第3話 おかえりなさい
「せんせーーっ! ハロルド先生、おかえりなさーい!」
まるまる半日以上ぶっ通しで歩き続けた挙句、ウォーターパック半分に満たない水しか得られなかった男を迎えたのは、底の抜けたような明るい声と食欲をそそる香りだった。
「はぁ…………?」
墜落現場と女の様相は、朝出て行った時とはすっかり様変わりしている。ハロルド先生、と呼ばれた男は、嫌悪と困惑を7対3で混ぜたような表情を浮かべて、目の前で起きていることを理解しようという努力を始めた。
まず撥水性のありそうなタープと墜ちた船の残骸を上手く利用して、急拵えの屋根が作られていた。コンテナの周りに乱雑に散らばっていた箱は、仕分けされた様子で綺麗に積み直されている。
さらに冷凍睡眠ポッドには、二枚目の太陽光パネルシートが接続されていた。近付くにつれて自動で再接続された拡張脳がバッテリー残量が60%を越えていることを告げる。
極めつけはご機嫌な様子の女の足元の焚火だった。不揃いな石で簡単なファイヤーピットが組まれているばかりか、その上には船の残骸を器用に組み合わせて鍋まで掛けられるようになっている。よく見るとそのうちの一本は女の脇腹に刺さっていたアレで、まだ血の痕がこびり付いていた。果てはそこに掛けられた鍋から何やらいい香りがしてくるのだから、始末が悪い。
言いたい事は薄明の空に瞬き始めた星の数ほどもあるのに、結局呆れた口から漏れたのは馬鹿みたいに陳腐な質問だった。
「……アンタ何してんだ?」
「え? お夕飯の支度ですけど」
きょとんとした顔で返される。男はきつく刻みつけられた眉間の皴を、右手の指二本で揉みほぐしながら低く唸った。
「そういう話じゃねぇだろが。昨日ブチ抜かれてた腹を縫い合わせたばっかのヤツが何してんだって言ってんの。痛覚死んだのか?」
レードルに溜まった液体を一口すすって少し首を傾げた女は、傍らの密閉容器から塩らしきものをひとつまみして、鍋の中に足す。それをぐるぐるとかき混ぜながら、いえね、と続ける。
「お兄ちゃんが起きれるんだって思ったら、なんかやる気出てきまして。全自動医療モジュールには痛みを止めてくれる機能があるじゃないですか? 辺境惑星開拓機構も使用を推奨してるし、アレ使えば働けるぞー! って思い出したんですよね」
「アンタ馬鹿か? いや馬鹿なのか。痛み止めは魔法じゃねぇんだぞ、縫合だってそうだ。まだ下手に腹圧掛けたら中身出たっておかしかねぇんだが? また俺の仕事を増やす気かよ」
それを聞いた女はレードルを鍋に突っ込むと、ぺろりとシャツをめくり上げた。まだ生々しい質感を残した縫い痕を軽く撫でて、小首を傾げる。
「……大丈夫そうですよ? それに動けって言ったのハロルド先生じゃないですか」
「少しな‼ オペ明けの患者がこんなに溌溂と動き回るトコまで想像できるわきゃねぇだろが」
「でも、猫の手も借りたいって仰ってました」
「猫の手借りてお荷物が増えるならいらんわ、んなもん」
疲労と苛立ちがないまぜになった声で答えながら、男は焚き火の脇の箱の上に乱暴に腰を下ろした。
「アンタにゃ機構に騙されてるって話をしたばっかだろがよ。こんなド底辺の開拓船で使ってる痛み止めなんてのは、オールドタイプの医療麻薬の類いだぞ。バカスカ使って頭パァになりてぇのか」
「う……すみません」
素直に謝った女に男はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。背負っていた荷物を降ろし始めた男に、女があのぅ、と続ける。
「ハロルド先生」
「なんだ。つーか俺、アンタに名乗った覚えないんだが」
「私、Eエリアだったので……。検診も診療も先生がご担当でしたよ」
男——ハロルドは、片眉を上げて女の顔を振り返った。夕焼けに似た茜色の髪に、ブルーグレイの瞳。年の頃は20と少しといったところだろうか。開拓船で移動していた二年間の、バランスだけは極めて健康的な食事のおかげか、適度に引き締まった瑞々しい身体をしている。見目は大して悪くないが、さりとて強く特に印象に残るような容姿でもなかった。「覚えてないんですね」という少し非難がましい声を一蹴する。
