第5話 花が咲いたから
「さて、さて。それじゃあ、最初の質問に話を戻そうか」
泥が詰まった短い爪が、湿った土の上に描かれた歪な二重円を指し示す。
「この辺りに人が住んでいる場所があるのか、と聞いたね」
「……ああ」
汚れた指が手近な石をひとつつまみ上げて、円の上半分の、中央より少し下の場所にそれを置いた。
「これが、ここ。比較的温暖で過ごしやすい土地だ。運がよかったねぇ」
「ふぅん……」
碧の目が、訝しむように眇んだ。温暖で過ごしやすい土地。"王国"に、複数の勢力。そのいずれの陣営も手を付けていないということは、それだけではないということだ。
それをちらりと見た灰褐色の目が、楽しげに歪んだ。くつくつと喉の奥を鳴らす。
「どうにも、どうにも。長生きしてくれそうで嬉しいねぇ。この近くだと……ここ。それからこう川があって――」
枝の先が、石の少し下に線を引く。その先に少し大きめの石を置く。
「ここにも、人がいる。ただしどちらも訪問はあまりおすすめしないよ、お客人」
ハロルドはじっ……、と川だという線に沿うように置かれた石を見下ろした。この惑星の勢力のひとつ。船を、墜とした連中がいる。
「――宙族か」
「うん、うん。アタシらにとってはお得意様でもあるが――」
灰褐色の目がちらり、と船の残骸を見た。ごそごそと、薄汚れた影がいくつも船を漁っている様子が見える。ハロルドは小さく舌打ちした。
「チッ、そういう事か。アンタら、連中の墜とした船の回収班ってわけだ」
「いや、いや」
目尻に刻まれた皺が、柔和な形に深くなる。
「アタシらはただ不幸な事故に遭った人らを弔って、要らなくなったものをいただくだけさ。文明圏製の、アタシらの手に負えないものは彼らが引き取ってくれる。まぁるい関係だろう?」
「悪ぃが、言葉遊びに付き合う気はねぇよ。……要はアンタらは連中にとって利があるからやっていけてるが、俺はそうじゃねぇってこったろ」
「まあ、そうだろうねぇ」
「……厄介だな」
ハロルドは顔をしかめて、カップの中身を飲み干した。爽やかな香りだが、えぐみが強い。
「どうだろうねぇ。彼らはまだ話が通じる方だよ。アタシとしては、こちらの方が厄介だと思うねぇ」
枝の先が、こつこつと、最初に置いた方の小さな石を叩いた。ハロルドの視線がそちらへと滑る。
「ここの連中はなんというか……獣みたいな奴らでねぇ。銃火器をはじめとした文明圏の技術には手を出さないんだが、人理も人道もない。言葉は一応通じるが、まあ話は通じないねぇ」
「……宙族の連中より近いじゃねぇか」
「うん、うん。まあ、彼らは怖がらないから」
当たり前のようなその相槌に、ハロルドは眉をひそめた。
「……怖がる? 何をだ」
男がそれに答える前に、船の方から隊商のメンバーが一人、駆け寄ってきて小さく耳打ちする。うん、と小さく頷き返して男は厚く雲の掛かった空を見上げた。分厚い雲の向こう側で日は既に落ちたようで、いつの間にか辺りはとっぷりと暗くなっている。
男はハロルドが空にしたカップから煎じ草の塊を落とすと、自分のそれと重ねて荷にしまい込んだ。それからよいしょ、と荷をゆすり上げて立ち上がる。
「……おい。待て、まだ話は」
「悪いねぇ、お客人。すまないが時間切れだ。ほら、これが薬と――それから、煎じ草のサンプルだ。同じものが近場に生えているから、探してごらん。他に必要なものはあるかね。話が途中だったからね、少し色を付けよう」
「………チッ。武器だ。出来れば弾の要らないヤツがいいんだが」
「うん、うん。近接武器の類でおたくに扱えそうなものは今はないねぇ。生憎とパルスガンの類も切らしている。そうさな、今はこれくらいかな」
