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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第2章 聖女の祈りは届かなかった

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第6話 奇跡は命を削っていた

リナの遺品は、驚くほど少なかった。


小さな祈祷書。

聖務庁支給の白い髪紐。

割れた水晶の護符。

そして、布表紙の日記。


それだけだった。


勇者カイルの遺品には、剣帯や外套、守り人形があった。彼が戦場で何かを見て、何かを選ぼうとした痕跡があった。


リナの遺品には、彼女自身の時間がほとんど残っていない。


まるで、聖女候補になった瞬間から、少女としての持ち物を持つことを許されなかったかのようだった。


ノアは日記を開く前に、エリシアへ視線を向けた。


「読んでも?」


エリシアは棺のそばに座ったまま、しばらく返事をしなかった。


「本当は、読まれたくないと思います」


「では」


「でも……読まれないまま、殉教者にされるのは、もっと嫌だと思います」


ノアは頷き、日記を開いた。


最初のページには、丸い文字でこう書かれていた。


今日、聖女候補の白い服をもらった。

エリシアさんが似合うと言ってくれた。

嬉しかった。


エリシアが唇を噛んだ。


ページを進める。


最初の頃の日記は明るかった。訓練のこと。食堂のパンが硬かったこと。祈りの発音を何度も間違えたこと。エリシアに髪を結んでもらったこと。


だが、北方戦線へ送られてから、文字は少しずつ乱れていく。


今日、兵士さんを十二人治した。

先生に褒められた。

でも手が痛い。

明日はもっと頑張る。


次のページ。


今日は二十人。

一人だけ間に合わなかった。

私のせいかもしれない。

先生は、泣く時間があるなら祈りなさいと言った。


さらに次。


手首から血が出た。

でも、まだ治せる。

私が休むと、誰かが死ぬ。


エリシアが顔を覆った。


「やめて」


ノアは手を止めた。


「読みます」


彼女は震える声で言った。


「やめてと言ったら、また誰も聞かなかったことになる。読みます」


ノアは静かに頷き、続きを読んだ。


もう日付は乱れていた。文字もかすれている。


眠い。

祈ると、胸が痛い。

水を飲むと吐く。

先生が、もう少しだけと言った。

もう少しだけが、毎日続く。


最後のページに近づくほど、文字は小さくなった。


治した兵士さんが、ありがとうと言った。

嬉しかった。

でも、そのあと別の人が運ばれてきた。

ありがとうが終わる前に、次の悲鳴が来る。


ノアは喉の奥が詰まるのを感じた。


死者の日記を読む時、葬儀師は泣いてはいけないと父は言っていた。泣くなという意味ではない。泣くより先に、受け止めなければならないという意味だ。


最後のページには、たった一行だけが書かれていた。


もう祈れない。


エリシアの肩が震えた。


「リナは……いつも笑っていました」


彼女は棺の中の少女を見る。


「訓練で失敗しても、食事が少なくても、先生に叱られても。私が大丈夫かと聞くと、大丈夫ですって。私、信じていました。笑っていたから」


「笑うことしかできなかったのかもしれません」


ノアの言葉に、エリシアは目を閉じた。


「私たちは、聖女候補として教えられます。奇跡は神から与えられた光であり、惜しまず使うべきものだと。誰かを救うために命を削ることは尊いのだと」


「命を削ることは、本人が選んだ時だけ尊いのではありませんか」


エリシアは返事をしなかった。


その沈黙の中で、ミレイが淡々とリナの検査結果を書き留めていた。


「死因は、魔力枯渇。生命力消耗。栄養不足。睡眠不足。反動傷の悪化。呪いの痕跡は微量。致命因子じゃない」


「聖務庁は、それを分かっていて魔王の呪いにしたのでしょうか」


ノアが尋ねると、ミレイは羽ペンを止めた。


「分からない。でも、この状態を見て呪いだけが死因だと言うなら、見た人間は遺体を見てないか、見たくなかったかのどっちかだね」


