20章 東京都総務局、商工労働観光部観光政策課、観光地域促進担当
本革張りのソファにクリスタルの灰皿、大理石でできたテーブルと何の意味があるのか分からない木彫りの彫刻。
格式張ったその場所が式鳴島にあるとは考えられないだろう。
しかし役所の来客室だけは体裁を整える為に、島の雰囲気とかけ離れたビジネスオフィスらしく装飾されている。
その部屋は滅多なことでは使われない。
本土から偉い役人がやってきた時や、商工会への取材が行われた時くらいだろう。
今回のケースはどちらかと言えば、前者にあたるはずだ。
「……遠路遥々お疲れ様です。毎度毎度手間をおかけして大変申し訳ございません」
室内にいる者四名の内、長野海司の実父である長野匠海が丁重に頭を下げながらそう労う。
その隣に座る二人――長野海司と成田まもりもそれに倣って辞儀をした。
三人と向かい合って座っている男は、豪快に笑いながら手を振った。
今更慇懃な持て成しなどくすぐったいとでも言わんばかりの表情だ。
「気にしなくていいよいいよ! 僕と会長の仲でしょ、片道三時間の船旅くらい諸手を打ってやってくるよ! それに堅っ苦しい本庁で会うよりも、外部案件で出向したしたほうが肩凝らないしね。も、ホント本庁のお堅さったらないんだから」
どこか人懐っこそうな顔をしている還暦の男性は、汗ばんだ顔を手で仰ぎながら差し出されたお茶を一気に煽る。
事前に室内を適正温度にしていたとはいえ、外から来たばかりではまだ熱さから逃れられないようだった。
「まもりちゃんもお久しぶり! いやあ最初見た時はまだオシメも取れていないくらい小さかったのに、今や会うたびどんどん綺麗になって! はっは、男児より女性の方が三日会わないだけで刮目しちゃうよね」
「くすくす。お久しぶりです、北空先生。……世辞を言われても何も出ませんよ? なんせ出せるものもなにもない種切れの島ですから」
応対するまもりの格好はいつもと全く異なり、ダークグレーのスーツに身を染めていた。
プリン頭だけは手を付けていないようだが、格好が違うだけで印象が大きく変わってみるのは錯覚じゃないだろう。
ちゃんとする時はするのだ、頭以外は。
「はっは、まもりちゃんは何か出すより出すもん出せって言うほうが得意だものね。……それで、ええと、君と話すのは初めてになるのか、確か会長のご子息だったかな?」
話題を向けられた海司が外交用の笑顔を浮かべる。
まもり程ではないが、海司もいつものやる気サゲサゲテンションをしまい込み、ある程度好青年を見繕っていた。
「父がお世話になっております。息子の海司です、今後とも何卒宜しくお願い致します」
「海司君ね! こちらこそ宜しく、会長の坊ちゃんならこれから関わる機会もあるだろうし!」
男は懐から名刺を取り出し、海司に一枚手渡した。
東京都総務局、商工労働観光部観光政策課、観光地域促進担当。
名刺にはそう書かれている。
「お呼びとあれば伊豆音島から孀婦岩まで即推参、伊豆諸島のことならお任せあれ! 観光地域促進担当、北空文人と申します! 得意分野は島起し、得意戦法は鬼殺し! 式鳴島とは青き日々から一蓮托生、僕が寿命でおっ死ぬまで宜しくどうぞ!」
長年の営業生活で培ったらしきスマイルを振り撒きながら、海司の手を掴んでぶんぶんと上下に振っている。
六十を迎えて嘱託社員になったというのにエネルギッシュなのはどんな秘訣があるのか、海司は訊いてみたいと思ったが長くなりそうなので曖昧な笑顔で返す。
「で! 今日は商工会の取組についての話でしたっけ? ええと、確か日曜日に演奏会をするんでしたね。演奏者は若い子か、いいですね~若い子、復興には若い力と美談が欠かせません」
「ええ、その件なのですけど、実は少々困ったことになっていまして……」
匠海がこれまでの経緯を掻い摘んで話していく。
奏一に商工会を乗っ取られそうになっていること、今度の演奏会が最後の抵抗になること、どうにかここで島を救わなければ奏一のプランが発動してしまうこと。
勿論その中には鋼志郎たちピアノ組が知らないこともある、商工会内部だけが知る情報が幾つも存在する。
「――成程。全貌をまとめますと……闇倉奏一が寄付金を武器に、商工会のメンバーを片っ端から篭絡していると。そして今や過半数を意のままに動かせるようになっていて、商工会総会での過半数投票によって現会長の解任、そして次期会長の推薦ができるような状態にあると。その次期会長候補はまもりちゃんで、当のまもりちゃんも学校への寄付金と引き換えに闇倉奏一の言を全て聞かなくてはならない状態にあるんですね?」
「ええ。……数年前から寄付は貰っていて、数年間――期限が今度の日曜日なんですけど、それまでに現商工会が地域復興に貢献できない場合は、私が闇倉奏一の計画に加担しなくてはならないとの契約がもう交わされているんです。丁度私の担っている投票権で過半数を超えるみたいで、日曜日を超えれば即解任要求が通る状態になります」
もう既に、この島は教育機関へかける財力すら失っている。
校舎はボロボロ、登校路すらロクに整備されていない状態だ。
……奏一の寄付がなければもっと酷い有り様になっていた。
きっとマトモに教育を受けることすら困難になっていただろう。
