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2章 純黒の世界

 中学三年生の闇倉詞音(やみくらしおん)は、クラスメートである琴浦鋼志郎(ことうらこうしろう)のことが嫌いだった。


 日頃接点があるわけじゃない、話したことすらほとんどない。

 なのにどうして彼を蛇蝎の如く嫌うのかといえば、それは彼が非常に目立つ存在であったことに他ならない。


 思えば小学生の時から、鋼志郎は親友と共に悪戯ばかりしていた。

 学校の窓からプールに飛び込んだり、参加者を募って校内鬼ごっこを始めたり、夜な夜な校庭に白線でSOSを書いたり、振り返ってみれば枚挙に暇がない。


 それでも彼は生徒の人気者だった。

 いや、だからこそ彼は人気者だった。

 娯楽のない島生活の最中では、彼の一挙一動は退屈なクラスメートにとって刺激的だったのだ。

 それだけではない、彼は人当たりが良かった。

 運動ができた、冗談が言えた、中々いい見て呉れだった。

 そういった要素が重なり、彼は今やクラスの中心人物として君臨していた。


 度々問題こそ起こしてはいるが、意外にも教師ウケや保護者ウケは良かった。

 彼は大人が『問題行動』ではなく『やんちゃ』と判断する最低ラインを理解していて、許されるレベルの行動をしていたのだ。

 だから大人たちは彼をクラスのリーダーとして認識し、一定の信頼を置いている。

 ……昨日の佐久間爆殺計画だけはやりすぎだと散々絞られたらしいが。


 彼の世界は順風満帆だろう。

 誰からも好かれ、誰からも期待され、誰からも頼られるような存在なのだから。

 将来の不安などみじんも感じていないに決まっている、きっと持ち前のコミュニケーション能力で上手く世渡りしていくはずだ。


 だからこそ、だからこそだ。


 闇倉詞音が琴浦鋼志郎を嫌っているのは、そんな彼の一面が原因だった。


「……」


 カーテンがたなびく窓際の自席で、詞音が読書をしている。

 松ケ下中学校に通う彼女は誰かと喋ることもなく、他人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出しながら活字の世界に没頭する。

 それが彼女のルーチンだった。


 彼女は世界への興味を失っている。

 ……己の生き甲斐を失ってから、全てを放棄し続けていた。

 友達と縁を切り、笑顔を見せず、勉強と読書だけの日々を送っている。

 そこに青春なんてない、あるのは目標のない空虚な人生だけ。


 己の未来に鮮やかな色なんてない、お先真っ暗のくだらない将来。


 大切な旋律を失ってから、彼女はそんな調子だった。


 そうして彼女が読書を続けていると、やがて教室内が慌ただしくなってくる。


「不平等だろどう考えても! そりゃ実行犯は俺で直接手を下したわけだが、ペットボトルロケットをぶつけるという案も物理演算も全部海司が元なんだぜ。それなのに俺だけが糾弾されて仕置きされて三段アイスみたいなタンコブを作らなきゃならんのはおかしいに決まってる」


「えぇー、なに、人のせいにすンの。そりゃ俺はあの後逃げも隠れもしたし鋼志郎に責任を擦り付けたりもしたけど、懲罰が集中したのは別の要因があったんだって。何かこう、スピリチュアルな……」


「ささやかに自白してんじゃねーか!」


「だって俺、人に媚びない遜らない謝らないが信条だもん」


 教室の後方で――もとい詞音から近い席で、鋼志郎と海司が群衆に対して言い訳みたいなことを言っていた。


 あまりに声がデカいせいで読書に集中できないので、詞音は睨み付けるように二人を眺めた。


 鋼志郎の安っぽいカラー剤で染められた茶髪は軽薄な性格によく似合い、普通の人にとっては明るく話しやすい雰囲気を醸し出しているのだろうが、詞音にとっては是非ともご遠慮したい馴れ馴れしさを感じる。

