第7話 危ない
「だいぶ出来てきたよね」
リズがやってきてから2週間が経っていた。
ようやく屋根を張り終えた東屋のような建造物の内側に、床材用の資材を運んでいたリズは、ルトリシアの"お兄ちゃん"が眠るポッドに向けて穏やかな笑みを浮かべる。
「もう少し待っててね、ジノくん」
ポッドで眠り続けているルトリシアの兄、ジノを起こすための準備は着々と進められていた。
ジノを冷凍睡眠から起こした後、衛生を保つために必要な家屋の建築を担っているのがリズだった。前の集落でも担っていた役割だ。木を切り出して簡素な家を建てる。柄が焼け落ちてひん曲がっていた鋸と、宇宙船の廃材から叩き出した斧ではなかなか骨の折れる仕事だった。ルトリシアとハロルドがあーでもないこうでもないと言い争いながら研いだ斧は、歪で切れ味も悪い。
「あっ。屋根、できてる!」
弾んだ声に振り向くと、蔓を編んだ籠の上に山盛りの洗濯物を抱えたルトリシアが嬉しそうに屋根を見上げていた。抱えていた資材を降ろして、重たげなその籠を持ってやりながらリズがふわりと微笑む。
「洗濯物、お疲れ様。持つよ」
そのまま洗濯用のロープが張ってある方に歩き出したリズを、ルトリシアが慌てて追う。
「身体、もうすっかり良さそうだね」
「そうなんですよ。ハロルド先生に昨日診てもらった時には、もうほぼ完治だって。ありえんってブツブツ言ってました」
「あはは、この辺全体的に瘴気が濃いもんね。……そのぶん、襲撃も多いけど」
洗濯ロープの脇に籠を降ろして、リズは少し眉を下げてみせた。それにルトリシアはにこっと笑顔を返す。
「でもそれも、リズさんが防護柵を立ててくれたから、ずいぶん対処が楽になりました」
「本当はルトリシアさんの家の方を先にやりたかったんだけど……。はあ、あんなところに女性を寝かせるなんて」
そう言って肩を落としたリズに、ルトリシアはぶんぶんと首を横に振ってみせた。
「いいんですそんなのいっちばん最後で! というか私は一人で使わせて貰ってますしっ」
ルトリシアは現在、墜落船の中の、行商人の一行が色々パーツを抜いていった後にできた極小のスペースで寝泊まりしている。ちなみに男二人の寝床はひしゃげたコンテナの片隅で、ぎっちり並んで寝る程度のスペースしかない。それを嫌がってかハロルドが雨の日以外はタープの下で寝袋を使っているほどだった。
「いいんです、本当に私のことは。……何よりも、お兄ちゃんを早く起こしてあげたい」
タープの下に置かれたままの冷凍睡眠ポッドに視線をやって、ルトリシアは切なそうに目を眇めた。長い睫毛がブルーグレーの目に色濃く掛かるのを、リズがじっと見ている。
ややあって、湿っぽくなった空気を吹き飛ばすように、ルトリシアがぱんと両手を叩いた。
「さぁて、洗濯物干さなきゃ! リズさん、運んでくださってありがとうございました。あとは私が」
「……うん。わかった、僕も仕事に戻るよ」
* * *
ぎっ、ぎっ、と蔓が枝を締め上げる音が青空の下に響く。
開拓船に載せられている建材の中に、釘やボルトの類はあまり多くない。開拓船において資材は主にマテリアルとして積み込まれ、俗に万能プリンタと呼ばれている機材で加工するのが一般的だからだ。念のためと言わんばかりの釘箱がひとつ積まれていたが、数も大きさも全く足りていなかった。
そんなわけで原始的な木組みを強いられているリズだが、元々辺境惑星はそんなものなのか文句のひとつも言わずに作業に勤しんでいた。床材用の枝を組んでいる手を止めて額の汗を拭っていると、背後から突然声をかけられる。
「おい」
「うん……? って、うわぁっ!?」
バサバサッと皮膜に顔を撫でられて、リズの喉から引き攣った悲鳴が迸った。
「おら、暴れんな」
キィギィと暴れながらコウモリのような羽根をバタつかせる生き物を、尻尾を持ってぶら下げているハロルドが冷たい目で見下ろした。
「やっぱ経口摂取はダメだぞ。一晩で変異した」
「ま、まだやってるの先生、その実験……」
