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第二十一話 弱気

 秋の始まりを告げるその日は、よく晴れた蒼穹の高く澄み渡る日だった。


「――準備はいいか」


 アッシュヴァルツ邸の西の離れを訪れたガイウスは、招き入れられた扉の内側に足を踏み入れてそう声をかけた。

 侍女に囲まれていたリーゼが振り返り、自信満々のコルベラに肩を押されて進み出る。ガイウスはリーゼの姿にこっそり目を瞠った。


 リーゼは、今日のためにアッシュヴァルツ一等爵家の威信にかけて各専属工房に特別料金を積み上げて誂えた、王女のための格式高い正礼装を身にまとっていた。

 色はユーリアに与えられた光の側妃の座位の色である白と、リーゼの瞳によく似た金に近い黄色。織紋様がなめらかな光沢を帯びる最高級の布地をふんだんに使用し、レース編みのごく淡い薄布を鳥の羽のように幾重にも重ね、随所に精緻な金糸の刺繍を施している。

 度重なる試着と仮縫いにうんざりしたリーゼがなんでもいいと投げた結果、コルベラと侍女たちとガイウスとが代わりに顔を付き合わせて仕立て屋に細かく注文をつけたこともあって、卑俗に染まらないリーゼの高潔な清廉さを実によく引き立たせるものに仕上がっていた。


「……その顔は何よ。似合わないと言いたいの?」


 惚けているガイウスにリーゼがむっとして言う。慌てて首を振って、半ば夢心地のような気持ちでガイウスは「とてもよく似合っている」と告げた。

 ガイウスは天上の神々の使いである精霊の姿を目の当たりにしているような気分だった。それほど、王女らしく着飾ったリーゼは美しかった。


 成人前なので真紅の髪は一部だけ編み込んで大部分は背に流され、結い上げる代わりに金細工と水晶の髪飾りが挿されていた。

 侍女らの日々の手入れが功を奏したようで、あれほど傷んでくすんでいた影も残さず、さらさらと音を立てるようになびいて絹糸のごとくしっとりとした艶を放ち、陽光を弾いて紅焔のきらめきを映し出している。

 長さが王侯貴族の娘にしては短めなのだけが唯一残念だが、彼女の髪色の曇りのない鮮やかさの前にはきっとどんな付け毛も浮いてしまうので仕方がないのだろう。


 国王への謁見のために多少の化粧もされたようだが、玉の肌は既に白粉をはたかなくても内側から光り輝くような透明感に満ち、淡いオルゼ色に染まった唇は小振りながらも熟れた果実のようにふっくらとしている。

 微かに色づいた頬はほっそりしているが、輪郭は流麗な卵形を描き、やせ細ってあちこち折れそうだった体躯に肉がついて女性らしい柔らかな線を帯びるようになった。

 しなやかに伸びた指は爪の先まで潤い、ふわりと裾を捌く優雅な所作は女神のそれに思えるほどよく映えていた。


 ユーリアの面影を強く残す顔立ちは成人前の少女特有の未完成な儚さを伴い、玲瓏とした美しさとあどけない可憐さが絶妙に同居した幻想的な造作が、リーゼがすまし顔を作るとよりいっそうその神秘さを増す。

 この世のものとは思えない神聖さに包まれた容姿の中で、眩い意志を秘めた満月の瞳だけが少女を現実の存在だと証明していた。


「――紅き聖炎の花、月光の宝珠水晶」

「お母様を謳った文句でしょう、それは」

「父があれほど神経質にユーリア様の悲劇の再来を警戒していたのを、今なら納得できる。ユーリア様の絵姿と、よく似ている……」


 コルベラらには時の王太子に見初められた際のユーリアの肖像画を見せて、雰囲気を似せないようにと言い含めておいたはずだが、顔立ちや雰囲気がそもそも似ているので似せようとしなくても勝手に似てしまうのだろう。

 肖像画に瓜ふたつのリーゼに思わず呟くと、リーゼがさらに眉を寄せた。その背後でコルベラが目を吊り上げる。


「ガイウス。それが着飾った淑女を前にして貴族紳士が口にすべき言葉ですか」

「……社交の場で令嬢を褒めるとき、母の絵姿に似ていると言うのはさすがにどうかと思うから、私以外に言うのはやめなさいよ。貴方のその極上の顔面でも補えないくらい酷い発言だわ」