だから、まもりが奏一の誘いに乗らざるを得なかったのもある種仕方のないことだと言えた。
「ふむ。確か商工会の自然的解任理由は高齢化による代替わりくらいしかないんですよね? 若年のまもりちゃんを会長に据えれば長いこと闇倉奏一が実権を握ることになります。寄付金のことを鑑みると此度と同じように過半数投票で解任するなんてことは無さそうですしね」
そうなればこの式鳴島は奏一の思惑通り、雅楽による復興の一途を辿るだろう。
長いこと島を復興させられなかった現商工会よりはマシかもしれないが、過半数を傀儡にしたとて残りの過半数は奏一への悪感情を持ったままだ。
そうなれば商工会は内部分裂し、島内では大きな混乱が起こるだろう。
無形文化財への登録認可も、前例のある内容とはいえ茨の道だ。
例えそれが実って島が復興したとしても、そこに住まう住人たちは不満を募らせたままになる。
幸福度の低い島へと成り下がるだろう。
とりわけ直接解任させられる匠海の今後はたまったものではないはずだ。
……そんな彼は、深々と頭を下げて声を震わせながら言った。
「もう後がないんです。……どうにか今回の演奏会で目途を付けなくては、我々の築いてきた歴史が脆くも霧散することになる……!」
――歴史以外に誇るところのない地域ほど、長く続いたってだけのお安い実績を守りたがるんだよなあ。
文人は内心そう思うが決して表情には出さない。
皮は同情的であれ、肉は狡猾であれ。
それが文人の持つプリンシプル。
外面は相手の望む存在になり、内面では倫理を破ってでも煌々たる結果だけを追い求める。
徹底的な現実主義、それが彼の六十年間には詰まっていた。
「はっは、歴史は何よりも大事ですよ! 人でいう人生、尊厳! 決して失われてよいものではありません! ……それで、商工会側としてはどんなプランを練っているんです?」
「……此度の演奏会を記事に取り上げてほしいのです。助成金までは望めないけど、それで島の知名度が上がれば御の字だ」
――それが大の大人が考える復興案ですか。
文人は声を上げて笑い飛ばしたいのをなんとか堪える。
「確かに我々には地方新聞社とのコネクションがありますし、掲載を依頼することもできなくはないでしょう。それが大きく話題になれば助成金が出る可能性もある。でもただ演奏会を開いただけで島を救えますかね、世間にはそんな話題見飽きる程溢れていますよ。地方新聞で取り上げたとしても精々小さく文章で書かれる程度でしょうね」
「ダメですか……ウチの島では若者が中心となって一念発起するのは珍しいことなんですけど……」
「ダメですね、ただ若者が演奏するだけではドラマに欠けるでしょう。大切なのはドラマです、ドラマ性! ドラマ性さえあれば我々はどんな島起しでもしてみせますとも!」
文人の生業はドラマ性で人々の心を動かすこと。
若者の、老人の、過疎地帯の、移民の、ありとあらゆるドラマを感動巨編化して大事にするのが彼らの食い扶持。
努力はお涙頂戴の感動ポルノに、貧しさは同情必至の貧困ポルノに、戦争は悲壮なネガティブキャンペーンに。
世界のどこかで生まれた話題の種をパッケージ化して、収益の成る実に育んでいく。
「……琴浦鋼志郎は今まで何年にも渡り、商工会と地域復興の取組をしてきました。その努力の軌跡を辿りつつ展開すれば、ある程度のドラマ性は生まれるのでは?」
そう進言したのはまもりだ。
しかし文人はあっけなく首を横に振る。
「それしきのドラマでは弱いですね。幼少期からその……琴浦鋼志郎君? ……の活動を追った映像や写真でもあれば話は別ですが、ただ長年頑張っただけで記事にはなりますまい」
しかし――と文人は残念そうにため息を吐きながら続ける。
「さりとて、攻め手が無いのも事実ですね。この演奏会をしたところで未来は見えませんが、最終企画提案日はもう過ぎている。今提出しても受理されるのは日曜以降、解任要求後です。せめて別案を出す猶予さえあれば話は変わってきたんですがね……」
――さて、この死に体連中をどうするか。
もう現状の商工会に伸びしろは見つからない、恐らく闇倉奏一に乗っ取られる末路になるだろう。
そうなると雅楽中心の島起こしが発動する、それはそれで今までよりは可能性を感じるが……これまで築いてきた商工会との癒着をおじゃんにされると、仕事がやり辛くなるだろう。
そう心中で打算的なことを考えながら、文人が同情的な表情を浮かべる。
その目の前で、まもりが文人の胡散臭い顔を見ながら思案していた。
――さて、この役人をどう丸め込むか。
お相手は損得勘定で物事を考えているから、このままだと見放されるだろう。
多分向こうは、奏一とソリが合わなかったら我々を窓口代わりにしてやろうと考えているはず。
だが向こうが求めるドラマを提供すれば風向きは変わる、金の臭いさえ漂わせれば餌に食いつくはずだ。
更にその隣で、海司が他の全員の様子を観察しながら熟思していた。
――コーシロが島を救えればそれでいい。
向こうにどんなドラマを仕立て上げられようが、成し遂げる為ならなんだって曝け出してやる。
先生の作戦だけじゃ足りないピースを埋める為に、売るべきは闇倉詞音……。
言うべき言葉を脳内で纏めて、海司が文人に切り込んでいく。
「北空さん、コーシロの……琴浦鋼志郎のことを存じ上げていますか?」




