第二章 石に立つ柱②
次の朝、作吉が坂を上ってきた。
肩に栗の丸太を一本担ぎ、両手で押さえている。背中には、縄で斜めに括りつけた筵の包みがあった。丸太は大人の背丈ほどの長さで、太さは、両手の指で輪を作ったくらいだった。
お堂の前で丸太を下ろすと、作吉は背中の縄をほどき、楓の前にしゃがんで包みを開いた。刃と刃が触れ合わないように、筵を一枚ずつ折り返して、道具を一本ずつ巻いてあった。
鑿が二本。幅の広いのと、細いの。それに、柄の曲がった手斧が一丁と、使い込んで角の丸くなった木槌。どれも刃のまわりが赤く錆びていたが、刃先だけは、研いだばかりのように白く光っていた。
作吉が何か言った。早口で、半分も分からない。ただ、自分の胸を指し、それから家のほうを指したのは分かった。うちのだ、ということらしい。
楓は細いほうの鑿を手に取った。柄は堅い木で、手の脂が染みて黒い。柄の頭には、鉄の輪がはめていなかった。
――鉄の槌で叩いたら、柄が割れる。
だから木槌もつけてきたのだ。楓は作吉の顔を見た。作吉は、少し得意そうだった。
「……ありがと。作吉くん」
言葉は通じなくても、礼だけは通じたらしい。作吉は頭をかいて、もう一本、丸太を取りに坂を下りていった。
◇
楓が場所に選んだのは、普請場のすぐ下の、出水で削られた河原だった。
普請場には立つな、と言われた。だから一歩外でやる。男たちが穴を掘る手を止めれば、いくらでも見える場所だ。
作吉は、一本目の丸太を鉈で二つに切り分けた。腰の高さほどの柱が二本。家の柱にはずっと足りないが、試して見せるだけなら、それで足りる。二本目の丸太は、貫の板にする。
作吉と二人で、河原から平たい石を二つ選んだ。抱えれば持ち上がる大きさで、上の面が比較的なだらかなもの。礫を掘って石の座りを作り、石を据えて、坂井の突き棒で周りを突き固めた。河原の礫は締まっていて、石は沈まなかった。
切り分けた柱の一本を、片方の石の上に立てた。
柱は、ぐらりと傾いた。
手で押さえると、また傾く。石の上はでこぼこで、柱の根は平らに切ってある。平らなものを、でこぼこの上に載せれば、三か所か四か所でしか当たらない。当たっていないところを支点に、柱はいくらでも転がる。
上の普請場で、笑い声が上がった。権六が、手を止めてこちらを見下ろしていた。それ見よ、という顔だった。
若い男の一人が河原に下りてきて、拳ほどの石を拾い上げた。据えた石の出っ張りを、叩いて割ってやろう、という手つきだった。
「待って。それは違うの」
楓は男の腕を押さえた。男は面食らった顔をした。
河原の石は硬い。鉄の鑿でも、平らになるまで削るのに何日かかるか分からない。叩けば、思わぬところから割れる。
石を、柱に合わせるんじゃない。
柱のほうを、石の形にする。
◇
楓は、作吉が昨日の樋で余らせた竹を一本もらって、カッターで薄く割った。手のひらほどの幅で、長さは肘から指先くらい。その板の片側に、鉛筆を縄で縛りつけた。芯の先が、板の端から少しだけ横に出るように。
作吉に柱を立てて持たせた。坂井から借りた下げ振りを柱の横に垂らし、柱がまっすぐ立つまで、作吉の手を少しずつ動かさせる。
「そのまま。動かないで。そのまま」
身振りで伝えると、作吉は息まで止めた。
楓は竹の板の端を、石の面に当てた。鉛筆の芯が、柱の根に触れる。板を石に押し当てたまま、柱の周りを、ゆっくりと一周させた。
石が高いところでは、板が持ち上がる。板に縛った鉛筆も、一緒に持ち上がる。石が低いところでは、板が下がり、鉛筆も下がる。
板が一周して戻ってきたとき、柱の根には、ぐるりと一本の線が引かれていた。真っ直ぐではない。上がって、下がって、また上がる。石の起伏が、そのまま柱に写っていた。
作吉が、柱を持ったまま、首だけ伸ばして線を覗き込んだ。
楓は柱を寝かせ、線から下を鑿で落としていった。木槌で叩いて荒く落とし、最後は鑿を手で押して整える。
立てて、離す。