 コルベラは乳母らしく小言めいた口調で、リーゼは呆れたように言う。

 ガイウスはようやく自分の失態を悟って、コルベラのみならず部屋中の侍女たちから白い目を向けられているのを甘んじて受け止めながら、リーゼに向き直って手を差し伸べた。


「すまない、リーゼのあまりの美しさに惑わされて言葉選びを誤った。――本当に、美しい。リーゼはいつも、どんな格好をしていても美しいが、今日はこの世で最も美しい。今日のおまえの現人神の美しさの前ではどんな花や宝石も霞み、すべての男が魅了されて平伏すことになるだろう」


 自らの言葉通り腰を落として、リーゼの指先に口づけを送る。

 最上位の貴婦人への挨拶を受けて、リーゼは今さらのように狼狽えた。何度も同じ挨拶を受けているというのに、恨めしげにガイウスを睨んでぱっと手を引っこめてしまう。


「お、大袈裟! そこまで言えなんて言ってないわ。ほら、立ちなさいよ。そろそろ王城に出発する時刻でしょう」


 時間が迫っているのはその通りなので身を起こすと、リーゼは隣にいた侍女から日中用のレース付き手袋を受け取って手に嵌めた。それからガイウスが差し出した手のひらに改めてむっつりしたまま手を預けてくる。

 ガイウスも既に手袋を着けているので、二重の手袋越しの指先は普段よりどこか他人行儀な錯覚がした。


 西の離れを出て中庭を抜けると、邸の正門にアッシュヴァルツ一等爵家の紋章の付いた六頭立ての馬車が停まっていて、自身も謁見用の衣装に身を包んだガイウスの父が待っていた。

 リーゼはアッシュヴァルツ一等爵とは初顔合わせ以降も何度も会っていて、宮廷の動向や王都の情勢について国王の右腕たる右席宰相自ら教授を受けていた。王城へはこの父も同乗することになっている。


「お待ちしておりました、リティーツィア王女殿下。今日は一段とお美しくいらっしゃる」


 会うたびに社交辞令として何度も美しいと言われ慣れているはずのリーゼが、またしても身じろぎするので、一等爵もおやと不思議そうにした。

 耐えきれないというように扇子を開いて顔を伏せたリーゼが「ありがとう」と細い声で呟く。それでガイウスはリーゼの調子がおかしいことを確信した。


 車に乗り込んで、御者が鞭を振り上げる。

 石畳を車輪が進む振動の中で、ガイウスはついに「リーゼ」と固い横顔を覗き込んだ。

 向かい側の席に座る一等爵がわずかに目を見開くのは、ガイウスが父の前で王女に対する礼儀を崩したのが初めてだったからだろう。


「な、なに」


 リーゼがうつむいたまま扇子を握りしめている。手袋に包まれた指先がせわしなく何度も擦り合わされている。


「どうかしたか」

「なにも……どうもしてないわよ」


 強がりと分かる上擦った声で言ったリーゼが、扇子を持っていないほうの手でぎゅっと自分の腕を掴んだ。

 ガイウスはその仕草の意味をよく知っていた。


「……リーゼ。怖いか?」


 びくりと華奢な肩を揺らして、リーゼは口を引き結んだ。

 横顔が強張っている。紅を刷いているはずの唇が青褪めて見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。


「リーゼ」


 自分の手袋を外して、リーゼの手袋も取り払う。ガイウス、と声を上げた父を無視して、ガイウスはリーゼの冷えた手を取った。


「大丈夫だ。私が傍についている」


 祈力制御の指南のためにリーゼと手を触れ合わせている時間が長かったためだろうか、リーゼは「貴方の手は顔に似合わずいつも温かくて少し安心するわ」と言って、ガイウス本人よりも先にガイウスの手に対して恐怖心を払拭していたようだった。

