第二十四話 光と闇の序列
リーゼはジルヴィーナから目を逸らしてライドルフを仰いだ。ライドルフの手を包み込むようにして向かい合う。
ライドルフは厳しい顔つきで言った。
「リティーツィア。この王城で今そなたより上位に立つのは、この父だけだ。そなたがこうべを垂れる相手は他にはいない。これは王たる父が定めた秩序である」
諭す言葉に、背後からジルヴィーナの声が聞こえてきたが、リーゼは無視してゆっくりと頷いてみせた。
「分かっておりますわ、お父様。わたくしはただ、久しく王城を離れていた身として、初めてお目にかかる際のご挨拶では、わたくしより先にお父様にお仕えしていた方々へ敬意を払いたかったのです。わたくしはお父様が与えてくださった称号を蔑ろにするつもりはございません」
父王の機嫌を取るように微笑んで、一転曇った面持ちを見せつける。
「――ですから、わたくし、よもやあのようにわたくしとわたくしの母に対する無礼を聞くことになるとは思っておりませんでしたの」
ジルヴィーナとジオルクのほうを困惑の眼差しで一瞥して、悲しげに目を伏せる。せいぜいライドルフの庇護欲を引けるように肩を震わせた。
無論リーゼの胸中にあるのは怒り一色だが、その感情を表に出すときに反転させてみせるくらいの強かさは、リーゼも持ち合わせているのである。
「白き席次の位を与えられた母をいまだ蔑んで公然と愛妾と呼ばわり、光が闇に従うことが本来あるべき序列であるなどと、これほどお父様の御意に背く不忠の徒が玉座のお側近くに置かれていることがにわかには信じられません。歴史あるブロア宮廷がこのように秩序を乱す不心得者の狼藉を許すなど、なんと嘆かわしいことでしょう。リティーツィアは何よりお父様がおいたわしくてなりません」
「おお……リティーツィア、そなたはなんと心優しき娘なのだろう」
リーゼのいじらしさに簡単に骨抜きになってくれるライドルフは、リーゼを自らの腕で守るように抱き寄せ、代わりにジルヴィーナに冷徹な視線を向けた。
「光の側妃に対する侮辱と、王女への聞くに堪えない謗言、余と余の娘に対する不敬罪と見做す。第二王子が病気療養と発してから随分と好き勝手をしてきたようだが、リティーツィアが宮入りするからにはこれ以降の専横は看過せぬ。冬の宮で身を慎み、自らの行いを顧みるがよい。――闇の側妃にこれよりひと月の蟄居を命じる。近衛! 側妃を宮に下がらせよ!」
「なっ……陛下!」
騒ぎ立てるジルヴィーナを、近衛騎士が迅速に謁見の間から引きずり出す。憎々しげにリーゼとライドルフを睨みつけるジルヴィーナを、高笑いで見送ってやったらこの女はどこまで醜く怒り狂うのだろうかと、リーゼは冷めた気持ちで考えていた。
ユ―リアが被った艱難辛苦を思えばこれしきのことで気分が晴れるはずもないが、リーゼの前でリーゼやユ―リアを侮った分の溜飲を下げるくらいのことはできそうだ。
ジルヴィーナの喚き声を断ち切るように両開きの扉が重厚な音を立てて閉められると、ライドルフはそれ以上ジルヴィーナに対する興味を失ったようにリーゼに微笑みかけた。
残された第一王子に言葉をかけることもなく、周囲でどよめく貴族らを片手ひとつで鎮め、まるでリーゼしか視界に入っていないかのように満足げにリーゼの手を引く。
「さあリティーツィア、そなたの春の宮まで案内しよう。心配せずとも冬の宮に連行されていった側妃と顔を合わせることはないはずだ」
「お父様、よろしいのですか? 謁見がまだおありなのでは」
「そのようなものは後日でよい。そなた以上に私が優先すべきものなどありはしない」
上機嫌に言うライドルフだが、そんなわけがないことは後ろから追いかけてくる左席宰相が証明している。
