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第十七話 神話の再現

「……それでいいなら、アッシュヴァルツ卿のお招きをお受けすることにするわ。今日の授業がこの散歩に変わったのは、元はと言えばその話が発端だったでしょう」


 いつもの祈術指南の時間より早く、西の離れを訪れたガイウスが持ってきたのが、アッシュヴァルツ一等爵――つまりガイウスの父との初会の場を設けたいという話だった。


 同じ敷地内に住んでいるはずのリーゼと一等爵がいつまでも顔を合わせずにいるというわけにはいかないので、王城入りする前にそろそろ挨拶の機会をと一等爵が言い出したという。

 ガイウスはそれだけしか語らなかったが、本当ならおそらくこの邸に迎えられた日には挨拶のひとつでも受けておくものだったところを、リーゼが他の貴族と対面できる状態でなかったために、彼がずっと断っていたのだと思う。


 一等爵が本邸の昼餐に招待したいと言っているという話から、リーゼがうっかり「私はこの離れから出てもいいの?」と零してしまったため、過剰に反応したガイウスによってその話題はうやむやになったままあれよあれよと花見に連れ出されることになったが、リーゼとしても自分の後見を務める第一人者と顔くらいは合わせておかなければならないと思っていた。

 ガイウスはアッシュヴァルツ一等爵家の後継者として名高い正嫡だが、アッシュヴァルツ一等爵はまだガイウスの父が持つ爵位である。

 宮廷での発言権においても、若くして出世街道を段飛ばしで駆け上がっているとはいえ、いまだ一般等級官職の域を出ないガイウスより、長く外宮で右席宰相を務め上げる一等爵のほうが格段に上だ。


「……いいのか」

「私が嫌と言ったら困るのは貴方ではないの? 立太子を目指す王女が支持基盤の筆頭たる現右席宰相と仲を深めておかないのは好ましくないでしょう。卿もこれだけ後回しにされていては今までいい気をしなかったでしょうし」


 ガイウスはぴくりと片眉を上げてリーゼを見下ろした。


「卿も知っているのよね? 私が……」

「リーゼのことは、私と父とコルベラだけが情報を共有している」

「そう。……貴方も同席するわよね?」

「ああ」

「ならいいわ。聖典修辞学も食事作法も宮廷儀礼の先生には一応及第点を貰ったけれど、実際に人前に出るのはこれが初めてだから、私が困っていたらちゃんと助けなさいよ」

「分かっている」


 ガイウスが安心させるように頷くので、リーゼはひとまず昼餐の席の場で何かしでかしてもガイウスが間に入ってくれるだろうと考えることにして、気を取り直して花壇に歩み寄った。


 風にそよぐオルゼにリーゼの指が触れるのと、ガイウスが「リーゼ」と制止の声を上げるのは同時だった。


「棘で怪我をする」

「これくらい大丈夫よ」

「リーゼ、手を」


 ガイウスは険しい顔でリーゼの手を引き寄せた。血が出ているわけでもないのにわざわざ治癒の祈術の短縮詠唱を紡ぐので、リーゼは大袈裟さに驚くより先に呆れてしまう。

 治癒祈術は神殿で専門の訓練を受けた治療師でなければ習得の難しいとされている術式分野だが、神官でもないこの男がどうして使えるのだろうか。


「随分手慣れているのね。貴方、治療師志望だったの?」

「私の卒塔以降の進路は初めから外宮の文官職と決められていた。……これは、私が個人的に習得したものだ」

「ふうん……」


 治癒祈術の淡い緑色の光を見つめるガイウスの目がどこか陰を帯びているような気がして、それ以上の言及を躊躇う。

 代わりにガイウスがリーゼの手に傷がないことをつぶさに確認しながら言葉を継いだ。


「ユーリア様も優れた治癒祈術の担い手だった。ご実家のご領地で身につけられた豊富な薬学の知識と合わせて、ご自身で典医の代わりをなさるほどだった。私はその真似事をしているに過ぎない」


 ユーリアの実家は国内でも有数の薬草の生産地であり、薬学の研究と薬学者の輩出によって発展した領地だった。

 薬学と治癒祈術を組み合わせた治療法が発表されて幾久しく、ユーリアが次期領主として必要に迫られて身につけた素養だったのだろう。

 大多数の貴族家の当主にとっては召し抱える医師が備えていればいいもので、一般的に得るべき教養からは程遠い分野だ。リーゼは少し明るい声を作って言った。


「真似事でも何でも、多才だわ。上級一等文官の昇級試験も一発だったというし、貴方、剣も扱えるのでしょう?」

「飾りにせずに済む程度だ。本職じゃない」

「専門文官が剣も武器にできるなら凄いことよ。前に貴方がユスの剣術の稽古の相手をしているところを見かけたことがあるけれど、近衛騎士にも後れを取っていなかったわ。……ふらふらのユスをねちねちいたぶっていたのは、今でも許していないけれど」


