33章 二人の選ばなかった未来
十年ぶりに伊豆鳴祭が開催されると知った島の民たちは、それはもう見ていて胸が空くほどに大騒ぎしていた。
井戸端会議はその話題で持ち切り、ホームページにはバンバン宣伝を乗せ、若い衆たちは設営の手伝いをする為駆り出されまくっている。
なんせ久方ぶりの大規模行事だ、島民たちが奔走するのも無理からぬことだろう。
この島唯一の神社、式鳴神光宮には骨組み状態の屋台が面並び、祭櫓もド真ん中に設置予定だ。
十年前から使われていない用具とはいえ定期的に経年劣化をチェックされていたようで、運用に問題がないことは確約済み。
夜闇を照らす雪洞も準備万端、雰囲気を彩る大太鼓もちゃんと用意されている。
現在有志による徹底的な清掃が行われている。
特に、能楽殿は念入りに行われているらしい。
久々に里神楽が行われるから?
そうではない、ここが今回のキーポイント、鋼志郎たちが演奏を行う場所になるからだ。
そして、そんな鋼志郎たちが今何をしているかというと。
「そうだねー、もうちょっと自然な笑顔貰えるかなー! お、いいねいいねそんな感じ! 詞音ちゃんも鋼志郎君みたいにピースフルなスマイル頂戴! 笑えば綺麗なんだから前面に押し出してこ!」
――文人の呼びつけた地方新聞記者たちに囲まれて、眩いフラッシュを何度も焚かれていた。
なんでも記事用の写真が欲しいから云々で色々な角度から撮られて、時には演奏している姿を欲しいと言われ、何を勘違いしたのかもっと体を寄せ合ってとわけの分からない指示まで出る始末。
さしもの鋼志郎とてこれにはフライングクロスチョップで黙らせたくなる。
まあ鋼志郎にとって笑顔は得意分野だから別にそこまで苦ではない。
だが問題は笑顔という概念を六年間忘れ続けていた詞音で、笑えと言われてもなんだか精神の壊れた殺人犯みたいな笑顔しか浮かべられない始末だ。
この前の演奏会じゃいい笑顔してたのになあと鋼志郎も疑問に思うが、別段何か起こったわけでもないのに笑うのは詞音にとって悲しくないのに涙を流せと言われるが如しだった。
大量の写真を撮られた後、控室に戻った詞音が、手首に撒いていた髪ゴムを壁に投げつけたといえばどれくらい鬱憤が溜まっていたか推し量れるものだろう。
「ストレスで六臓七腑がはち切れそうだわ……!」
「さりげなく臓器を増やすな」
珍しく鋼志郎がボケを処理する側に回り、詞音を気遣うように控室の紅茶を淹れて寄越した。
妙にフローラルな匂いのするフレーバーティーだ、匂いは良いけど味は許されないレベル。
鋼志郎から渡された紅茶を豪快に一気飲みし、詞音は動物病院で注射される猫のような声を出しながら机に突っ伏してしまう。
以前では考えられない感情表現だ、演奏会以降少しだけ感情を表に出すようになった結果が表れていると言える。
「ま、しばらく俺たちは取材も一時休憩なんだし休め休め。どうせここじゃ練習することもできっこないんだからさ」
今鋼志郎たちがいるのは公民館。
取材の為に一部屋貸し切り、更にその控室としてもう一部屋を貸し切っている。
取材用の部屋では今文人が記者たちに企画の概要を説明していて、控室には鋼志郎と詞音しかいない状態だった。
「……しっかし、俺たちの知らないところで御大層な計画が立てられてたとはねえ。海司のアンニャロめやってくれやがる、さすが俺の果てなき親友」
「報連相くらいしっかりしろってあのバカタレに言っといて」
ピクリとも動かない詞音が呪怨の籠った声でそう呟いた。
……鋼志郎にはお偉いさんたちが来ると多少漏らされていたが、詞音には全く知らされていなかったのだ。
だから詞音は五十名近くの来場者、しかも大半が他島のトップという事実にしこたま驚いていた。
多分、その時のことを根に持っているのだろう。
「そう言われたって海司の趣味は暗躍、特技は策謀だぞ。人が意表突かれた時の顔で白飯五合行ける男だ、期待するだけ無駄無駄。はっは!」
「その笑い方さっきの胡散臭い公僕思い出すから金輪際やめて。……ていうか、琴浦と長野はどうして仲良くなったの。お互い元コミュニティ性皆無だったでしょ? 約一名は今もだけど」
