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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第2章 聖女の祈りは届かなかった

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第5話 聖女候補の棺

勇者カイルの国葬から二日後、王都にはまだ花の匂いが残っていた。


鐘楼広場へ続く道には、白い花びらが踏み潰され、石畳に薄く張りついている。雨に濡れた花はもう香りを失い、ところどころ茶色く変色していた。


英雄は、弔われたあとも美しくは残らない。


ノアは朝早くから、レクター葬儀社の作業室を整えていた。カイルの棺を送り出した作業台には、新しい白布が敷かれている。銀の鋏、香油、清拭布、祈祷用の小瓶。道具は父に教えられた順番通りに並べた。


だが、台帳の一ページだけは閉じられずにいる。


勇者カイル・アーヴィング。


公式死因、魔王の炎による戦死。


その下に、ノアが書き足した数行。


背部刺創。

死後焼損。

聖騎士団紋章布。

魔王領の守り人形。


彼は、背中から死んでいた。


ノアはその文字を指先でなぞった。


国葬は終わった。

民衆は泣き、花を捧げ、勇者の物語を胸に帰っていった。

けれど、カイルがなぜ背中から刺されたのか、誰が胸を焼いたのか、何一つ明らかになっていない。


葬儀は、真相を終わらせる場所ではない。

むしろ、始まりになることがある。


玄関の鈴が鳴ったのは、昼前だった。


扉を開けると、灰色の制服を着た英雄管理局の使者が立っていた。背後には、小さな棺を乗せた馬車がある。


勇者の棺ほど豪華ではない。だが、白い布と聖務庁の紋章がかけられている。


「レクター葬儀社だな」


「はい」


「聖女候補リナ・メイベルの遺体だ。聖務庁からの依頼により、葬儀前の保全と清拭を行え」


ノアは一瞬、言葉を失った。


聖女候補。


まだ正式な聖女ではないが、癒やしの奇跡を持つ少女たちの総称だ。王国では勇者と同じく、民衆の希望として扱われている。


「死因は」


使者は書類を差し出した。


「魔王の呪い。北方戦線の後方治療所にて、負傷兵の治療中に呪詛を受け死亡。聖務庁は彼女を殉教者として弔う」


また、魔王。


また、用意された物語。


ノアは書類を受け取った。


「聖務庁の方は」


「あとで祈り手が来る。聖女見習いのエリシア・ヴェインだ」


エリシア。


その名を聞いた時、ノアの胸に小さな不安が生まれた。


カイルの葬儀で、彼女は王国の祈りに一文だけ自分の言葉を加えた。英雄管理局がそれを見逃したとは思えない。今度の葬儀に彼女を送るのは、偶然なのか。それとも監視なのか。


