第42話 国葬の鐘が鳴る
国葬の日、王都は人で埋まった。
鐘楼広場を中心に、通りという通りに民衆が集まっている。屋根の上、窓辺、橋の欄干、あらゆる場所に人がいた。皆、白い花や紙の剣を手にし、勇者アレスの名を口にしている。
王国史上最大の国葬。
最後の魔王を討った英雄を送る日。
鐘が鳴った。
低く、長く、王都全体を震わせる鐘。
ノアは祭壇の裏で、その音を聞いていた。
白い葬儀服に黒の外套。
手には父の白手袋。
胸元には、葬儀師の小さな徽章。
目の前には、勇者アレスの棺がある。
白銀の棺は、花に囲まれていた。胸の裂傷が民衆に見えるよう、布は整えられている。公式の物語に合わせた、美しい死の演出。
ノアは棺のそばに立ち、静かに一礼した。
「お帰りなさいませ、アレス様」
これが、本当の葬儀になるかどうかは、これから決まる。
祭壇の正面には、王国の重臣、聖務庁の高位聖職者、王国軍の将校、各ギルド代表、新聞書き、吟遊詩人たちが並んでいる。
英雄管理局の職員も多い。
その中央に、オルガン・レイスがいた。
灰色の外套ではなく、正式な局長服を着ている。表情は静かだった。ノアと目が合うと、彼はわずかに頷いた。
それは合図ではない。
警告でもない。
ただ、始まるのだという確認だった。
エリシアは聖務庁の祈り手たちの列にいた。
白い聖衣。銀髪を結い、祈りの杖を持っている。表情は穏やかだった。だが、その目には確かな決意が宿っている。
グリムは祭壇下の警備協力者として紛れている。
ミレイは民衆側にいるはずだ。証拠の紙束を持って。
国葬は、予定通り始まった。
司会官が高らかに宣言する。
「これより、最後の魔王を討ち、王国に永遠の平和をもたらした勇者アレス・グラントの国葬を執り行う」
民衆が一斉に頭を下げる。
楽隊が沈痛な旋律を奏で、聖務庁の合唱隊が祈りの歌を歌う。白い花が祭壇へ捧げられ、王国軍の将校が剣を掲げる。
すべてが美しかった。
美しすぎた。
ノアは胸の奥で、これまでの棺を思い出していた。
背中から死んでいたカイル。
もう祈れないと書いたリナ。
棺の底に手紙を残したアルト。
死ななかったユージン。
番号七三だったセオ。
魔王と呼ばれたガルディア。
空の棺で迎えたルシアン。
沈黙を悔いたロアン。
薬針で処理された父。
彼らも、王国が望めば美しくできただろう。
でも、美しい嘘は、死者の痛みを消してしまう。
式次第が進み、聖務庁の祈りの番になった。
司祭がエリシアへ視線を向ける。
「祈り手、エリシア・ヴェイン」
民衆の前へ、エリシアが進み出る。
聖務庁が用意した祈祷文が手渡された。
彼女はそれを受け取る。
一瞬、ノアと目が合った。
エリシアは小さく頷いた。
そして、祈祷文を開いた。
「神よ。勇者アレス・グラントの魂を、光の道へお導きください」
定型文。
民衆が頭を垂れる。
「彼は最後の魔王を討ち、王国に平和を」
そこで、エリシアの声が止まった。
司祭が眉をひそめる。
オルガンが静かに彼女を見る。
エリシアは祈祷文を下ろした。
「私は、この祈りを読めません」
広場がざわめいた。
聖務庁の司祭が低く言う。
「エリシア」
彼女は振り返らなかった。
「死者の魂を送る祈りは、死者の望まなかった嘘を飾るためのものではありません」
民衆のざわめきが大きくなる。
エリシアは祈祷文を畳み、自分の紙を取り出した。
「勇者アレス様。あなたが何を望み、何のために剣を置いたのか、私たちはこれから知ろうとしています。どうか、あなたの言葉が届くように。どうか、死者の沈黙が、嘘で塞がれませんように」
司祭が制止しようと前へ出た。