「家がお隣。でもまあ最初は全く関わってなかったけど、あいつの部屋からDDTの音楽が聞こえてきて、興味を持ったのが最初かな。当時DDTはまだ無名バンドでなあ、往年のファンからしてみれば……あ、この話向こう七時間続くけど良い?」
「えっ、じゃあ心底いらない」
いや最後まで聞こうよ、やだよと無意味な応酬が続く控室に一人の大人が入ってくる。
北空文人、今回の企画の立役者にして事を大きくした首謀者だった。
子供相手にも全力の営業スマイルは逆になんだか不信がってしまう程に眩い。
「いやー毎度毎度! いろんな記者に写真撮られまくって疲れたでしょ? でも後半はもーっと疲れるからね、これからは取材タイムに入るから喋くりまくらなきゃならないし! ま休めるうちに休んでおいたほうがいいよ、僕も休みに来たし!」
はっは、このお茶くっさいね~と淹れたフレーバーティーに率直な感想を述べつつ、文人が何の躊躇いもない様子で適当な椅子に座り込む。
大人が一人でもいると子供は全然リラックスできないことを知っておいてほしいと鋼志郎は思う。
「あの、地方紙の記者が来てましたけど、主にどの範囲で我々の写真載るんですか」
被写体からすれば当然のことを鋼志郎は問う。
対する文人はスケジュールがびっしり書きこまれた手帳をチェックしながら、惚けた口調で言った。
「んー? まあ結果次第だよねー、取材しても没にする会社もあるし。失敗ならほぼ没、成功なら伊豆諸島内だけで流通してる地方紙、大成功なら関東県内での紙面に載るくらいじゃないかな。ま、全国区になるわけじゃないから硬くなんなくていーよ!」
諸島内に流布されるだけでも相当プレッシャーがパないんですけど?
と鋼志郎は言いたいが、祭事の諸々を工面してもらっている手前上にこやかな笑顔でそうですねと言うことしかできなかった。
その時、疲れ切って死体と成り果てていた詞音が顔を上げる。
そして酷く憔悴しきった顔で文人に話しかけた。
「あの……北空さんは昔っから式鳴島と交流があるんですよね」
「そうだね! 付き合いの長さはもうすぐ半世紀になるね。島民を除けば多分一番関係性の長い人間にあたるんじゃないかな、多分君たちの親の子供時代も知ってるよ。はっは」
「なら、私の父が二十年前に何故失敗したのかも知ってるんですよね?」
「……そうだね」
文人はしばらく紅茶の水面を眺めた。
そこに映った自分の顔を見て、あれから長い時が経ったのを実感しているかのように。
「君のお父さんはね、信じられないかもしれないけど昔は明るい男だったんだ。今でいう鋼志郎君みたいな感じかな、クラスの中心人物だったんだよ。その持ち前の明るさと社交力を駆使して、商工会と色々な企画をしていたところもおんなじだ」
……昔は明るかったと言われて信じられないのも二人が無理はないだろう、今の奏一にはフランクさなど欠片もないのだから。
でも詞音の例がある、たった一つの出来事が人の性格を捻じ曲げてしまうことなど往々にしてある。
「彼の親は珍しく本土から来た人でね、趣味で音楽を嗜んでいたんだ。親の持つヴァイオリンに感銘を受けた彼は没頭して、本土のコンクールで幾つもの賞を取る程の才能を見せつけていた。……そんな彼が、斜陽になっていた伊豆鳴祭を盛り上げる為――ひいては人口減少に悩むこの島を救う為に、演奏会をしたいと言ったのが始まりだった」
少しずつ人口を失い、死に向かっていくこの式鳴島。
二十年前にもその兆候はあった、二十年前にもそれを救いたいと願う少年がいた。
……奏一は、容易にできることだと思っていた。
音楽の力で人々を盛り上げて、祭を華やかにすることくらい可能だと自負していた。
だって彼がコンクールで演奏すれば客席は大いに沸く、その卓越した才能は人々の心を震わせることくらい簡単だと思えていた。
「確かに彼の演奏は素晴らしいものだった、その演奏技術は高校生の――当時はまだこの島にも高校があってね――とにかく年相応のものじゃなかったんだ。……でも、彼が演奏をしても、祭は何一つ盛り上がらなかった」
「……ただ上手な演奏をしただけじゃ、何も伝わらなかったんですね」