 表情もなんだかカンに障る笑みを浮かべており、見るだけで限りなくゲンナリしてしまう。


 その隣の長野海司という男を一言で表現するなら鋼志郎の幼馴染兼親友だ。

 クラスのリーダーとマブダチなのだから彼の立場も推し量れるだろう、詞音にとってはクラスで二番目に苦手な男だ。

 いつだって低血圧、気だるげな語尾。

 それでいて鋼志郎のお遊びには喜々として付き合う不思議な二面性。

 クラスの中で自分が一番冷静だとでも思い込んだような薄ら笑いと、子供のくせに大人ぶったいけすかない雰囲気。

 クラス一人気者の鋼志郎と幼馴染だから受け入れられているものの、そうでなければきっと疎まれているだろう。

 詞音はそう思う。


 こんなにのどかな朝だというのに賑わって、詞音は忸怩たる思いを抱えながらも今一度小説へ意識を向けた。

 だが集中できない。

 本の世界に潜って、音楽のことも、家族のことも、全てを忘れようとすることはできない。


 だって――彼ら二人が、詞音を苦しめる原因なのだから。

 詞音がありとあらゆる人付き合いを避けるようになった根本的要因なのだから。


 詞音が胸を刺す痛みに耐えていると、教室の扉が開いて、同時に慌てて生徒たちが席につき始める。


「さっさと席つけジャリ共、授業始めんぞ授業ォー」


 チンピラ上がりみたいな声で生徒をジャリ扱いしているのは紛れもない担任、成田まもり教員だ。

 離島の少人数学校だから見逃されているプリン頭、くったくたでヨレヨレのジャージ、もはや隠すことすらしない大あくび。

 念の為もう一度言うがこれが担任なのだ。


「あー、出欠確認ンー……めんでぇな、いねぇ奴声上げろー。ハーイハイ全員出席ッ……とォ。ンで今日の連絡事項はァ、えーッとなんつったっけ、アレだよ」


 どれだ、と全生徒が首を捻る。


 職務怠慢で傲岸不遜、適当で不真面目でものぐさ。

 これがこのクラスの担任だ。

 どうせあのナリじゃ本土で教師が勤まらないから、監視が緩いこの島で嫌々教師をしているのだろう。


 そう思っていたから、分かっていたから、詞音はあの教師も苦手としていた。


 この島には、まともな人間など一人もいない。


 ――自分も含めてね。

 詞音は、そう自嘲した。



 ……一度たりとも口を開かないまま、一日の授業が終了した。


 帰りのホームルームを終えた詞音は、教室が賑わってくる前に席を立ち、後ろ髪引かれることなく教室を出て行った。


 年季がありありと感じられるほど古ぼけた廊下を歩いていく。

 築ウン十年の木造校舎はすっかり経年劣化し、軽いと自負している詞音が歩いてもギシギシと不穏な音を立てるばかりだ。


 曲がりなりにも教育機関なのだから補強工事くらいしてほしいが、過疎化と少子化の影響で年少者の人口が減っている現在、生徒数はたったの十五名弱。

 そんな有り様な今、わざわざ校舎を補強しようなんていうのは金の無駄でしかない。


 上履きから外履きに履き替え、出口の扉を開く。


 その瞬間視界に飛び込んでくる青々とした樹、鼻腔をくすぐる潮の香り、寄せては返すさざ波の音。

 自然豊かな田舎の情景が、これでもかと言わんばかりに広がっている。


 詞音の通う松ケ下中学校は、それなりの高度を持つ丘に建っている。

 樹々が生え揃い豊かな緑に囲まれたこの場所からは、風情溢れる海が一望できていた。


 七月の頭、蝉の合唱真っ盛りの時期。

 生徒たちが暑いだの辛いだの文句を垂れる登下校の時間は、詞音にとって一番落ち着くことのできる時だった。


 それなのに、貴重な時間だというのに。


「闇倉、闇倉ー。ちょっと待てって、お前毎度ながら帰んの早いな」


 獣道を勢いよく駆け下りてきて、気さくな感じで詞音の苗字を呼んだのは他の誰でもない、琴浦鋼志郎だった。

 思わず詞音も穏やかではない表情になってしまう。


「……なに、用でもあるの?」


 久しぶりの発声はどこか刺々しくなってしまった。

 常人なら顔を顰めるほどに。


 が、無神経なこの男にはそれも通じていないのだろう。

 鋼志郎は表情を全く変えることもなく、あっけらかんとした口調で言う。


「いやアレだよ、ちょっと闇倉に頼みがあってさ」


 うへえ、と漏れかけた声を隠し、詞音は視線を向けることにより続きを促す。


「あんさ、海司の親が商工会の会長ってことは知ってるよな」


「そのくらいなら知ってるけど、それがなに?」


「いやなんかさ、海司経由で話が伝わってきたんだけど、商工会連中が活動を手伝ってくれる若者を求めてるらしくてさ。我こそはって人探してるんだけど闇倉どう? やってみないか?」


 なんだ、ただの勧誘か。

 という拍子抜けを感じながらも、むしろ強制的な意図が含まれていないだけマシだと詞音は思う。

 単身で誘ってきているし、断ろうと思えば容易に断れそうだ。


 ギャラリーがいる中で断ろうものなら鋼志郎一派の視線を受け、なんで頼んでんのにやんねえんだよみたいな無言の強制を受けるだろう。

 一枚岩のきらいがある彼らに圧を受ければ、NOと言える系女子の詞音であっても拒絶は困難であったはずだ。


「悪いんだけど、私、そういうのダメだから。……ほかの人誘った方がいいんじゃないの」


「一応誘いはしたんだよ、昼休みとかに。でもみんなお返事悪くて、用事があるとか忙しいとか時間がないとかそればっか。こんな娯楽も何もない島で何が忙しいってんだか……」


