り回っている子供の姿も見えるが、時期にみんな帰るだろう。
なんだか教え子に会ってしまうと気まずいので、速足で家に向かって歩く。
幸いなことに、学校の子供たちとは会わないで帰ってこられ、玄関の前で安堵の息をついた。
「どうしたんだセシル」
「い、いえなにも。私はしばらく部屋にいますので、何かあったらふたりにお申し付けください」
アルバを置いていくように家に入り、逃げるように台所に行き、水瓶の水で手を洗った。
夕食の用意をしているタオとユイがじろじろと見ているが、何も聞かないでおく。
「どうかしましたかセシル様。なんだか珍しく怒ってるみたいですけど」
手を拭きながら動きが止まる。こういう時、お喋りなユイがタオのようだったらいいのにと思ってしまう。
タオほど無口な人間はそれはそれでいろいろと支障が出てしまうのだが。
「怒ってるように見えるかい?」
「ええ、ねえタオ」
即答してうなずきながら、ユイはタオにも同調を求めた。
「⋯⋯主人、あの方と何かありましたね」
妙に勘が鋭いというか、無口なのに言いにくいことをはっきり言える度胸があるというか、もう少し私に気を使ってほしいのに。
「何もないよ。何もなさ過ぎて目的も達成できなかったくらいですよ」
そう、本当に何もなかった。ただ明日以降は用済みにされただけだ。
「へえ、なかったんですか。そういえば昔、セシル様が奥様のために取ってきた薬草がありましたよね? あれじゃだめなんですか」
首をかしげて、人差し指を顎に当てながら、ユイは上を見ながら言った。
その間に、お湯が噴き出したかまどをタオが処置している。
しかし、その頃はユイの母親が彼女とともに住み込みで働いていたが、よく覚えているものだ。
「それを探してたんだけどね。見つからなかったよ」
「不思議ですね。子供のころのセシル様が見つけられるくらいの場所に咲いていたのに」
「まあ昔の話だからね。今はあの辺には咲いていないのかもしれない」
私は勝手に、以前キランソウを摘んだのは森の入り口付近だと思っているが、実際のところ、あの時は無我夢中だったからよく覚えていない。
私なんて居なくても、明日にはふたりが見つけるだろう。
薬草が見つかれば、アルバは帰ってしまうのか。
そんなこと考えていると、せっかくユイとタオが作った料理も、箸が進まなかった。
月が雲に隠れ、一帯が暗闇に染まる。
既に隣で眠りについているタオを見ながら、どうも眠ろうとしない頭を抑え、腕を回した。
今日はかなり疲れたはずなのに、何故か全然眠れない。
あまり食が進まなかったせいなのかと思っても、別に腹は減っていない。
身体はくたくたで、普段運動不足の足は鉄の棒のように固く、重くなっているのに目だけはやけに冴えている。
心当たりが無いわけではなかった。いやむしろ、それが原因だろう。
私はタオを起こさないように起き上がると、寝室を出てアルバ達のいる部屋に向かった。
部屋の前に行くと、ロウソクの灯りが漏れ出ていた。
木戸の隙間から漏れ出た光は、廊下の壁までまっすぐと伸びている。
まだ寝ていないだけなのかと、足音を立てないように戻ろうとすると、私の予感が当たっていたと裏付ける声が聞こえた。
「アルバ様っ! アルバ様!」
それは限りなく小さな声だった。
小さいのに、まるで悲壮感たっぷりの叫び声のように思える。
気がつくと私は慌てて木戸を開けていた。
部屋の隅に明かりの灯った蝋燭が1本、炎を揺らしている。
物音に気がついて振り向いたモルトの下には、やはり魘されながら身を捩るアルバの姿があった。
上体を起こしたモルトの手がアルバの肩を掴んでいる。どうにか悪夢から呼び覚まそうとしていたのだろう。
「アルバ⋯⋯アルバっ!」
感情が高鳴る。アルバが苦しむ姿を見るのは、胸が詰まる。
「大丈夫ですかっ」
モルトの向かい側まで行き、アルバの頬に手を添える。
よほどの悪夢に魘されているのか、美麗そのものの顔が苦痛に歪み、今にも悲鳴をあげるんじゃないかと思うほど、鈍重な呻き声が止まらない。
昨夜モルトが言っていた。アルバはほぼ毎夜魘されていると。
私はアルバを愛おしいと思いながら、彼の苦しみを何ひとつ知らない。
ただ昼間、私に見せてくれる姿が好きなだけで、上辺だけでしかアルバを見ていない。
アルバの左手が、力強く布団を握りしめた。
夢の中で何と戦っているのか、何に追われているのか、ほんの少しでも理解出来れば、もっと何かしてあげられるのかもしれない。
今の私にら出来ることがない訳では無い。現に昨夜はそれで落ち着いてくれた。
