第二十二話 王女の帰還
「アッシュヴァルツ一等爵、ナッハトラウム二等爵、リティーツィア様のご来室です」
光の側妃ユーリアの子であるリティーツィアは、公式にはまだ王女としての称号を得ていないので、今回の謁見はあくまで『アッシュヴァルツ父子が謁見の際に賓客を紹介する』という体裁を取る。
国王への謁見で自分の呼び順が彼らの後ろになることはこれが最後なのだろうという他所事を頭から追い出して、リーゼはガイウスのエスコートを受けながら入室の礼を取った。
頭のてっぺんから爪先まで神経を張り巡らせてスカートの裾を持ち上げるリーゼに、周囲に同席する貴族からざわめきの声が上がった。
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく……陛下の至宝たる姫君を御前にお連れする誉を賜り、この上もなき光栄に存じます」
「よい、アッシュヴァルツ卿。皆、面を上げよ」
三人で謁見の間の中央まで進み出て跪き、アッシュヴァルツ一等爵が口火を切る。
逸るように頭上から声が降ってきて、リーゼは視線を持ち上げた。
謁見の間は高い天井に国の守護神である軍神イヴリスにちなんだ聖典の神話を描いた連作の天井画が埋め込まれ、ブロア王家の紋章のタペストリーのかけられた壁を背に、一等高い壇上に銀細工の装飾の施された立派な玉座が据えられていた。
玉座の主は壮年の男で、年齢は不惑を過ぎたところか、紅焔の真紅で染め上げられたマントを肩に留めて、悠然と腰かけている。黒灰色の髪と暁色の瞳はリーゼの遠い記憶にあるものと同じだった。
玉座の横には金彩で飾られた正妃の席が設けられていたが、正妃は長らく故郷に下がっているため空席だった。今は国王の後を継ぐ王太子も指名されていないので、王太子の席もない。
壇の下には玉座の左右に分かれて席がふたつずつ、左側の席に闇の側妃ジルヴィーナと第一王子ジオルクが座っているのに対して、右側の席はどちらも空席である。
病気療養ということになっている第二王子ユスブレヒトはともかく、既に亡くなっている光の側妃ユーリアの分まで席を用意し続けるのは、玉座の主がそう強く望んだからだという。
「――リティーツィア。ああ……そなたが……」
玉座からリーゼを見下ろしていた男――国王ライドルフは、暁色の目を見開いて玉座を立ち上がると、自ら壇を下りてゆらゆらとリーゼに歩み寄ってきた。
気を利かせてアッシュヴァルツ一等爵がリーゼを立ち上がらせる。
ライドルフの震える手がリーゼの頬に触れ、叩き込まれた口上を披露する間もなく、ライドルフが歓喜の吐息を零した。
「ユーリアによく似ている……これほど大きくなって、ああ、リティーツィア、父によく顔を……私の娘……よくぞ無事で……」
明らかにそっくりなリーゼがユーリアの娘であることを疑う人間はまずいないだろうが、リーゼが国王ライドルフの子であることの証明は行われなければならないはずだった。
リーゼは母が残したロケットを提出し、ライドルフと祈力が適合することを祈術具で示して親子関係の証明とする予定だったのだが、ライドルフがあっさりリーゼを自分の娘であると認定してしまった展開は、あらかじめ決められていた段取りとまったく違う。直答の許可も得ていないので挨拶もまともにできないのだ。
戸惑うリーゼにようやく気がついたようで、ライドルフが抱きしめんばかりに広げていた腕を下ろして咳払いをする。それからリーゼの手を取って嬉しげに破顔した。
「すまなかったね。そなたに再びあい見えた嬉しさで様々なことを飛ばしてしまった。リティーツィア。私の娘。どうか声を聞かせておくれ」
国王に手を取られていては膝をつく最敬礼を取れないので、リーゼは膝を折ってスカートを持ち上げる立礼に切り替えてこうべを垂れた。
「ユーリアの娘、リティーツィアが御前に参じました。彼らアッシュヴァルツの尽力と、国王陛下をお守りくださる国守神イヴリスのお導きにより、こうして再びご挨拶申し上げる機会を賜りましたことを、夢のように至上の幸福と存じます」