リーゼが謁見の間に入ってくる際にも控えの間には待たされている貴族が何人もいた。リーゼはけっして国政を蔑ろにさせるほどの盲目の寵愛を求めているわけではない。
これほど国の中枢を担う貴族が会する場でリーゼがライドルフに謁見を放棄させたとあっては、ライドルフの周囲に仕える彼らがリーゼへの心証を悪くするだろう。
「お父様。国王陛下ともあろうお方が、神々の慈しむ大地と人々とを治めるための執務を後回しにすることなどあってはならないことですわ。どうかご再考くださいませ」
「リティーツィア、私は八年ぶりに再会した愛しい娘との時間を大切にしたいのだ」
「慌てずともリティーツィアはお父様のお傍におります。どうかわたくしを賢君を堕落させる悪しき王女などにさせないでくださいませ」
リーゼは努めて甘えた声を出しながら内心ではかなり必死だった。
なにしろリーゼの内面はとっくにこの父王に無邪気に懐いていたころの娘ではなくなっている。相手が国王でさえなければ「いい加減聞き分けなさいよ!」と怒鳴りつけてやりたいくらいなのだ。
どう引き留めたものかと二の足を踏んでいた左席宰相に、ライドルフの肩越しにこっそり視線を送る。
リーゼの必死さが伝わったのだろうか、彼ははっと我に返って、仲裁するように声をかけてきた。
「陛下。至宝の姫君を御自らご案内されたいお気持ちも分かりますが、陛下が謁見を放り出してまで付き添われることを、王女殿下は心から喜んでくださるのでしょうか。思い返せばユーリア妃殿下も、若かりし陛下に『ご公務を蔑ろにされる方をおもてなしする部屋などございません』とおっしゃって、よく陛下を閉め出しておられたではありませんか。王女殿下もきっと断腸の思いで陛下の訪いを拒んでいらっしゃるのですよ」
ふたりがかりで説得にかかったことでライドルフは揺れているようだった。もうひと押し、と手応えに縋るようにリーゼは悲しげに流し目を送ってみせた。
「左席宰相のおっしゃる通りですわ。国王陛下に執務を蔑ろにさせたとあっては、わたくしはこの先王女として皆に顔向けができません。……それとも、このように宮廷を騒がせてしまうのなら、やはりわたくしはおとなしく神殿に下がっていたほうがよかったのでしょうか……」
最後の嘆きが決定打となったのだろう、ライドルフは難しい顔をして「謁見に戻る」と言った。
左席宰相がライドルフの背後に下がって無言で目礼を向けてくる。安堵の視線をこっそり交わした。
「リティーツィア……」
ライドルフはまだ名残惜しげだった。
「これまで春の宮を取り仕切っていたのはアッシュヴァルツなのですから、お父様が長らくの信頼を置いてお傍に重用なさった寵臣を、わたくしも信頼しておりますわ。お父様はどうかお父様にしかできないお仕事をなさってくださいませ。……またすぐ、今夜にもお会いできるのですから」
「ああ、そうだな。今宵の晩餐は料理人に腕を振るわせたのだ。そなたとともにする食事を心から楽しみにしている」
できれば晩餐も疲れているからとか理由をつけて回避したかったのだが、これだけ『お父様っ子』を演じてしまっては「わたくしも楽しみですわ」と答えるしかなかった。
とにもかくにもようやく解放される兆しを見出したリーゼは、この機を逃してなるものかとばかりに退出の許可を願い出て、無事にライドルフから「春の宮で寛ぐといい」という言質を勝ち取った。
退出の礼を取って謁見の間をあとにする。
衛兵によって閉ざされていく扉の合間に、玉座の左側にひとり残された第一王子がこちらを見ているのに気がついた。
けっして好意的とはいえないその視線は、しかしながらすぐに重厚な扉に遮られてしまった。