だがもっと、彼の苦しみを深くまで取り除く事が私にはできないという現実が、私の目から涙を零れさせた。
医者でも無く、薬師でもない私にできることは、今この場でアルバに寄り添うだけだ。
同じく、見えない何かに苦しめられる者として。
「さ、アルバ。お休みの時間ですよ」
布団を握りしめる手の甲を撫でる。
何度も戦場に立ったであろう、戦士の頑強な手をしている。
きっと、この手で槍なのか弓なのか剣なのか、武器を握りしめて戦ってきたのだろう。
握りしめられた布団の皺が緩むのを見て、彼の手を握る。
何かを守り続けた、強く優しい手だ。
本や箸くらいしか持たない私の手とは、重みが違う。
「今日は疲れましたね。朝から夕方まで歩いたわけですから」
もう片方の手を彼の額に添え、髪を掻き分ける。
「さあ、今はゆっくり休んで。また明日頑張りましょう。明日はもっと深くまで行きましょうね。モルトさんと一緒に。奥に行けば小さな湖があるのですよ。透明で澄んだ水は不思議なことに年中冷たくて、今の時期足をつけるととっても気持ちいいのですよ。だから明日は湖まで行きましょう。そこで熱くなった身体を冷まして、荒ぶる心を落ち着かせたら、悪夢だって貴方から逃げ出しますよきっと」
子供がなにかに怯えるように固く閉じられた瞼が、ゆっくりと柔らかく緩んでいく。
ハッキリと聞こえるほどの息遣いが落ち着いていく。
「アルバ⋯⋯私は何も出来ない軟弱者ですけど、震える手を握ることくらいはできます。何かを恐れるあなたに寄り添うことならできます。だから安心して眠ってください。あなたに安寧が訪れるまで、私はここにいます」
────
「先生⋯⋯先生っ!」
「はいっ!?」
声に驚いてその出処を見ると、ルシュが不満げに頬を膨らませながら、こっちを凝視していた。
「なにぼーっとしてるの。早く続き聞かせてよ」
「あ、ああ⋯⋯すみません」
どうやら、話の途中でぼんやりとしていたらしい。
もちろん、というか考えていたのはアルバの事だ。
あの後しばらくしてから彼が落ち着いたので、寝室に戻ると直ぐに私は眠りにつけた。
魘されるような悩みがないというのは、多分とても幸せなことなのだろうと、朝目が覚めてから思った。
今朝家を出る時、まだアルバは眠っていたようだったので、何も言わずに家を出た。
本当は昨夜言ったように、彼と湖まで行きたかったのだが、何日も仕事を休む訳にも行かないので仕方がない。
きっと今日、モルトが私の代わりに連れて行ってくれることだろう。
「えっと⋯⋯どこまで読んだっけ」
「ユミルタス将軍の軍が南の砦に入ったってところまで!」
「あ、ああそうでしたそうでした⋯⋯おっほん」
該当の文章を探し当て、咳払いをして続きを読む。
「砦に入った軍はまず周辺に柵と堀を巡らせ⋯⋯」
それにしても、この国の戦争史は随分と細かい。
建国から拡大するまで、ほとんどが華々しい勝利の歴史だから、詳しく書き残したくなる気持ちは分かる。
こうして書き残しているおかげか、子供達は戦争の話に夢中だし、私としても歴史に興味を持ってもらうことに対しては、嬉しいとしか言いようがない。
「⋯⋯で敵を破ったユミルタスは、敵の太子を捕縛。その半月後、メルムルは降伏し、王とその一族は追放それた」
1国が滅びる所まで話終えると、子供達の反応もまちまちだ。
自分の事のように誇らしそうに気持ちを高鳴らせて笑顔になる子もいれば、滅ぼされた国に同情するように、俯く子もいる。
でもだいたいみんな根っこは同じで、この強いカリスタン王国が好きなのは間違いない。
「さあみんな、キリがいいので休憩していいですよ。次の時間は少し算術をしましょう」
「えー!」
本を閉じると、そんな不満の声があちこちから上がった。
悲しいことに、私の算術嫌いがこの子達にも伝染してしまったのか、ここにいる子供達の大半が計算嫌いなのだ。
これは私の責任でしかないのだが、私自身数字を見るだけで頭が痛くなってしまう所があるので、なんともし難い。
「少しだけですから。先生と一緒に頑張りましょう」
文句の言葉はあちこちからしているが、皆教室から出ていく。
休み時間なんて具体的に決まっている訳では無いが、みんな用を済ませたり少し遊ぶと、大体帰ってきてくれる。
たまに帰りが遅い子を探しに行っても、基本的には近場にいるので連れ戻しやすい。
なんとも手のかからない良い子たちだ。
「ねえ先生」
「ん? どうしましたニナ」
皆が後ろの出口へ行くのに、ただひとり、長い茶髪を肩甲骨まで垂らしたニナがこちらへやってきた。
