第42話 グリッチレス確定記録の男
そこで俺は、掲示板のクレームを思い出した。
「難易度ネルソンなのにルートが史実と違う」
あのガチ勢は、これをやりたがっていたのか。
爆発湿地を回避するために、海から百三十二メートルの海食崖へ取りつき、上部五十六メートルの玄武岩質オーバーハングを完全初見で突破し、人間の動線がない崖上に出て、そこから本ルートへ合流する。
それをゲームでやらせろ、と言っていたのか。
怖い。
山ガチ勢、怖い。
運営も怖い。
公式返信には「歴史が唯一保証した正規ルート」とあった。
ということは、仕込んでいる。
このルートを。
ゲーム内に。
たぶん条件を満たせば、通常の登山口ではなく、海食崖スタートの真ルートが出る。
ステージ名は、あのやかましい「真の大霊峰と真の英雄の一騎打ち」。
待て。
一騎打ちではない。
崖、湿地、先住民、毒ガス、猛禽、雪崩、クレバス、全部いる。
相手が多すぎる。
大霊峰側、軍勢で来ている。
それでも運営は、一騎打ちと言い張るのだろう。
ネルソンから見れば、全部まとめてガルダだから。
なるほど。
うるさい。
俺はSteamの実績一覧を確認した。
未解除の隠し実績がいくつかある。
そのうち一つのアイコンが、黒い崖のように見えた。
見なかったことにした。
まだ俺はアドベンチャーで猛禽に持っていかれる男だ。
海食崖オーバーハングなんて触ったら、プレイヤーではなくコントローラーが遭難する。
ゲームの方は、すでにRTA研究が進んでいるらしい。
ハイキングRTA。
アドベンチャーRTA。
フラッグオンガルダRTA。
ネルソンRTA。
真ルートも走者がいる。
人間はどんな地獄も、ゲームになると最適化したがる。
すごい。
すごいが怖い。
一方で、現実のガルダはまったく違う。
百五十年経っている。
文化交流も成立した。
天然地雷の回避理論もある。
現代装備もある。
気象観測もある。
地図もある。
通信もある。
救助体制も、昔よりはるかに整っている。
それでも、登頂記録は一つ。
ネルソンだけ。
死人は、とんでもない数が出ている。
山は、ゲームと違ってパッチで弱体化されない。
攻略情報があっても、雪崩は雪崩だ。
クレバスはクレバスだ。
天然地雷は高精度で避けられても、ゼロにはならない。
猛禽は実在する。
硫化水素も出る。
天候は読み切れない。
ガルダは五万メートル級の大霊峰で、山頂候補は複数あり、そもそもどこを登頂とするかすら議論が残っている。
そして、唯一の登頂者がネルソン。
よりによって、最初の走者が普通の記録を残していない。
登山口を使わず、海食崖から入った。
天然地雷を見抜いた。
先住民の警告を読んだ。
山頂候補を全部まわった。
期限に間に合わせるために小走りした。
クレバスを三段跳びで越えた。
五体満足で帰った。
王冠を断った。
これのせいで、いまだにレギュレーションが定まらない。
現実の山なのに、最初の記録が強すぎて、後続が何を基準にすればいいのかわからない。
ガルダ登頂とは何か。
山頂候補を全部まわる必要があるのか。
一本の旗でいいのか、三本必要なのか。
登山口を使うルートは正規なのか。
海食崖ルートこそ正規なのか。
酸素を使っていいのか。
隊で登っていいのか。
撤退判断を含めた現代登山として評価するのか。
ネルソンの記録を基準にするのか。
しないとするなら、唯一の登頂記録をどう扱うのか。
歴史上唯一の走者が、よりによってany%ではなく、100%グリッチレスみたいなことをやった。
しかもリアルなので、グリッチレスだけは確定している。
問題は、ネルソン本人が人類史のバグみたいな動きをしていることだ。
ゲームなら修正パッチが来る。
「ネルソンの移動速度を調整しました」
「クレバス三段跳びを不具合として修正しました」
「王笏を登山杖として使用できる問題を修正しました」
だが現実には来ない。
ネルソンは百五十年前に走り抜け、山頂に旗を三本立て、帰って飯を要求した。
そのログだけが残っている。
人類はまだ、その走者を追いかけている。
俺は資料とゲーム画面と公式サイトを交互に見た。
ガルダ。
五万メートル級の大霊峰。
登山家の夢。
学問の転換点。
先住民文化の聖域。
天然地雷原。
闇運営の執念。
ネルソンというバグの記録媒体。
情報量が多すぎる。
山ひとつで世界史の棚を何段使う気だ。
「山、スゲーな」
俺はつぶやいた。
それから、画面のネルソンを見た。
彼は、相変わらず静かにガルダを見上げている。
顔はまだ、どこかの大物俳優に似ている。
でも、だんだん腹が立たなくなってきた。
むしろ、この顔くらい濃くないとネルソンに負けるのかもしれない。
「……ネルソン、スゲーな」
認めた瞬間、少し悔しかった。
でも仕方ない。
人類最高峰というやかましいコピーは、案外、言いすぎではなかった。
ただし運営。
お前らは法務の登山口から入り直せ。