まだ、わずかに揺れた。
楓は、竈から持ってきた消し炭を石の面にこすりつけ、もう一度柱を載せて、少しだけねじった。持ち上げると、柱の根に、黒い点がいくつか付いていた。石の高いところに当たって、炭を拾った場所だ。そこだけを、薄く削る。
もう一度、炭をこすって、載せて、ねじる。黒い点が増えて、広がっていく。三度目には、根の切り口のほとんどが黒く染まった。
楓は柱を立て、手を離した。
柱は、立っていた。
軽く揺すっても、根は石の上でずれなかった。根の凹凸が、石の凹凸に、ぴたりと噛み合っている。上から重さがかかれば、かかるほど、噛み合いは深くなる。
作吉が、低く何か言った。驚いたときの声だということは、楓にも分かった。
◇
二本目の柱を据えるまでに、日が暮れた。
次の日は、貫だった。
坂井が、二本の柱の外に杭を打って水糸を張ってくれた。楓の気泡の水平器を添えて、糸を水平に合わせる。
二つの石は高さが指一本分ほど違うから、柱の根からではなく、糸から下へ測って、二本の柱に同じ高さの印をつけた。
そこに、柱を突き抜ける貫の穴をあける。細い鑿で輪郭を切り、太い鑿で中をさらう。栗は硬く、一つあけるのに昼までかかった。
二つ目の穴は、作吉にやらせた。楓が鑿の角度を手で直すと、作吉はすぐに覚えた。穴の縁が、楓の穴よりわずかに荒いだけだった。
貫にする板は、作吉が作った。
栗の丸太の木口に鉈の刃を当て、木槌で叩いて、切れ目を入れる。そこに、木の楔を打ち込む。楔を一本、また一本と打ち足していくと、丸太は木目に沿って、裂けるように割れていった。
鋸が一本もなくても、作吉は丸太を二つに割り、その片割れから、さらに指二本ほどの厚みの板を一枚はがし取ってみせた。
楓は、割れた面を指でなぞった。木目が、一本も切れていない。鋸で挽いた板より、割れにくいはずだった。
――こっちが教わってる。
楓は、作吉に親指を立ててみせた。作吉は首をかしげ、それから、真似して親指を立てた。
割った板の面は、まだ波打っていた。楓は板を穴に当てては、つかえるところだけを鑿で削った。夕方、二本の柱に貫を通した。穴の隙間に楔を打ち込み、坂井から借りた石頭のハンマーで締める。叩くたびに、二本の柱と一枚の貫が、ひとつの物になっていくのが手に伝わった。
◇
権六が河原に下りてきたのは、日が山にかかる頃だった。
男たちが、普請場の縁に並んで見下ろしていた。権六は、二つの石の上に立つ二本の柱と、それをつなぐ貫の前で、しばらく黙っていた。
それから、貫の向きに、柱に肩を当てて押した。
柱は、石の上を滑らなかった。二本の柱と貫が、一枚の板のように、わずかにしなっただけだった。
権六は、貫の上に乗った。片足、それから両足。大の男の重さが、まるごと一枚の板に載る。権六はその上で、踵を落とした。楓は、あの朝のことを思い出した。坂井の土手の天端に真っ先に上がって、踵で踏みつけていた男だった。
貫は、きしみもしなかった。
権六は手を離し、柱の根元にしゃがみこんだ。柱が石に座っている継ぎ目を、太い親指で、ゆっくりとなぞっていく。一周するまで、誰も何も言わなかった。
権六は立ち上がり、何も言わずに普請場へ上がっていった。
◇
翌朝、楓がお堂の前で顔を洗っていると、権六が坂を上ってきた。
手に、黒ずんだ木の塊を持っていた。権六はそれを楓の前に突き出した。
墨壺だった。
木をくり抜いて作った、古い墨壺だった。墨を含ませる綿は乾ききって固まり、糸を巻く車には、短く切れた糸が絡まっている。それでも、楓には一目で分かった。実家の作業場の棚に、祖父のものが並んでいた。
権六が、低い声で何か言った。
全部は分からなかった。ただ、「墨」という音と、楓を指す「おぬし」だけは聞き取れた。
墨は、おぬしが打て。
楓は両手で墨壺を受け取った。思っていたより、ずっと重かった。
権六は、もう背を向けていた。
楓は墨壺を胸に抱えたまま、緩みそうになる口元を、今度はこらえなかった。




