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16章 DDP

 着替えをし終わった二人は、昇降口で上履きに履き替えていた。


 詞音的にはここらで帰ってもらう予定だったのだが、色々物資を渡したいという鋼志郎の訴えが通じて、一旦倉庫まで同行することになったのだ。


「――ということだから、以後シャワー中に姿現したら鈍器で頭カチ割るからそのつもりで」


「分かったよう。そんなに叱るなよう」


 犯罪スレスレというか裁判官の心象によっては有罪も免れなさそうな一件だったので、鋼志郎は詞音に窘められていた。

 今後同じようなことをしたらもう情状酌量の余地はないと断言され、指切りげんまんをさせられている。

 指切ってる時に鋼志郎が何故か興奮しているから謎だ。


「そんなに角立てて怒るなよ。諸々渡したらすぐ帰るからさあ。……ん?」


 先頭切って廊下を歩いていた鋼志郎が不意に立ち止まる。

 その後ろを歩いていた詞音がその背中に激突して、鼻を押さえながら鋼志郎の目線の先を追った。


 倉庫へ繋がる廊下のド真ん中に、少しばかりの食料と生活備品、あと女性物の衛生用品が鎮座している。

 なんという不自然な光景なのだろう、それを見て鋼志郎が軽く噴き出してしまったのも無理はない。


「……なに、あれ」


 誰の仕業か予想もできない詞音はあからさまに警戒し、鋼志郎の服を掴みながら辺りを見回している。

 でももうきっと張本人たちは立ち去っているはずだ。


 二人とも素直じゃないからな、と鋼志郎はしみじみ思う。


「さあ。でも詞音の為に置いてあるっぽいし、貰ってもいいんじゃないか」


「罠……とかではなく……?」


「誰がこんな明け透けな罠なんか張るもんか。それに多分、今の詞音には必要なモノばっかりなんじゃないかな」


 初遭遇した生物に近づく子供のように、詞音がおずおずと前進する。

 勿論最初は鋼志郎を盾にしながらだが、最終的には一人でその物資に近寄ることができていた。


 置いてある品々を見て、詞音が僅かに表情を緩ませる。

 髪が整っていなかったからか、櫛とヘアーアイロンが置いてある。

 服が十分に整っていなかったからか、ミニアイロンも置いてある。

 チンピラ教師と言えども生物学的には女性、同性が欲するものは分かるのか。


 それらの道具の脇に置いてあるものを見て、詞音が小首を傾げた。

 カラフルなパッケージの四角いCDケース、表面にはわざとらしい血文字でDDTと書いてある。


「なにこれ……」


「あーッ! それDDTの最新アルバムじゃん!」


 鋼志郎のテンションが目に見えて上がって詞音が少し引く。


「ああ、たまに長野と二人で騒いでるやつね……なに、『新世紀を彩るイル・バンド Dope Deep Posse』……?」


「それめっちゃいいんだよ! クールなキーボードにワイルドなギター、サグなベースにフライなドラムス! えっ、聞く? なんなら今音楽機器あるから聞けるよ? 聞く? 聞くね?」


「えっ、遠慮する」


「そうか、聞くのか!」


「えっ、遠慮する」


 まあまあまあまあ、と近所のおばちゃんみたいな勢いでまあまあ言いつつ、ポケットから音楽機器を取り出す鋼志郎。

 その隣で詞音がつまらなさそうな表情をしているのは――多分、同じクラシック好きのはずなのに、なんか浮気されたような気持ちになっているからだろうか。


「多分なーそれなー、俺がここに来ること分かってたから置いたんだろうなー。借りる予定だったしなー。もしかしたら闇倉をファン層に取り込もうとしたのかもな! はい! これ!」


 鋼志郎からカナル型のイヤホンを渡されて、詞音は一瞬躊躇ってから耳に嵌め込む。

 その途端流れ込んでくる破壊的なまでのロックサウンド、ClapYourHandsの叫び声と共に聞こえる手拍子、クラシック派の詞音からしてみれば音の暴力以外の何物でもない。


 男の子はこんなものが好きなのかー……と若干引きつつも、鋼志郎がいつになくド興奮しているから不満を言いづらい。

 幼い頃からクラシックサウンドに慣れ親しんだ彼女の耳には、ロックの波長など全く合わないようだった。


「……ん?」


 だが、……曲が進むにつれ、詞音の反応が少しずつ変わってくる。


 最初は箸にも棒にもかからないような有り様だった。

 でも様子が変わってきて――蕾が花開くように瞳孔が開いてきて――鋼志郎の顔を見上げてしまう。


(私……この感覚、知ってる……?)


 違和感が既視感となり、疑惑が確信に変わっていく。

 脳内に冷水が入ってきたかのような感覚、蝸牛の中は音で満たされているのに自分の血流の音しか聞こえなくなるクリアな知覚。


 顔を見つめられている鋼志郎が、え、何と首を傾げている。

 でもそんなことにも気づかないまま、詞音は顔を見続けることしかできない。


 もしも――自分の感覚を信じるならば――。


(一週間後――琴浦は、絶対に失敗する……!)


 絶対にそうであると証明はできない。

 でも己の音楽人生に誓ってもいい、この確信は嘘ではないと。

 このままでは予想された結末に帰結すると。


 しかも……回避できる確率は……低い。


 鋼志郎の抱える致命的な欠陥を、一週間以内に改善しなくてはならない……!


「……琴浦、これ、ちょっと借りるから」


 毟り取るようにして音楽機器を奪い、己の懐にしまい込む。

 鋼志郎はそんなに気にいったの……? と不思議がっている様子だったが、そんなことに気をかけている余裕なんてなかった。


 床に置かれた道具をごっそり抱え込んで、詞音が鋼志郎に振り返る。


「ごめん、これからしなくちゃならないことできたから今日はここまで。また明日」


 そして小走りで階段を上り、倉庫へと向かっていく。


 鋼志郎はその背を引き留めようとして――詞音の表情に焦燥の色が混じっていることに気付く。

 伊達や酔狂で鋼志郎を突き放したわけじゃない、歴然たる理由があって焦っている。


 だから、こう言葉を返す。


「……分かった。物資はここに置いとくからあとで取りに来いよ! また明日!」


 そして鋼志郎は、邪魔にならないよう早足で昇降口へ向かう。


 詞音が一瞬振り返って、……言葉を出そうとして……音にならない声が出る。

 言いたい言葉は定まっているのに、それを発することができやしない。


 いつからだろう、ありがとうと言えなくなってしまったのは。


 感謝の意は確かに存在するのに、他人に伝えることすら叶わない。


 そんな自分が、一番大嫌いだった。

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