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39章 8年前の約束

 ――かき氷を食べた。

 美味しさと引き換えにこの世の終わりのような頭痛をくらった。


 ――フランクフルトを食べた。

 マスタードとケチャップの相性はこの世で一番良いだろう。


 ――ラムネを飲んだ。

 詞音がビー玉を取り出そうとして戦いの末諦めた。


 ――から揚げを食べた。

 一つ一つが大きくて、二人で分けてようやく消費できた。


 ――射的屋に行った。

 詞音は意外とノーコンで、ガムに一発当てただけで喜んでいた。


 ――その他にも、たくさん、たくさん。


 もっと時間があればいいのに。

 ……なんて子供みたいな駄々は言わない。


 限られた時間だからこそ、きっと今この瞬間は美しく見えるのだろうから。


「……こんなに楽しいものなら、十年間廃止してたのは惜しかったな」


 休憩所に並び座って、リンゴ飴を齧りながら鋼志郎はそう呟いた。


「そうね。……毎年行われていたら、もっと色々な想い出があったのかも」


 隣で同じくリンゴ飴を食べている詞音が、小さな声で同調する。


 でも――本当は、十年間廃止されていてよかったのかもしれない。


 永く凍結されたものだからこそ、この日の祭が何よりも楽しく感じるのだから。


「……」


 鋼志郎が空を見上げる。


 電子ピアノを捨てに行った時も、詞音と話しながら帰った時も、プールに足を浸して星空を見た時も、先程鳥居の下にいた時も、いつだって鋼志郎は夜空を眺め続けていた。


 昔から変わらない夜空。

 それを見るたびに、鋼志郎は自分が変われたのか不安になる――。


「……なあ、闇倉。ちょっと変なこと訊いてもいいか」


「なあに?」


「俺、頑張れてるかなあ」


 変なことを言った鋼志郎に対して、詞音はしばらく静寂を返した。


 彼女は隣にいる鋼志郎の横顔を見て、少しだけ笑ってから、真正面を見据えた。


「……琴浦。ねえ、すごいと思わない?」


 詞音が目の前を指さした。


 彼女が指差すその先は、とても幸せな光景。

 笑顔で駆け回る子供たち、実は付き合っていた同級生カップルのデート、笑顔で酒を飲む大人たち、懐かしい屋台の感覚に感無量の人々。


 昨日までは見られなかった光景、今日だからこそ在る光景――。


「……この光景は、私たちが作ったものなんだよ」


 もちろんみんなの力添えがあったからこそだけど――と彼女は付け足したが、きっとそれは些末なこと。


 あの日あの時あの倉庫で、奏一に宣戦布告をしたからこそ。

 父に敵対する決断をしたからこそ。

 一週間で曲を仕上げる努力をしたからこそ。

 六年前の過去を乗り越えて演奏をしたからこそ。

 二人で頑張り続けたからこそ――。


 二人が選んだ選択肢が、今に繋がっている。

 振り絞った勇気が、この幸せに繋がっている。


「琴浦が頑張ったからこそ、今、みんなが笑顔でいるんだよ」


「……闇倉だって、頑張っただろ……」


「うん。……だから、私たちはちゃんと頑張れたんだよ」


 リンゴ飴を握っていないほうの手を重ねて、詞音は優しく言う。


「それでもまだ不安なら――」


 そしていたずらっぽい笑いを零して、鋼志郎の顔を見た。


「……今日もいっぱい楽しんで演奏して? そうしたら、頑張れたねって褒めてあげる」


 なぜだろう、なんだか、視線を合わせることができなくて。


 重ねた手をぎゅっと握って、鋼志郎は頷いた。


 そして少しだけ、静寂の時。

 話題を失った沈黙じゃなくて、その静けさに身を預けた心地よい森閑。

 聞こえてくる人々の楽しそうな声だけが世界を彩る音楽で、言葉なんて今はいらない。


 食べ終わったリンゴ飴の棒を近くのごみ箱に投げ入れても、二人はその場を動こうとはしなかった。

 一秒でも、一分でも、この時間が続けばいいと思っているから。


 けれどもそんな願いは泡沫だ。


 時は迫る。

 最後の時が、全てを決める審判の時が。


 祭囃子の音が消える。

 そして聞き覚えのある文人ボイスが会場内に流れ出した。


 二十分後、二人の演奏会が始まるから能楽殿に是非来てくれと。

 来なきゃ損だとか今回の大目玉だとか。

 とにかく一人でも多くの人を来させようと口八丁手八丁で言葉を連ねていく。


「――そろそろ、行かなきゃね」


 詞音の呟きと同時に、二人は立ち上がった。


 そして歩き出す。

 最後の演奏をする為に、能楽殿へ。


 ……だが歩き始めて数秒、鋼志郎が足を止めた。

 どうしたのと言いながら詞音が振り返る。


「……」


 ――君に伝えたかったことが、一つだけある。


「なあ、闇倉」


「……うん」


「八年前の約束を、叶えよう」


 その約束はもう果たせているはず。

 演奏会の時も、それからの練習でも。


 ……でも、それはきっと不完全な履行。


 約束は、お互いがその存在を思い出して、夢叶う瞬間を認識しなければ意味がない。


 だから鋼志郎は、もう一度言う。


「俺はお前と一緒に演奏したかったんだ」


 だから――と言葉を切って、真正面を向いたまま、それでも手は繋いだまま、告げる。


「一緒に演奏しよう」


 雪洞の明かりが差し込んだのか、ミルク色の顔を少しだけ朱に染めて。


「喜んで」


 詞音は、そう言った。

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