第39話 勇者アレスの国葬
王都は、白い布で覆われていた。
通りの窓には弔旗が垂れ、広場の柱には勇者の紋章が掲げられている。商人たちは店先に花を置き、子どもたちは紙で作った白い剣を手にしていた。
誰もが、同じ名を口にする。
勇者アレス。
最後の魔王を討った英雄。
百年続いた災厄の時代に終わりを告げた者。
王国史上最大の勇者。
その国葬が、三日後に行われる。
鐘楼広場には、すでに巨大な祭壇が組まれていた。勇者カイルの国葬とは比べものにならない規模だった。祭壇の中央には、白銀の棺を置くための台座があり、その周囲を聖務庁の祈り手、王国軍の衛兵、英雄管理局の職員たちが行き交っている。
国葬というより、王国そのものの舞台だった。
ノアは群衆に紛れて、その祭壇を見上げていた。
隣にはエリシア。少し離れてグリムとミレイ。四人はそれぞれ別々に動き、できる限り目立たないようにしている。
「大きすぎますね」
エリシアが小さく言った。
「はい」
ノアは頷いた。
大きな葬儀ほど、死者の顔が見えにくくなる。
勇者アレスという名は、王都中に響いている。けれど、その名の下に眠る一人の人間がどんな顔をしていたのか、誰も語らない。
語られるのは、功績ばかりだった。
最後の魔王を討った。
魔王領の脅威を終わらせた。
王国に平和をもたらした。
人類の希望となった。
美しすぎる物語。
だからこそ、ノアは疑っていた。
王国がこれほど美しく整えた死に、嘘がないはずがない。
「アレス様の遺体はどこに」
ノアが尋ねると、エリシアは視線を祭壇の奥へ向けた。
「英雄管理局の一時安置室です。国葬前夜に、鐘楼広場へ移されます」
「確認できる機会は」
「通常ならありません。ですが、葬儀準備に携わる葬儀師としてなら、接触できる可能性があります」
「僕は、もう英雄管理局に警戒されています」
「それでも、アレス様ほどの国葬では、王都中の葬儀師が協力に呼ばれます。レクター葬儀社にも、正式な依頼が来るはずです」
その言葉通り、翌朝、レクター葬儀社に灰色の封筒が届いた。
英雄管理局からの正式依頼。
勇者アレス・グラント国葬に関する補助業務。
遺体保全確認、棺内布の調整、弔辞補助、葬儀当日の進行支援。
レクター葬儀社、ノア・レクターを担当補助葬儀師として任命する。
ミレイは封筒を見て、露骨に顔をしかめた。
「罠じゃん」
「罠ですね」
ノアは認めた。
「でも、断れば遺体に近づけません」
グリムが腕を組む。
「向こうは、お前を舞台に上げるつもりだ」
「監視しやすいからですか」
「それもある。だが、オルガンはお前を試している」
エリシアは封筒を見つめていた。
「私にも、聖務庁から通達が来ました。祈り手の一人として、国葬に参加せよと」
「あなたは拘束対象では」
「正式な処分はまだ下っていません。国葬前に聖務庁内の問題を表沙汰にしたくないのでしょう。最後の大舞台で、私は王国の祈りを読む役に戻されるようです」
「それも罠だね」
ミレイが呟く。
エリシアは頷いた。
「はい。でも、私も祭壇に立てます」
ノアは彼女を見る。
王国は二人を舞台に上げようとしている。
ノアを葬儀師として。
エリシアを祈り手として。
それは監視のためでもあり、王国の物語に再び組み込むためでもあるのだろう。
死者の真実を知った二人を、最後の勇者国葬という最も大きな嘘の中に立たせる。
屈服させるには、それ以上ない場所だ。
「受けます」
ノアが言うと、全員が黙った。
「アレス様の死因を確かめるには、それしかありません」
グリムは深く息を吐いた。
「なら、俺たちは外から動く。退路を作る」
ミレイも頷く。
「私は証拠の写しを複数作る。国葬で何かあった時、全部消されないように」
エリシアは静かに言った。
「私は、祈りの場に立ちます」
ノアは頷いた。
「そして、アレス様の棺を開けます」
その日の夕方、ノアは英雄管理局の一時安置室へ向かった。