怯えと嫌悪に呆れを少し足したようなリズの視線の先で暴れているのは、昨日までは何の変哲もないネズミだったはずの生き物だ。今はその柔らかな毛皮を突き破るようにして二対の皮膜型の翼が生え、見違えるほど鋭くなった牙と爪を厚い革手袋をはめたハロルドの手に突き立てようともがいている。
「だから僕に薬の配合はわかんないんだってば。うちの集落にあったのだってうちで作ったやつじゃないし」
「使っかえねぇなクソが」
ハロルドは舌打ちしてまだ暴れている元ネズミの首をキュッと捻った。ギィキィとうるさかった獣の声がパタリとやんで、水を打ったように静まり返る。
ルトリシアの回復力を目の当たりにしたハロルドは瘴気を医療資源として利用することにしたらしく、ここのところずっと花や死体を使った薬の研究に勤しんでいた。コンテナの横には小動物を詰めた檻がずらりと並び、連日容赦なく消費され続けている。
ハロルドは動かなくなった元ネズミに無造作に携帯解析機を向けて、小さく舌打ちをした。
「畜生、相変わらず何も引っかかりゃしねぇ。目玉と舌は明らかに含有量が多いハズなのにどうなってやがる」
「だから物理では分からないんだって、瘴気のことは」
「あんたら、よくそんなモン経口摂取するな。つーか飲んでる連中がいるってのは事実なんだろうな?」
「そこはほら。昔ながらの知恵、みたいな。あとなんかたくさん飲むと魔法みたいな事もできるらしいよ。変異とか発狂と隣り合わせみたいだけど」
「……魔法だぁ?」
ハロルドは縊り殺したネズミの死体を投げ捨てて、厚い革手袋を外すと眉間を揉んだ。瘴気自体は受け容れつつあるようだが、そこにまた特級の爆弾を投げ込まれてストレス値が跳ね上がったらしい。目の端がぴくぴくと引きつっている。
じろりと睨め付けられて、リズは降参、と言いたげに両手を挙げてみせた。
「詳しくは知らないって。裏の大陸の、王国のほうでの話だし。噂話程度に聞き流してよ」
「検証中に不確定なステータスぶち込んでくんじゃねぇよ。……はぁあ、やっぱ小動物じゃ加減がわかんねぇな。手っ取り早くヒトで試せりゃいいんだが」
「……あのさ。僕を見ながら言うの、やめてもらっていい?」
舌打ちを隠そうともしないハロルドに首を竦めながら、リズは投げ捨てられた元ネズミを拾い上げる。
「これ、どうする? 処分していいの? ……あ、この皮膜の皮は使えそうかも」
「目玉と心臓だけ抜いて、いつもンとこ入れといてくれ。あとは棄てていい。それから檻だが、もうちょい増やせねぇか」
「ええ、まだ増やすの……?」
肩から提げたツールバックから小型のナイフを取り出して皮膜を丁寧に切り取りながら、リズは顔をしかめた。
「パターンと試行回数を増やすっきゃねぇんだ。できれば罠もいくつか増やし――」
ひらひらと手を振りながらそう言うハロルドの声に、たぁんと鋭い銃声が被さった。二人が同時に、弾かれたように顔を上げる。ざあっと吹き抜けた風に乗って、ルトリシアの声が途切れ途切れに届いた。
「——のは、威嚇です、それ以上は——」
「チッ、あのクソ度胸女、無駄弾撃ちやがって――」
ハロルドが忌々しげに呟くのと同時に、リズはもう駆け出していた。底の擦り切れたブーツが地面を蹴って、草がパッと散る。
「ルトリシアさん!!」
東屋のような建てかけの横を通り過ぎると、長刃の山刀を構えた男と銃を構えたルトリシアが対峙しているのが見えた。襤褸切れのような衣服を身に纏い、髪も髭も手入れされた様子がない男が、再度立ち退きを要求したルトリシアに向かって小馬鹿にしたように歯の欠けた口をにぃっと吊り上げる。
リズの視線が素早くルトリシアと男を舐めて、その奥に目を止めるとはっとしたように叫んだ。
「危ない! 伏せて!」
ルトリシアが身を屈めると同時に、ひゅっと矢が風を切る音が空気を裂く。緩く三つ編みに編まれた茜色の髪の先を一房巻き添えにして、奥の木立の向こうから飛んできた矢が地面に突き刺さった。びぃん、と鈍い音。そのままリズが突進するように飛び出して、ルトリシアの上に覆いかぶさった。さらに別の方向から飛んできた一矢が、頭を庇うように差し出されたリズの腕に突き刺さる。
「――っぐ、」
「リズさん!?」