「Eエリアだけで何人いると思ってんだ。4桁は下らねぇんだぞ。電子タグの読み取りが出来なきゃ誰が誰かなんぞわからんわ」
「そこはお得意のオルタナでどうにかならないんですか」
「口達者かよ。拡張脳は別に万能機でもなんでもねぇの」
むぅ、と一度唇を引き結んだ女は、居住まいを正すと少し真面目な表情を作った。
「ルトリシア。ルトリシアです、ハロルド先生。もう二人だけなんだから覚えられますよね」
まっすぐに見つめ返してくる女のブルーグレイの瞳を眺めながら、名前があったんだな、と当たり前のことを考える。
開拓船の人員——とりわけ無数にいる開拓員は基本的に番号管理だ。体内に埋め込まれたチップで読み取る個人認証情報でも、氏名より先に管理番号のカラムがある。取り違えを防ぐため、診療や検診時の確認や呼びかけに使われていたのも番号だった。だがこの女に紐付く番号はもはや思い出せず、ただ提示されたルトリシア、という名だけがそこにある。
冷たくデジタイズされた人間の規格が溶けだして、唐突に生々しい温度を持ち始めたようで居心地が悪かった。ハロルドはわざと意地の悪い笑みを浮かべると、名乗られたそれには触れずに言葉の揚げ足を取る。
「二人だけ、ねぇ。"お兄ちゃん"を勘定に入れんのはやめたのか」
皮肉の裏に隠れたそこはかとない嫌悪には全く気付いていない様子で、ルトリシアはきょとんと首をかしげた。
「いえ? 先生が覚えるべきはお兄ちゃんと私の二人だけって意味ですけど」
「ああそう……」
どうやら勘定に入っていなかったのは自分のほうだったらしい。我知らず不機嫌さが滲み出る顔を、ルトリシアが覗き込む。
「ハロルド先生、なんかちょっとイライラしてません? いいんですわかります、お腹が空くと人間そうなっちゃいますよね。探索お疲れさまでした、ごはんにしましょう!」
なんだかもう反論する気も起きなくて、ハロルドはいそいそと火から鍋を降ろし始めたルトリシアをじっとりとした目で眺めた。何もかもが腹立たしいのに、そんな感情とは裏腹に腹の虫がぐぅ、と鳴く。くすくすと笑うルトリシアが「少しだけ待ってくださいね」というものだから、ハロルドの表情はさらに不機嫌になった。
だがその不機嫌を、ルトリシアが二人の間に置いた鍋の中身が塗り替える。鍋に満たされた琥珀色のスープの中には、小さく切られた肉とくすんだ緑色の野菜が浮いていた。
どうせクソ不味いと悪評轟く機構製のペーストシチュー(始末が悪いことに香りだけはいい)の類だろうと高をくくっていたハロルドは、拍子抜けした様子で鍋の中を覗き込む。
「……あの船、こんな食材まで積んでんのか。船の電源系は全部逝ってるからさっさと消費しねぇとだな……」
食事用途なのか判然としない鈍色の容器にレードルですくったスープを注ぎ入れながら、ルトリシアはそうですか? と首を傾げた。
「開けたのオートミールだけですよ? 腐るようなものは特になかったと思いますけど……」
「……いや待て」
器を受け取ろうと延ばしたハロルドの指先が、ぴたりと止まる。
「最近のオートミールは肉になったのか? 何入ってんだコレ」
「あははやだ、冗談のセンスはいまいちですね先生! お肉はお肉に決まってるじゃないですか」
「いや何の肉だっつってんだよ」
「鳥です!」
ハロルドは差し出された器を、なんとも嫌そうに手のひらで押し返した。
「外星系の成分検査もしてねぇ生物なんざ食えるか。いらん」
「前の開拓星でもよく似た鳥がいましたし、普通に食べてましたよ。捌く時に羽と皮と内臓を丁寧に取るのがコツなんです。全部ちゃんと取りました」
美味しいですよ? と言いながら、ルトリシアは器でぐいと拒絶の手を押し返す。ハロルドは鼻に皴を寄せて、スープに浮いた透明な脂の玉を指さした。
「毒は脂身に回るんだよ。脂浮いてんじゃねぇか」
「そりゃ完璧には取り切れませんけど。まだこの惑星の気候もわかりませんし、安全な食料は温存して採れる時期は採れたものを食べるべきです。大丈夫、もし毒があって多少当たったとてお腹を下すくらいなので!」