案内したのは、灰色の制服を着た若い局員だった。彼は終始無言だった。廊下の先、厳重な扉の前に立つと、短く言った。
「余計な確認はしないでください」
ノアはその言葉に、少しだけ笑いそうになった。
どの棺でも、同じことを言われる。
余計な確認。
葬儀師にとって、死者を確かめることは余計ではない。
扉が開く。
白い冷気が流れ出した。
部屋の中央に、勇者アレスの棺が置かれていた。
白銀の棺。
王国の紋章。
聖剣を模した装飾。
すでに花と布で美しく整えられている。
ノアは棺の前に立ち、一礼した。
「お帰りなさいませ、アレス様」
棺の蓋を開ける。
そこに眠っていたのは、三十代半ばほどの男だった。
短い黒髪。精悍な顔立ち。額には古い傷。閉じられた瞼は静かだが、口元には疲労の影が残っている。
王国が語る無敵の勇者というより、長く戦い続けた一人の兵士に見えた。
胸元には、公式記録通りの致命傷があった。
魔王の爪による胸部裂傷。
最後の魔王との一騎打ちで受けた傷。
その傷を負いながらも魔王を討ち、力尽きた。
そう記録されている。
だが、ノアはすぐに違和感を覚えた。
傷が浅い。
胸の裂傷は派手だった。衣服も破れ、血の跡も残されている。民衆に見せれば、壮絶な戦いを想像させるだろう。
だが、心臓には届いていない。
少なくとも、この傷だけで即死したとは思えなかった。
ノアは静かに体の向きを確認する。
背中、首筋、手首、腹部。
そして見つけた。
左脇腹に、小さな刺し傷。
服の縫い目に隠れる位置。
刃は細い。
角度は下から上へ。
毒が使われた可能性もある。
ノアの胸が冷えた。
勇者アレスは、魔王の爪で死んだのではない。
誰かに近距離から刺された。
おそらく、人間に。
その時、背後から声がした。
「見つけたか」
振り返ると、オルガンが扉の前に立っていた。
ノアは白手袋を外さず、静かに言った。
「アレス様の本当の致命傷は、胸ではありません」
「そうだ」
「あなたは知っていた」
「もちろん」
オルガンは棺のそばへ歩いてきた。
「勇者アレスは、最後の魔王を討って死んだのではない」
ノアは息を止める。
「では、何があったのですか」
オルガンは棺の中のアレスを見下ろした。
「彼は、最後の魔王と和平を結ぼうとした」
部屋の冷気が、さらに深くなった気がした。
勇者アレス。
最後の魔王を討った英雄。
その実像は、魔王と和平を結ぼうとした男だった。
「だから殺されたのですか」
ノアが問うと、オルガンは答えた。
「だから殺された」
その声に、感情はほとんどなかった。
けれど、完全な無感情でもなかった。
「誰が」
「王国軍の強硬派だ。和平が成立すれば、魔王領遠征の正当性が失われる。魔力鉱脈の支配も、軍予算も、英雄制度の次の展開も、すべて変わる」
「あなたは、止めなかったのですか」
オルガンはしばらく黙った。
「止められなかった」
父の時と同じ言葉だった。
ノアの胸に怒りが戻る。
「あなたはいつも、止められなかったと言う」
「事実だ」
「そして、その後で死者を整える」
「それも事実だ」
オルガンは棺に手を置いた。
「アレスの死は、すでに国の物語に組み込まれた。最後の魔王を討った勇者。国葬でそれを完成させれば、民衆は平和を信じる」
「嘘の平和です」
「平和は、時に嘘の上でも始められる」
ノアはアレスの脇腹の傷を見た。
「アレス様は、それを望んだのですか」
オルガンは答えなかった。
沈黙。
それが答えだった。
勇者アレスは望んでいない。
彼は魔王を討つのではなく、戦争を終わらせようとした。
その意思を、王国は殺し、逆の物語に変えようとしている。
ノアは棺に深く一礼した。
「この葬儀は、最後の嘘になります」
オルガンはノアを見た。
「君がそうするつもりなら、私は止める」
「分かっています」
「国葬の場で真実を語れば、戻れない」
「棺は、もう開いています」
オルガンは何も言わなかった。
ただ、棺の中のアレスを見つめていた。
その顔は、局長ではなく、一人の疲れた男のようにも見えた。




