32章 本当の宣戦布告
「――興味深いパフォーマンスを見せてもらった」
永遠に続くかと思われた歓声を打ち破ったのは、コントラファゴットよりも低く響き渡る声だった。
人々の間を抜けて、闇倉奏一がステージに上がってくる。
そして詞音と鋼志郎を数秒眺めてから、観客席に目を向けた。
「各御一行、今日は御来場いただき誠にありがとうございました。……現商工会が執り行う最後の演目を、存分に御楽しみいただいたかと思います」
あれだけ二人の演奏が盛り上がっていたというのに、奏一の余裕は欠片も崩れてはいなかった。
本人からすれば当然のことなのだろう。
だって、二人がどれほど良い演奏をしたところで、焦点はそこではないのだから。
「本時刻を以って、現商工会による企画は全て終了致しました。それは即ち商工会が果たすべき責務を遂行できなかったものと認定し、商工会会長に瑕疵が存在するのか、その真贋を改める必要性が――」
「ま、待って……何言ってるの……!」
詞音が父親の言葉を遮る。
……だが奏一は取るに足らない生物を見るかのような冷たい目で、実の娘を見返した。
「約束の通りだ。お前たちがこの企画で島を救う道筋を企てられなければ、俺の計画を遂行する契約だったと思っていたが……?」
「それは……そうだけど……!」
「お前たちがすべきことは良い演奏をすることではない、島の未来を案じることだろう。……いや、あれは演奏ではなく余興か。理解のできないフザけた出し物だ」
――そう、二人の演奏がどんなものであれ、それは奏一の闘いとは全く関係ない。
奏一は島を救済するプランを打ち出そうとしている。
鋼志郎と詞音はそれを止めようとした。
だから奏一は二人に、この演奏会を通じて代替案を見せてみろと要求していたのだ。
だから、それを見誤っている限り、奏一の主張は崩れない。
「――いやァ、良いパフォーマンスを見せてもらったねぇ。闇倉奏一さん?」
今度舞台上に上がってきたのはまもりだった。
ぱちぱちと小馬鹿にするように拍手しながら、奏一の真正面に立ってそのツラを睨み付ける。
「せっかく実の娘が頑張ったってのに、その場をブチ壊して自分の主張をするなんて、笑えて堪らんフザけた出し物ですねェ。そんなに商工会の実権を握るのが大事?」
「……当然の要求だろう。現商工会の予定している責務は全て片付いた、即座に解任要求に移る。何か不都合でも?」
「いや実は不都合しかないんですわこれが。実はまだ現商工会にはやり残したことがありましてねェ」
奏一の眉が僅かに動く。
しかしまもりの言葉をブラフだと思い、綽綽な態度は揺るがない。
「ありえるはずがない。商工会が提出した計画書は全て確認済みだ」
「本当に? 過去の分も全部?」
数秒間を置いて――奏一の表情が変化する。
「……貴様……」
「あァ。つい先日、過去に凍結された計画書を再始動させた。それが終わるまでは現商工会は解体できないよなァ?」
「凍結には凍結たる理由があるだろう。過去に却下された計画を再始動させるなど無理だ」
「だからこその演奏会だ」
鋼志郎には何が何だか分からない。
過去却下された計画?
その為の演奏会?
まもりが何を企んでいるのか、その輪郭すら掴むことができない。
そんな鋼志郎にまもりが声をかける。
いつものように飄々と、授業中問題を問いかけるのと同じトーンで。
「琴浦ァ、お前が商工会に対して最初に提案したモノってなんだった?」
「え、確か……伊豆鳴祭で楽器を演奏して……蘇らせようって企画だったはず……」
「却下理由は?」
「えっと……昔同じようなことをして大失敗したことがある……とか……」
「そうだなァ。昔々どこかの演奏家が似たことを実演して、総スカンをくらったんだよ。その演奏家はそれがきっかけでヴァイオリンの演奏に苦しみを覚え、最終的には作曲家になったみたいだけどなァ」
まもりがねめつけるように奏一を見据える。
あからさまな挑発を含んだ睥睨、無論それが奏一に通じるはずもないが。
「そのまま伊豆鳴祭は予算の都合、参加者の減少もあり撤廃された。その時の演奏家の失敗が凋落に繋がったともと言われてるなァ。……でも、当時を知る方々に問いたい」
観客たちの方を見て、まもりが問いかける。
奏一を挑発する時のような態度ではない、一教師として真摯な表情で。
「かつてこの島の祭は華やいでいたと聞きます。規模が縮小した晩年以前、伊豆諸島の人々が総出で作り上げていた頃の祭は、伊豆諸島の象徴に相応しい明光だったと記録されています。しかし時代の煽りを受けて規模は減少の一途を辿り、起死回生の一手として、かつて学生ながら数多のコンクールで数々の賞を得ていた闇倉奏一が名乗りを上げました。後は語るまでもないでしょう」
その結果は実らなかった。
音楽の力で人々の心は動かず、結局参加者は減少し続け――十年前、伊豆鳴祭は長き歴史に幕を閉じた。
島が唯一誇っていた文化を失い、もはや式鳴島は死を待つだけの、形骸化した島と成り果てたのだ。
「――でも、皆さんに考えていただきたい」
まもりの視線が二人に向く。
「今日ここで二人が奏でた演奏は、評価するに値しないものだったのか? 人々を快然たる気持ちにさせることのできない演奏だったのか? ……今度こそもう一度、我々の象徴を蘇らせるに相応しくない演奏だったのでしょうか……?」
観客たちは言葉一つ零すこともなくまもりを、そして演奏した二人の姿を見据える。
まもりの言葉を否定する者はいない、誰しもが先程までの高揚感を忘れられない。
そして、かつて盛況だった祭を忘れたものなど一人もいない。
何の刺激もない穏やかな島の中で、唯一華やいでいたその雪洞灯りを。
面並ぶ出店と笑顔の子供たちを。
総出で大仕事をやり遂げるその爽快さを。
その記憶は、青春時代を思い出すかのように眩く瞬いている――。
……あの輝きを、取り戻せるのだろうか?
