第十八話 遥けき前途
「でも、これからあと六属性が待っていると思うとまだまだ先は長いわね。……ユスは、もうとっくに習得していたのよね?」
「ユスブレヒト殿下と比べるのはやめろ。リーゼにはユスブレヒト殿下とは比べ物にならないほどの短期間でたくさんのことを詰め込んできた。ユスブレヒト殿下とリーゼとでは、求められていることの方向性がまったく違う」
「分かっているわ。今の私がユスに及ぶはずがないことは……。ユスは行方が分からなくなったとき、成人に向けて加護を増やすために大神殿の聖樹の御許で祈りを捧げていたのでしょう? 私は成人の儀まで一度も聖樹に祈りを捧げることなく王位継承資格の試しを受けることになるけれど、それは構わないのかしら」
「リーゼの祈りは十分足りている。問題ない」
「……私には話せないということ? 誤魔化されるのは嫌いよ」
譲らない目でじっとガイウスを見据えるリーゼに、ガイウスは「誤魔化したいわけではない」と言った。それから言葉を探すように視線を泳がせる。
「神々の加護を得て聖樹に王として認められる必要のある王位継承権認定の儀と違って、成人の儀は王位継承の資格を聖樹から賜るに足る祈力の器を備えているかを試すものだ。リーゼに成人の儀を受けてもらうこと自体がリーゼに相当の無理を強いることだと我々は理解している。加護を増やすための祈りは成人まで急ぐつもりはない」
「ならユスはどうして聖樹の御許にいたの」
「……それは……」
「ガイウス」
「…………ユスブレヒト殿下は、第一王子を遥かに凌ぐ王太子としての確固たる地位を築くため、成人の際に先んじて王位継承権認定の儀に臨まれる予定だったからだ」
リーゼの視線の強さに押し負けたように、ガイウスは渋面のまま重く白状した。
「政務や諸外国との関係上、継承権の認定をもってすぐにユスブレヒト殿下の即位をと望まれていたわけではないが、一等爵家から輿入れした母を持つ第一王子を抑えて三等爵家出身のユ―リア様の御子である殿下が王太子となられるのに、成人の儀よりさらに明白に王の子としての資質を示す聖樹の祝福はこれ以上のない追い風となる」
王に求められる素養とは何を置いてもまず祈力である。
王の祈力は聖樹を祈りで満たし、聖樹が守る地に加護を賜るとともに、王城や王都、各貴族に封じた領地、延いては国の境界線を維持するための護国祈術陣の礎となる役割を担う。
万物を司る七十七の神々からの加護が強く豊富であるほど、祈力の質が上がって様々な祈術を操ることができるようになるため、祈力の器の大きさと加護の多さは時に母妃の出身家格や位階序列を超越して王の後継者を定める基準となる。
アッシュヴァルツはそれを逆手にとって、どうしても政治基盤の弱く見られがちなユスブレヒトの立太子を盤石にするつもりだったのだという。
「……ユスは、私よりも遥かに先を行っていたのね」
「おまえがユスブレヒト殿下と同じ境遇にあったなら、今ごろはおまえもとっくに同じ場所にあったはずだ」
ガイウスは淡々とした口調とは裏腹に気遣わしげな目でリーゼを見つめ、リーゼが表情を緩めて頷くのを待ってから、今度は自らが憂いに表情を曇らせた。
「……成人の儀に無理やり間に合わせるために私が課した過密な日程の教育を、おまえは驚くほどこちらの理想通りにこなしてきた。そのために、おまえが時に自分を犠牲にして、相当の無理を通して努力を重ねていたことを知っている。……夜ごと遅くまで、休息日の前夜は特に明け方近くまで、礼拝室で祈術を使い続けていることも、休息日の余暇を授業の先取りにすべて当てていることも」
言い当てられて、リーゼは思わず口を開いたり閉じたりした。
休息日の暇の潰し方は侍女にも見られているので知られていても不思議ではないが、夜の秘密の特訓のことは知られているはずがないのだ。
侍女に寝室に入らないように言いつけているのは普段からのことだし、寝室を抜け出すときには念のために掛け毛布の下にクッションを忍ばせている。一階に設けられた礼拝室との往復を不寝番の侍女に見つかったこともない。