「昨日お休みした用事ってなぁに?」
「あー⋯⋯」
先生が軽く説明したのだろうけど、それじゃあ納得しなかったのか。曖昧な言葉では納得しない子供らしい。
「少し人のお手伝いをね」
「ふーん、どんなお手伝い」
「捜し物ですよ。城の外に」
「えー。先生お城の外に行ったの。いいなぁ」
羨ましそうに目を輝かせる。
「別に楽しいことありませんよ? 遊ぶなら城の中で充分じゃないですか」
「えー、でもでも、お城の外でかくれんぼとかしてみたいし」
「⋯⋯畑しかないので隠れられるところありませんよ」
「んー。そっかあ。じゃあ鬼ごっこ!」
「それなら楽しいかもしれませんね。すごく疲れそうですけど」
にっこりと笑いかけると、ニナも笑ってそのまま外へ向かって走っていった。
「走ると危ないですよ」
私の声は聞こえなかったのか、ニナはそのまま走って外へ出ていった。
子供と話していると、いつまでも飽きない。
大人じゃまず頭で考えて言わないよう飲み込む言葉も、子供は良くも悪くも全て口に出す。
それがたまらなく愛おしい。
「あ⋯⋯」
教室の窓に目を向けると、水滴がガラスに滴った。
どうやら今日は雨だったらしい。
そういえば、今朝からタオの調子が良さそうだった。
昼からは少し算術をいして、雨がひどくならないうちにみんなを帰らせた。
何せほとんどの子は傘なんて持っていないのだから、ずぶ濡れになって風邪でも引いたりしたら、あの子たちだけじゃなくて親にも面倒をかけてしまう。
しんとひっそりした教室の外を眺める。思った通り、雨は徐々に強まっている。
アルバとモルトは森へ行ったのだろうか。一応、アルバ達が出かけるなら傘を渡してくれとユイに頼んだので、彼が雨に濡れることはないだろう。
仕事しなければならないとはいえ、できれば私が一緒に森へ行きたかった。
「はあ⋯⋯」
ついつい漏れ出たため息が、思いのほか大きく教室内に響いた。
よほどがっかりしていたのだろうか、いつの間にか教室に来ていた先生に気がつかなかった。
「めずらしい、君がため息とは」
「先生⋯⋯」
髭をなでながら、先生は教卓の前までやってきた。
「よかったら話を聞こうじゃないか。教え子の悩みの種を解消してあげるのも教師の仕事だ」
「といわれても悩みってほどのものじゃないんですけどね、まあなんというか、醜い嫉妬というやつです」
「嫉妬? 君がか」
先生は瞠目しながら、口をわずかに開いて口角をあげた。
「珍しいこともあるものだね。君が何かに嫉妬しているところなんていままで見たことない」
「まあ確かに、今まで生きてきて嫉妬するようなことは起きませんでしたから。両親が健康な子供たちを見て少しうらやましいよ思うくらいです」
「ふむ⋯⋯では今は何に悩んでいるのかな」
先生は供託に右腕を載せ、顔を近づけてきた。
「一緒にいたい人には、もうすでに頼れる人がいて、私はそのふたりより無力な人間で。一緒にいたいけど果たして私なんかが彼といていいのか。そんな悩みです」
「彼ってことは、友人か何かかな」
「ええまあ、友人と呼んでいいのかはわかりませんが」
「ならセシル君、教師として、人生の先輩として君に言えることはひとつだ。君がいたいと思うなら、共にいればいい。心配するな、君の友人ならよい人間に決まっている。いきなり拒絶されたり遠ざかったりしないさ」
言い終えると先生は姿勢を正し、襟を浮かんで皺を伸ばしていた。
「もし拒絶されたら、新しい出会いでも探したらいいじゃないか。私はそうやって障害の伴侶を探し出したぞ」
「ははは⋯⋯」
まさかの先生が恋愛に積極的だったという事実に、つい顔が綻んでしまう。
確かに先生の言う通り、私の彼に対する感情を、そのまま行動に移してしまえばいいのだ。
きっと彼は受け入れてくれる。アルバはたぶん、私が知る限り誰よりも優しい人だから。もし拒むような雰囲気があれば、それから身を引けば問題ない。
どうせ薬草が見つかれば、アルバとはお別れになるのだし、このまま何もせず後悔するなら、最後の別れまで共にいたい。
なるほど、そう考えてみると、肩にのしかかっていた何かが落ちるように、身と心が軽くなる気がした。
「じゃあ先生。またお休みをいただいてもよろしいですか」
「ああ、構わないよ。で、何日ほど欲しい」
「目当ての薬草が見つかるまで」
私のお願いに、先生は微笑みながら応えた。
「わかったよ。見つけてあげなさい。それも人に何かを教える人間として大切な気質と経験だ」
「ありがとうございます」




