最後の勝負
1月が終わる前に書き上げれて……よかった。
歩く。
目を凝らしても全く先を映さない暗闇の中を、一切の迷いなく。
歩く。
知覚する範囲に反応が無くとも、その末に必ず待ち構えている。
そういう確信があった。
手は抜かない。一切の容赦はない。
相手が格下だとしても、制限のある条件下だとしても、今の風香に慢心の二文字は無い。
相手は蒼太の策を主体に動いてくる。それはこの現状を見れば明らかだ。
「……あの時とおんなじ。」
視界を塞ぐ『黒』、これは蒼太の仕業で間違いないだろう。
何故ならそれは先日、新宿駅で起こった事件の始まりに非常に似ているからだ。
その時も今と同じように、まるで影が実体を伴っているかのように建物全体を覆った。
つまりは同じ状況だ。同じ状況になるということは、蒼太は事件を解決する際に事件を起こした人物の能力をコピーしたのだ。
そうでなければ、現状に説明がつかない。
流石にあの時の様に人型の影のようなものが攻めてきたりはしないだろうが、それでもこうして視界を潰されては警戒せずにはいかない。
「……けど、関係ない。」
だが、視界が潰れようが静城風香には関係ない。
その程度で足止めにはならない。<空間操作>による空間の知覚がある限り、風香の視界が潰れるなんてことはあり得ない。
色を判別することは叶わないが、空間の知覚というものははっきりと形を判別する。
言わばソナーのように周りの形を知覚することができる。
故に、影でこの場を覆い視界を黒で塗りつぶしたとしても、風香の行動には何ら支障はきたさない。
だから無意味なのだ。
風香の足は依然として止まらない。だが、警戒は怠らない。
この場を支配するのは水を張った様な緊張感だ。
十メートル。
この範囲に人が入り込むのを今か今かと、獲物を狙う蛇のように、ただそれに集中する。
例え廊下を覆う影が一斉に攻撃しようが、完全にスイッチの入った今の風香には確実にそれを回避できる自信があった。
蒼太の策がどれだけ優れているとしても、真正面から攻めてきたとしても、風香は自らの証明の為に今できる全てを尽くして封殺する。
それこそが、今自分が此処にいる意味であり、決意の表れ。
口下手な風香なりの誠意なのだろう。
「……見つけた。」
不意に、風香の足が止まった。
言葉と共に、風香の知覚している空間に映りこんだのは男。
まず考えたのは、蒼太なのか駆なのか。
空間を知覚して分かるのは詳細な輪郭の情報であり、色情報はない。
なんとなくは分かるが、それは確実とは言い難い。
加えて、不幸な事に蒼太と駆の輪郭は風香の観点から見て似通っていた。
二人が並べばその違いを比べることができるが、残念ながら今感知しているのは一人だった。
「……。」
もしも今感知しているのが蒼太なら、何かしら策を仕掛けるだろう。
手札の一枚を切ってまで逃げおおせて獲得した時間を有効に活用するなら、策の一つでも考えるのが普通だ。
逆に、駆であったなら、このまま直ぐに攻撃を加えて腕章を剥がせばこの対抗戦は終了する。
だが、それを簡単に許すとはとても思えない。
どちらにせよ、風香は冷静に観察を続ける。
相手に動きがない以上、こちらから動いてリスクを被るよりはしっかりと相手を見極めて次の動きを把握する方がいい。
駆の能力は風香も知っている。蒼太も好んで使っていたが、その速度は簡単に風香の反応速度を越える。
だがそれは目視での話だ。
知覚範囲にさえ入っていれば、それは関係ない。
むしろこうして暗闇の中にいるからこそ、より明瞭に空間を知覚することができた。
その自信の現れか、風香の足は敵を関知してなお止まらない。
一歩一歩、着実にその距離を縮めていく両者を邪魔する者はもういない。他のクラスの代表者もすべて風香が蹂躙した。
助けに来るとすればそれは他の二人以外にいない。警戒するとすればその二人による奇襲だが……。
「……妙。」
風香の知覚する範囲に他の人影はいない。
蒼太は一度戦闘から離れて他の二人との合流に成功したはずだ。それから個別に動くのは完全に悪手であり、協力をしない理由はない。
個人個人で対決しても倒せない人がいるからこそ、チームという形で一丸となって上を目指すための『対抗戦』であり、校内ランキング上位者たちの研鑽の場だ。
それを一条駆は理解している。
知らないにしても、黒谷蒼太は状況を理解している。
優秀である駆が、状況を見ている蒼太が、チームの駒を捨てるような真似はしない。
みすみす戦力を低下させる意味がない。
で、あるならば。
「……。」
それは完全に罠である。
状況を鑑みて、風香はその可能性をいち早く察知した。