鈍い呻き声を上げたリズに、山刀を構えた男が言葉のない歓声を上げて飛び掛かろうと足を踏み出した。ばちん、と金属が跳ね上がる音がして、隠して設置されていた原始的なトラバサミがその脛をがっちりと挟み込む。濁ったけたたましい悲鳴が上がるのと同時に、奥からリズを撃った男の頭にばすん、と鈍色の金属矢が突き刺さって崩れ落ちた。
「ったく、相変わらず頭の悪ぃ連中だぜ」
悠々と歩いてきたハロルドは、ちらりと悍ましい悲鳴を上げながらトラバサミを両手で掴もうとしている男を一瞥して、手にしたクロスボウの弦をぎちりと引き上げた。ルトリシアに覆いかぶさったままのリズが叫ぶ。
「先生、もう一人いる!」
「わぁってるよ」
中央の溝に金属矢を滑らせながら、ハロルドは半歩足を引いた。その鼻先を掠めるように、木製の矢が飛んできてリズの脚の真横に突き刺さる。
「ひっ――」
リズの悲鳴など聞こえなかったかのような動きで、ハロルドは矢の飛んできたほうへと無造作にクロスボウを向けた。視覚情報と同期した拡張脳が素早く照準を補助するのに合わせて、先端を微調整してトリガを引く。
ばすん。木立からわずかに覗いていた頭を、金属矢が正確に撃ち抜いた。ぽい、とクロスボウを投げ捨てると、懐から注射器を取り出してくるりと回し、まだトラバサミを外そうともがいている男の首に無造作に針を突き立てる。透明な薬液が押し出されて男の身体に注入された途端に、血走った目がぐるんと裏返った。どさりとその場に崩れ落ちる。静寂が戻った。
「……は、はは。もう、いなそう、かな」
十数秒の静寂の後、ぱたぱたと飛んできた鳥の羽音が梢の上で止まる。ちち、と小さく鳴き声が落ちてきたのを聞いたリズが、ようやくのそりとルトリシアの上から身体をどかした。
「……ごめんねルトリシアさん、乗っかっちゃって。怪我はない?」
「わ、私はなにも……と、いうかリズさん腕が、せんせ、先生!」
トラバサミに足を挟まれたまま意識を飛ばされた男の横にしゃがみ込みながら、ハロルドはうるさそうに耳の横で手を振る。
「あーあーうるせーな騒ぐな。その刺さり方じゃ神経もヤってねぇだろ、あとで診てやるって」
「この人でなし!」
「コイツの方が重傷だっての。おーおー脚ずたずたになっちゃってまあ」
ばきん、と脇のペダルを踏み込んでトラバサミを開いたハロルドが、金属の歯に噛み千切られかけた脚を眺めて口の端を片方だけ吊り上げた。腕に巻いていたパラコードブレスレッドをするするとほどいて、それで男の両腕を縛り上げながらくつくつと喉を鳴らす。
「ちょうどよかった。よーしよし、その脚俺が治してやるからな。大人しくしてろよ?」
それを聞いたリズが辟易とした溜息をこぼした。つい先ほどヒトで試したい、という台詞を聞いたばかりだ。何をしようとしているかは聞かずともわかったが、ルトリシアのいる前でそれを口にしようとはしなかった。代わりに腕に突き刺さった矢に触れて、低い呻き声を漏らす。その声につられたように、ようやくハロルドがリズの方へと顔を向けた。
「あー。んで、あんたは腕か。よし診せろ」
「わ、私、水と消毒薬、あと布持ってきます!」
ルトリシアが慌ててコンテナの方へ駆けていく。
無言で差し出された腕の、矢が突き刺さった辺りをハロルドの指が軽く押した。それから矢軸を無造作に掴んで、一息に引き抜く。
「――っうあ、」
鏃の返しの部分が肉を抉って、リズが押し殺した悲鳴を上げた。女みてぇな声出してんじゃねぇよ、とじろりとねめつけたハロルドが顎をしゃくる。
「ほらさっさと脱げ、肩腕だけでいいから。自分でやれよ、男を脱がす趣味はねぇ」
「っ、わかって、るよ……」
じわじわと傷口から溢れた血がシャツの袖を赤く濡らしていく。ボタンをいくつか外して半脱ぎになったリズの腕の傷口に、ハロルドが布を押し付けて圧迫した。
「指は――動いてるか。問題ねぇな」
「先生! 水と消毒を」
「おう。さっさと寄越せ」
じゃぶじゃぶと傷口を洗って消毒液をぶちまけると、新しい布で圧迫するようにして傷口を巻く。しばらくの間、押し殺した呻きと、手当ての音だけが荒野を吹き抜ける風に乗って流れていった。




