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28章 六年前の真実

「音楽による……地域活性化……」


 企画経歴書を見て、鋼志郎の手が戦慄いていく。

 昔からずっと商工会の活動には参加してきた、でもそんな活動があったことは知らない。


 だが、その資料にははっきりと、琴浦鋼志郎が発案者だと書いてある……。


「……アタシは当時携わってなかったが、オメーが商工会の集まりに参加したのは六年前だったらしいな。そこで若者の意見を取り入れようってことで、色々提案をしてもらったっていう風に資料には記載されている」


「確かにそんなことはあったけど、俺の意見は採用されなかった! 確か……衰退化で撤廃された伊豆鳴祭を蘇らせて雅楽の代わりに演奏会を行うことで、新しいアプローチでの祭事を作るって企画だったはず……」


 当時、ピアノがそこそこ弾けるようになったことがアイデンティティだった鋼志郎がそんな計画を口にした。

 だが昔同じようなことをして失敗したからという理由で却下されたのだ。


 その後、音楽による地域活性化という観点を取り入れて、別案が進んでいた。

 それは鋼志郎を除けばこの島唯一の音楽経験者、闇倉奏一を中心とした音楽界進出。

 奏一が有名なヴァイオリニストになることで、この島の知名度を上げる作戦。

 その為のレールは敷かれていた。


 ……勿論商工会の誰もが、かつて奏一がヴァイオリンを捨てた原因を知っていた。

 それでも一縷の望みをかけて彼に依頼をしたのだ。


 でもその計画は本人の拒否により頓挫して、白紙になった。

 これで完全に鋼志郎の立案は無に帰したことになる。


 ……でも……本当は唯一の音楽経験者じゃないってみんな知っていた。


「俺は……あの時、口走った……」


 本当は二人だけの秘密だったのに、おだて上げられてうっかり言ってしまった。


 闇倉詞音と二人で演奏するのが、自分の夢だって……。




『……俺に打診が来た時は驚いたが、無下にしたはずだ。しかしあのハゲタカ共はあろうことかお前にその役を担わせやがった』


 闇倉奏一への依頼はにべもなく断られたが、商工会は詞音に矛先を向けた。


 作曲家、闇倉奏一の娘。

 彼女の華々しいデビューがこの島の未来を切り開く。

 国に轟く有名人が一人でも産出できれば未来は明るい、文人を介せばいくらでもPRのしようはある……。


 勿論、娘にヴァイオリンをさせたくない奏一がそれを許すはずもなかった。


 でも……このままだと島が死ぬと言われ……大の大人に助けてくれと懇願されて……音楽を愛する少女が、その音楽で島を救えると祭り上げられたら……抗うことなんてできようか。


 そこにはきっと幾つものすれ違いがあったはずだ。

 親と子の、会と親の、会と子の。


 時間をかけて水面下で事は進み……親の許諾が降りていないのに、詞音は本土のコンサートホールで演奏をする段取りが決められていた。


 地域をPRしたいのだから、当然当時最大手のコンクールに参加権が捻じ込まれた。

 その裏でどんな取引があったかは分からない。

 しかし詞音は、本来参加するはずのないクラスのコンサートに出場することになった……。


 でも、そんな小狡い手を、誰が歓迎できようか。


 詞音に対し、大人な対応と取れる者などいない。

 だってそこは、子供の為のコンクールなのだから。


 ――あなたがズルして参加した人?


 第一声はそれだった。

 無論詞音にそんな自覚があるわけもない、彼女はただ誘導されるままコンクールに出ただけなのだから。

 でも、明確な敵意を向けられて、臆さないわけもなく。


 他の参加者たちはみんな、ひそひそと、或いはわざと聞こえるように詞音のことを話していた。

 指をさす子供、嘲笑う子供、細々と聞こえてくる言葉は全て悪意の塊だ。


 ――田舎臭え格好でコンクールになんか出てくんじゃねえよ。


 きっと本人たちは悪意など自覚しない。

 だって彼らは皆、努力を積み重ねてこのコンクールを掴み取ったのだから。

 血の滲むような努力を重ねて勝ち取った権利なのだから。


 だから、詞音を責めることは悪いことだと思わない。

 むしろ、悪辣な手段で参加が決まった詞音こそが悪なのだと哄笑する。


 ――コンクールに出られる程上手でもないくせに。


 ――ズルしなきゃコンクールなんかでられないくせに。


 ――この中で誰よりも下手糞なくせに!


