8章 宿敵、だけど同志
残された三者は三様の表情を浮かべ、しばしこれから来たるであろう未来を予想する。
だが思い浮かぶ結末は皆一様に同じ、島を救うだなんて大立ち回りをこなす将来など見えやしない。
「……まァ、色々言いたいとか聞きたいこととかあんだけどよォ……」
がしがしと後頭部を掻きながらまもりが口火を切る。
「夜の校舎で逢引してる色ボケ学生共にゃァ、それなりの罰を与えねーとなんないよなァ」
「ちょっとォ! 先生そりゃねーでしょ、逢引疑惑は完全に誤解だし、こっちゃあの頑固な闇倉奏一をどう打ち負かすかで一杯一杯なのに、罰とか受けてる余裕なんかないって!」
「急くな早漏。いいか、お前らあれだからな、学校に忍び込んだから居残りだかんな。授業終わったらココ集合、テーマに基づいて考えて好きに行動しろ。今回のテーマは商工会の行事を成功させてあの偉ぶったオッサンの鼻っ柱をヘシ折ってやることだ、各員奮励しまくれ」
まもりもあの男に相当ムカついているようだ、一応相手は保護者だというのに暴言を隠しもしない。
どころかケーッと女性が出すにはあまりにもアナーキーな声すらあげている。
「先生。……私、名義貸しとしての参加なのだけれども」
「あァー、却下。不法侵入罪として琴浦に協力してやれ。……お前の立場も辛かろうが、もうこっちの泥船に乗っちまったんだ。最後まで付き合ってやれよ」
滅茶苦茶不満そうな顔をする詞音だが、鋼志郎にとっては詞音が協力してくれるならこの上なく頼もしい。
なんせ島を救う為に商工会と活動なんてことは今まで何度もやってきた、これまでと同じように鋼志郎だけで達成できるかと言えば怪しいところなのだ。
「で、センセ、結局商工会の企画ってなんなんですかね? 俺も音楽系とだけは聞いてたけど具体的な内容までは知らないもんで」
「この島の老人たちが伝統文化として身に付けている雅楽の演奏会を行い、他島の方々と交流を行う――みてェな内容だ。最後の綱ではあるが島を救えるレベルの内容ではねえなァ。他島への喧伝済だから変更は無理だし、今からじゃ出演者や楽器の変更程度が精々だろうなァ」
「……こうなったら西洋楽器でなんとか勝負をかけるしかないか。雅楽よりはまだ一日の長があるし、西洋楽器の良さを他島の人に知ってもらえたらオッサンの蛮行を止めるキッカケになるかもしれない」
「ま、雅楽の演奏会はもう何度も行ってっし、西洋楽器のほうがまだ可能性はあるかもなァ。で? 演奏するにしても誰がやンだ?」
「まず俺! 新進気鋭のピアノルーキーとは俺のこと、音程の不安定さには頭が下がるともっぱらの噂! そしてそこの寡黙なるヴァイオリニストは……」
鋼志郎が勢いよく詞音の方を見るが……当の詞音は痛ましい表情で俯くばかり。
どれだけ鋼志郎が手を差し伸べても、そんな手は見えていないかのように……全てが暗闇に包まれているかのように、口惜しそうな顔をしている。
先程言っていた人前で演奏できないという言葉は、この土壇場になっても撤回することのできないレベルで彼女の心に絡みついていた。
再び訪れた気まずい沈黙を破ったのは、まもりの声だった。
「ま……琴浦だけが演奏者だな。……演奏会決行まで後僅か、今日が月曜で当日が日曜だから一週間程度しかねェ。悪いが頼むぞ、この島がどうなるかはお前の手にかかってんだ」
「むう……小船に乗った気でいるといいぜ……!」
あと一週間で、長いこと演奏をしてこなかった男を一流の演奏者に仕立て上げる。
……そんな無理難題が通るならば、音大の受験は相当楽なものになっているだろう。
勘を取り戻すだけでも相当苦労するのは明白、もはや無茶というよりは無理というほうが正しい。
「さて、ジャリ共。時間ないトコ悪いが今日のところは一旦帰れ。夜中にガッコいるのバレたら演奏会どころじゃなくなるわ。夜道にゃ気ィつけろよ若人」
慮っているのか夜襲をかける気なのかいまいち分からない締めの言葉を残し、まもりは欠伸しながら部屋を出て行った。
「あのオッサン一人で帰りやがった! 帰り徒歩かよ!」という叫びを残して。
「……かえろっか」
まもりが帰った後も少しだけ続いた静寂を打ち消すように、詞音がそう言った。
「そうだな……兎にも角にも撤収だ」
なんて言いながら帰り支度を終えた二人は電気を消し、部屋を後にして昇降口に向かう。
学校を出た二人を出迎えたのは、純然たる闇だった。
一寸先も見えないほど夜の島は暗く、物の判別をすることさえもできない。
それでも二人は迷うことなく漆黒の獣道を進んでいく。
「……闇倉はさ、度々こうやって学校に忍び込んでんのか? 俺も何度か夜の学校に入り込んだけど、一回もお前と遭遇してないよな」
「大体毎日。時間帯は七時から九時くらいまで」
