第9話 封印された手紙
封印を解くのに、ミレイは半日かけた。
「雑に開けたら、手紙ごと灰になる封印だったよ」
夕方、作業室のランプに火が入る頃、ミレイはようやく椅子に背を預けた。額には薄く汗が浮かんでいる。
「死後に読ませたいくせに、簡単には読ませない。面倒な魔法使いだね」
「簡単に読まれたくなかったのでしょう」
ノアは封筒を受け取った。
青い封印石は砕け、油紙の表面には細かな魔法陣が浮かび上がっている。中には、折り畳まれた数枚の便箋が入っていた。
表書きには、こうある。
これを見つけた葬儀師へ。
ノアは息を止めた。
「葬儀師宛て?」
ミレイが覗き込む。
グリムも壁際で腕を組んだまま、わずかに視線を向けた。
ノアは便箋を開いた。
整った文字だった。震えも乱れもない。死の直前に書かれたものとは思えないほど、冷静な筆跡。
葬儀師殿。
まず、私の遺体を人として扱ってくれたことに礼を言う。
もしあなたがこの手紙を読んでいるなら、私は裏切り者として処理され、まともな葬儀を与えられていないだろう。
ノアはゆっくり読み進めた。
私は勇者パーティーを裏切ってはいない。
だが、王国の記録にはそう残る。
それでよい。
ミレイが眉をひそめる。
「それでよい?」
ノアは続けた。
北方任務の途中、私はパーティー内に英雄管理局の密偵がいることに気づいた。
密偵の役目は、勇者が王国に都合の悪い真実を知った時、報告し、必要なら処分することだった。
勇者カイルは、魔王領の子どもたちを逃がそうとした。
彼は命令に背いた。
その時から、彼は英雄ではなく危険因子になった。
ノアの指が止まった。
カイル。
第1章の勇者カイル。
アルトは、カイルの真実を知っていた。
手紙は続く。
カイルを刺した者の名を、私は知っている。
だが、ここには書かない。
書けば、この手紙を読んだ者も、カイルの生き残った仲間も殺される。
私は、罪をかぶることにした。
ノアは便箋を握りしめそうになり、慌てて力を抜いた。
私は魔王側に通じた裏切り者として振る舞った。
そうすれば、カイルが命令に背いた事実も、残った仲間たちが魔王領の子どもを逃がした事実も、すべて私一人の謀反として処理できる。
仲間たちは生き残る。
カイルは英雄として弔われる。
王国は真相を隠せる。
私は裏切り者になる。
これが、私にできる最も被害の少ない選択だった。
ミレイが小さく息を吐いた。
「……馬鹿だね」
その声は、いつもの軽さを失っていた。
ノアは続きを読む。
ただし、一つだけ頼みがある。
私を英雄にしないでほしい。
真実を暴き、私の名誉を回復しようとしないでほしい。
それは、生きている仲間たちを危険にさらす。
もし葬儀をしてもらえるなら、裏切り者でも英雄でもなく、一人の魔法使いとして弔ってほしい。
誰かを守るために、嘘を選んだ愚かな男として。
便箋の最後には、別の名前が記されていた。
生き残った仲間の名を、ここに記す。
彼らに罪はない。
どうか、巻き込まないでくれ。
その下に、三つの名前があった。
一つは、ノアも知っている名だった。
エリシア・ヴェイン。
ノアは目を見開いた。
「エリシアさん?」
ミレイが声を上げる。
「どうして聖女見習いの名前が?」
グリムが壁から離れた。
「ヴェイン……アルトと同じ姓だな」
ノアは手紙の最初に戻る。
アルト・ヴェイン。
エリシア・ヴェイン。
今まで気づかなかった。
エリシアは兄が行方不明だと言っていた。だが、アルトと彼女の関係はまだ分からない。同じ姓でも、親戚かもしれない。あるいは偶然かもしれない。
しかし手紙には、彼女を巻き込むなとある。
ノアは便箋を置いた。
「エリシアさんを呼びます」
グリムが低く言った。
「呼ばない方がいい」
「なぜです」
「この手紙が本物なら、彼女はもう巻き込まれている。呼べば、さらに深く巻き込む」
ミレイも頷く。
「英雄管理局が見てるかもしれない。聖務庁も。前回の祈りで、彼女は目をつけられたはずだよ」
ノアは黙った。
手紙には、はっきり書かれている。
真実を暴くな。
名誉を回復しようとするな。
生きている仲間を巻き込むな。
死者からの願いだった。
だが同時に、アルトは葬儀師へ手紙を残した。
見つけてほしかった。
読んでほしかった。
自分が本当は何をしたのか、誰か一人には知ってほしかった。
では、葬儀師はどうすればいい。
死者の願いを守るのか。
死者の名誉を守るのか。
生者の安全を守るのか。
その三つが、同じ方向を向いていない。
ノアは棺の中のアルトを見た。
穏やかな顔。
裏切り者として運ばれてきた男。
本当は誰も裏切っていなかった男。
むしろ仲間を守るために、裏切り者の名を選んだ男。
「アルト様は、どうして葬儀師に宛てたのでしょう」
ミレイは少し考えた。
「裁いてほしかったんじゃない?」
「裁く?」
「王国でも、聖務庁でも、仲間でもない。葬儀師なら、死者を肩書きで見ないと思ったんじゃないかな」
グリムがぼそりと言った。
「弔ってほしかったんだろう」
ノアはその言葉を胸の中で受け止めた。
弔う。
それは、真実を大声で叫ぶこととは違う。
罪を暴くこととも、名誉を回復することとも違う。
死者がどんな人生を終えたのか、その重さを引き受けて、送ること。
ノアは手紙を畳んだ。
「葬儀をします」
「参列者はいないよ」
ミレイが言う。
「裏切り者でも、参列者がいなくても、葬儀はできます」
「英雄管理局は最低限の埋葬だけって言ってた」
「最低限に、祈りを一つ足します」
グリムが小さく笑ったような気がした。
「お前の父親も、そういう面倒なことを言う男だった」
ノアはアルトの遺体へ向き直る。
「ただし、手紙の内容は公表しません」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
アルトは裏切り者ではない。
それを知っているのに、世間には告げない。
それは嘘に加担することではないのか。
ノアの迷いを見透かしたように、グリムが言った。
「全部を暴けば、全部が救われるわけじゃない」
ノアは顔を上げる。
グリムはアルトの棺を見ていた。
「戦場では、正しいことを言ったやつから死ぬことがある。死んだやつのために正しいことを言って、生きてるやつを殺すこともある」
それは、元冒険者としての言葉だった。
ノアは手紙を胸に当てた。
死者の真実を守ること。
生者の命を守ること。
その二つがぶつかった時、葬儀師は何を選ぶべきなのか。
答えはまだ分からない。
ただ、明日の葬儀で、アルトを裏切り者としてだけ送ることはできなかった。
その夜、ノアは一人で弔辞を書いた。
英雄ではない。
裏切り者でもない。
誰かを守るために嘘を選んだ、一人の魔法使い。
だが、そのまま書けば危険が及ぶ。
言葉を選ぶ。
言いすぎず、隠しすぎず。
死者を傷つけず、生者を巻き込まず。
それでいて、アルトの人生が完全に消えないように。
羽ペンの先が、何度も止まった。
カイルの時は、一文だけ真実を混ぜた。
リナの時は、エリシアが祈りを変えた。
だがアルトの場合、真実そのものが刃だった。
ノアは灯りの下で、弔辞の最初の一行を書いた。
アルト・ヴェイン。
あなたは、誰にも知られない選択をしました。
それが、彼を送るための精一杯の言葉だった。




