第十九話 後ろ盾
アッシュヴァルツ一等爵との顔合わせは、それから三日後に決まった。
「リティーツィア王女殿下。ようこそいらっしゃいました。ご足労恐縮に存じます」
「お招きに感謝を。こちらこそ、長く世話になっているにもかかわらず随分と不義理をしました――アッシュヴァルツ卿」
同じ敷地内だというのに張り切った侍女らに外出着を着付けられ、リーゼは離れまで迎えに来たガイウスの先導で本邸の柱廊式玄関をくぐった。
使用人がずらりと並ぶ大広間に足を踏み入れると、従者とともに一等爵が自ら出迎えに現れ、礼を取って名を名乗る。
鷹揚に頷いてみせて一等爵の案内について食堂室に向かい、ガイウスが引いた椅子にスカートの裾を捌きながら腰を下ろすと、一等爵がガイウスに介添えを受けるリーゼをじっと見つめていた。
「……何かしら?」
アッシュヴァルツ一等爵は顔立ちこそガイウスとはあまり似ていないが、黒っぽい髪や目の色と、美丈夫といっていい造作ながら寡黙で淡々とした雰囲気はそっくりだった。
ガイウスは父親を前にしても無表情を貫いているのに対して、一等爵はリーゼに対してきちんと笑みを浮かべているのに、その隙のなさが儀礼的な愛想笑いであることを如実に語っている。見慣れている分ガイウスのほうが表情の裏に隠れた感情を読み取りやすいほどである。
リーゼの怪訝な視線に、一等爵はゆっくり首を横に振った。それからガイウスに目を向けて眦を細める。
「愚息は王女殿下に無礼を働きませんでしたか? 王女殿下をお迎えする手筈をすべて任せてしまったので、至らぬ点がありましたら愚息に代わり謝罪を申し上げます。不便があれば私のほうでも骨を折りましょう」
無礼。あれやこれやを思い出してうっかり顔が引き攣りそうになるのを堪え、リーゼは「万事よしなに取り計らってくれました」とだけ答えた。
同時に頭の中の冷めた部分でやっぱりとため息をつく。
アッシュヴァルツ邸に来た当初のリーゼはあれだけガイウスを拒絶していたのに、総責任者であるところのアッシュヴァルツ一等爵が一向に出てこないのはおかしいと思っていた。
王宮入りをひと月後に控えたこの時期に接触を図ってきたことも、些か唐突に過ぎると思っていた。
――この対面は、アッシュヴァルツ一等爵がリーゼを見定めるための場なのだ。自分が八年前に選ばなかった天秤の片方が、八年間遅れの足枷があってなお押し戴くに足る王女となりえるか否かを、彼が自ら見定めるための。
ガイウスが普段の無表情に剣呑な気配を漂わせる。
ガイウスは八年前の離宮の火事のころからこの件に関わっていたという。ユスブレヒトを重視してリーゼをユーリアともども切り捨てたアッシュヴァルツ一等爵と、リティーツィアにも思い入れがありそうなガイウス。ふたりの仲はあまりよくないのかもしれない。
「ガイウス」
短く名を呼んで目だけで席に着くように促し、リーゼは持参した扇子をぱちりと開いた。
値踏みしたいのならしたいだけすればいい。リーゼにとってはまだ、王女リティーツィアに立太子をという意向はアッシュヴァルツ側のものだ。
リーゼがそれに従っているのはリーゼ自身の目的のためで、リーゼが好き好んで第一王子との王位継承争いをしたがっているわけでも、頼み込んでアッシュヴァルツに後ろ盾になってほしいと思っているわけでもない。
悠然と構えてつんと澄ましているリーゼを、一等爵の漆黒の双眸が観察していた。
我関せずを貫くリーゼがまったく取り合わないことを察したのか、手元のベルを振って使用人に料理を運ばせ、グラスに飲み物が注がれたところで昼餐の開始を宣言する。
リーゼも一等爵やガイウスに倣ってカトラリーを持ち上げた。
食事自体はそれなりに穏やかに進んだ。
主催者である一等爵が振った話題を適度に広げ、相槌を打ち、知らない話題には興味のない振りをしてそれとなく話の向きを替える。
合間に料理を褒め、食堂室の内装を褒め、先日散歩した庭園を褒め、代わりに髪型だの服装だのに美辞麗句を尽くした賛辞を受ける。
