第41話 それぞれの役割
国葬前夜、王都は眠っていなかった。
鐘楼広場では夜通し準備が続いている。
白い花が運ばれ、聖務庁の祈り手たちが配置を確認し、王国軍の兵士たちは祭壇周囲の警備線を張っていた。英雄管理局の職員たちは、弔辞、式次第、参列者名簿、民衆誘導、すべてを細かく確認している。
死者を送る場というより、戦の前夜のようだった。
レクター葬儀社の作業室では、四人が最後の確認をしていた。
机の上には、複写された証拠が束になっている。
アレスの手紙。
和平文書の写し。
勇者制度設計案。
英雄管理局基本綱領の該当箇所。
聖女制度連携記録。
魔王指定効果測定。
ルシアン、セオ、リナ、カイル、ガルディアの記録要約。
ロアンの遺言抜粋。
ミレイはそれらを薄い紙束に分けていた。
「全部配るのは無理。だから三種類作った。短いやつ、中くらいのやつ、全部入り」
「全部入り?」
「命知らずの新聞書きと、記録好きのギルド代表向け」
「そんな人がいるのですか」
「いる。真実より面白いものが好きな人たち」
それは頼もしいのか不安なのか分からなかった。
グリムは祭壇周辺の地図を広げている。
「兵の配置はここ。英雄管理局の職員は祭壇裏。王国軍は左右。民衆の前に出るなら、この三か所で止められる」
「グリムさん一人で?」
エリシアが尋ねる。
「一人じゃない」
その時、裏口から数人の男たちが入ってきた。
かつての冒険者仲間らしい。
片目の弓使い、杖をついた老戦士、無口な女剣士。
グリムは短く紹介した。
「昔の借りがある連中だ」
ミレイが小声で言う。
「グリムさん、ちゃんと友達いたんだ」
「聞こえてるぞ」
ノアは彼らに頭を下げた。
「危険なことになります」
片目の弓使いが笑った。
「葬儀で暴れるのは初めてだ。面白そうじゃないか」
老戦士が肩をすくめる。
「俺たちは、国を壊しに行くわけじゃない。若い葬儀師が弔辞を最後まで読めるようにするだけだ」
それだけで十分だった。
エリシアは自分の祈祷文を見つめていた。
聖務庁から渡された正式な祈り。
勇者アレスは、最後の魔王を討ち、王国に光を取り戻しました。
その魂は神の御許へ導かれ、永遠に王国の剣として輝くでしょう。
彼女はそれを静かに畳んだ。
代わりに、自分で書いた短い紙を懐に入れる。
「読まないのですか」
ノアが聞くと、エリシアは首を振った。
「読みません。明日、私は聖務庁の祈り手として祭壇に立ちます。でも、祈るのは王国のためではありません」
「何を祈るのですか」
「死者の言葉が、生者に届くように」
その言葉は、もう聖女見習いのものではなかった。
ノアは自分の弔辞を見た。
英雄管理局から渡された公式弔辞。
勇者アレス・グラント。
最後の魔王を討ちし剣。
恐れを知らぬ王国の光。
魔王の爪を胸に受けながらも、最後の一撃で災厄を終わらせた英雄。
嘘。
整った嘘。
ノアはその横に、自分の弔辞を書いていた。
まだ完成していない。
何度も書き直した。
真実をすべて一度に叫べば、人々は受け止められない。
だが、曖昧にすれば、また物語に飲まれる。
最初の一文だけは決めていた。
勇者アレスは、魔王を討って死んだのではありません。
それを言った瞬間、国葬は止まる。
そこから先は、時間との勝負だ。
「怖いですか」
エリシアが尋ねた。
ノアは少し考えて、頷いた。
「怖いです」
「私もです」
二人は静かに笑った。
怖くない英雄になど、なりたくない。
カイルも怖かった。
ユージンも怖かった。
リナも、セオも、ルシアンも、きっと怖かった。
それでも、彼らは何かを守ろうとした。
ノアたちも同じだ。
ミレイが作業を終え、紙束を革袋に詰めた。
「証拠配布は任せて。私、逃げ足には自信あるから」
「捕まらないでください」
「そっちこそ、弔辞を読み切る前に刺されないでよ」
冗談のようで、冗談ではなかった。
グリムがノアに小さな短剣を差し出した。
「持っていけ」
ノアは首を振った。
「使えません」
「使えなくても、持て」
「葬儀師が祭壇に刃を持つわけにはいきません」
グリムは不満そうに眉を寄せた。
「お前は本当に面倒だ」
「よく言われます」
代わりに、ノアは白手袋を手に取った。
父の使っていたものだった。
古くなっているが、丁寧に洗われている。
「明日は、これを着けます」
グリムはそれ以上何も言わなかった。
夜が深まる頃、ノアは一人で作業室に残った。
台帳を開く。
これまでの死者の名が並んでいる。
カイル。
リナ。
アルト。
ユージン。
セオ。
ガルディア。
ルシアン。
ロアン。
イザーク。
そして、空白の欄。
アレス・グラント。
ノアはそこに、まだ死因を書かなかった。
明日、棺の前で確かめる。
明日、民衆の前で伝える。
ノアは父の白手袋を胸に当てた。
「父さん」
小さく呼ぶ。
「明日、僕は弔辞を読み換えます」
父は、弔辞を書き換えられた男だった。
王国に弔辞を奪われ、死者の名を消され、それでも記録を残した。
今度は、ノアが弔辞を書き換える。
王国の嘘から、死者の真実へ。
「復讐ではありません」
自分に言い聞かせる。
「これは、葬儀です」
窓の外で、鐘楼の影が月に浮かんでいた。
国葬まで、あと一日。
最後の勇者葬儀が始まろうとしている。




