第8話 お酒は好き?
ずる、ずると地面の上を縄を掛けた人体が引きずられていく。縄を肩に食い込ませながら歩くルトリシアの額に浮かんだ汗が頬を滑り落ち、顎から滴って地面に小さな染みを作った。
立ち止まって袖口で額の汗をぬぐう。成人男性の死体を一人で引きずるのはなかなか骨だった。その鼻先に刺激を含んだ異臭が流れてきて、茜色の眉がきゅっと顰められる。黙って腰のポーチから布を抜き出すと、鼻と口を覆うようにして後頭部で結び付けた。再び縄を引いて歩き出す。
「ルトリシアさん。あとは僕が運ぶよ」
布越しでもはっきりとわかる腐臭が鼻を突き始めた頃、ルトリシアの前にすっと手が差し出された。手を差し出すリズの腕に巻かれた包帯に目をやって、茜色の髪が左右に揺れる。
「ダメですよ、そんな怪我してるんだから」
「……まいったな」
ホントは穴掘りもさせたくなかったのに、とぶつぶつ言いながら縄を引くルトリシアの横に並んで、リズは苦笑した。
「後片付けはみんなでやらないと。このへんあっちこっちに瘴気溜まりがあって、死体を放置するのはあんまり良くないことだからね」
「ここはここで怨念みたいなものが溜まってそうですけどね〜……」
死体から縄を外して、リズの掘った穴に落としながらルトリシアは顔をしかめた。穴の奥に変色した肉の色が垣間見える。襲撃は、今回が初めてというわけでもなかった。
「勿体ないなぁ。コンポスターがあればちゃんと使ってあげられるのに」
リズからスコップを取り上げて、死体に土を被せながらぽつりとこぼしたルトリシアに、リズは少し口の端を引き攣らせた。
「ルトリシアさんって意外と肝が据わってるというか、現実主義だよね……。もっとこう、人を殺しちゃいけません!とかいうタイプだと思ってた」
「開拓星って治安悪いですからね~。私も開拓員やって結構長いので。綺麗事だけじゃやってけないのくらいは分かってますよ。でも殺しちゃったからには、ただ捨てるより有効活用してあげたいなって。命を頂いたらちゃんと残さず食べましょう、みたいな?」
「あはは……骨の髄までしゃぶりつくす、なんて言い方もあると思うけど」
「うーん、それは確かに……」
苦笑しながら返された台詞を真剣に考えこみ始めたルトリシアを見る、リズの目は優しい。しばらくそうして死体を埋めるルトリシアを眺めていたが、ふと肩の力を抜いた。
「ごめんね、変なこと言って。……そう言えば、先生は?」
「ああ、先生ならトラバサミにやられた方を治療するって。コンテナのスペースは治療に使うそうです」
「……そう。治療、ね」
ほんの一瞬、リズの目に昏い影がよぎった。その陰りにルトリシアが気付く前に、穏やかに微笑んで片手を上げる。
「ちょっと様子をみてこようかな。手伝う事があるかもしれないし。悪いけど後頼める?」
「ええ、もちろん。先生のこと、よろしくお願いしますね」
* * *
ぎちり、と縄目が軋む。獣じみた呻きが、コンテナの荷物の合間から溢れて荒れた大地に染み込んだ。襲撃の際にトラバサミで脚を挟まれた男は、無事だったほうの脚と両手をまとめて縛り上げられていた。
襤褸切れのようなズボンの裾を、ハロルドの握る鋏がじょきじょきと無遠慮に切り取っていく。ずたずたに裂けた脛の肉の上で布地が擦れて、おぞましい悲鳴がまた上がった。聞いているだけで痛みが沸きあがってきそうなその悲鳴に耳を傾けながら、ハロルドは楽しげにくつくつと喉を鳴らす。
「おーおー痛ぇよなぁ。まあ治してやるよ、たぶんな」