「そうだね。……繊細な演奏も、西洋楽器を知らない人からしてみれば汲み取れないものだもの。一人の少年が見知らぬ楽器を演奏している、ただそれだけ。島の人からすれば、盛り上がる要素なんて一つもないからね。……空気は白けていたよ、思い出すのも辛いくらいに」
奏一の奏法はクラシックに準じたものだったのだろう。
その技術と音の美しさに没頭し、観客たちは静かに旋律を浴び続ける演奏。
祭の喧騒とはきっと真逆の演奏スタイルだ。
だからそれはその場にそぐわないもので、島民たちが戸惑うのも無理はなくて。
……きっと、何も変えられなくて。
「彼はその時思ったんだろうね、音楽じゃ人の心なんか変えられないって。……それでも彼は足掻こうとした、自分がプロになることで島の知名度を上げようとしたんだ」
でも、音楽で人の心を変えられないと悟った日から、その演奏は空虚なものになっていって。
「音高に行って、音大に行って、プロになろうとして……でも、それは叶わなかった。演奏技術だけが秀でて心のない演奏だ、プロになれるわけがない」
かつて詞音は言っていた。
正確な演奏ができて三十点、演奏記号から作曲者の意図を理解して五十点、文献から当時の作者の心情を理解して八十点、演奏を通じてそれが伝えられて百点だと。
心を伝えられない彼の演奏は満点には届かなくて、……その足りない点を埋めようとして足掻けども、音楽の可能性を諦めていた彼には埋められるものではなくて。
「結局彼はプロにはなれなくて、でも音楽以外の道も無かった。……だから作曲家を志すしかなかったんだ、今の彼は逃げた先の未来を生きてるだけだよ」
詞音は、何も言葉を発することができない。
奏一の生きてきた人生は、まるで詞音が辿りかけた人生なのだから。
音楽を楽しむことを、そして観客を楽しませることをずっと知らなかった詞音が、音楽家を志したならばきっと同じ道を辿っていただろうから。
「……詞音ちゃん、彼が商工会を乗っ取ってこの島を改革しようとしたのはね、きっとあの時島を救えなかった罪悪感に今でも苦しんでいるからなんだと思うよ。あの時は何もできなかった、だから今どんな手を使ってでも成し遂げようとしているんだ」
鋼志郎は、身動ぎ一つとることができない。
奏一の生きてきた人生は、まるで鋼志郎が辿りかけた人生なのだから。
ずっと商工会とこの島を救おうとして、それでも救えなかった鋼志郎が本土に行っても、きっと戻ってきてこの島を救うことに尽力していただろうから。
――奏一の人生は、二人の人生の失敗例のよう。
そんな彼は、詞音や鋼志郎を見て何を思っていたのだろう。
かつての自分と同じ末路を辿ろうとしている子供たちを見て、どんな感情を抱いていたのだろう。
「あ……」
その時、鋼志郎が小さく声を上げる。
奏一の本意を知って、その不可解な行動に説明がつくことを理解したから。
「もしかして、闇倉奏一が事を急いていたのは……詞音が本土に行く前に、音楽を諦めさせたかったから……?」
「え……?」
鋼志郎の言葉を聞いて、詞音が文人の顔を見る。
文人は黙って詞音の顔を見返した。
これ以上を言葉にするのは無粋だとでも言うように。
……あの時の詞音が、鋼志郎と演奏を行っていない状態の詞音が音楽家を志したならば、奏一と同じ末路を辿っていただろう。
プロにもなれず燻って、満足のない不完全な人生を送っていたはずだ。
奏一は実の娘にそんな悪路を歩ませるわけにはいかなかったのかもしれない。
だから商工会を急いて乗っ取る必要があった、例え島民に恨まれ反感を買おうが構わなかった。
詞音がこの島を出る前に、はっきりとした形で音楽の道を諦めさせる必要があった。
……どれだけ言い聞かせても諦めない娘に対して、この島単位で音楽を奪うことによって、音楽家の道に進むなと警告せざるを得なかった。
半ば家を追い出すような形になってでも、親子の縁を切るという言葉を使ってでも、己の二の舞にさせない為に。
彼の計画は、この島を救う為の計画であり、娘を救う計画でもあったのかもしれない。
「……父の思いに報いる為には、君たちが祭を成功させる以外にないだろうね」