今廊下を覆っている影も、最早数メートルとなった人物が一人でいるのも、全ては自分を打倒するための策だと。
「……?」
接触まで、残り五メートルとなったとき、更に二つの人物が知覚範囲に入った。
男と女。
そして潔く、今まで自分が相対していた人物に当たりがついた。
今、前にいるのは一条駆だ。
比べてみると、蒼太よりもやや身長が高い。
だが、そんなことは風香にとってそこまで重要ではない。
問題はその蒼太ともう一人の女子。二人はこの暗闇の中をまるで気にせずに話し込んでいる。
いや、それを考えると、疑うべきは何故三人ともがこの暗闇を気にしていないのか。
「……けど、少なくとも奇襲はない。」
目まぐるしく考えを巡らせる風香を前に、ついに一条駆は動き出す。
それは交戦に出る訳でもなく、逃げるわけでもなく。
「……!」
誘うように手を動かし、挑発した。
その事実は風香の目を見開かせるには十分だ。
駆のしたことは、言葉にすれは至極簡単。ただ手を動かして風香を誘っただけだ。だが、その行動は簡単ではない。
完全な格上を相手に、その行動は逆に自分の首をしめるだけ。ましてや、駆を知る者ならば有り得ないとさえ言うだろう。駆はそういった驕りをしない奴だと。
実際、風香は少なからずその行動に驚いていた。今までの駆といえば、実に真っ直ぐに自分という障害を乗り越えようと努力を重ねている奴という印象だった。
そんな真面目な奴が、挑発をしたのだから驚かずにはいられない。
だが、面白い。
挑発をするということは、それだけ自信があるということだ。そうでなければ、そんな暴挙に出るはずがない。
「……ふふっ。」
誘われているのは解っている。それは教室内に蒼太ともう一人がいる時点で明確だ。だからこそ、風香は笑った。
次は何を仕掛けてくるのか。恐らく最後の戦闘で、この三人は何をしてくるのか。そんな期待が風香の胸中を染め上げる。
今だけは蒼太との勝負など関係ない。
ランカーとして、格上として、強者として。全力で叩き潰すという信念を以て、挑戦者を相手取る。
それが自分の義務だと信じて、風香は教室に足を踏み入れる。
すると、待ってましたとばかりに教室の入り口は影によってその逃げ道を封鎖する。最後の勝負としては、カメラで映すことこそ敵わないが、蜘蛛の巣の様に張り巡らされた罠としては、完全に整ったと言っていいだろう。
だがまぁ、カメラで映したとしても、結果は絶対に変わることはないだろう。
何故なら、今三人が相対したのは制限があるとはいえ、それでも本気となった静城風香なのだから。
「……意外。一条くんも……ああいうことするんだね。」
「ははっ、まあ時と場合によるよ。いつもはあんなことしないんだけど、気に入ったろう?」
「……別に、そこまで。……けど、少し面白かった。」
「黒谷の言った通りだね。どうやら、俺の挑発はお気に召したらしい。」
そう駆は言うが、風香本人としては、別にどうでもよかった。だが、面白かったことは事実であるし、同時に意外に思ったのも事実だ。
だからといって、風香の闘争心に陰りはない。寧ろ逆だ。
ああもわかりやすい挑発をやってのけた駆に、その提案をしたであろう蒼太に賛辞を送りたいほどだ。
ここまで自分を焚き付けてくれたのは他でもないその二人であり、これ以上ないほど、風香は穏やかに勝負を始められる。
「……そんな風に、静城さんも笑うんだね。」
「……え?」
駆の一言に釣られ、風香は口元を確認してみると、そこで初めて、自分が笑っていることに気が付いた。
「……ホントだ。」
それはまるで両手いっぱいに掬った水が、自然と零れるように漏れ出た一言だった。
そうしてみて、改めて風香はこの状況をどう思っているのか自覚した。
(……そっか、思ったより、すっごく楽しんでるんだ。)
一度自覚してしまえば、それはもう簡単に状況を理解できた。風香はこの状況を、自分から罠にかかっているこの状況を心底楽しんでいる。
無意識に笑うくらい、この勝負をすることが楽しみで仕方ないのだ。
「……じゃあ、始めようか。……最後の、勝負。」
自ら自覚したその笑みをより一層深めて、風香は挑戦者たちと対峙する。文字通り最後の闘いに悔いが残らぬよう全力で。
先に動いたのは、やはり――――――。
「じゃあ、行くよ!」
――――――一条駆だ。
能力を発動し、駆はその名の通り、この狭い教室内を駆けまわる。俊敏と言うには生ぬるい。正にそれは神速の如く、ピンボールのように風香へと圧倒的な速さを以て襲い掛かる。
それに続くように、菱田葵はその姿を変え、体を肥大させる。
それが終わる頃に、駆の足は天井から床へ、床から壁へと駆けまわり、風香の腕章を狙い手を伸ばす。