男は自分のホルスターから、手入れの悪そうな拳銃を引き抜いてハロルドに投げ渡した。両手でそれを受け取ったハロルドは、スライドを引いてコッキングを確かめると、疑わしげに顔をしかめた。
「ちゃんと撃てるんだろうな、これ」
「おや、おや、手厳しい。試してみるがいいよ」
銃口が持ち上がった。手近な細い木の幹に狙いをつけて、トリガを引く。たぁん、と鋭い発砲音が響いて、木っ端がぱっと散った。
「……スライドの滑りが悪いがまあ撃てるか」
「そら、これもおまけしてやろ」
くつくつという含み笑いと共に、マガジンが二本飛んできた。取り落としそうになりながらそれを受け取る。
「"花"が、咲いていた。夜は気をつけることだ」
「……は? 花がなんだって?」
「悪いね。もう行かなければ」
「待て、花ってなんの――」
立ち去ろうとした足が、ほんの少し止まった。灰褐色の目が焚火の炎を映し込んで、鈍く光る。
「アタシらは、アレについて語る言葉を持たない。ただ、よくないモノだ。ああ、あれはよくない。向こうで寝ているお友達のことも、しっかり守っておやり」
気付いていたのか、と吐き捨ててハロルドも立ち上がった。男は既に踵を返している。これ以上何かを聞くのは無理そうだった。薄汚れた手がひらり、と振られる。
「また来るよ。うっかり死んでいたら、きちんと弔ってあげるからねぇ」
* * *
「おい、アンタ。生きてるか」
眉間に皴を刻んだまま隊商を見送ったハロルドは、ひしゃげたコンテナの中を覗き込んだ。きぃきぃと鳴っていた手回し発電機の音は止まったままで、規則的な細い吐息だけが聞こえてくる。
踏み込んで顔を覗き込んでみると、茜色の睫毛がブルーグレイの瞳を完全に覆い隠していた。発電機が乗ったままの腹の少し上で、胸が穏やかに上下している。
「…………」
ハロルドは黙ったまま、ルトリシアの腹の上から手回し発電機を取り上げた。それを片手にぶら下げたまま、冷凍睡眠ポッドのほうに視線を向ける。
無線接続されている拡張脳がステータスを受信して、拡張視界にバッテリー残量を表示した。残量は40%。小さな溜息をついて、それを回し始める。思考するために、何か手を動かしていたかった。
「……花、ねぇ」
きぃ、きぃと手回し発電機が鳴る音だけが答える。拡張脳に、視覚記憶の整理を命じた。水を探しに出た時に、視界に入った植物や動物は自動でスナップショットが撮られているはずだった。
タンポポのような小さな黄色い花。灌木の茂みに割いた、中央に白いラインの入った紫の花。背の低い雑草についた青い小花。拡張脳が次々と花の情報を拡張視界に表示する。推定種も表示されているが、生まれてこの方花などに興味を持ったことのないハロルドにはどれが何やらさっぱりだった。
ふと、開花前の花のスナップショットが目に留まった。どういうわけか、これだけは推定種が示されていない。背の低い草の群れが、一面に真っ白な蕾を付けている。不穏な話を聞かされたせいかもしれないが、白骨の白に似ているようにも思えた。位置を確認すると、ここからほど近い場所だ。このスナップショットを撮った時にはまだ咲いていなかったようだが――
("花"が、咲いていた)
隊商の男の残した言葉が、耳の奥でごそりと立ち上がる。
「……ったく。花が咲いたからなんだってんだ」
思考の上に薄膜のように張り付いた嫌な感覚を振り払うように、ぶるっと頭を振る。その鼓膜に、低いうめき声が滑り込んだ。眉をしかめて、ルトリシアが眠っているコンテナの方を覗き込む。
「おい、痛むの――――」
か、と続けた音は飲み込んだ。長い睫毛は伏せられたままで、仰向けの胸は穏やかに上下している。少しかさついた唇からは、すう、すう、と穏やかな寝息だけが漏れていた。
