35章 最後の会談
夕暮れの室内倉庫には四人が集結していた。
本計画の中核に関与する重要なその四人が誰なのかなんて、もう言う必要はないだろう。
しかし四人が揃うのは久々のことだった。
最後に揃ったのは楽譜が届いたあの日だろうか、それ以降はまもりや海司の暗躍などもあって全員が一ヵ所に集う機会なんてものはなかった。
だから毎日顔を合わせている面々なのに、何故か不思議と懐かしい気持ちになる。
……この部屋に全員集まるのも、きっとこれが最後なのだろう。
海司は商工会の一員として祭の準備に駆り出されまくり、まもりも島外からの応対係に任命されたので居ないことが多い。
鋼志郎と詞音は演奏練習の為にここへ来ることも多いが、時折取材で公民館に呼び出されたりすることもあるし、伊豆鳴祭の委員会に加入させられたのでその手伝いに行くこともある。
だから、今この瞬間が、四人で集まれる最後の時間だ。
しかし感慨に浸っている時間的余裕などあるはずもない。
伊豆鳴祭の準備は急ピッチで行われ、後数週間後には当日がやって来てしまう。
先の演奏会ほど切迫しているわけではないが、さりとて余裕を見せている猶予もない。
「――まあ今から新しい曲を練習するよりは、この前の演奏会で披露した曲を研鑽する方がいいかと思うわ。多くの人が知っていて有名と言えば他の曲は思いつかないもの」
今の議題は、今度の演奏はどうするか?
であった。
とはいえ今からやれることなんて限られているので、大きな変更などできるはずもないが。
「俺も闇倉に賛成だな! 前回は一週間で曲憶えられたけど、実際細かい目で見れば危ない部分も多かったし。もう一曲覚えたら今度こそ当日ミスって頭ン中ホワイトサワーになりかねん」
「そだねぇ。コーシロと闇倉がそう言うんならいいんじゃないかな。でも今回は能楽殿で演奏するんでしょ? 半屋外だよ半屋外、外で演奏するんなら相当の音量がいるんじゃないの?」
「そこはアタシも危惧してたんだが、当日はエレキヴァイオリンと電子ピアノを使えばなんとかなるんじゃねえの? アンプに繋ぎゃァそれなりの音出んだろ。大学ン時の文化祭的なヤツでそんなの使ってるサークルあった気がするわ」
「そうですね、拡声装置を使えば何とかなりそうです。グランドピアノやアコースティックヴァイオリンと比べても遜色ない電子楽器が自宅にあるので、母親経由で運搬手配をしてもらいましょう。……本当はいつも使っている楽器が使えたら、一番だったんですけど」
抱えているヴァイオリンに視線を移して、詞音は一瞬物鬱げな表情を浮かべた。
それは幼少期、父親の部屋で見つけて初めて触れた楽器。
こっそり持ち出して何度も練習を続けた楽器。
そして六年前、傷だらけになってまで守り抜いた想い出の楽器。
そして、奏一が演奏を捨てるまで使い続けていた始まりの楽器。
……その楽器を失わない為に、二人はやり遂げなければならない。
もう一度この楽器を手にして、華々しいステージに上がるその日を夢見て。
「で、今回も一つやりたいことがあるんですけど、先生に言えばなんとかなりますかね?」
鋼志郎の言葉を聞いてまもりがニヤリと笑った。
陰謀策謀裏工作なら任せとけと言わんばかりの表情だ。
前回の演奏会で、来場者の方々に飲み物を配ってほしいと依頼したら何の問題もなく実行してくれたのだ。
今回も期待に沿ってくれるだろう、なんせまもりは様々な会から異例の好待遇を受けている、場合によっては商工会次期会長となるのでそれなりの発言権を持っているのだ。
「十年前までと同じ形式なら、式鳴神光宮中に屋台が面並ぶんですよね? 配置の相談なんですけど、能楽殿周辺にはアルコールを売っている屋台と休憩所を多く配置してほしいんです。理由は前回と同様、楽しく演奏を聞いてほしいので」
「おー、任せとけェ。オメーらが発起人だからある程度融通効くようになってんだ、そんくらいの要望くれぇ易々通るだろうよ」
