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第十六話 覚悟の猶予

 ロケットを握り込んできっぱりと言いきるリーゼに、ガイウスはゆるりと顔を上げた。

 リーゼは表情に憂いや嫌悪を浮かべてはいなかった。それは複雑な心境を固い決意でくるんだものだと、少女の高潔な金色の瞳だけがガイウスに教えていた。

 その意志の強さが、ガイウスには眩しく見える。


「まあでも、できることなら衣装には他の色を使いたいわね。髪も赤いのにオルゼも赤で、このうえ衣装まで赤にしたら全身真っ赤っかだもの。お母様から頂いたこの赤色が一番美しいに決まっているのだから、赤いのはこの髪だけで十分」


 リーゼは戯けるように言って、オルゼの花を髪の編み込みに挿した。


「似合うかしら?」

「ああ」

「嘘。髪と同じ色でほとんど目立たないでしょう。貴方、おざなりに褒めていれば私が気をよくすると思っているのではない?」

「……そういうつもりではない」


 ガイウスは真剣に言って、花壇から新たに二輪の花を手折った。

 白いオルゼと黄色のオルゼが一輪ずつ。

 同じように茎から棘を除き、リーゼがぞんざいに留めた真紅のオルゼが美しく映えるよう髪に飾って、「よく似合っている」ともう一度告げる。


「鏡がないから部屋に戻るまで分からないわ」

「部屋に戻る前には外したほうがいい。コルベラらが見ればがっかりする。今日もおまえに耳飾りだか首飾りだかを拒まれたと嘆いていた」

「どこかに出かけるならともかく、最近暇さえあれば皆があれもこれもと持ってきて着せ替え人形のようにされるのよ。成人前から宝飾品でごてごてにするほうがどうかと思うのだけれど、私ってそんなに飾り立てなければならないほど野暮ったいのかしら」

「……おまえはそのままで美しい。素材が最高級で何を合わせても映えるから、コルベラたちも張り切るんだろう」

「あら、貴方も以前、私のことを貧相で見るに耐えないと言っていたのに?」


 リーゼの揶揄うような口調に、ガイウスはぐっと言葉を失う。否定したいが自らの発言だけに迂闊なことは言えない。

 男をそれ以上虐めるのは可哀想だと思ったのだろうか、リーゼはすぐに「冗談よ」と続けた。


「高位貴族から見たら平民の小娘が貧相に見えるのは当然だわ。もう気にしていないから貴方も気にしないで。堅物でリティーツィア命の貴方が過去の発言をどう弁解してくれるのか興味深いと思っていたけれど、貴方はそもそも弁解なんてしないわよね」


 行きましょう、と話を終わりにしたリーゼが差し出した指先を、ガイウスはまだ浮かない気分で掬い取った。

 白く細い手首を撫でる。くすぐったさに驚いてひっくり返った声を上げるリーゼを痛ましく見つめる。


 ――骨と皮ばかりの体躯は肩も胸も腹も中身が入っているのかと思うほど薄く、自分が大人の男の力を振り翳して押さえつけた腕や脚は折れそうなほど細かった。

 カトラリーより重い物を持つ必要のなかったはずの手は水仕事に荒れてあかぎれが目立っていて、痛々しくて見ていられず治癒の祈術で治せないものかと何度思ったか知れない。

 染め粉を落とした髪が中途半端な長さで切られて傷んでいるのを目の当たりにしたときは、母親譲りの美しい緋色が失われてしまったことが無念で、それ以上直視できなかったほどだ。


 ようやく背にかかるほどまでになったリーゼの髪が風に舞う様に、ガイウスは目を細めた。

 貴族の娘たちはどれほど髪を長く伸ばしても侍女に手入れをさせるため、長い髪に美しい艶を保っていられるが、毎日大きな籠を抱えて洗濯場と物干し場を行ったり来たりしなければならなかった洗濯女官には、まとめて支給の帽子に収められる程度の長さがあれば十分だったのだろう。

 リーゼの場合は頻繁に染め粉で染め直さなければならなかったはずなので、多くない給金で染め粉の費用を賄うために眉をひそめられない程度に髪を短く切っていたというのも納得できる。


「ガイウス?」

「――陽射しに当たるとまるでイヴリスの紅焔が光り輝いているように見える真紅の髪も、神秘的ながら強く眩しいほどの意志を感じさせる満月のような金色の瞳も、神々が創り賜うた最高傑作かと思うほど端麗な造作が笑うと年相応の可憐さを増す面立ちも、堂に入った王族の姫らしい優雅な所作も、我々に見せてくれる生き生きとした表情も、竪琴の音のようによく響いて辺りの空気を澄み渡らせるような声も、リーゼのすべてを美しいと思う。――ようやく、ここまでおまえの美しさをここまで取り戻せた。きっとこれからおまえは周囲に傅く者たちの手によって大切に磨かれて、もっとずっと美しい女性に成長して、いずれブロア宮廷に咲き誇る紅きオルゼとしてブロア史の中に永遠に語られ続ける存在になるだろう」