「え、毎日ってお前、一般生徒より足繁く通ってんじゃん。ていうかそうか、時間帯の問題か。俺が忍び込む時は大体真夜中だしな……」
「……あの迷惑なイタズラ、そんな時間にやってたんだ」
詞音がどの件について迷惑がっているのか鋼志郎には分からないが(ちなみに詞音的には大体全てのイタズラを指している)、こうハッキリと迷惑がられてしまうと鋼志郎だって苦笑するしかない。
「まぁ……分かってたけどな、闇倉がそんな風に思ってんのは」
みんなが笑っている中、詞音だけが笑っていなかった。
どころか嫌そうな視線を向けることだってあった。
それを分かってはいたけれども、鋼志郎はイタズラを止めることなんてできなかった。
だって島を救えない自分には、それくらいしかできなかったから。
「闇倉、身も蓋もないこと訊くけど、実際俺のこと嫌い?」
「うん」
刹那という言葉すら相応しくない速度で、詞音は全面的な肯定を口にした。
言い澱む様子は一切無い、あらかじめ与えられた台本を読んだかのような反応速度。
これには鋼志郎も悲しむ以前に笑ってしまう。
「あー、そうかそうか。闇倉は面白いヤツだなぁ」
「なに面白がってんの、よろしくない性癖でもあるの?」
「あんまりねーよ。たださ、俺のことを嫌いでいてくれる人がいてよかったなーって」
「……」
何か思い当たるフシがあるみたいに目を伏せて、詞音はこう囁く。
「……捨てればいいのに、みんな」
「そう簡単にいけば楽さ」
今の鋼志郎はクラスのリーダー、中心人物だ。
かつて塞ぎ込んで友達もできなかった頃とは天と地の差がある。
今は友達だって多いし、下級生と交流を持つことだってある。
けれどもみんなイエスマン、リーダーである鋼志郎を否定することはできない。
クラスのみんなにとって鋼志郎という中心人物は正しいものであり、それに逆らうことはクラスメート全員を敵に回すということだ。
……ということを、それぞれの生徒が思っている。
そんな牽制のし合いが、歪な鋼志郎中心の環境を作り出していた。
だからみんな鋼志郎を否定しない、彼の言を肯定するばかり。
気易く否定できるのは大人と海司だけ。
誰も鋼志郎を嫌わない、嫌えない。
誰も鋼志郎を軽んじない、軽んじられない。
でも、それを心地よく思える程、おめでたい心を持っているわけじゃなかった。
「結構しんどいもんだな、この立ち位置も」
鋼志郎はそう呟いて、空を見上げた。
天に瞬く星を見て、か細く息を吐く。
「……琴浦ってそういう感傷持ってるヤツだったんだ」
「え、今まで俺をなんだと思ってたんだ。こう見えてもちゃんと喜怒哀楽を持ってて、三日に一度は義憤に駆られたり滂沱と涙を流したりするぞ」
考えてみれば当たり前のことなのだが――詞音にとっては当たり前の考えではなかった。
どうせ琴浦鋼志郎という男は能天気で何も考えずに、ただ漫然と毎日を過ごしているんだろうと思っていた。
将来への暗雲とか毎日の不安とか、そういったものとは縁のない脳内ピーカン野郎なんだろうと決めつけていた。
日頃の行いがアレだから妙な偏見を持たれていただけで、鋼志郎だって同じ人間だ。
悩むし悲しむし、きっと未来のことを彼なりに考えている。
「……さっき私、琴浦のこと嫌いだって言ったけど、あれ修正しといて」
「なに、琴浦のこと大好きに修正しておけって?」
「九割嫌いくらいにしといて」
「またまたァ」
「いやまたまたァじゃなくて、そんなゴリ押せばもう少し甘めの評価してもらえるだろうみたいな声出さないで」
いくら世辞を言っても媚びへつらっても、現段階で詞音の評価を上げることはできないだろう。
今は甘んじてこの一割だけのサービスを受け入れるべきだ。
今までの敵対視を考えたら、これでも結構な譲歩なのだろうから。
「……」
そんなことを考えている鋼志郎の隣で、詞音は自分の枝毛をいじりながら考える。
琴浦鋼志郎のことは嫌いだ。
詞音の平坦な日常をいつも壊していく、未来のことも家族のことも六年前のことも忘れて活字の世界に逃げたいのに、現実逃避を許してくれない。
だって彼こそが六年前、詞音から心を奪った張本人なのだから。
本人はきっと知らないだろう、しかし全てが彼に起因していることは間違いではない。
でも、今この島で西洋音楽の話ができるのは、皮肉なことに鋼志郎しかいない。
詞音の趣味を理解してくれるのは彼しかいない。
この緩慢な日々の中で、鋼志郎と音楽の話をした時間だけは、……少し、楽しかった。
今まで塞ぎ込み続けてきた詞音にとっては何ヵ月、いや何年ぶりにもなる感覚だ。
宿敵。
でも、彼曰く同志。
歪な距離感と関係性を抱えたまま、二人は闇の道を行く。
ぽつぽつと言葉を交わしながら、今まで誰にも話せなかった音楽のことを口にしながら。
式鳴島の盛夏がまた一日過ぎていく。
この島を去る時まで後、七ヶ月しかなかった。