見たくなかった。


ノアはその言葉を胸の中で繰り返した。


勇者カイルの背中の傷も、見たくなければ存在しないことにできる。リナの手首の反動傷も、呪いという言葉を貼れば隠せる。


王国の物語は、見たくないものを覆う布なのかもしれない。


その日の午後、聖務庁から使者が来た。


黒ではなく白の制服。胸には祈りの紋章。英雄管理局より柔らかい物腰だったが、言葉の硬さは同じだった。


「リナ・メイベルの葬儀は、明日、聖務庁小礼拝堂にて行います。弔いの祈りはこちらで用意しました」


使者は巻かれた紙をエリシアに渡した。


「エリシア・ヴェイン。あなたが読みなさい」


エリシアは紙を受け取った。


「私が、ですか」


「リナとは訓練をともにしたのでしょう。民衆は、同じ聖女候補の祈りに心を打たれます」


民衆は、心を打たれる。


その言い方が、ノアにはひどく冷たく聞こえた。


使者が帰ったあと、エリシアは祈りの文を開いた。


そこには、リナの死が美しく整えられていた。


聖女候補リナ・メイベルは、魔王の呪いに侵されながらも、最後まで祈りをやめなかった。

その尊い犠牲により、多くの兵士が救われた。

彼女の魂は神の御許へ導かれ、王国の光となる。


エリシアの指が震える。


「最後まで祈りをやめなかった」


ノアは言った。


「日記には、もう祈れないとありました」


「尊い犠牲」


エリシアの声がかすれる。


「リナは、犠牲になりたかったのでしょうか」


誰も答えられない。


聖務庁の祈りは美しい。

だが、その美しさはリナの疲れた手を隠している。

彼女が眠れなかった夜を、吐き気に耐えた朝を、もう祈れないと書いた震える指を消している。


エリシアは紙を握りしめた。


「私は、これを読まなければならないのですか」


ノアはすぐには答えなかった。


カイルの国葬で、彼は弔辞に一文だけ自分の言葉を加えた。だが、今度はエリシアの番だ。彼女が何を祈るのかは、ノアが決めていいことではない。


「祈りは、誰のためのものですか」


ノアは静かに尋ねた。


エリシアは顔を上げる。


「王国のためですか。聖務庁のためですか。参列者を感動させるためですか」


「違います」


彼女は小さく首を振った。


「死者のためです」


「では、リナ様のために祈る言葉を選ぶべきです」


エリシアは棺の中のリナを見た。


包帯を外した手には、反動傷が残っている。白く細い指。治癒魔法で多くの命を救った手。誰にも止めてもらえなかった手。


「でも、私が違う言葉を祈れば、聖務庁に背くことになります」


「はい」


「私はまだ聖女ではありません。立場も力もありません」


「はい」


「怖いです」


ノアは頷いた。


「怖くて当然です」


エリシアの目に涙が浮かぶ。


「リナも怖かったのでしょうか」


「日記には、怖いとは書いていませんでした」


「では」


「でも、もう祈れないと書いていました」


それは、怖いよりも深い言葉かもしれない。


エリシアは祈りの紙を見つめ続けた。


長い時間が過ぎた。


やがて彼女は、祈りの紙を丁寧に畳んだ。そして、懐から小さな白紙を取り出す。


「ノアさん」


「はい」


「リナの日記を、もう一度読ませてください」


ノアは日記を渡した。


エリシアはそれを両手で受け取り、棺のそばに座る。まるで、リナと並んで訓練室に座っているかのように。


彼女はページを開き、小さな声で読み始めた。


嬉しかった。

手が痛い。

もっと頑張る。

泣く時間があるなら祈りなさい。

私が休むと、誰かが死ぬ。

もう祈れない。


一つひとつの言葉が、作業室に落ちていく。


エリシアは白紙に羽ペンを置いた。


聖務庁の祈りではない。

王国のための言葉でもない。

民衆を泣かせるための言葉でもない。


リナ・メイベルという一人の少女に届く言葉を、彼女は探し始めた。


その横顔を見ながら、ノアは思った。


勇者の棺も、聖女の棺も、同じだ。


死者は何も語れない。

だから生者が言葉を選ぶ。


その言葉が嘘なら、死者は二度死ぬ。

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