「取り戻しましょう、あの日々を。……伊豆鳴祭を復活させることによって」
観客席に座る重鎮たちの手には、一昨日の会議で渡された起案書が握られている。
そこに付随する資料には休眠した伊豆鳴祭の復活と、音楽による活性活動のシノプシスが書かれていた。
子供騙しの幼稚な稟議書ではない、商工会の活動として相応しい計画性を持った真心の一冊だ。
だが予算の都合上、式鳴島の資産だけで再開させることなど不可能。
だから今後の伊豆鳴祭を、毎年違う各島で行う持ち回り制として、伊豆諸島全域の幇助で行う計画。
毎年開催地が変わる祭事。
……通常ならあり得ないだろう。
ただし東京都総務局や伊豆諸島総合観光庁の力を借りれば現実的となる。
毎年場所が変われば内容も変わるのだ、観光客をリピートさせる手段として、新たなる祭事の形として推せば花開く。
即ちそれは、現状世界に存在しない新たなる観光事業の算出である。
地域復興の一環として認可が下りれば助成金が降りる、文化財への登録にまで漕ぎ着ければ多額の金が降ることになる、そしてそれにより観光客が増加すれば島の活性化へと繋がる――。
それを実現させる取っ掛かりとして、島の将来を危ぶむ精力的な若者の演奏が加わる。
……六年前の一件、父親の過去を絡めれば、そこにはドラマティックな謳い文句が躍り出るだろう。
ただの祭を、子供を使った感動物語に昇華するシナリオは容易に構築できる。
しかしその書面に対し、課せられた条件がある。
奏一の二の舞にならぬよう演奏者が祭を艶やかに盛り上げる確証を提示しなければ、計画の遂行は叶わないと。
盛り上げて大成功を収め、実績が世に広まらなければ観光事業として認可されないと。
だから、今。
二人の演奏を耳で聞いて、肌で感じて、心で触れた者たちが決める。
二人に望みを託すか、それとも値しないものだと一蹴するか。
「――」
……疎らに。
しかしやがて確かに、観客席から拍手が上がる。
それは若者に未来を委ねる決意の表れ。
この島の行く末を預けたという意思表示。
いや、預けたというのはきっと正しくない。
共にこの島を救う為に、彼らは音を掻き鳴らす。
島が死ぬ前に、もう一つだけ賭けをする。
それが島を担う人々の、未来を見据えた者たちの、歴然とした選択だった。
「――余興、か」
拍手の響きを浴びながら、奏一はそう言い放った。
「全ては伊豆鳴祭の復活に繋げる為の見世物か。……愚かな奴らだ」
踵を返し、奏一がステージを去ろうとする。
そんな彼を追ったのは詞音だった。
ヴァイオリンを近くにいたまもりに預け、去り行く背中に言葉を発す。
「お父さん! ……私、ちゃんと演奏できたよ……」
「……それは十分に見た」
「もうあの日みたいに、挫けたりしないよ……」
「……それが、どうした?」
「だから……」
言葉を切って――二の句が継げない。
実の父に伝えなくてはならないことがある、届けなくてはいけない本音がある。
それを夢見て生きてきた、初めてヴァイオリンを見た日から憧れていた。
でもその一言が発せられない。
自分が音楽の道に進むことを是としない父親に、面と向かって告げられない。
でも、ここで言わなきゃ、きっと志せない。
そんな詞音の背に近づいて、鋼志郎が優しく肩を叩いた。
まるで行けと言うように、止まった時を氷解させろと促すように。
詞音は、告げる。
「私は、演奏者になりたい!」
幼き日に願ったその思いを、叶えられないと諦めていた夢を。
「音高に行って、音大に行って! ヴァイオリニストになりたい! ずっと音楽を続けたい! だから、お父さんに負けたりなんかしない!」
ようやく――詞音は父親と心から向かい合う。
恩義も敵意も薪にして、焦がれた想いに焼べていく。
立場も忘れて指を突きつけ、滾る想いは言葉に変わる。
「私たちが、島を救うから!」
そんな大それたことできるわけがないだろうと、幾時間前までの奏一なら言っていた。
でも今は、あの演奏を見て……挑戦的な表情を浮かべる。
「やってみろ。……やれるものならな」
今度こそ、奏一はステージを下りていく。
そして憚られることなく人波を切って、レクホールをさっさと出て行ってしまう。
今この時からカウントダウンは始まる。
伊豆鳴祭の開催予定日まで、残り一ヵ月もない。