背後から、また呻き声。手回し充電器のハンドルを投げ捨てるようにして立ち上がる。ベルトに挟み込んだ銃把を、長い指がそろりと撫でた。
熾火で維持している火の灯りは、ほんのかすかな光量だ。じゅぶ、ずる、と泥に半ば埋まりながら引きずるような足音が近づいてくる。わずかな灯りがあるせいで、その先の闇は一層深かった。まだ降り続けている雨が、銀色の糸になって細く見えているだけで影の動きすら見えない。
このまま身を潜めていようかとも思ったが、引きずる足音は一直線にこちらに向かってきているようだった。小さいとはいえこの暗闇の中、ぽつんと灯った熾火は目立つのだろう。
傍らに置いていた、ひしゃげた投光器に手を伸ばす。白光部のカバーが歪んでひび割れているが、投光器としての機能はまだ維持していた。ばちん、とスイッチを入れる。眩く白い光が、雨に烟る闇を払った。小柄な人影のシルエットがぽつんと浮かぶ。
「——人間か」
絞り出した掠れた声には、微かな安堵が混じった。肉食の獣の類であれば面倒なことになるところだったが、相手が人間であればいくらでもやりようはある。ベルトから手入れの悪い拳銃を引き抜くと安全装置を外して、銃口を上げた。ずる、ずる、と引きずる足を止めない人影に向かって声を張る。
「おい、あんた。悪いが一度立ち止まってくれ」
ずる、じゅぶ。泥濘を引き摺る足は変わらず前に出た。ハロルドの碧の目が細くなる。相手に良く見えるように、わざとらしく拳銃を構え直した。
「俺も無駄弾を撃ちたかねぇんだ。止まれ」
ぺた、べちゃ。声に反応するように、視線が上がる。白く濁った瞳に、黄色く血走った白目。ようやく光に慣れてきた目が、歩みを止めない小柄な人物の詳細を映し出す。左の額から頬に掛けて、皮がずるりと剥けたような状態になっていた。泥か血か分からないどす黒いものが至る所にこびりついている。膿んで腐ったような酷い匂いが、雨のカーテンを掻き分けて鼻先に届いた。思わず顔をしかめる。
にたり、と口の端が裂けるように持ち上がった。本当に裂けているのかもしれなかった。銃口を見ても歩みは止まらず、袖の裂けた手がハロルドに向かって伸ばされる。指が一本ない。
「……クソ、ヤク中かなんかかよ」
舌打ちして、躊躇いなくトリガを絞った。ぱん、と破裂音がしてスライドから排出された金色の薬莢が投光器の光を反射して光る。銃弾が脛の肉をえぐり取って、ぱっと赤にも黒にも見える液体が飛び散った。人影が呻いて膝を付く。
「——止まりな。次は歩けなくなるぞ」
びく、びく、と肩が震えた。唐突にぐりん、と首が奇妙な角度に折れ曲がって、濁った目がハロルドを捉える。ふ、と沈みこんだ身体が、次の瞬間跳ね飛んだ。
「————は?」
どう考えても脚を撃たれた人間の動きではなかった。一瞬で距離が詰められ、そのまま圧し掛かるようにして掴みかかってくる。咄嗟に撃った一発はかすりもせずに闇の中へと消え、飛びつかれた勢いに負けて後ろへとひっくり返った。銃を取り落してぬかるんだ地面に押し倒されたハロルドの上に、小柄な体躯が馬乗りになる。腐汁のような悪臭を伴う粘ついた汁が、顔にぼたぼたと滴り落ちた。
「おいクソ冗談じゃねぇぞ――これだからヤク中は嫌なんだ、っ、クソ、なんだこの馬鹿力——」
がちん、と鼻先で黄ばんだ歯が噛み合った。さすがにハロルドの表情から一切の余裕が消えて蒼褪める。その先でがぱ、と口が開いた。どう見ても自分のほうが体格で勝る相手にも関わらず、じりじりと押し込まれるようにして頸へと粘つく腐汁を滴らせた歯列が迫る。
「ぐ……、ぁ、ク――ソっ、」
ばすん。