 それを思い出して、いつものように指先を掬い上げる。

 王女に対して臣下に許された振る舞いはこれが限度だ。


 リーゼの指先から少しだけ力が抜けて、ガイウスを見上げる金色の瞳が揺れた。

 勝気な彼女でも国王への謁見は緊張するのだろうか。――それとも、八年ぶりに会う父親の前に出ていくことが、この緊張の原因だろうか。


「……初めの口上だけでもいい。頑張れるか」


 リーゼが唇を震わせる。彼女のこういう表情はガイウスの存在に怯えていたころ以来だ。

 貴族社会では一度でも隙を見せればそれは永久の瑕疵となる。王女に瑕疵を負わせることは側近の責任だ。

 リーゼには王女として指を差されることのないように宮廷儀礼と貴族社会の常識を説き、失敗は許されないと教え込んできたが、八年ぶりに貴族社会に復帰する少女にとって重荷でなかったはずがない。


「難しいなら代わりに父が話す。……リーゼの意に染まないことまで口を滑らせるかもしれないので、あまり推奨はできないが」


 向かい側の座席で父一等爵がぴくりと眉を動かしたが、ガイウスはそれも無視した。ガイウスの父は彼が知る限りでいちばん油断ならない男である。


 リーゼはガイウスを見つめて、ガイウスの指先を握り込んで、やがてこくんと首を縦に振った。


「大丈夫よ。……自分で、できるわ」


 ひとつ息をついて、自分に言い聞かせるように言う。それから触れ合ったガイウスの指先ごと手を少し引き寄せる。


「……できるから、ちゃんと、傍にいなさいよ」


 実際には国王と王女の謁見なので、一等爵の後継という立場でしかないガイウスがずっとリーゼの隣にいることはできないのだが、国王相手の謁見の作法は叩き込まれたリーゼもよく知っているはずだ。

 それを分かっていての言葉だと理解しているから、ガイウスもしっかり頷いてみせる。リーゼは少し落ち着いた様子で胸に手を当てた。


「陛下は……私のことを、もうご存知なのよね?」

「ああ。おまえに会うことをひと月前から心待ちにされている」

「……あまり心待ちにされると、実物を見て驚かれるかもしれないわ」


 リーゼにしては珍しく弱気な台詞だった。口にして自分で気づいたのだろう、はっとした少女の表情が怯えに曇る前に、ガイウスは「リーゼ」と口を開いた。


「肖像画家に描かせた絵姿が陛下のもとに届けられている。おまえが不安に思うことは何もない」


 あの肖像画は今日のリーゼの衣装で描かれたものだ。リーゼは面映ゆいからと自分で見ることを拒んだが、ガイウスや一等爵は納品されたものを確認している。よく描けていなければ国王に献上したりしない。

 ――もっとも、今日のリーゼはあの絵姿の何十倍も美しいので、その意味では国王は驚くかもしれないが。


 真剣そのもので告げたガイウスに、リーゼは唇を尖らせた。不服げにガイウスを睨む。


「……貴方、いつも私のことを『美しい』と言うじゃない。普段着でも何でも『美しい』なんだから、貴方の『美しい』はあまり当てにならないわ」


 膨れっ面で憎まれ口を叩くリーゼは、いつもの調子を少し取り戻したようだった。青褪めていた唇に生気が戻りつつある。

 冷えていた指先に体温を移すように力をこめ、ガイウスはリーゼから取り上げる形になった手袋を差し出した。


 貴族街の中でも中心部にほど近い位置にあるアッシュヴァルツ邸からは、王城をぐるりと取り囲む城門まではわりあいすぐに着く。

 一等爵家の紋章付きの馬車は最優先で門番に取り次がれ、城内のあらゆる視線を集めながら石畳を進み、やがて国王やその許に仕える貴族が国政を担う外宮の門の車寄せに停められた。


「リーゼ」

「王女殿下。お心の準備はよろしいでしょうか」

「……ええ」


 ガイウスと一等爵から視線を向けられて、リーゼは閉じていた目を押し開けた。宮廷儀礼の教え通りの自信に満ちあふれた不敵な微笑を浮かべてみせたリーゼに、ふたりが窓から御者に合図する。

 扉が開けられ、ガイウスが降り、一等爵が降り、ふたりがかりで車内のリーゼに手を差し伸べる。


 リーゼは手袋に包んだ指先をそれぞれに預け、車を降りて眼前にそびえ立つ建物を見据えた。


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