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第十四話 遠き花の過去

 リーゼとガイウスの関係は少しずつ変化していった。


 ガイウスは彼の宣言通り毎日決まった時間にリーゼの祈力制御の指南に姿を見せた。

 リーゼの上達に合わせて修得課題の難易度を調整し、祈力や祈術の常識に疎いリーゼに根気強く概念を説明し、単なる祈力制御から祈術修得に段階を移行してからも、リーゼが行き詰まるたびに適合薬を飲んで何度でも同じ祈術の手本を繰り返した。

 にこりともしないのは相変わらずだったが、リーゼが祈術をひとつ修得するたびに、リーゼの喜びに共感するように眼差しを和らげてリーゼを見つめていた。


 少し意識してよく観察すると、ガイウスは呆れるほどリーゼに気を遣っていた。コルベラが事あるごとにお節介を焼くのもなるほどと頷けてしまうほど、自らを律してリーゼに尽くそうとしていた。

 リーゼが少しでも意欲を見せたものは何でも翌日には手配し、リーゼが呼べばいくら急ぎではないと言い添えてもすぐさま本邸から西の離れに駆けつけ、予定時間を過ぎてもリーゼが祈術の練習を続けたそうにしていると監督者としてずっと付き合おうとする。

 ガイウス自身は言葉数の多いほうではないはずだが、リーゼが疑問や不安や不信を見せようものなら納得するまで真摯な言葉を重ね、ユスブレヒトの話をねだると本当に何度でも様々な逸話を語った。


 リーゼの中の根深い不信感は、それらの心遣いに触れるたびに少しずつほぐされていった。


「……貴方って、本当にリティーツィアが好きなのね」


 その日もガイウスは多忙な身の上にもかかわらず、中庭を散歩するリーゼに自ら付き添っていた。

 アッシュヴァルツ邸に来て随分経つのに一度もリーゼが自ら西の離れを出たことがないこと、どころか西の離れから出てはならないのだと思い込んで侍女たちの散歩の誘いも断り続けていたことを、話の流れでリーゼがぽろりと零した何気ないひと言から知って、甚く衝撃を受けたらしい。

 意図せずとも軟禁するような扱いをしていたことに深く自責の念を覚えたようで、それがどれほどかと言えば、即座に授業を休みにして厨房に野外で食べられる軽食の用意を言いつけ、専属の庭師が住み込みで整えている広い中庭を主人代理が自ら案内する入れ込みようであった。


 コルベラ以下侍女をぞろぞろ引き連れながらガイウスの案内を受けていたリーゼがしみじみと呟くと、ガイウスは長い睫毛を伏せて紫水晶の瞳を陰らせた。


「……私に案内されていると落ち着いて楽しめないか? 庭師を呼んで説明させたほうがよければすぐに――」


 ガイウスはすぐに身を引こうとする。それはリーゼがこの邸に来た当初からほとんど変わらない。

 リーゼはガイウスと同じ空間で会話や食事をともにすることも、侍女を置かない部屋でガイウスと手を触れ合って祈術の練習をすることも、こうしてガイウスに手を取られてエスコートを受けることも、ようやく構えずに受け入れられるようになったというのに、ガイウスだけはそれに喜ぶどころか、いまだにリーゼにどこか気後れしている。


「ガイウス、貴方、いったいいつの話をしているのよ。あれから季節ひとつ分以上過ぎているのだから、そろそろ貴方も私が傍にいることに慣れてちょうだい。それとも私はこの先もずっと貴方に申し訳なさそうにされていなければいけないのかしら」


 手を取られたままリーゼがガイウスの前に回り込んで顔を覗き込むと、ガイウスはリーゼと目が合うなり後ずさった。

 貴族同士の儀礼的な距離感は婚約者や配偶者でない限りこれほど近づくものではないが、目の前の男は放っておくと儀礼以上に遠くで控えようとすることを知っているので、リーゼは負けじと迫り寄った。


「そんな顔をしていないで早く案内なさい。私をエスコートする役目を他の者に譲りたいというなら無理にとは言わないけれど――そういうわけではないんでしょう?」

「――当然だ」


 リーゼへの罪悪感をいまだに引きずっているガイウスは、しかしながら「リーゼの隣」とか「リーゼからの役目」だとかの話になると強い執着を見せる。

 そのくせリーゼがひと言でも嫌だと言えばあっさり下がっていく。

 そういうところが『リティーツィアが好きすぎる』のだと言うのに、と歯痒く思いながら、リーゼはこれまで何度も同じ問答を繰り返していた。ガイウスもリーゼがわざわざ言葉にして同じ問答を繰り返させる意味に気づいていて、そうして一進一退しながら互いの距離を測り合っているのだろう。