目にも止まらぬ速さを地で行く駆に対し、風香はより正確に空間を知覚することによって、その姿を捉える。いくら速いからといって、その一挙一動を終始捉えられてはなす術がない。
そう言わんばかりに、駆の手が届くよりも早く、風香は体をずらして手をかざし空間を弄ってその動きを止めようと画策する。
それは実質、王手だった。
だが、最後まで風香は油断しない。その気が緩むのは駆の腕章をこの手で引っぺがし、勝負が終わった後にすることであると解っているからだ。
その警戒心は結果として、風香に功をもたらした。
「ッ!?」
駆の動きを止めようとした瞬間、風香が背にしている壁から影が襲い掛かったのだ。
これによって、風香は行動を中断しその場から真っ直ぐ飛び退いて教室の中央辺りにまで体を動かす。
その瞬間、それまで風香がいた空間をまるでタコが魚を捉えるかの如く、影の触手が花開く。もしその場に留まっていれば、駆の動きを止めることは叶っていても、風香は簡単に捕まっていただろう。
無論、そこから抜け出すのはそう難しい話ではない。だが、一瞬でも隙を晒すことは絶対にあってはならない。
それは偏に、蒼太の存在があるからだ。
この影に囲まれた箱庭の中で、それを形成している蒼太だけが、この状況を操れる位置にある。そんな人間に、隙を見せればそれは確実に敗北を招く時だろう。
だからこそ、風香は安全策を取らざるを得ない。
この場で一番何をしてくるか分からない奴がこの空間の実権を握っているというのに、制限された状態で自由に動ける訳がない。
この連携を前にして、同時に倒そうなんざ考える奴はそれこそ状況が見えていないだろう。だが、風香は冷静に、各個撃破を狙っていた。
確かに、一条駆を下せれば勝負は終わる。だが、そこに執着をしてはこれを崩すには至らない。
だからこそ、その要である蒼太さへ崩せば、この連携は脅威ではない。
それに、恐らく蒼太はこの空間を維持するだけで手いっぱいに違いないと、風香は考え至る。その証拠に、蒼太はもう一人の生徒に守られるようにして、後ろの方で床に手を突いている。
先ほどの影による攻撃も、そう連発はできないはず。
そこまで考えて、風香はもう一度意識を駆に戻した。
それは駆が、先ほどの影の触手を器用に足場とし、またこちらへと向かってきたからだった。
知覚範囲に入っていなければ、その急な方向転換を見逃していた可能性も有り得た。
今度も冷静にそちらを見やり、風香はそれに対処しようと手を動かす。
だがまたしても、それは中断される。
「……っ。」
次に動きがあったのは、蒼太を守るように立っていたもう一人の女子生徒、菱田葵だ。葵は獣化し多少肥大化した四肢で地を蹴って一直線に風香を目指す。
どちらの方が速く着くかと考えると、当然ながら駆の方に軍配が上がる。故にそちらの対処を優先すべきだが、同等の速度でこちらに迫る葵も脅威として見ていい。
どうやって対処したものかと考えたくとも、二人の速度がその思考すらも許さない。
だから風香は、対処の方法を変えた。
「ぐっ!?」
「わっ!?」
二人に向けられたのはそれぞれ風香の手だ。だが、それは先ほどまでとは毛色の違うものだった。
それまで、風香は相手の動きを止める為に<空間操作>によって周りの空間を固めた副産物としてその場にいる人間の動きをも止めていた。それはルールの穴をついた列記とした戦法であった。
今風香がしたことは、本質的にはそれらとなんら遜色はない。だが、今回固めた空間は何もない空間であり、そうして固められた空間は足場として活用できる程、優れた壁としての役割を発揮した。
二人の動きが止まった瞬間だった。
「すぐ離れろ!!」
そうなるや否や、指示を飛ばしたのは蒼太だった。
それを聞いた二人は慌てて目の前の壁から距離を取ろうと足に力を込める。
「……遅い。」
だが、それを風香は許さない。形成した壁を広げるようにして更にその能力を加速させる。
これに捕まれば、二人は動けず、蒼太一人で抵抗しなければならなくなる事実上のチェックメイト。冷静に、かつ着実に風香は詰めに入る。
だが、二人も負けじと距離を取ろうとするが、それよりも風香の能力の深度の方がわずかに早い。
「しまった!」
声に出したのは一条駆。空間の固定化による影響で、ぶち当たった壁と共にまるで浮いた様な姿勢となっている駆には、そこから逃れる術はない。
「……終わり!」
そのまま風香は流れるように駆の方へ手を伸ばす。
二人が風香の能力によって動けない今、残る蒼太が動かなければならないが、それもこの空間の維持を優先してその場にとど混ざるを得ない。
詰みである。
