二十六話 いざ領地へ
私はアンナに借りた服を身に纏って、髪を一括りにしてからキャスケットの中にしまった。
ここまで丁寧に手入れされた長い髪は、平民にはいないから……隠さないと、すぐにバレてしまうもの。
それから、使用人がいない隙を見計らってこっそりと二人で廊下に出て、アンナの後ろで足音を立てないよう歩く。すると、アンナが廊下の突き当たりで足を止めて、壁を指さした。
「奥様、こちらです」
「こんなところに隠し出口があったなんて、知らなかったわ。一見すると、ただの壁にしか見えないし……」
「使用人しか使いませんからね。では、行きましょう、お足元に気をつけてください」
私はアンナに導かれるまま、使用人専用の扉を通る。それから、屋敷の後ろを通ってこっそりと公爵邸の敷地内を抜け出すことに成功した。
門番も、まさか公爵夫人が使用人専用の通用口から屋敷を抜け出しているなんて思ってもいないだろう。
「……なんだか、悪いことをしている気分だわ」
「ご安心ください。悪いことをなさってます」
「ふふ、こんなことするの初めてで、ドキドキしちゃう」
「私は別の意味でドキドキが止まりませんよ……」
そんな軽口を叩き合いながら、私達は公爵領の街へと繰り出した。
***
「わぁ……! とても活気のある街ね!」
「ここが公爵領の中で一番栄えている場所です」
「あら、林檎が売ってるわ。ちょっと買ってくるわね!」
「奥様!?」
私はアンナに目配せをしてから、一人で青果店の店主へ話しかける。
「お! お嬢ちゃん、見ねぇ顔だな!」
「えぇ、最近この地に越してきたの。林檎を一つくださるかしら?」
「毎度あり! お嬢ちゃんべっぴんだから、おまけにもう一つやるよ」
「まぁ、ありがとう!」
とても気の良い店主だ。それに、良い笑顔をしている。私は林檎を抱えながら、アンナの側へ駆け寄った。
「みてアンナ! おまけしてもらっちゃったわ」
「奥様、はしゃぎすぎですよ」
「ふふ、いいじゃない。次はあの店に行ってみましょう?」
「もう、仕方がありませんね」
私はやれやれと言った様子のアンナの手を引いて、公爵領を駆け回る。途中で子供達から花をもらったり、すれ違ったおばさまが手を振ってくれたり……。
すごく、楽しい。まるで、私も普通の女の子になったみたいで……。
気付けば少し時間が経ってしまっていた。いけないわ、目的を見失うところだった。
私は林檎を近くにいた子供にプレゼントしながら、聞きたかったことを口にする。
「ねぇ、君はこの街のこと……公爵領のこと、好き?」
「え? えっとねぇ、だいすき! みんなやさしいし、領主さまもかっこいいもん!」
「……そう、そうよね。ありがとう」
私は子供に手を振って、アンナと共に歩き出す。
____この領地は、とても素晴らしい地だわ。
整備が行き届いているのはもちろん、領民が皆幸せそうに働き、笑っている。街に活気がある。
まだ農業についてはわからないけれど、少なくとも飢えていないことくらい、この街を見ていればわかる。
……リュシアン様は、本当に素晴らしい領主様なのでしょうね。子供が慕っているくらいなのだもの。
そんな人を、私は避けている。身勝手な理由で…………。
「……このままじゃ、ダメよね」
「? どうかいたしましたか?」
「……ううん、独り言よ」
帰ったら、結婚式前の私達に戻ろう。変な意識は捨てて、あの夜のことは忘れるの。
そうしたらきっと、私達、理想のビジネスパートナーになれるはずだから……。
そう思って、胸に手をあてる。そこで、私はあることに気付いてしまった。
____ない。
そこにあるはずの……お母様の形見であるパープルサファイアのブローチが、なくなっていた。
「うそ、どうして……」
バクン、バクンと心臓が大きな音を立てる。
私はいても立ってもいられず、来た道を走って引き返した。
「……奥様!?」
少し遅れて、アンナが叫びながら私を追いかけてきた。けれど、私は昔から身体能力が高かったこともあり……どんどん距離が開いていく。
私はそんなアンナを気にかける余裕もなく、一心不乱に走った。一体、どこで落としてしまったの?
……なによりも、大切にしてきた宝物だったのに!
それから、アンナの声も聞こえなくなった頃。私はふと、通りかかった路地裏からなにかの気配を感じて……ゆっくりと覗き込んでみた。
すると、そこにはまばゆいくらいに輝くパープルサファイアのブローチが、ポツンと落ちていた。
見つけた…………。
間違いなく、お母様のブローチだわ。
私はしゃがんでブローチを拾ってから、ふぅ、と安堵の息を吐いた。
その、直後だった。
_____ガンッ!
「………………っ!?」
後頭部に鈍くて重い痛みが走って、私は為す術なくその場に倒れ込んでしまったのだった。