 他の連中が適当な理由をつけて断るのもさもありなんだろう。

 商工会の手伝いに行っても適当な雑用を押し付けられるだけ。

 遊び盛りにとってそんな拷問は是が非でも避けたいはず。


 大体――こんな死に近づきつつある島で、地域経済振興を目論んでいる商工会がバカなのだ。

 振興や活性化と口うるさく言いながらも何か結果を残せたわけでもない。

 どころかここ近年でこの島唯一の催事である伊豆鳴祭も消え、人口減少を防ぐ為の観光資源開発計画も取り消され、逆に地域課題は増えるばかり。

 本来であれば商工会がどうにかするのに、結局何一つ実績を残せやしない。


「……非活性女子の私が、地域活性化とかに参加するのおかしいから。人と何かするなんて御免だから、そういうことで」


「そんな投げやりな……顔出すだけでもいいから来てくれないか。今回は中々骨太な観光振興らしいぞ。他島の人たちと楽器を通じて交流を図る計画なんだ。何も難しいことは――」


「……楽器?」


 鋼志郎の言葉を聞いて、詞音が足を止める。

 興味を持ったのかと鋼志郎が淡い期待を抱く。


「そう、楽器、音楽! 確か闇倉って昔は音楽好きだったよな、なら多分楽しいと思うぞ! それにこの活動を通じて、もしかしたら闇倉と商工会の関係も――」


 と、そこまで口にして、鋼志郎の期待は霧散した。


 詞音の表情は何かに期待を寄せるものなんかではなく、……激情を湛えていたのだから。


「あ、えと、闇倉……」


「……しつっこいな、やらないっつってるでしょ」


 どれだけ鋼志郎が鈍くても、全ての感情がハッキリ分かるように、詞音は怒気を纏わせる。


 鋭く眇めた目で鋼志郎を威嚇して、その場で足を止めさせて。

 もう自分を追ってこられないよう突き放す語調で、詞音は言い放つ。


「やりたいなら一人でやってれば。誰が音楽なんかやるか、ばーか」


「……」


 鋼志郎は、……忸怩たる表情というか、急所を突かれた表情というか、……とにかく普段は絶対に見せない表情をしていた。


 へえ、そんな顔できるんだ。


 詞音は全く表情を変えずにそう思った。


「……そ、そう、か。悪ぃ、変な頼み事して」


「うん。二度としないで」


 すっかり萎れてしまった鋼志郎を放置して、詞音は帰路をただ歩く。


 振り返ることはない、歩調を澱ませることもない、遠慮する必要もない。

 どうせ今のことをクラスメートたちに話して同情されるんだろう。

 そして闇倉詞音と言う存在を責め立てて、糾弾して、罵倒によって絆を深めるんだろう。

 勝手にすればいい。


 詞音は構うことなく歩いて行く。

 鋼志郎は立ち止まりその背を見つめるばかりで、行くことも戻ることもできやしない。

 遠ざかっていく詞音を見て、彼は静かに唇を噛んだ。


 いつもは笑顔を絶やさず明るい彼が、いつもは弱みを見せず憚らない彼が、悔しげに眉を顰めている。

 いつしか詞音が見えなくなって取り残されても、彼の表情は変わらないままだった。


 立ち尽くす彼に近づいてくる人影が一つ。

 ゆっくりと軽快な足取りで、今の鋼志郎とは真逆の緩やかさで海司が歩いてきていた。


 そして彼は鋼志郎の肩に肘を乗せ、気安くぐいぐいと押している。

 彼がこういう馴れ馴れしい態度を取る時は人を小馬鹿にする時だ。


「コーシロォー。どーよ、首尾は」


「……闇倉、ダメだってさ」


「あぁ、やっぱりぃー。だーから無理だっつったんだよ、あの女を勧誘するなんてさぁ。止めときゃーいいのに、どーせ冷たくあしらわれるだけなんだからさぁー」


 断られたというのに海司はなんだかウキウキだ。

 ハナから詞音が参加すると思っていなかった彼は、自分の予想が当たってご機嫌になっているのだろう。


「ていうかさぁー、あの闇倉が商工会の手伝いに参加してもどーしようもないって。ああいう集会は人付き合いが命なんだから、からっきしの闇倉じゃ役に立たねーって。あいつ暗いしさぁー、不適合だって不適合」


「……そんなこた、ねーよ」


「あン? なんか言った?」


「別になんも」


 小学三年生の頃までは――と、鋼志郎は回想する。

 まだ幼少だった時は詞音だって普通の女の子だった。

 いや、むしろ誰よりもよく笑い、明るく快活な少女だった。


 あの時は詞音が鋼志郎の立場にいた。

 クラスの人気者で誰からも愛されて、一方の鋼志郎は底抜けに暗く、クラスの隅で海司と話すばかりだった。


 彼ら二人の性格は、たった六年間で全てが逆転していた。


 どうしてこうなってしまったのだろう?

 鋼志郎を取り巻く世界は、気づけば何もかもが腐敗していた。


 闇倉詞音の孤立化。

 商工会の縮小化。

 島の過疎化。

 伊豆鳴祭の廃止化。

 明るさを得ていく鋼志郎とは対照的に、この島は闇に覆われていく。


 この島に滞在できる日数は、残り七ヶ月。

 その日を迎えればきっと、全ては取り返しがつかなくなってしまう。

 この島の未来がなくなってしまう。


 鋼志郎は、そう思った。

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