 女官時代は見かけるたびに陰険な男だと内心で舌を出していたことは秘密だ。

 肩で息をしながら立っているので精一杯の状態のユスブレヒトを「偉大なる国王陛下の血を引く王子がその程度か」と詰っては休憩も与えずに何度も剣先で追い回していたのだから、弟を想う姉としてはよい印象を抱きようがない。

 自分たちの都合で王子として担ぎ上げているくせに、ユスブレヒトの何が不満なのかと反感を持っていたほどだ。


 ガイウスが言い訳がましく「あれは鍛錬だった」と反論する。

 ばつの悪そうにしているガイウスを笑って、リーゼは今度は手を触れずに花壇の傍らに屈み込んだ。目の前で揺れる蕾を指差してガイウスを見上げる。


「この辺りはあまり咲いていないのね。発色も周りと比べて鈍いみたい」

「陽当たりが悪い場所だから、一部の加護が薄いんだろう。緑と黄の加護の要素は足りているはずだが……」

「なら、白の祝福か、赤の祝福を祈ればいいのかしら?」


 リーゼは聖典の神話と祈術理論を思い出して言う。

 神殿の神官が通わなくなって以降、祈術に関することと聖典の知識や解釈に関することはすべてガイウスがリーゼの指南役を務めていた。

 リーゼ本人に対してはいつも「後ろめたい」と顔に書いてあるようだったガイウスだが、しかしリーゼが身につけるべき教養については一切の甘えも妥協も許さず厳しく教育を進め、リーゼが理解して覚えるまで授業を終わらせてくれないこともしばしばあったほどだった。リーゼは王侯貴族の子女が八年かけて身につける知識を正気の沙汰ではない密度で詰め込まれている。

 必死に食らいついていったその成果を遺憾なく披露してみせたリーゼに、ガイウスが柔らかい眼差しで頷いた。


「済世の七柱でなくとも、この程度なら配下神の祝福で足りるだろう。今日は元々、赤の属性の儀式祈術を教える予定だった。やってみるか?」

「儀式祈術をいきなり? 私にできるかしら……」

「赤の属性はおまえの最も得手とする基礎属性だろう。リーゼならできる。気負うな」

「……貴方が言うならきっとそうね」


 ふっと微笑んでリーゼはガイウスから差し出された方陣を受け取った。

 描かれた祈術陣から組み込まれた術式を読み取って、祈力を方陣に流し込むと、ふわりと祈術陣が光の線となって空に浮かび上がる。

 リーゼは跪いて指を組み合わせて瞼を閉じた。


「――夏を司る神々よ、我が祈りの下に貴き祝福を願う。あまねく命の燈火に至上の輝きを与う力を――」


 長い祝詞を唱えて祈力を捧げていく。

 術式が完成すると、祈術陣がゆっくりと赤い光を放ち始め、きらきらと祝福の光が辺りに降り注いだ。

 ほっと胸を撫で下ろして、リーゼは差し出されたガイウスの手に掴まって身を起こす。


「いかがかしら。貴方の生徒は試験の合格基準を満たしていて? わたくしの先生?」

「先生はやめろ。私はおまえの主席側近だ。……教師役は、私などよりずっと相応しい人選を進めている」


 ガイウスは顔を顰めてリーゼの冗談を窘めてから、花壇のオルゼをさっと見渡して観察し、ひとつ頷いてからリーゼに生け垣を指差して「自分で分からないか?」と言う。むっとしかけてリーゼは小首を傾げた。


「……そういえば、花だけじゃなくて、こっちの葉も色が濃くなったみたい」


 オルゼだけでなく、周囲の生け垣も先ほどより生き生きとしているように見える。開花前の蕾は花弁を開き始め、萎れかけていた花も太陽に向かって再び顔を上げ、周囲の草木がより緑深く生い茂っている。

 振り返ると成長した草花に侍女たちが驚いたようにはしゃいでいる横で、コルベラが周囲とリーゼとを見比べている。先ほどの祝福はこの一帯を遥かに超えてオルゼの庭園全体に賜ったらしい。

 リーゼはひらひらと手を振ってこちらに来なくていいと伝えてから、期待と不安を半々くらいにこめてガイウスを見上げた。


「私の祈術の結果……なのよね? これは満足していいのかしら? それとも王女を名乗るのにこれでは拙いもの?」

「聖典の神話の奇跡を再現してみせた結果が拙いはずがない。自信を持っていい」


 火や水を作り出したりする一般的な祈術よりも、祈力をたくさん使わなければならない儀式祈術には、その分絶大な、聖典に記された神話の奇跡をまるごと再現するほどのものもある。

 リーゼがたった今行使した儀式祈術も、長く冬が続いて活力を失った人間や動植物に、太陽の下で神力を増す夏の神々が祝福を与えたという、聖典の中のとある逸話のひとつを基にして組み上げられたものだった。


 ガイウスがその再現にお墨付きをくれたことが嬉しくて、リーゼは口元を綻ばせて破顔した。


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