 当然、舞台上で詞音が良き演奏などできるわけもない。


 鋼志郎に聞かれたのを除けば、初めて人前で演奏するのだ。

 そして島で緩く育った少女が、初めて他人からの害意を向けられた。

 その心を苛む動揺は、小学生にはあまりにも重すぎる。


 観客席から向けられる視線は、全て脱法者を睨むかのようなもの。

 舞台上に立つこと自体が悪だと見做され、何百人分もの無言の圧が与え続けられる悪夢のステージ。


 そんなディストピアで普段以上の演奏など、……普段通りの演奏など、できるわけもない。

 震える手、纏まらない思考、込み上げる嘔吐感。

 平衡感覚さえ失って、自分の奏でた音が全て不協和音に聞こえていく。

 やがて聞こえるはずの無い嘲笑が世界に響いていく、自分を蔑む嗤いだけが能を蝕んでいく――。


 拙い演奏を終えて、控室に戻った彼女を迎えたその目を、今でもずっと忘れられない。


 無様な演奏を舞台上で御覧に入れた女を、受け入れてくれる場所などどこにもないのだ。


 様々な暴言がエスカレートしたのだろう――下手にこんなものは必要ないからと、控室で誰かが詞音のヴァイオリンを壊そうとした。

 ヴァイオリンを取り戻そうとした詞音がとびかかり、取っ組み合いになる……。


 ……後はもう、見るにも耐えない物語。


 ヴァイオリンは無事だったけれども、詞音の体には数多の痣が残っていた。


 痛めつけられたのは体だけじゃない。


 心も、鈍く軋んでいた。


「……そうね。それが全ての始まり。……いや、終わりだったのかも」


 もう、彼女は人前で演奏することなどできない。

 その時の記憶が蘇るのだ。


 舞台上で失敗した記憶。

 痛めつけられた記憶。

 悪意が迫る記憶。


 記憶はやがて人格を蝕んでいく。

 ……あの人も怖い、この人も怖い。

 みんな怖い。

 自分に危害を加えてくるんだ。

 誰だって悪意を持っているんだ。

 また痛い目に遭うんだ。


 PTSD。……と一言で言うのは簡単だ。

 でも、彼女の心中は単純じゃない。


 人を信じることもできなくなった。

 大好きだったクラスメートたちも敵に思えた。

 自分の殻に籠っていれば安全だった、誰も自分に関心を寄せないのは誰も自分に危害を加えないことだから。


 ただ、彼女は壊れたようにヴァイオリンを弾き続けた。


 あの時自分が上手く演奏できていたら、あんなことは起きなかったのだろうか。

 敵意を黙らせられるほどの、コンクールに出場するに相応しい演奏ができていれば、あの時悲劇は起こらなかったのだろうか。


 失った時を取り戻すように、彼女はヴァイオリンに触れ続けた。

 演奏することでトラウマが蘇ることもあった、それでも自分にはそれしかなかったから。


 ……そんな日々が続き、詞音の演奏は技術的に卓越したものとなっていった。

 でも時は戻らない、この腐った世界が続いていく。

 自分はその世界を生き続けていく。


 だから……詞音の世界は暗闇だ。

 いつまでもどこまでも、救いの光などなく黒ずんでいる。


 式鳴島に未来の兆しが無いように、彼女の将来だって真っ暗だった。


「――っ」


 詞音の声は裏返った。

 まるで子供が泣いてしゃくり上げているかのように。


 ――琴浦のことは嫌いだ。


 全ての原因となった人物。

 一人になった自分の日常を搔き乱す人物。


 でも、彼が努力していたことを知っている。

 この一週間、島を救う為に寝る時間を削って練習し続けたことを知っている。


 努力が報われない痛みを……ステージで一人になる苦しみを、私は知っているから。


 世界で一番大嫌いな人だけど――。


「――それでも、このまま彼が傷つくのを見てはいられないの。お父さん……」