「リーゼ、こちらに」


 ガイウスがリーゼを連れた先は、中庭の噴水広場を過ぎた奥に広がる、高い生け垣に囲まれた庭園だった。

 リーゼに日傘を差している侍女たちがはしゃいでいる横で、黄金の瞳をきらめかせたリーゼも眼前の光景にほうっと息をついた。


「オルゼがこんなに……」


 オルゼとは、ブロア王国の国花にも指定されている八重咲きの花である。春の終わりから夏にかけて咲く蔓性植物で、華やかな花冠と豊かな香りを持ち、その優美さに反して茎には棘がある。

 この国の人間なら誰でも一度は目にしたことがあるほどあちらこちらに咲いている花だが、花弁の色と香りを鮮やかに出すためには育成段階で土に豊富な祈力を必要とするため、自前で育てられるのはもっぱら貴族か、貴族から祈力石を仕入れることのできる富裕層に限られる。


 庭園には色鮮やかなオルゼがあちこちに咲き乱れ、風に乗って花の芳しい香りが漂っていた。

 入り口はレリーフの柱から蔦が伝ってオルゼのアーチのようになっていて、遊歩道は石畳に整備されてベンチが置かれ、周囲に流れている小川から涼やかなせせらぎの音が聞こえる。

 広々とした花壇の向こうには円錐状の屋根の東屋が見えた。


「見て回るのは陽射しを避けて休んでからにしたほうがいい。喉は乾いていないか?」


 今は夏の盛りの季節なので、昼下がりといえど太陽はまだ空の高い位置にある。夕刻が近づくにつれて爽やかな風は出てきたが、ガイウスはリーゼを先に東屋に連れていきたがった。

 心配性だと笑いつつ、軽食や茶器を抱えて先行した侍女たちが手際よくテーブルの準備を済ませ、リーゼは用意された冷たい飲み物と軽食をおとなしく腹に収めた。


 日陰で花見をしながらの休憩を終えたあと、リーゼは早々に侍女たちに自由時間を言い渡し、特に口煩いコルベラには絶対について来ないようにと言い含め、雑談も小言も少ないガイウスだけを伴って庭園内をそぞろ歩いた。

 侍女を連れないなら自分が持つと言ってガイウスがリーゼに日傘を持たせようとしないので、ガイウスが日傘を持っているほうの肘に手をかける形に位置取りを変えて、遊歩道を進む。

 王城では両手で抱えるほどの洗濯籠をいくつも運んでいた身なので、日傘くらい自分で持てるのだが、高貴な身分の姫は扇子より重たいものを持つことはない人種であるということもリーゼは理解している。


「ねえガイウス、この辺りに咲いているのって」

「ああ――リーゼ、日傘から出るな」

「大丈夫よ。風が涼しくなってきたもの」


 軽やかにステップを踏んで、ふわりと髪をなびかせていく心地好い風にスカートの裾を揺らしてみせれば、ガイウスはため息をつきながら日傘を閉じた。

 リーゼの日傘はレースやリボンがたくさんついた女性用だが、女神もかくやというほど顔立ちの整った美男子の前では女性用の小物も様になって見えるらしい。

 リーゼの視線を訝しむように首を傾げつつ、ガイウスが速足で追いついた。


「どうかしたのか」


 きちんと横に並んだガイウスに満足して首を横に振り、リーゼはふっと笑う。距離を詰めるときに許可を求めなくてよいと告げてから、この男が実際にそうするようになるまで結構かかったと思う。

 差し伸べられた手のひらに手を重ねてガイウスを見上げた。


「いいえ。相変わらず女神の彫刻みたいに綺麗な顔だと思っていただけ」

「……何だ、それは」


 女神に例えられたことに機嫌を損ねたのかと思ったが、ガイウスは不意に屈んで蕾の開きかけた真紅のオルゼを一本手折ると、祈術で指先に作り出した風の刃できっちり棘を切り落としてから、リーゼに差し出した。


「美しいのはこの花と、おまえのほうだろう」


 器用なものだと思いながら受け取って、リーゼはオルゼの花弁を顔に近づける。


 ガイウスの前にはリーゼも花も霞むことは間違いなさそうだが、ガイウスの手からこの花を贈られたことは素直に嬉しいと思う。

 赤い花弁を咲かせる品種のオルゼは数多くがあるが、最も深く鮮やかな――炎のような真紅のオルゼは、軍神の神器である武勇の双剣とともにブロア王家の紋章に使われる聖花である。