「邸には外部からの侵入を防ぐ結界を張り巡らせている。特定の祈力を持つ者がどこにいるか、祈力を使用しているかどうかはすぐに分かるようになっている。……不寝番の目を盗むために、おまえが窓伝いに外柱廊を使って寝室と礼拝室とを行き来していることも、知っている」
結界。そういえば王城内にも数多の結界が張り巡らされていて、時間帯によっては立ち入りを禁止される区域があったはずだ。
そもそも立ち入れる場所の限られている下級女官にはあまり関係のないものだったので、リーゼは存在自体をすっかり忘れていた。
「勝手に窓を開けて外に出ていたことは謝るわ。外には面していたけれど、一応、建物内の範囲だと思って……」
「窓くらい好きに開ければいいし、外に出たいなら侍女でも騎士でもつけて出ればいい。そういうことを言っているわけではない」
窓を開けることも部屋の外に出ることもガイウスが禁じたわけではない。
非難の眼差しを向けられてリーゼは肩をすくめた。
あれくらいしなければこれまでガイウスが求める水準についていけなかった。かといってついていけないと思われて水準を下げられるのも嫌だった。
足りないものを得るためにリーゼが時間を捻出するには、自由時間と睡眠時間を削る他になかったのだ。
「……おまえの生真面目さと忍耐強さに甘えてきた私が言えることではないが、もうやめてくれ。あとは残りのひと月で十分間に合う。祈術で躓いたら何度でも手本を見せるし、分からないところは分かるまで付き合う。だから、夜は寝て、休息日は休んでほしい」
祈術の腕は毎日練習を続けていないとすぐに鈍ってしまいそうで不安だったが、どの道ガイウスに知られていたのならこれ以上続けることはできないだろう。コルベラにも話が伝わって礼拝室にも侍女が配置されたら、抜け出したところですぐに見つかって寝室に連れ戻されるだけだ。
「……本当に、またつき合いなさいよ。特に黒の属性の祈術は、今まで一度で成功できた試しがないんだから」
「ああ。約束する」
「なら、寝室を抜け出すのはもうやめにするわ。私も約束するから、不寝番を命じられる可哀想な侍女を増やすのはやめてあげて。……そういえば、儀式祈術に耐えられる容量の祈力石なんてあるの?」
現代まで残る儀式祈術はどれもこれも祈力をたくさん使うもので、大規模なものでは神殿の役職持ちの高位神官が大勢動員されるほどにもなる。リーゼも先ほどの祝福に祈力の何割かを持っていかれていた。
これまでの祈術指南はすべて祈力石を介して行われてきたが、これほど大量の祈力を一度に溜めておける祈力石など存在するのだろうか。
「貴方が直接私に祈力を流すのはコルベラが怒るでしょう?」
「コルベラが怒らなくても王女の祈力を侵すことなど許されない。儀式祈術には祈術具や祈術陣を使用する。神力を映した神器を天上から賜るのが最も効率的だろうが、神器を模した聖具なら神殿から借りることもできる」
「神器って……それそのものが儀式祈術で賜る奇跡じゃない。儀式祈術の練習のために奇跡を願うなんて罰当たりだわ」
リーゼを優先しすぎて神々をも軽視し始めたガイウスを呆れたように笑って、リーゼはちらりと遠くで花々と戯れている侍女たちを一瞥した。
「もう少しゆっくりしていってもいい? ……もう花に手を触れたりしないわよ。何度も治癒祈術を使わせるのは忍びないもの。でも、せっかくの機会だから」
リーゼの侍女には、リーゼに不足する常識や教養を補うため、コルベラを初めとする子育てを終えた世代の社交界や宮廷の動向に精通する熟練の貴婦人が何人も取り立てられているが、同時に主と同じ目線で話し相手になれるようにと年齢の近い娘たちも多く集められている。
自主的に引き籠っていたリーゼに倣って窮屈な思いをしてきただろう彼女たちにも、たまには気晴らしの時間があってもいいはずだ。
リーゼには商人を呼びつけて買い物をしたり、音楽家や劇団を招いたりして楽しむ嗜好はないので、アッシュヴァルツ邸の西の離れは年頃の少女にとって極めて娯楽に乏しい環境なのである。
暇を持て余す侍女たちにまた着せ替え人形にされては叶わないというリーゼの考えを見透かしたわけでもないだろうが、ガイウスはすんなり応じて、日が傾くまでリーゼの散歩に付き添い続けた。