切り取った布を取り除くと、ハロルドは傷口を覗き込んだ。拡張脳が視覚情報を取り込んで、記録と分析を始める。神経や骨の損傷状態を確かめるために無麻酔のまま傷口をまさぐられ、男がぐるりと白目を剥いた。痛みのあまりに気を飛ばしたらしい。
「あん? ったく、意識飛ばしてンじゃねぇよ。聞きてぇことあんのによ」
「先生」
不機嫌そうに唸ったハロルドの声に、リズの声が重なった。入口からの陽光しか光源のないコンテナの内部が、リズの影で暗くなる。
「おい、そこに立つな。見えなくなる」
「ああ、ごめんね」
身体をずらして影にならないような位置取りをしながら、リズは低い声で尋ねた。
「ねぇ先生。その人で経口摂取の薬、実験するつもりなの」
「ああ。色々役に立ってもらおうと思ってな。なんだ、この星じゃ倫理的にアウトか? 説教でもしに来たか」
リズは肩を竦めて首を横に振った。
「いいや。その人、トゥグ族でしょ。どうせろくに対話もできないだろうし、止める気はないよ」
「トゥグ族?」
訝しげに眉を寄せたハロルドに、リズはぱちりと一度瞬いてみせた。
「あれ、知らないの。前に先生、キチガイの巣が近くにあるって言ってたでしょ。あれトゥグ族の話だと思ってたんだけど」
「ああ、あれな。行商人の連中から、獣みたいな話の通じない連中が住んでるって聞いてただけでな」
「……なるほどね。その人、首の後ろか腕の内側に、牙みたいな刺青が入ってない?」
ハロルドは気を失った男を乱暴にごろりと転がして首の後ろをあらためる。確かに、リズの言うように牙のような意匠の刺青が入っていた。
「あった」
「やっぱり。まあ、この星で木製の弓矢なんて使ってるのは彼らくらいだからね。この人たち一応言葉は通じるけど、話は全然通じないから。実験体にはちょうどいいかもね」
「ほぉん」
気のなさそうな返事をしてから、ハロルドは白衣の内側からシリンジと小瓶を取り出した。瓶を軽く揺すってから、褐色の中身を少しシリンジに吸い上げる。
「僕がしに来たのはね、先生。倫理じゃなくて安全の話だよ」
シリンジが男の口に挿し込まれた。意識のない喉の奥に、とろりと褐色の液体が流れ落ちていく。
「僕らの寝起きする場所のすぐ近くで、変異するかもしれない実験しないでほしいんだよね。小動物ならともかく、人間の男のサイズで夜中に突然変異して襲われたりしたらどうするの。パラコードなんて簡単に引き千切られるよ」
「最初はごく少量から試す。そんなにすぐにヤバい変異を起こしたりはしねぇさ」
リズは顔をしかめた。少し言葉を探してから、溜息をつく。
「そうだとしても――ルトリシアさんに見せたくないな、僕は」
「はぁ?」
男の口からシリンジを引き抜きながら、ハロルドはうんざりしたような顔を振り向けた。
「んだよ。結局やめろー、とかそう言う事を言いてぇわけか」
「違うよ」
リズは穏やかに微笑んだ。その笑顔は柔らかくて、それでいてぞっとするほどに冷たい。
「南に少し行ったところに、古い遺跡の跡を見つけたんだよね。少し直せば、収容室代わりに使えると思う」
「……ほぉ」
ハロルドの口の端が、ゆっくり持ち上がった。引き抜いたシリンジをぶら下げて立ち上がると、気絶している男をまたいでリズに歩み寄る。そのまま肩に腕を回されて、まだ男の唾液がついたままのシリンジが顔の真横に来たリズが嫌そうに顔をしかめた。
「アンタも結構悪いやつだな、ええ?」
「……先生ほどじゃないと思うけどね」
リズは肩に回されたハロルドの腕から逃れるように身を離す。シリンジを見る目は、既に共犯者のそれだった。