棺が作業室へ運び込まれた。


勇者の棺と比べると、驚くほど軽かった。


中に眠っていたのは、少女だった。


年は十五、六ほど。淡い栗色の髪が頬に貼りつき、細い首元には聖務庁の白い布が巻かれている。顔は血の気を失い、唇は青白い。


痩せていた。


戦場で亡くなったにしても、あまりに痩せている。


ノアは棺に向かって一礼した。


「お帰りなさいませ、リナ様」


胸元の布を整えようとして、ノアは手を止めた。


聖女候補リナの手は、包帯だらけだった。指先まで白く巻かれ、ところどころ血が滲んでいる。戦場で怪我をしたのだろうか。


だが、傷の位置が奇妙だった。


手のひら、手首、前腕。

外から受けた傷というより、内側から裂けたような痕跡。


ノアは書類を確認する。


魔王の呪い。

全身衰弱。

魂魄汚染。

聖務庁認定。


魂魄汚染という言葉は便利だ。見えないものに原因を押しつける時、よく使われる。


作業室の扉が叩かれた。


「ノアさん」


入ってきたのはエリシアだった。


白い聖衣をまとい、胸には聖務庁の徽章。だが、国葬の時よりも顔色が悪い。


彼女は棺を見るなり、息を止めた。


「リナ……」


「お知り合いでしたか」


エリシアはゆっくり頷いた。


「同じ聖女候補の訓練を受けていました。私より二つ下で、いつも笑っていて……治癒魔法が得意で」


声が震える。


「北方へ送られたのは知っていました。でも、まさか」


ノアは棺のそばを少し空けた。


エリシアはリナの顔を覗き込む。祈りの形に指を組もうとして、途中で止まった。包帯だらけの手を見たからだ。


「こんなに、痩せて」


「戦場では、過酷だったのでしょう」


「でも、リナはまだ正式な聖女ではありません。後方支援のはずです。前線に出ることはないと」


「書類では、後方治療所で呪いを受けたと」


「魔王の呪い……」


エリシアはその言葉を反復した。信じようとしている声だった。信じなければ、自分の中の何かが壊れるから。


ノアは慎重に尋ねた。


「魔王の呪いを受けた遺体には、どのような痕跡が残りますか」


「黒い斑紋が、胸や喉に出ると教えられています。祈りを拒むように、皮膚が硬くなって……魔力の淀みが」


彼女はリナの首元の布に手を伸ばした。


「失礼します、リナ」


布をほどく。


首元には、たしかに黒い斑点のようなものがいくつかあった。


だが、エリシアの表情が変わる。


「……薄い」


「薄い?」


「呪いなら、もっと深く広がるはずです。これは、まるであとから浮かんだ痣のような」


ノアは手首の包帯に目を落とした。


「包帯を外しても?」


エリシアは迷った後、頷いた。


ノアは一本ずつ丁寧に包帯を解いていく。死者の皮膚を傷つけないよう、乾いた血を湿らせながら。


現れた手首は、痛々しかった。


傷がある。


だが剣傷ではない。魔物に噛まれた跡でもない。皮膚の内側から裂け、血管が焼き切れたような細かい破れ。


エリシアの顔から血の気が引いた。


「これは……治癒魔法の、反動傷」


「反動傷?」


「治癒魔法は、無から命を作るわけではありません。術者の魔力と生命力を使って、相手の回復を早めます。限界を超えて使えば、術者自身の体が壊れます」


ノアはリナの細い腕を見た。


「では、これは呪いではなく」


「まだ分かりません」


エリシアは即座に言った。


しかし、その声には自信がなかった。


「魔王の呪いによって、治癒魔法が暴走した可能性もあります。聖務庁がそう判断したのなら」


その時、裏口が開いた。


「聖務庁の判断って、便利な言葉だよね」


ミレイだった。外套を肩にかけ、いつものように軽い口調で入ってくる。だが、棺の中のリナを見ると、口元を引き結んだ。


「若いね」


「見てほしい」


ノアが言うと、ミレイは手袋をはめた。


「また公式死因と違うやつ?」


「まだ分からない」


「それ、前回も聞いた」


ミレイはリナの手首、喉、胸元を順に確認する。水晶板をかざし、魔力の残滓を調べる。さらに小瓶の中の透明な液を綿に含ませ、黒い斑点の一つに触れた。


斑点はにじむように薄れた。


エリシアが息を呑む。


「呪いの斑紋なら、こんな反応はしない」


ミレイの声が低くなる。


「これは呪いじゃない。少なくとも、死因になるほどの呪詛は残ってない」


「では、死因は」


ミレイはリナの手を見た。


「治癒魔法の使いすぎ。極度の魔力枯渇と生命力の消耗。簡単に言えば、治しすぎて死んだ」


エリシアが一歩下がった。


「そんな……」


「この子、何人治したの?」


誰も答えられない。


書類には書かれていない。

何人治したのか。

何時間祈り続けたのか。

いつ休んだのか。

誰が止めたのか。


それは、聖女の美談には不要な数字なのだろう。


エリシアはリナの包帯だらけの手を見つめていた。


「リナは、戦場に行くのを怖がっていました」


ぽつりと、彼女が言った。


「でも、聖務庁の先生は言いました。あなたの奇跡を待っている人がいる。あなたが休めば、誰かが死ぬ、と」


ノアは、カイルの言葉を思い出した。


自分が逃げれば、誰かが代わりに死ぬ。


勇者にも、聖女にも、同じ鎖がかけられている。


エリシアの指が震えた。


「リナは、呪いで死んだのではないのですか」


ミレイは答えなかった。


ノアも答えなかった。


答えは、棺の中にあった。


リナの痩せた頬。

包帯だらけの手。

薄すぎる呪いの痕跡。

使い尽くされた命。


聖女候補リナ・メイベルは、魔王に殺されたのではない。


誰かを救い続けた末に、救われないまま死んだのだ。

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