「夢などと」
ライドルフは驚いたようにリーゼの顔を上げさせた。
「これは夢などではない。夢などであって堪るものか。これは現実だ。リティーツィア。どうか、どうか私を、昔のように、父と呼んでくれまいか」
「……それでは、お父様、と」
「ああ、素晴らしい! なんと幸せな響きだろうか。リティーツィア。ああ……!」
いっそ熱に浮かされたような国王の様相に、リーゼも面食らっていたが、国王の側近と思われる周囲の貴族たちからも頭を抱えるような空気をひしひしと感じた。
予定ではリーゼがライドルフの血縁であることを証明したのち、リティーツィアに王女の称号を与える宣言が行われるはずだったのだ。このままではいつまでもライドルフが浮かれていて話が進みそうにないので、リーゼは意を決して「お父様」と声をかけた。
「どうしたのだね、リティーツィア」
「お父様がわたくしをお父様の娘だとおっしゃってくださることは嬉しいのですけれど、王の子とは万が一にも血統に間違いがあってはいけないものですわ。わたくしの血統の証明のため、お父様にぜひご確認いただきたい物があるのです」
「間違いなどあろうはずがない! ……だが、そうだな、そなたに要らぬ疑惑が寄せられることは私も望まぬところである。確認してほしい物とは何だろうか」
リーゼは懐からロケットを取り出した。今回の謁見に当たって鎖が錆びついているのは見栄えが悪いので取り替えてあるが、その他はリーゼがユーリアに渡されたものそのままだ。
ライドルフは見覚えがあったのか、はっと息を呑んだ。
「これは母がお父様から頂いたものだと聞きました。検めてくださいますか?」
ライドルフが片手を上げて合図する。騎士の格好をした男がひとり近づいてきて、恭しくリーゼからロケットを受け取り、ひとしきり検分したのちライドルフに差し出した。
蓋を開けて中に描かれた紋章を見て、ライドルフは力強く頷いた。
「ふむ。確かに私がユーリアに贈ったものだ。ユーリアがそなたに贈ったのだね」
「左様にございます」
「では、これはそなたのものだ。リティーツィア。そなたが持っていなさい」
「ありがとうございます、お父様」
ユーリアが贈られた経緯はともあれ、このロケットはリーゼが唯一ユーリアから遺された品だ。取り上げられることがなくてよかったと思いながらリーゼはロケットを懐にしまった。
リーゼが自ら口にしたことで持ち掛けやすくなったのか、その間に貴族の男がふたつの祈術具を用意して進み出た。
上等な衣装に身を包み、ライドルフに直に「陛下、こちらを」と手渡すことを許されているところを見るに、アッシュヴァルツ一等爵と並ぶ国王の片腕、左席宰相だろう。
「リティーツィア。私はそなたが私の娘であると確信しているが、ここにいる者たちは確かな証拠がなければ不安になってしまう心配性が多いのだ。すまないが、そなたとの祈力適合を測らせてもらえるだろうか」
「もちろんですわ、お父様。わたくしも含め、王家に仕える者が、王家に誤った血筋の者が混じる可能性を危険に思うのももっともですもの」
快く受け入れて寛大さを見せつけつつ、左席宰相に促されるままに祈術具に手を触れる。
祈術具は取っ手の付いたガラス製のポットが上下にふたつくっついたような形状をしていて、上段には氷のような透明な結晶が、下段には赤銅色の結晶が収められていた。
指示された通りに上段の取っ手を掴んで祈力を注ぐと、透明だった結晶が徐々に緋色を帯び始め、みるみるうちに融解して液体と化して、内部を繋いでいる管から下段に流れ出した。
緋色の液体が赤銅色の結晶に触れた途端、赤銅色の結晶もどんどん溶け出し、緋色の液体をあっという間に赤銅色に染め替える。
祈術具の中に収められた結晶がどちらも完全に液体となって混じり合った様子に、周囲の貴族たちが「おお……!」と湧き立った。