「あと、演奏が始まる前に放送とかって流せます? 急に始まられてもみんな困ると思うので」「そいつァ今回の目玉だから、アタシが動くまでもなく北空が都合つけてたな。色々細かく指示してたぜェ、演奏が始まる前に祭囃子切れだとか、二人の姿が良く見えるよう照明を配置してサビで光度上げろだとか、記者用の脚立発注しろだとか。人間性は信頼できねェやつだが仕事は信用できるやつだ、演奏周辺の諸々はちゃんと整えてくれるだろうよ」
「それなら上々。じゃあ俺たちにできることはそれくらいですかね……」
……その時、海司が携帯で時間を確認してから立ち上がる。
もう時間が来たみたいだ。
商工会の雑務はここのところ急激に増えている、今だって父親に頼んで僅かな時間を設けてもらったに過ぎないのだ。
「そんじゃ俺は親父ンところ行ってくるかぁ。頑張れよコーシロ、あとついでに闇倉も。こっちはこっちで色々頑張るからさぁ」
「アタシも商工会に呼ばれてッからついてくわ。長野ォ、バイクのケツに乗せてってやるよ、ありがたく崇めて敬って奉れ」
「あーかしこみかしこみ、今度お賽銭投げつけますねぇ」
軽やかに手を振って、二人が部屋を出て行こうとする。
「あ……ちょっと待ってくれないか」
そんな二人を呼び止めたのは鋼志郎だった。
……詞音に謝罪の言葉を述べた。
でもそれで言うべきことが全て言い終えたわけじゃない。
「こんなこと改めて言うのも恥ずかしいんだけどさ……」
「なんだよぉ、恥ずかしいこと言うなら俺も恥ずかしい恥部曝け出すけど?」
「海司、まもり先生。……今日までありがとう。二人がいたからここまで来れた。本当に感謝してる、多謝と言っても過言じゃない」
「ちょ……」
その言葉を聞いて海司が焦っていた。
隣でまもりは教師冥利に尽きるような顔をしている。
「マ、マジでハズいこと言うなドアホウ。なんかこう、もにょもにょするだろ。コノヤロ、年頃の男児が真っ直ぐお礼言われてもにょらないわけないだろ。アホが、うんこたれ、こちらこそありがとうとか言うぞバーカバーカ」
全く以て素直じゃない海司は、言葉を言い終えるなりもはや言い逃げするかのように早足で立ち去って行った。
そんな光景を見てゲラゲラ笑いながらまもりは鋼志郎に言う。
「礼なんざいらねェよ、イチ教師としてロクなことしてきてねェしな」
……まもりは、鋼志郎一人ではきっとあの演奏会は失敗すると思っていた。
でも詞音が人と関わり合うことを覚えて、そして再び演奏を取り戻せば勝算はあるかもしれないと思っていた。
その為に巧言令色煽って奏一から二重奏の楽譜も手に入れた、詞音がその練習をできるように学校に泊まるのも看過した、凍結した起案を持ち出して未来へ託した。
そして、二人は想像以上の演奏をやってのけた。
感謝されることじゃない。
全ては二人の成長に賭けただけのこと、称賛されるべきは渦中の二人だけだと思っていた。
「……でもま、教え子に感謝されンのも悪かねーなァ」
イケ男みたいにフッと息で前髪を揺らし、まもりは盛大に笑う。
「アタシもそろそろいい年だしちゃんと教師らしくしてみっか、まずは教員免許取るところから」
「ないのかよ!」
鋼志郎から威勢のいい反応を受けたまもりは満足そうな顔をして、バイクのカギをくるくる回しながら部屋を出て行った。本当に免許がないわけじゃないと思う、多分。
残された二人はやれやれとため息を吐いて、どちらともなく立ち上がって演奏準備を始める。
楽譜を準備しながら鋼志郎がぽつりと呟いた。
「一に練習二に練習、だっけな」
それを聞いた詞音はくすりと笑って、
「ご名答」
そう、以前に比べてよっぽど和やかな口調で言った。
今までは鋼志郎の練習を詞音が指摘するばかりだった。
でも今日からは違う。
二人で音を重ねていく、二人の息を合わせていく。
それは今までの練習よりも遥かに楽しい時間だ。
演奏会の練習も――いや、それだけではなく子供の頃から、二人はずっと一人で演奏していたのだから。
鋼志郎にとっても詞音にとっても初めて触れる、孤独じゃない練習。
こんなことを言えば、きっと祭の準備で忙しい人たちは怒るだろうと鋼志郎は思う。
それでも思ってしまう。
きっと、詞音も思っている。
……永遠に祭が来なければこの時間が続くのに。
そう、心から思う。