「ルトリシアさんに気付かれたくないから、床張りの作業と合わせて三日で用意するよ。それまではほどほどにして」
「ほぉん。随分あいつの事を気にするじゃねぇか」
にたにたと嫌らしい笑みを浮かべるハロルドに、リズは肩をすくめてぱたりと手を振る。
「そんなんじゃないよ。彼女、必要な事は飲み込めるタイプだけど――これはたぶんそうじゃない。面倒な事になるのは先生も嫌でしょ?」
悪戯が見つかった子供みたいな表情になってから、降参だ、と言いたげにハロルドは両手を挙げた。
「だな。じゃまァ、よろしく頼むわ。あ、小せぇ檻の増築もやれよ」
「……はあ。僕怪我人なんだけどな。まったく、人使いが荒いんだから」
* * *
三日が過ぎた。
ジノを起こすための小屋には床が張られただけに留まらず、一方向の壁まで出来ていて、ルトリシアはあからさまにそわそわとしている。建材の切れ端から削り出した荒削りな木の器に、野草や肉を煮込んだものをよそう手がなんだか妙に浮ついていた。
「なんか嬉しそうだね、ルトリシアさん」
煮込みを受け取りながら微笑んだリズに、ルトリシアははっとしたように口元を覆う。それから完成間近な小屋ににちらりと視線を走らせると、眉を少し下げてふにゃりと表情を崩した。
「なんだか、現実味が出てきたっていうか。やっとお兄ちゃんに会えるだなって……。リズさんのおかげです、本当に」
「いやいや、ルトリシアさんが枝払いをすごく頑張ってくれたからだよ。僕より働いてたんじゃない?」
穏やかにそう返すリズに、ルトリシアはぐっと拳を握ってみせる。
「山刀が良かったんですよね、ネズミさんの持ってたやつ。結構切れ味がよくて! 捗るようになったら楽しくって、ついたくさん切っちゃって」
「ああうん……ネズミくんね……」
答えるリズの言葉の歯切れは悪い。ちなみにネズミとは、トラバサミで脚をやられたトゥグ族の男の事である。もちろん本名ではない。ハロルドが勝手にそう呼んでいるだけだ。
「おう、ネズミがどうしたって?」
「あ、先生」
のっそりとコンテナの奥から顔を覗かせたハロルドに、ルトリシアは自分用によそっていた器を差し出した。もう一つ器を手に取る。
「お疲れ様です。ネズミさんの様子は?」
煮込みにスプーンを突っ込んで、ハロルドは片方の口の端だけをゆるりと持ち上げた。
「ん、まァ悪くねぇよ。そう遠くねぇうちに退院できんだろ」
「おお、良かったですねぇ」
「退院、ね」
口の中で転がすようなリズの呟きはルトリシアの耳まで届かない。ルトリシアは煮込みをよそい終わった自分用の器を見下ろしてから、ハロルドに向かって首を傾げた。
「ネズミさんにもご飯、持っていきましょうか」
「あーいらんいらん、今は寝てる」
「あとで僕が持っていくよ。ルトリシアさんもお腹すいたでしょ。ほら、食べよう?」
腰を浮かせかけたルトリシアの肩を、リズがやんわり押し留める。リズらしからぬ存外強い力で座り直させられて一瞬目を白黒ルトリシアだったが、すぐにふっと眉を下げてくしゃりと笑った。
「そうですね。お休みになってるならそっとしていてあげないと」
「そうそう。……そうだ、二人とも」
穏やかに微笑み返したリズは、強引に話題を変えるように言うと、手元にボロボロの自分の鞄を引き寄せた。中から胴の太い瓶を一本、取り出す。
「お酒は好き?」
「……へぇ」
ハロルドの口元が喜色に歪んだ。爪の先で瓶の横腹をちん、と鳴らす。
「気が利いてんじゃねぇか。どこの酒だ?」
「文明圏にあるような、名前がある気の利いたお酒じゃないよ。僕の……故郷で造ってた、特に名前なんてないお酒。ずっと持ち歩いてて」