「……惜しかった。今まで、一番苦労したくらい……誇っていい。」
それはおしみの無い賞賛だった。この対抗戦において、風香が思い返すのは今まで乗り越えてきた対抗戦の事。
皆、余りにも直線的でまるで数に任せれば勝てるという根拠のない自信を振りかざすように正面から戦っていた。中には今回の様に、知恵を絞って策を練る輩もいた。だが、それも今回に勝るものは無かった。
だからこそ、ここまで警戒し、ここまで風香は追い詰められたのだ。
風香にとって難しいと思わせることは、それだけこの策が厄介であったからに他ならない。
黒谷蒼太がこの影の箱を形成し、一条駆と菱田葵が三次元的に、かつ超速度で腕章を狙ってくるなど凶悪に過ぎる。更に言えば、この箱庭を形作っている影も警戒の対象に入れねばならない。
この休みの無い猛攻を前に風香は潔く耐え切り、アタッカーである二人の拘束に至った。
ここまで来れば、あとは駆の腕章を剥ぐだけで終わる。蒼太との勝負にも勝てる。
だが、ここでようやく蒼太が動いた。
同時に、蒼太は駆ける。
十メートルもない、多少広いだけの教室だ。あと二歩もあれば蒼太の手は風香に届くだろう。
だが、それでも遅い。
風香はその内の一歩目で駆の腕章を剥ぐ。その時間は一秒にも満たない。
それは蒼太も分かっているだろう。
「……チェックメイト。」
そしてその手が届くかというその時、駆たちの体が消える。
当然、風香の手はあえなく空を切る。
「一条!!」
まるで合図であるかのように、蒼太は声を張り上げる。だが、風香にはそれがあまり意味の無いものに思えてならなかった。
先ほど、風香が捕まえていた二人が消えてから、風香の知覚している十メートル以内に反応はない。つまり今この教室内にいるのは風香と二人を逃がした蒼太だけ。
確かに蒼太の存在は脅威だが、それは二人のアタッカーがいるからこそ成り立っていたものであり、連携なくして自分を突破できる程やわではない。
更に追い打ちをかけるかのように、風香の目はこの暗闇に慣れつつあった。まだうっすらとした輪郭を捉える程度だが、空間の知覚と合わせれば最早躱せない攻撃など無いと断言できる程に状況は好転している。
仮に、これが蒼太による時間稼ぎであっても、風香としてはここで蒼太を脱落させることが何よりも良い最善の手なのだ。
あそこまで苦しめた策を考え出したであろう蒼太をここで倒せば、後はもう消化試合だと断言していい。
蒼太との個人的な勝負もあり、まさにその姿は敵を前にしたライオンの様に研ぎ澄まされた一人の到達者としての面持ちを感じさせる。
最大の警戒と最高の敬意、最上の敵意を以て風香はこの精鋭に敗北をもたらそうと更に意識を集中させた時、両者は共に動いた。
風香は<空間操作>による足止めを狙って、蒼太は<高速移動>による機動力で、それぞれ相手への行動を決定付ける。
当然、概念を操る風香が物理的な突破力よりも影響は早くに及ぶ。蒼太が二歩目を踏み出すよりも早く、風香は目の前の空間を固定化させていた。
だが、先ほどと同じ手に蒼太は引っかかることはなかった。
「……!」
蒼太の姿が掻き消え、風香の目の前から大きくズレた場所へと転移することに成功する。
当然風香の知覚範囲内ではあるが、その選択は風香にとって予想を大きく外したために一瞬、動きが止まる。
思わず、風香は見上げる。
蒼太が選択した転移先は、丁度風香の真上。空間の固定化は風香の目の前のみに作用するもの。真上ならばそれを回避できる。
だが、一番はそこではない。
一番厄介なのは、そこからどう動くのか分からないことだ。
だが、風香に迷う時間はない。どう動くのか分からないならば、動く前に止めるしかない。
蒼太は人の虚を突くことに長けている。これ以上野放しにはできない。
他二人のことも気になるが、今になってもその姿は知覚範囲に現れないことから、今が蒼太を脱落させる絶好のチャンスであると言える。
天井があるとはいえ、上空にいる時点で動きには制限がかかる。
風香の成す空間の固定化を悉く読んで見せた慧眼には舌を巻く程卓越したものであったが、これで潔く脱落してもらう。
「……こんど、こそ!」
両手を伸ばし、今度の今度こそその逃げ道を塞ごうとした風香を襲ったのは、思わず目を瞑ってしまう程の眩い光。
「うっ!!?」
影の空間が解かれ、転移によってまたしても空間の固定化から逃れた蒼太は風香の真下で口角を釣り上げ不敵に笑う。
こうして両者は、仲良く上空へ躍り出た。
理解の追いつかない、孤高の女王を仕留めるために。
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