第二十三話 王女の務め
前話で物語の中間地点でした。
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できれば本日中にもう一話更新したいと思っています。
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「リティーツィア、そなたの住まいのことだが」
ライドルフは凛々しい形に整えられた眉を悩ましげに引き絞った。
「慣例に則るのであれば、光の側妃の子であるそなたはそなたの弟と同じ春の宮に入るのが普通だが……そなたも聞いていることだろうが、そなたの弟ユスブレヒトは長く臥せっていて、かの宮を差配する主も久しく不在であった。代わりに宮を取り仕切っていたアッシュヴァルツの仕業に不足があるとは思わぬが、かの宮はそなたを迎えるにはいささか物寂しいのではないかと思うのだ」
ライドルフの背後で付き従っていた左席宰相が、微かに緊張を滲ませた。国王を諌めるべきか躊躇しているのが分かる。
周囲の貴族の間にもさざめきのような波が走っていた。
「昔そなたたちが住んでいた離宮は焼けてしまったが、その跡地に新しく離宮を建てたのだよ。当時の離宮と同じ建築内装師に手掛けさせて、数は少ないが火から焼け残ったものも置いているから、きっと王城に慣れぬそなたの慰めとなるだろう。そなたにはやはり春の宮ではなくそちらに入ってもらうことにしよう」
妙案とばかりに機嫌よく宣うライドルフへの、謁見の間に参席する貴族たちの反応は悲喜交々だった。露骨に安堵する者、喜ぶ者、嘆く者、複雑そうに顔を曇らせる者、中にはあからさまにリーゼに憐憫の眼差しを向ける者までいる。
アッシュヴァルツ一等爵とガイウスは、よく似た雰囲気の儀礼的な笑みを強張らせていた。
「恐れながら陛下、リティーツィア王女殿下には長く分かたれてお過ごしであった弟君とのお時間も必要かと……」
「父と娘の時間を邪魔してくれるな、アッシュヴァルツ卿」
一等爵が控えめに提言するが、ライドルフはまったく取り合わない。
アッシュヴァルツは離宮を脱出したユーリアとリーゼを死亡したものと扱ったことで、危うくライドルフの勘気に触れるところだったらしく、これまでの至誠によって恩赦は下されたものの、リーゼが取りなすまでは国王に対してあまり強くは出られないのだ。
「あの離宮にはそなたのために用意した贈り物もたくさん置いているのだ。辺境の神殿などにあってはさぞ気の毒な暮らしぶりだったのだろう。これからは私がユーリアに与えてやれなかった分もそなたの周りをたくさんの宝石や装飾品で埋め尽くしてやりたい……」
――そうして父王に愛でられるだけの人形として飾り立てられて、母と同じように再びあの華やかで空虚な檻に囚われろというのだろうか。
それなら、たとえ側妃と第一王子に敵視されたとしても、せめて王と王位継承者の居住区である夏の宮に部屋を作ると言われたほうがまだましだった。
リーゼは怒りに震えるこぶしをどうにか袖に隠して、目を涙に潤ませながら口許を覆った。
「……お父様は、わたくしには宮の差配など務まらないとお考えなのですね」
伏せた睫毛を震わせ、消え入りそうなほどか細い声で答えて、悲しみに暮れながらも健気に微笑んでみせる。ライドルフはリーゼの反応に途端に目を見開いた。
「リティーツィア?」
「王の子として王城の主であるお父様より宮を預かる務めを、八年ぶりに王城に上がったわたくしなどには任せられないとお考えでいらっしゃるのでしょう? だからお父様はユスブレヒトの代わりをわたくしにお命じくださらないのだわ。わたくしが責を負うことのない、お父様が管理される夏の宮の離宮に入れとおっしゃるのは、わたくしの王女としての資質をお疑いでいらっしゃるから……」
ユーリアから受け継いだ薄幸の美貌を遺憾なく利用し、涙ぐんで言い募る。リーゼの肩をライドルフの手が掴んだ。
「リティーツィア。それは違う。そのようなつもりはないのだ。ただ、私は、最愛の娘を今度こそ手元に置いて、これまでそなたが耐えてきた不遇の日々の分も、雑事に煩わされず満ち足りた幸いの日々を与えてやりたいと……」
ふるふるとリーゼは儚げにかぶりを振ってみせた。
「わたくしは一領地を預かる次期女三等爵として育てられたユーリアの娘であり、広大なブロアのすべてをあまねく治める偉大なるライドルフ陛下から王女の称号を授かった王の子ですわ。同母の弟がお父様から賜った務めを果たせずにいるのならなおのこと、その穴を埋めるのは姉であるわたくしの責務……ですのに、お父様のこのようなお心遣いに甘えなければならない不甲斐なさが、わたくしは歯痒くて堪らないのです」
指を組み合わせて涙を堪えるように瞼を閉じる。ライドルフは祈るようにじっと固まっているリーゼの肩を撫でて、顔を覗き込んだ。
「そのように悲しい顔をしないでおくれ。リティーツィア。そなたが豊富な祈力のみならず、王族の責任を理解する聡明さをも持ち合わせた王女であることを、この父はとても嬉しく思っている。私の娘に不甲斐ない部分などあろうはずもない」