「……俺が……全部悪いんじゃねぇか……」


 あの日あの時、六年前に行った全ての概要を見て、鋼志郎は虚ろな声を出した。


 そんな彼をまもりは見下ろしている。

 感情の色がない、平坦な目で。


「……詞音の参加を強行した商工会会長は辞任を促され、今は長野の親父がその座を引き継いでいる。お前に詞音の件が伝わらないようにしたのも、箝口令を敷いたのも、全部長野の親父さんが関係者全員に頼み込んでなんとか誓わせたことだ」


 それはまるで事後報告をするような抑揚のない声。


「詞音を無理矢理参加させるなんて無茶を止められなかった長野の親父が、せめてオメーが責任で潰れてしまわないように取り計らったんだ。だからオメーは今まで知らなかった、露呈しないように誰もが秘匿し続けてきたんだからな」


 ……自分の知らないところで……自分の所為で……詞音は心を殺されていた。


「それも知らず……俺は……」


 一緒に商工会の行事に参加しようとか。

 音楽で活性化の取組があるから一緒にやろうとか。


 いつか詞音と一緒に演奏ができたらいいなとかそれを夢見てピアノをやってきたとか詞音が暗くなった原因は何だろうとかどうにか彼女を明るくさせられないかとかもう一度彼女と関わり合いたいなとか一緒に島を救おうだとかもう一度彼女に笑ってほしいだとかどうしていつも冷めた目で見ているんだろうとかなんで一緒にバカ騒ぎしないのだろうとかッ!


 自分の責任なのに! まるで他人事みたいに!


「島を救いたいなんて……闇倉を救いたいなんて言う資格、俺にはないじゃないか……」


 闇倉奏一の言う通り、俺なんて正義面した島の疫病神でしかない。


 足掻く価値も……生きている価値すら、あるはずがない……。


「フザけたこと抜かしてねェで立てよ悲劇人気取り!」


 崩れ落ちて膝をついた瞬間、まもりがその胸倉を掴み上げる。


 それだけじゃない。

 そのまま壁に叩きつけて、ド至近距離でその目を見据える。


「なんで今! アタシがオメーにこんなこと伝えたか分かるか!? 分かるだろ、あの楽譜を見たならば!」


「……っ」


「オメーはどうしたいんだ! 自己犠牲とか献身的な言葉なんていらねェぞ、オメーがアイツにしてやりたいことはなんなんだよ!」


「俺は……あいつにひどいことをした……」


「だからどうしたッ! それでどうするッ!?」


 ――闇倉のことはきっと償いきれないことだ。


 彼女の一生を壊したことはこんな生半可な苦しみじゃ補えない。


 でも、俺にできることが一つある。

 彼女の嘆いたこの島の終わりを、音楽の道への諦念を止めることができる。


 彼女は人前で演奏できないのかもしれない。

 ……でも、罰にも満たない償いで、音楽との繋がりを護ることはできるだろう。


 世界で一番憧れた人だから――。


「――絶対に、明日の演奏会を、成功させたい……!」


 心の奥底から湧き上がる思いを、鋼志郎は口にする。


 成功させれば何かが変わるかもしれない、あの笑顔をもう一度見ることが叶うのかもしれない。

 どんな代償だって捧げる覚悟はそこにある、自分にできることなら何だってやり遂げる決心がそこにある。


 いつか取り戻したい彼女の笑顔が想起されて――そこに僅かな活路が現れる。


 完璧な演奏を是としないのであれば、笑顔こそを目的とするならばあるいは――。


 確率の低い賭けかもしれない。


 でも、策を弄さないまま当日を迎えるのは、賭けですらない自死なのだ。


「……先生、海司。……明日の演奏会を成功させる為に、協力してほしいことがあるんだ」



 灼たかなる日が昇り、時は満ちる。


 この島の未来を決める、その日がやってきた。

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