 そっと手を伸ばしてリーゼの髪に飾ったオルゼに触れる。

 リーゼは本心ではこのオルゼを疎んじているかもしれないが、ガイウスはリーゼにどうしても紅焔のオルゼを身にまとってほしかった。

 国王の隣に誰に憚ることもなく王女として立ち、願わくば、武勇の双剣と紅焔のオルゼの紋章を付したローブと王冠を携えて、聖樹の祝福を受けた女王としてこの国の頂点に立ってほしい。その称賛と栄光をリーゼにこそ受け取ってほしい。

 存命中は『妃位も持たぬ愛妾の分際で国王を誑かした傾国の花』とまで指を差されたユーリアが、ついぞ得られなかった分まで。


 リーゼが唖然として口をぱくぱくさせていた。目許に朱を走らせてガイウスを精いっぱい睨みつける。


「あ、貴方ね……そこまで言えなんて言ってないわ」

「本当のことだ」

「――っ、もう! 貴方、自分の顔面の破壊力を自覚しなさいよ! だから心臓に悪いと言うのよ!」


 声を荒げるとすぐにはしたないと小言を飛ばすコルベラがいないからか、ひとしきり喚いて息を吐いて、リーゼはなんとか動揺から立ち直ったようだった。


 表情を改めてガイウスの指先を小さく握り込む。

 リーゼが何か言いたいことがあるときにする仕草だ。


「……ユスのため、なのよ。私は貴方たちアッシュヴァルツが望むことの、まだ半分しか承諾していないのよ。そこのところを、ちゃんと理解しているのでしょうね」

「ああ。分かっている」


 ガイウスは静かに首肯する。理解している。リーゼはユスブレヒトが歩んできたのと同じ立太子への道を辿ることを了承したに過ぎない。

 聖樹に認められた王としてユスブレヒトの安否を知るすべを得るため。その目的が達成されたあとのことまで、今この少女に望むのは酷だとガイウスは理解していた。

 当面は第一王子の派閥の台頭で宮廷を荒らされるのを阻止できればそれでいい――そう、父のことも、アッシュヴァルツに連なる家門の長たちのことも説き伏せた。

 下手をすれば王女は王女としての地位すら受け取ってくれない。欲を掻いた結果ユスブレヒト王子をみすみす失った二の舞を演じる気か、と。


 リーゼは迷子のような顔でうつむいていた。ほっそりとした少女の手指はまだガイウスの指先を握り込んでいる。

 ガイウスは黙ってリーゼの重たい口が言葉を紡ぎ出すのを待った。

 さわさわと葉擦れの音だけが静かに辺りを包み込んでいた。


「……ユスの生死が、はっきりしたら、」


 ぽつり、呟かれた声は、風音に掻き消されてしまいそうなほど酷く弱々しかった。


「ユスの生死がはっきりしたら」


 もう一度重ねられた声は、空耳だったのかと思うほどがらりと調子を変えていた。


「そうしたら、そのあとのことを、ちゃんと覚悟するわ」


 息を呑む。


 遠くを見据えて告げるリーゼは、双眸に決意の色を揺らめかせていた。


「だから、それまでは……私に、まだユスが生きているかもしれないという可能性に、縋らせて。……お願い」


 最後にようやく向けられた視線を正面から受け止めて、ガイウスはしっかりと首肯してみせた。

 分かっている。リーゼの決意は未来の可能性をほとんど確約してみせたようなものだ。

 そんな少女が望むほんの少しの間の猶予くらい、許容してやれないでどうして主席側近が名乗れようか。


「ユスが無事に見つかったら、貴方たちはユスの王位継承を今度こそ命に換えても支えなさいよ。……ちゃんと、分かっているから。確率が低いことも、可能性が薄いことも、ちゃんと分かっているから。もし、奇跡が起こったら、そうすると約束して」


 言われるまでもなく、アッシュヴァルツの公式見解ではユ―リアが産んだ双子の姉弟を天秤にかけた結果は既に八年も前に確定している。

 それを覆さざるを得ない状況だということを理解していて、それでもなおもう一度状況が覆る可能性を口にせずにはいられない少女を、ガイウスは慰める言葉も思いつかずにただ見つめた。


「分かった。約束する」


 ガイウスが頷くと、リーゼは頬を綻ばせた。


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