ちゃぷん、と細かな傷で濁った瓶の中で液体が揺れた。ハロルドが黙ってマグを突き出す。とくとくと透明な液体が注がれると、きついアルコールの匂いがつんと漂った。ハロルドが一度、すんと鼻を鳴らす。
「蒸留酒か」
「そ。リコリの実を発酵させて、それを蒸留しただけの簡単なお酒。度数が高いから持ち歩くにはちょうどいいんだ。ルトリシアさんも、よかったら」
軽く瓶を傾けたリズに、ルトリシアは遠慮がちに眉を下げた。
「でも、故郷のお酒って……大切なもの、なんじゃ」
ううん、と首を横に振って、リズは微笑んだ。
「だから、かな。行く宛のない僕を、きみと先生はここに置いてくれたから。……実は、飲んでほしくてカップも冷やしてある」
そう言って立ち上がると、川の水を張ったバケツからカップを二つ取り出して、そこにとくとくと酒を注ぐ。
「少しでも冷えてる方がいいかなって。先生も、良かったらこっちで」
「……おう」
ほんの少し冷えたカップと自分のそれを交換して、香りを吸い込むように鼻を近づけてから、ハロルドがくいっとカップを呷った。こくりと喉を鳴らすと、眉をしかめて鼻から熱のこもった吐息を漏らす。
「ひでぇ味だな。消毒用かよ」
「……あはは。文明圏の人にはちょっとキツかったかな」
リズは苦笑して、ちらりとルトリシアの方を見た。ルトリシアが両手でカップを持って、ちびりと舐める。きゅっと眉を寄せた。
「これはなんというか……。こう、胸のあたりがくわー……って、なりますねぇ」
「アンタ、酒は」
「初めてです」
ふん、と鼻を鳴らしてハロルドはカップを傾けた。リズが眉を下げる。
「無理しないでね」
「いえ! せっかく出していただいた取っておきなので!」
ハロルドを真似るように、ルトリシアもぐいっとカップの角度を深くした。こく、こく、と二度と喉が鳴って、けほっ、と軽くむせる。
「大丈夫!?」
リズが慌てたように、ルトリシアの背に掌を添えた。ルトリシアがアルコールで赤く染まった頬を恥ずかしそうに緩めて、こくん、と頷いたのを見て詰めていた息を緩く吐き出す。
「無理はして欲しくないけど……そう言ってもらえるのも嬉しくて……困っちゃうな、どうも」
リズの頬もまた少し紅潮しているように見えるのは、焚き火の照り返しせいか、酒のせいか、それともほかの何か要因があるのか。ハロルドが辟易したようにその横顔を眺めて、またちびりと一口、口に含んだ。
次回の更新は7/3です。それではまた、次回。
☆テラフォーム惑星
太古に太陽系人類が星系外へと送り出した全自動テラフォーミングマシンによって環境改変された惑星群の総称。現代人類が知る文明圏の多くは、こうして太古の機械が築き上げた惑星の上に成り立っている。
数百万年以上前に放たれたテラフォーミングマシンは、居住可能な惑星を発見すると数百年から数千年をかけて大気や水循環、生態系を構築し、人が生活可能な環境へと作り変えていった。太陽系が衰えていく中、人類は太古に送り出されたテラフォーミングマシンの後を追うように星々へと移り住んだ。
しかし、星の数に比べれば人類は決して多くない。そのため文明圏を離れれば、人の暮らす惑星であっても未開拓地が広がる光景は珍しくなかったりもする。
舞台となる惑星レテは、そのようなテラフォーム惑星のひとつ。地球よりやや小さく、重力もわずかに軽い。空にはオレンジ色の恒星が輝き、一日は26時間、一年は約320日。地球によく似ているが少しだけ違う、これはそんな世界のお話。