 軍神の象徴色であり王室の色ともされる紅焔の赤と、その色を帯びたオルゼの意匠を身にまとうことができるのは、『ライヒ・ブロア』の称号を与えられた王族のみと定められているのだ。


「いい香り。ありがとう」

「……真面目に取り合っていないだろう」

「貴方に紅焔のオルゼを捧げられたことは、貴方の主として誇らしいと思っているわよ」


 納得していない目でじとりと見てくるガイウスに、リーゼは肩をすくめてみせた。


「貴方の前で美しさを張り合えるのなんて、私が知っている中ではお母様くらいだわ」

「私の外見が異性から好意を持たれやすいものだということは自覚しているが、多少異性を惑わすしか能のない私の見てくれなど、ユーリア様の見る者すべてを魅了するあの美しさには及ばない。あの方の美しさは別格だろう」

「……そうね。確かに別格だわ。――あの美しさゆえに国王陛下に見初められてしまったのだから、お母様にとっては美しく生まれたことは不運だったのかもしれないけれど」


 リーゼ、とガイウスが名を呼ぶ。諌められるかと思ったけれど、ガイウスの声は思いの外慰撫の優しさを孕んでいた。

 控えめに視線を寄せてくる彼に薄く微笑を返して、リーゼは目を伏せた。


 リーゼとユスブレヒトの母ユーリアは、元は歴史ある三等爵家の生まれで唯一の跡取り娘だった。

 貴族家の家督相続は妊娠・出産期に領地に祈力を使えなくなってしまう女性よりは男性のほうが望ましいとされているが、女性が当主を継げないわけではない。

 ユーリアの実家は彼女の他に子を残せずにユーリアの父母に当たる当主夫妻が亡くなっており、ユーリアは成人を待って、王家預かりとなった三等爵家の当主に任じられるはずだった。


 自領で成人を迎えて領民から祝福を受けて王都へと出発し、女性が当主に就くための条件となる婚約者を伴って婚姻の許可と叙爵を願い出た十五歳のユーリアを、しかし当時は王太子でありながら病床の国王に代わって既に実権を握っていた現国王がひと目で見初めてしまったことで、彼女の運命は大きく狂った。

 ユーリアは婚姻も叙爵も叶わずそのまま王太子の宮に愛妾として迎えられることなり、想い合っていた婚約者と引き裂かれて厳重な警備の敷かれた離宮に囚われ、その夜に純潔を散らされて他の男性との婚姻を生涯望めない体にされたのだ。


 ユーリアはとても優秀な才女だったという。

 領政に必要な見識を広く身につけ、そのうえで努力を絶やさず研鑽を厭わず、王国の土地を預かる貴族として最も重視される祈力も高位貴族にも劣らないほど豊富で、民の上に立つに相応しい気高さと慈愛と勇ましさとを併せ持つ少女だった。

 ユーリアの成人まで彼女を次期当主として慈しみ大切に守ってきた先代当主の側近たちは、年若くはあってもユーリアは良き領主になるだろうと皆で口を揃えて褒め称え、叙爵されてうら若き領主として帰ってくるだろう少女をいっそう支え盛り立てようと、胸を躍らせて至宝を送り出したはずだった。

 ところが帰ってきたのは少女に随行させた婚約者と、その婚約者を三等爵家の中継ぎ当主に据えよという勅命書だけ。

 到底納得できずに異議を申し立てた彼らに、時の王太子は無情にもユーリアの処女消失を告げ、後継者不在による領地接収を言い渡したのだという。


 リーゼはこのことを、ユーリアの死後になってようやく知った。

 ユーリアは臨終間際まで高潔で、酷い火傷の痕があってもなお内側から生き生きとした力強い美しさの滲み出るような女性で、最期まで「誇り高く生きなさい」とリーゼに言い聞かせて一度も弱音を吐くことなく息を引き取った。

 父王への慕情も恨み言も何ひとつ残さなかったユーリアに代わって、身を隠していた神殿でリーゼたち母子に親切だった老神官が、ユーリアの死後にようやく言葉を選びながら母に降りかかった悲劇の真相をリーゼに教えてくれたのだ。


 リーゼは手の中のオルゼを見つめた。


 祈りを捧げる場である神殿にも、この花は植えられていた。リーゼやユーリアは与えられた部屋から出ることはできなかったが、窓からは庭のオルゼがよく見えたものだった。

 それでも、誰かが何かを配慮したのか、そこに赤いオルゼが咲くことはなかった。


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