第8話 裏切り者の魔法使い
裏切り者の葬儀は、雨の日よりも静かに始まる。
誰も泣かない。
誰も花を持ってこない。
誰も、死者の名を呼ぼうとしない。
その日、レクター葬儀社に運ばれてきた棺には、白布も聖務庁の紋章もなかった。勇者カイルの時のような黒い馬車でも、聖女候補リナの時のような祈りの印でもない。
荷馬車の荷台に、ただ木箱のように積まれていた。
「魔法使いアルト・ヴェイン。享年二十三」
英雄管理局の使者は、手短に書類を読み上げた。
「元勇者パーティー随行魔法使い。北方任務中、魔王側へ通じた疑いにより拘束。その後、逃亡を図ったため処分。王国は、最低限の埋葬のみ許可する」
処分。
死者に使うには、あまりに乾いた言葉だった。
ノアは書類を受け取った。
「葬儀は」
「不要だ。遺体を整え、裏墓地へ送れ。参列者はいない」
「ご遺族は」
「連絡済みだが、引き取りを拒否した」
使者は棺を見ようともしなかった。
「裏切り者に、手間をかけるな」
その言葉を残して、使者は去った。
ノアはしばらく、荷馬車の上の棺を見つめていた。
勇者は英雄として飾られた。
聖女候補は殉教者として祈られた。
そして裏切り者は、物のように運ばれてきた。
だが、棺の中で眠る者に差はない。
死んでいる。
ただそれだけは、どんな称号よりも確かな事実だった。
「運びましょう」
ノアが言うと、棺桶職人のグリムが黙って頷いた。
グリムは大柄な男だった。無口で、必要なことしか言わない。顔には古い傷があり、右手の薬指が一本欠けている。元冒険者だと聞いているが、本人は昔の話をほとんどしない。
彼はアルトの棺を肩に担ぐと、重さを確かめるように一度だけ動きを止めた。
「軽いな」
「遺体は一人のはずです」
「魔法使いは、死ぬと軽くなるのか」
冗談ではなかった。グリムの声はいつも低く、感情が読みにくい。
ノアは棺を作業室へ運び入れた。
蓋を開けると、細身の男が横たわっていた。
黒髪。長い指。頬はこけているが、顔立ちは整っている。胸元には、魔法使いの証である青い石のペンダントがかけられていた。だが石にはひびが入り、魔力はほとんど失われている。
アルト・ヴェイン。
勇者パーティーを裏切った男。
書類にはそうある。
ノアは棺に向かって一礼した。
「お帰りなさいませ、アルト様」
その瞬間、胸の奥に小さな違和感が落ちた。
カイルの時ほど鋭くはない。リナの時ほど痛ましくもない。
だが、確かに何かが引っかかる。
ノアはアルトの顔を見た。
穏やかだった。
処分された者、逃亡を図った者、裏切り者として追い詰められた者の顔にしては、あまりにも静かだった。
口元には、わずかに笑みのようなものさえある。
「変な顔をしている」
グリムが言った。
「僕がですか」
「死者がだ」
グリムは棺を覗き込む。
「裏切り者の顔じゃない」
「裏切り者の顔を、見たことがあるのですか」
「何度も」
その一言だけで、グリムは黙った。
ノアはアルトの遺体を確認する。
手首に縛られた跡。肩に打撲。背中には鞭のような痕。処分前に拘束され、尋問を受けたのだろう。致命傷は胸の中央にある魔術焼灼痕だった。
魔法で心臓を焼かれている。
王国の処刑魔術によく似ていた。
「逃亡を図ったため処分、ですか」
ノアは書類を見た。
逃亡者なら、背中に傷があってもおかしくない。追われ、撃たれ、倒れたというなら。
だがアルトの致命傷は正面からだった。
逃げている相手を、正面から処分するだろうか。
作業室の扉が開き、ミレイが入ってきた。
「また変な棺?」
「今回は裏切り者だそうです」
「へえ。裏切り者って、死んだ後も忙しいんだね。誰にも見てもらえず、誰にも信じてもらえず、都合のいい罵声だけ被せられる」
彼女は軽い口調で言いながら、手袋をはめる。
「診るよ」
ミレイはアルトの胸の焼灼痕を確認した。
「処刑魔術だね。王国式。短時間で心臓だけ焼くやつ」
「逃亡中に?」
「できなくはない。でも、これは固定された状態で撃たれてる。体が動いた痕跡がない。逃げながら受けた傷じゃない」
ノアは眉を寄せる。
「では、処刑された」
「そう見える」
「書類には、逃亡を図ったため処分とあります」
「王国の書類って、便利だね」
ミレイはそう言って、アルトの手を取った。
「指がきれいだ」
「魔法使いですから」
「いや、戦闘魔法使いにしては、爪が割れてない。手荒れも少ない。研究職寄りかな。結界とか、記録魔法とか、そういうタイプ」
ノアはアルトの所持品を確認した。
割れたペンダント。
空のインク瓶。
短い羽ペン。
焦げた紙片。
そして、外套の裏に縫い込まれていた小さな銀糸。
銀糸は、何かの封印に使われるものだった。
「縫い目が新しい」
ノアは外套の内側を確認する。
胸元ではない。袖でもない。棺の中で体の下になる位置。死者を棺へ納める時、よほど注意しなければ気づかない場所だ。
「グリムさん、少し持ち上げてもらえますか」
グリムがアルトの体を慎重に支える。ノアは棺の底板を見た。
底板の一部が、わずかに浮いている。
「二重底か」
グリムが呟く。
ノアは細い刃を差し込み、板を外した。
中から、油紙に包まれた小さな封筒が出てきた。
封には、青い石の欠片が埋め込まれている。アルトのペンダントと同じ石だ。
ミレイが低く言った。
「本人の魔力封印だね。外から開けると燃えるかも」
「開けられますか」
「時間をかければ」
ノアは封筒を作業台に置いた。
死者が棺の底に隠したもの。
それは、偶然ではない。
アルトは自分が死ぬことを知っていた。
死後、誰かに見つけてほしくて、手紙を棺に隠した。
だが、それなら。
裏切り者として処分された男が、なぜ穏やかな顔で眠っているのか。
なぜ逃亡者のはずが、正面から処刑されているのか。
なぜ手紙を、棺の中に残したのか。
ノアはアルトの顔を見た。
「あなたは、本当に裏切ったのですか」
答えはない。
ただ棺の底の手紙だけが、かすかに青く光っていた。