ハロルドの薄く赤みを帯びた灰色の髪が数本散って、肉を貫く鈍い音が顔のすぐ横で弾けた。頬に感じるじわりとした痛みを感じる間もなく、抵抗が緩んだ小柄な身体に膝を入れて蹴り飛ばす。
「せん……、せ……! 大丈夫です、かっ!?」
ルトリシアの声が背後から響く。口腔内を貫くようにしてクロスボウの矢を受けた人影が、痛みなど感じていなさそうな動きでむくり、と起き上がった。
「ちぃっ……!」
飛びつくようにして落とした銃を拾い上げると、躊躇いなくトリガを引いた。連続した破裂音。薬莢が弾け飛ぶのに合わせて、小柄な体が衝撃でたたらを踏む。
「先生っ、その、ひと、一体……っ」
「うるせぇ、下がってろ‼」
怒鳴りながら放った一発が、頭部に命中する。赤黒い液体が弾けて、小柄な身体がべしゃりと泥の中にくずおれた。びく、びく、と痙攣しているそれに狙いをつけたまま歩み寄る。ブーツの先で小突こうとした瞬間、指が一本なくなっている手が勢いよく足首を掴んだ。
「————ッッ‼‼」
がん、がん、がん、とヒステリックな発砲音と共にマズルフラッシュが断続的に閃いた。そのままマガジンが空になるまで撃ち尽くし、スライドが下がり切った拳銃を降ろして肩で荒い息をつく。加熱する銃口が、中身を半分吹き飛ばされたこめかみを小突くとじゅう、と音を鳴らした。
「……クソ、ヤク中が」
吐き捨てるように呟くと、途端に足に震えが来た。どさり、と座り込んで拳銃を投げ捨てる。足を引きずるようにして近付いてきたルトリシアが、こわごわとハロルドと動かなくなった人影を覗き込む。
「し、死んじゃった、んですか」
「だろォよ、たぶんな」
碧の目が、ちらりとルトリシアを見上げた。まだ震えが残る手には弦の下がったクロスボウがぶら下がっている。小さく舌打ちした。あの一矢がなければ嚙み殺されていたかもしれない。
はからずもまた命を救われた形になった事には触れないことにして、泥を這いずるようにして動かなくなった人影ににじり寄る。悍ましい臭気にはもう鼻が慣れていたような気がしていたが、近付くと吐き気を催す腐臭に似た匂いが鼻腔を突き刺した。片手で鼻と口を覆いながら、目を見ようと手を伸ばす。指が触れる前に、眼窩からぼとりと眼球が転がり落ちた。
「——あぁ?」
落ちた眼球の裏側は半分溶け崩れていて、眼窩からは神経の束がずぐずぐになってぶら下がっている。鼻を刺す腐臭。首がもげかけている。だが、それは銃創によるものではなく、組織が痛んでだめになっているように見えた。頬から流れ出た血が流れ込んでいる唇が、ぽつり、と言葉をこぼす。
「……死んでる」
「ああ、やっぱり……」
居た堪れないような声を出したルトリシアを、嫌悪と困惑とわずかな恐怖に揺らぐ碧の目が見上げた。
「違う」
「え?」
「こいつ、死んだの今じゃないぞ。……腐ってる」
雨が強くなってた。血と汗と腐った何かを、雨水が地面へと沈めていく。投光器に晒された地面の奥に、真っ白な花が一輪、ぽつんと咲いていた。
次回の更新は6/12です。それではまた、次回。
☆ルトリシア・ホワイト
惑星開拓機構の237期:第1328開拓船に開拓員として乗り組んでいた。
兄が治療法が非常に困難な病と診断され、冷凍睡眠処置を受けた。冷凍睡眠の維持費と治療費のために家族ぐるみで惑星開拓員として働いていたが、両親は前の開拓星で事故死。以降はルトリシアが一人で兄のために開拓員として働き続けていた。
人畜無害なタイプの善人だが、生存のための適応力は高く、生きるための殺し殺されについてはある程度割り切れる程度には肝が太い。
他人を善意で測るタイプで、悪意には鈍感。理屈ありきの行動にも善意を見出そうとする癖があり、ハロルドとは相性が悪い。