その中で最も欣喜したライドルフが堪えきれないとばかりに腕を開き、思わず硬直するリーゼに構わず胸に抱き込む。
「陛、お、お父様」
「ああ! リティーツィア! これでそなたが紛れもなく私の娘であることが証明されたのだ! ユーリアやユスブレヒトの祈力と同じ、美しい緋色の濃密な祈力だ。私の祈力とも完全に適合する。もはやそなたの血統に疑いを持つ者はどこにもいないだろう!」
ぎゅうぎゅうと力任せに抱きしめられて、リーゼはもがくこともできずにされるがままになっていた。たとえ王女としての身分を認められたとしても、国王相手に息苦しいからと押しのけるような真似はできない。
見兼ねた左席宰相とアッシュヴァルツ一等爵が「陛下、リティーツィア姫が苦しんでいらっしゃいます」と窘めたところで、ようやくリーゼは窒息の危機から解放された。
「陛下、ユスブレヒト王子殿下の祈力をこめた結晶もご用意してございますが」
「リティーツィアを見世物にはしたくはないが……リティーツィア、どうだろう? 疲れているなら後日に回しても構わないのだよ」
「まあ、お父様、この程度のことは物の数にもなりませんわ。わたくしは問題ございません。こちらも先ほどと同じようにすればよろしいのかしら?」
頷いた左席宰相が差し出してきた祈術具は先ほどのものとほとんど同じだったが、下段に収められた結晶がリーゼの祈力と同じ緋色をしていた。
取っ手に触れて祈力を流し込むとすぐに、リーゼは不思議な感覚に意識を引っ張られた。
下段の結晶に込められた祈力――ユスブレヒトの祈力と繋がっているという、ある種の実感。
不思議な感覚に内心首を捻りながらも液状化した結晶が混ざり合う様を見守り、反応のなくなった祈術具を左席宰相に渡すと、左席宰相が祈術具を掲げる横でライドルフが「皆、聞け!」と声を上げた。
「皆の目にも明らかな通り、我が最愛の光ユーリアが産んだ至宝リティーツィアが、長らくの療養から晴れて今日めでたくも王城に帰還した。余はこのときをもって側妃ユーリアの娘リティーツィアに『ライヒ』の位階を認め、国王ライドルフ・ライヒ・ブロアの名において、リティーツィア・アインレーゼ・ライヒ・ブロアに王女の称号を与う!」
威風高々に宣言するライドルフに、周囲の貴族が一斉にその場で膝をつく。王族に対する最敬礼を満足げに見渡して、ライドルフはリーゼの手を取った。
「さあ、リティーツィア。皆が王女の帰城を歓迎しているのだ」
予定調和といえばその通りだが、リーゼも無事に王女として認められたことに胸を撫で下ろしていた。
跪いたままアッシュヴァルツ一等爵とガイウスが視線を向けてくる。一瞥だけを返してリーゼは謁見の間をぐるりと見回した。
「皆の心よりの歓迎を嬉しく思います。陛下に頂いた名に恥じぬよう、遅ればせながらわたくしも王室の一員として、これよりブロアの幾久しい繁栄のために尽くすことを誓います。――栄えある王国と偉大なる我らが国王陛下、この場に集う皆に、紅焔の聖樹の守護神の永遠なるご加護があらんことを」
進み出て、宙に手のひらを掲げ、祈力を天上に捧げる。
赤みを帯びた祝福の光が謁見の間の高い天井を包み込み、ライドルフや貴族たちの頭上に燐光を降り注いだ。「おお……!」「素晴らしい祈力量だ」と貴族の間から歓声が上がった。
「ああ、リティーツィア、そなたはなんと素晴らしいのだろう。成人を間近にしての帰城となったことを心配していたが、まったくの杞憂であったようだ。そなたならば成人の儀でも立派に神事をこなせよう。私のあとを継ぐ世代の王族にそなたのような才気溢れる王女を持てて、私はとても誇らしく思う」
浮かれきっているだけなのか、それとも日頃から疎んじている側妃や第一王子を言外に煽っているのか、快活なライドルフの発言の意図は読めなかった。
当たり障りなく「ご期待に応えられるよう励みますわ」と微笑みを顔面に張りつけながら、リーゼは相変わらず立ち尽くして、ライドルフの親心に溢れた抱擁を受けていた。