宥めるように告げ、国王らしく厳かに表情を改めて、ライドルフが告げた。
「王女リティーツィアよ。亡きユーリア、療養中のユスブレヒトに代わり、春の宮をそなたに預ける。これからのそなたを思えば、王族として人の扱いを覚える機会を持っておくことも確かに大切だ。私の娘として、王女の務めに励みなさい」
ライドルフは最後にひとり娘に甘い父親の顔で微笑んだ。「はい、お父様」と父親へのおねだりに成功して喜ぶ娘の振る舞いで答えて、リーゼは組み合わせた指を解き、胸に片手を当てて腰を落とした。
最悪の可能性を回避できてほっとしていることなどおくびにも出さない神妙な顔つきを作って、丁寧に拝命の礼を取る。
「ご下命謹んで承ります、国王陛下」
「おお、リティーツィア、陛下などとよそよそしい呼び方をしてくれるな。さあ、もう一度、お父様、と」
「……はい、お父様。わたくしの願いを聞き入れてくださってありがとうございます」
「私はそなたの望みをなんでも叶えてやりたいのだ。宮ひとつと言わず、国内の風光明媚な土地にいくつでもそなた専用の離宮を建ててやりたいし、ああ、いっそ王家所有の土地の中から好きなところをそなたの領地としてもよいな」
「まあ。お父様、女性が土地を預かる領主になれるのは成人後、婚姻によって配偶者を得てからでなければならないと王法で定められておりますわ。王が守るべき法です」
分を弁えた王女らしい口調で窘めるリーゼにライドルフはうんうんと頷いていた。「分かった、分かった。そなたは思慮深い娘だな」と、本当に分かっているのか怪しいことを言う。
リーゼの一挙一動を好意的に捉えてくれるので扱いやすいといえばそうだが、背後で左席宰相が頭を痛めたようにため息を押し殺していた。
「――陛下。おひとりでリティーツィア姫を独占なさりたいお気持ちも分かりますけれど、そろそろわたくしとジオルクにもご挨拶をさせてくださいませんこと?」
そこに差し込まれたのは、婀娜やかな妖艶さをたっぷり乗せた女の声だった。
途端にライドルフの表情から笑みが消え、冷ややかな眼差しが玉座の左側に差し向けられる。
そこには白っぽい豊かな金髪の女と、ライドルフによく似た黒灰色の髪の青年の姿があった。どちらも目の色は同じ水色だ。
「ああ――側妃よ」
素っ気なく答えて、宝物を扱うようにリーゼの背に手を添え、ライドルフはリーゼを自らに引き寄せた。
「光と闇は聖典上の女神たちの例を見てもけっして交わるものではないが、リティーツィア、そなたと同じ『ライヒ』を名乗る者たちを教えておこう。側妃ジルヴィーナと、その息子のジオルクだ。居住区域からして春の宮のある東宮と冬の宮のある西宮は離れているので、そなたが顔を合わせることはほとんどないだろうがね」
リーゼに気にかける相手ではないと言いたいのか、ジルヴィーナたちにリーゼに近づかないよう牽制しているのか、とにかく関わらせたくないという空気をひしひしと父王から感じながらの紹介に、リーゼはそっと進み出てスカートの裾を両手で持ち上げた。
「ジルヴィーナ側妃殿下、ジオルク第一王子殿下。白き席次を賜りましたユーリアの娘、リティーツィアと申します。宮中の作法には不慣れですが、これからは国王陛下をお支えし、王族の務めを果たして参ります。よしなにお付き合いくださいませ」
膝を折って腰を落とすリーゼの上位者への挨拶に、周囲の貴族たちからざわめきが起こった。
ジルヴィーナが高慢な笑みに赤い唇を吊り上げ、ジオルクは尊大な態度でくいと顎を持ち上げる。いずれも返礼はない。
ライドルフがリーゼの手を取って苦々しく「リティーツィア」と咎めた。
「その挨拶は不適切だと思わないかね」
もちろん知っている。
ユーリアが愛妾だった時代ならともかく、リーゼは既に光の側妃を母に持つ国王の嫡子として王女の称号を認められている。
ブロア王国における国王の妃の序列とは、まず正妃が最高位にあり、次に光の側妃、最後に闇の側妃が続く。妃の子たちもまた然りである。
本来ならば光の側妃の子であるリーゼが闇の側妃やその息子に阿る必要などない。
挨拶は同等以下の相手に対するものでよかったところを、リーゼはわざと自分の立場を一段も二段も落としてへりくだってみせたのである。
「陛下、姫のお気持ちも察して差し上げてくださいな。姫はご自分の母がどのようなお立場で内宮に住まいを頂いていたか、当時の時勢をよく弁えていらっしゃるのですわ」
「側妃よ。今は余が娘と話している。下がれ」
「愛妾の娘として振る舞いを慎むというのならそうさせて差し上げればよろしいのです。わたくしは本来あるべき序列を守る姫を支持いたしますわ。陛下は父親として姫のお気持ちを汲んで差し上げることはできませんの?」
まるでうだつの上がらない夫を手玉に取る物分かりのよい妻のような口調で口を挟んで、ジルヴィーナは余裕たっぷりに艶笑を湛えている。ライドルフがはっきり睨みつけても怯む素振りもない。
勝ち誇ったような視線がリーゼにまとわりつくようだった。