あっそ、と熱弁を雑に流したハロルドは、差し出された器を無視して荷物から取り出した銀色の包みを乱雑な手つきで剥く。灰褐色の総合栄養バーをぱくりとやって、いかにも不味そうにそれを咀嚼しながら肩をすくめた。
「アンタが食いたきゃ止めやしねぇわ。丸一日アンタの命と腹が無事なら、俺も考えてもいいぜ」
「そんなぁ。ほらほら、開拓星名物のお豆も入れたんですよ! コレは本当にどこにでも生えてるやつで、煮込むと甘みが出て美味しいんです」
「得体の知れねぇ具が増えてんじゃねぇか」
ルトリシアが器からすくい上げて見せた、さや付きのままで煮込まれた豆に向かって、ハロルドはしっしっと手を振った。視覚情報を受け取った拡張脳が、これはテラフォーミングで多用される窒素固定用のパイオニア植物(食用可)なのではと言い出したのも黙殺する。よしんばそうだとしても、この星に定着した以上余計な物質を含んでいないとは限らない。
据わった目で黙々と灰褐色の塊を咀嚼し続けているハロルドをもう一度見てから、ルトリシアは差し出していた器をようやく諦めた様子で引っ込めた。
「いいですよーだ、全部私が食べちゃいますからね。先生なんて砂噛んでお腹ぐうぐう言わせてたらいいんです」
「ああ食え食え。心配すんなよ、こいつァ味は最悪だが腹持ちは悪くねぇんだ」
「そうですか、こっちは味も最高ですよ。ああ美味しいなー、お肉!」
やけくそ気味な当てつけを吐き散らしながらぱくぱくと煮込みを口にしていたルトリシアだったが、突然ふと思い出したように匙を止めた。
「そういえば先生、お水のほうはどうでしたか?」
くしゃ、と包装を握りつぶす音がそれに答える。ハロルドは何とも嫌そうな顔をして、荷物の中から濁った水が半分ほど入っただけのウォーターパックを取り出した。
「丸一日歩いてこのザマだ。笑いたきゃ笑えよ」
「あらま」
ルトリシアは器を置いてウォーターパックをしげしげと眺めてから、手のひらをぺたりと地面につける。
「この地面の感じだと、そんなに水場遠くなさそうな気もしますけどねぇ」
「さいですか。生憎と俺は医者でな、フィールドワークにはとんと縁がねぇんだよ。文句は拡張脳にインストールしてあったサバイバルガイドを書いた奴に言え」
「いえ別に文句は言いませんけど……って、サバイバルガイド? 辺境惑星開拓機構が配ってる開拓船搭乗者用のサバイバルガイドです?」
「……そうだが」
ぷっ、とルトリシアが吹き出した。憮然とそれを見つめるハロルドの視線の先でひとしきり笑い転げてから、ブルーグレイの目の端に溜まった涙を拭う。
「ふふ……それはダメです先生。あのサバイバルガイドね、地形関連は地球ベースのものから、ほ、ほとんど更新されてないんですよ。ああおかしい、あんなの参考にする人、まだいたんだ。先生ってばあんなに機構を信用するなって言いながらっ、んふふっ、機構のサバイバルガイド見て水を……うふふ……」
「……そこまでバカに出来る奴が、逆になんで医療情報のほうは鵜呑みなんだよ」
「あはっ、そうですね! ぷふ……そ、そっか、やっとさっき怒った先生の気持ちがわかったかも……あはは!」
ルトリシア的なハロルドの滑稽さがさっきの自分に重なって、それがまたツボったらしい。鍋をひっくり返しかねない勢いで笑い転げているルトリシアを、ハロルドは呆れ果てた目で見降ろした。もしかしたら痛み止めのせいで、精神もハイになっているのかもしれない。
「ま、まあ残念でしたけど。大丈夫です、そこのタープで夜露を集められるようにしてありますから。毎晩コップ半分くらいの水は溜まりますよ。それに――」
ルトリシアはそこで少し言葉を切って、あちこち焦げて縮れた茜色の髪を一束持ち上げてみせた。
「今晩は髪のまとまりがやけに悪いので。明日はたぶん雨になりますよ」
☆アウターエッジ辺境惑星開拓機構
"文明圏"から比較的離れた宙域にある辺境惑星に開拓員を斡旋している星系間統括組織のひとつ。大々的には人類の生存圏の拡大を謡っているが、その実態は文明圏の人口調整弁であり、人を人とも思わぬ扱いが横行している。人間は捨てるものであり惑星開拓はおまけだが、益になる星はきっちり吸い上げていく。逆に面倒な星には一切手を出さない。