その瞬間、グリムが祭壇下で動いた。
司祭の進路を遮るように、何人かの冒険者たちが立つ。
王国軍の兵士がざわめく。
式は乱れた。
そして、ノアの番が来た。
予定より早い。
だが、もう戻れない。
司会官が混乱しながらも、式次第を進めようとする。
「葬儀師による弔辞を」
ノアは祭壇の中央へ進んだ。
手には、英雄管理局が用意した弔辞。
勇者アレス・グラント。
最後の魔王を討ちし英雄。
王国の光。
ノアは紙を開いた。
広場中の視線が集まる。
オルガンがこちらを見ている。
ノアは息を吸った。
最初の一文を読めば、王国の物語は完成する。
だが、彼は違う言葉を選んだ。
「勇者アレス・グラントは」
声が広場に響いた。
「最後の魔王を討って死んだのではありません」
一瞬、世界が止まった。
風すら止まったようだった。
次の瞬間、広場が爆発したようにざわめいた。
「何だと?」
「どういうことだ!」
「葬儀師が何を言っている!」
王国軍が動く。
英雄管理局の職員が祭壇へ向かう。
聖務庁の司祭が叫ぶ。
だが、ノアは止まらなかった。
「勇者アレスは、最後の魔王ゼルド・ハイムと和平を結ぼうとしていました」
彼は懐から、アレスの手紙を取り出した。
「これは、アレス様自身が残した手紙です」
祭壇下で、ミレイが動いた。
複写された手紙と記録が、新聞書き、ギルド代表、吟遊詩人たちの手に渡されていく。人々がそれを読み、周囲へ回す。
ざわめきが別の色へ変わる。
疑い。
困惑。
恐怖。
怒り。
ノアは続けた。
「アレス様は魔王を討ったのではなく、剣を置きました。魔王ゼルドもまた、剣を置きました。二人は和平の証人となろうとしていた」
王国軍の兵士が祭壇へ駆け上がる。
グリムが立ちはだかる。
金属音が響いた。
エリシアが祈りの杖を掲げ、兵士たちの足元に淡い結界を張る。長くは持たない。だが、数秒でいい。
ノアはアレスの手紙を広げる。
そして、勇者自身の言葉を読んだ。
「私は魔王を討たなかった。私は、彼と握手した」
広場が静まり返った。
その一文は、どんな説明よりも強かった。
勇者と魔王が握手した。
百年続いた王国の物語が、その一文で軋んだ。
ノアは顔を上げる。
「そして、その和平は王国側の者によって壊されました。アレス様の致命傷は、魔王の爪ではありません。脇腹に残された、人間の刃による刺し傷です」
「黙らせろ!」
王国軍の将校が叫ぶ。
その声に重なるように、別の声が上がった。
「俺が見た!」
祭壇下に、ダリオ・クレインが立っていた。
元アレス隊副官。
彼は震えながらも、民衆へ向かって叫んだ。
「俺は、アレス隊で最後に生き残った者だ! 隊長は魔王と和平を結ぼうとしていた! 刺したのは魔王じゃない、王国側の兵だ!」
群衆が揺れる。
英雄管理局の職員がダリオを捕らえようとする。ミレイが煙瓶を投げ、白い煙が広がる。
ノアは、その混乱の中で弔辞を握りしめた。
公式弔辞は、手の中でしわになっている。
これを読むために、彼はここに立ったのではない。
彼は、破った。
王国が用意した弔辞を。
紙が裂ける音が、なぜか広場に大きく響いた。
ノアは破れた紙を足元に落とし、アレスの棺に向かって一礼した。
「アレス様。あなたを、嘘の勝利者としては送りません」
そして、民衆へ向き直る。
「これは、勇者アレス一人の話ではありません」
鐘楼の鐘が、再び鳴った。
予定にない鐘だった。
誰が鳴らしたのか分からない。
だが、その音は王都全体に広がった。
最後の勇者葬儀は、王国が望んだ形では終わらない。
ここから、死者たちの名前が呼ばれる。