ガイウスが時おり視線をちらちらと向けてくるが、リーゼは一等爵の挑発もガイウスの気遣いもあっさり流した。
食事を終え、場所を茶会室に移して食後茶が各々の前に用意されたところで、一等爵は唐突にくつくつと笑い出した。
「……なるほど。愚息は王女殿下の信頼をよくよく得られたようだ」
リーゼの背後に張りついて動かないガイウスを揶揄するように見て、それから自然にガイウスを傍に控えさせるリーゼにも目を眇める。
ガイウスが一等爵ではなくリーゼに付き従うのがそれほどおかしいのだろうか。自分の一番の腹心を王女リティーツィアのもとに遣わしたのは一等爵自身だろうに。
「愚息は八年前からずっと王女殿下にお仕えすることを切望していたのです。ユスブレヒト殿下という光を失った我々が新たな光に縋らずにはいられなくなったときも、自ら王女殿下をお迎えに上がる役目に手を挙げたほど……ところが、いざ首尾よく王女殿下を我が邸にお迎えしたと思えば、報告を上げるばかりでそれ以降なかなか我々が王女殿下にご挨拶申し上げる機会すら設けようとはせず、よもや王女殿下とアッシュヴァルツの融和に失敗したのではないかと懸念していたところでした」
漆黒の瞳に鋭い光が閃いた。心の中まで、すべてを見透かすような眼だった。
「――ガイウスの報告の通り、美しく気高い姫君におなりだ。ユーリア様に本当によく似ていらっしゃる。安心いたしました。おまえも念願叶って本望だろう、ガイウス?」
ガイウスは微かに眉をひそめて無言で応じた。
そういえば以前コルベラもそのようなことを言っていた。ガイウスはリティーツィアへの思い入れを実父にも乳母にも駄々洩れにしていたのだろうか。離宮時代にガイウスと知り合った覚えは、生憎リーゼにはまったくないのだけれど。
「アッシュヴァルツ卿。わたくしはそれほどまでに、母に似ているのかしら?」
リーゼの問いに一等爵は口角が持ち上げて答えた。
「ええ、それはもう――ユーリア様が成人されたばかりのころによく似ておいでです。王女殿下の今のお姿をご覧になれば、国王陛下もさぞお喜びになるでしょう」
リーゼを上から下までさっと眺めて、どこか満足そうに微笑する。
そう、とリーゼは応えた。
「……では、成人したばかりの母が国王陛下に見初められて王太子宮に入った際に、側妃抜擢の後見を申し出た貴方たちに対して告げた言葉と、王女の立太子を望む貴方たちにわたくしが告げる言葉も、きっとよく似るのでしょうね」
アッシュヴァルツ一等爵が息を呑む。
王女殿下、とガイウスが声をかけてくるのを片手で制止し、ほのかな湯気を立てるティーカップをゆっくり傾けて、リーゼは扇子を開いた。
「貴方の子息でさえ弁えていた礼を、貴方が弁えられぬとは嘆かわしいことだわ。アッシュヴァルツ卿。貴方たちがユスブレヒトをどれほど貴方たちにとって都合のよい王子に仕立て上げたか知らないけれど、母によく似ているというわたくしが貴方たちの手を簡単に取るとは思わないことね」
「……ガイウスからは、王女殿下に忠誠を受け取っていただいた、と」
「王家の血を継ぐ者として、捧げられた忠誠には応えます。皆の忠誠がわたくしの王宮入りを望むならば応えましょう。――それは、けっして貴方たちアッシュヴァルツとの融和などではないわ」
一等爵は訝る目でガイウスを睨んだ。話が違うとでも訴えているのかもしれない。
リーゼは見せつけるように片手を持ち上げた。最近になってようやく躊躇なくリーゼの手を取るようになったガイウスに少し溜飲を下げつつ、扇子の奥から一等爵に嫣然と微笑みを投げつける。
「貴方の子息は貴方たちアッシュヴァルツに対して最高の功績を残したわね。これほどアッシュヴァルツを憎むわたくしから、主席側近をアッシュヴァルツから任命するという譲歩を引き出したのですもの。貴方の子息はわたくしの信頼を買うために、わたくしの靴を舐めて隷属を誓うほどの決意すら見せてくれましてよ――」
ねえ、ガイウス? と流し目を送る。ガイウスは「生憎、隷属は受け取っていただけませんでしたが」と言いながら、恭しくリーゼの手の甲に口づけた。
扇の奥で笑みを深めて、一等爵へと視線を戻す。一等爵は固唾を呑んでリーゼを見つめていた。
「――アッシュヴァルツ卿。八年前にユスブレヒトを選んでわたくしを切り捨てた貴方を、わたくしのただひとりの家族である弟ユスブレヒトの身を危険に晒した貴方たちを、わたくしが栄誉を与えるべき臣下として遇するために、貴方はいったいわたくしに何を見せてくださるのかしら?」
リーゼは尊大に顎を持ち上げた。
腐っても長らく国王の右腕を務めてきただけあって、アッシュヴァルツ一等爵はリーゼの中の遺恨を感じ取ったのだろう。
すぐさま表情を改めて椅子から腰を上げ、その場に跪いて深くこうべを垂れた。
「数々のご無礼をお許しください、リティーツィア王女殿下。御身と弟君に対する許されぬ過ちを犯した我々の願いを聞き入れてくださったこと、感謝の言葉もございません。どうか我々の新たなる光として、戦神の威光強き紅焔の祝福のもと、宮廷にもたらされた混沌を打ち払われますよう」
「…………」
深いため息が出そうになるのを堪える。上出来だろう。
今のところアッシュヴァルツ一等爵にはリーゼの機嫌を取るつもりがある。リーゼにそれだけの価値を見出している。
それが分かればいい。
「面を上げなさい、アッシュヴァルツ卿。――今後は口の利き方に気をつけることね。わたくしは貴方たちアッシュヴァルツを前にすると普段より狭量になるようだわ。おとなしく母の代わりに国王陛下のご機嫌取りのために献上されてあげるつもりはなくてよ」
は、とあくまで恭順を示す一等爵に頷いてやって、目線だけで椅子に促す。一等爵はリーゼの許しを得てもその場から動かず、ひたとリーゼを見据えていた。
「……御身を量ろうとした無礼をお許しください。リティーツィア王女殿下。貴女は本当にユーリア様によく似ておられる。お顔立ちも、振る舞いも、その誇り高い矜持でさえ――」
リーゼは黙って聞いていた。言葉を切って伺いの視線を向けてくる一等爵に首肯してみせると、一等爵は少しだけ眉間を険しくしながら言葉を続けた。
「私の発言を『国王陛下への献上』と言い表された王女殿下ならば、お察しのことと存じます。……ひと月後、アッシュヴァルツが貴女を国王陛下の御前にお連れした際の立ち振る舞いは、たとえどれほど貴女の矜持に反するものであったとしても、陛下を父として慕いおもねる娘のそれとなさいませ――御身の自由を、十五歳のユーリア様のように奪われぬためにも」
「……陛下が、わたくしに母の姿を重ねると?」
「それほどに似ておられる――あのころのユーリア様の生き写しだと言っても過言ではないのです」
成人直後のユーリアの姿を知る者は、当時彼女に仕えていた離宮の女官らを除けば、実のところはほとんどいない。
婚約者との接触を断たれたユーリアが、それでも時の王太子に対して毅然とした態度を崩さなかったこともあって、リティーツィアとユスブレヒトの双子が生まれる以前は特に王太子の悋気も激しく、ユーリアは外出はおろか、商人や楽師すら王太子の同席なく離宮に呼ぶことを禁じられていたからだ。
「私はどうしても、あのころのユーリア様を彷彿とさせる、貴女の誰に媚びることもないその気高さが、再び陛下を極端な行動に走らせる危険性を考えずにはいられません」
「…………」
リーゼは手慰みに扇子を弄びながら目を伏せた。
アッシュヴァルツはユーリアが国王の愛妾となった当初にいち早くユーリアの後ろについた貴族だ。ユーリアがその後長く国王の寵愛を独占し続ける未来を確信した先見の明を持ち、のちに国王から唯一ユーリアへの機嫌伺いを許された――ユーリアの当時を最もよく知る貴族。リーゼの機嫌を損ねかけた側から、新たに不愉快な話題を持ち出す彼の意図。




