第38話 嘘で守った国に死者は帰れない
旧慰霊堂を出ると、夜風が冷たかった。
ノアはしばらく、鐘楼広場の端に立っていた。遠くでは王都の灯りが揺れている。人々はいつも通り暮らしている。パンを焼く者、酒場で笑う者、家路を急ぐ者。
彼らの多くは知らない。
勇者がどう作られたのか。
聖女の祈りがどう使われたのか。
魔王という名がどう与えられたのか。
死者の記録がどれほど書き換えられてきたのか。
知らないからこそ、穏やかに眠れる夜もある。
オルガンの言葉は、完全な嘘ではなかった。
真実は人を救うだけではない。
傷つける。
混乱させる。
憎しみを呼ぶこともある。
それでも。
ノアは思う。
嘘で守られた眠りは、いつか必ず死者の声で破れる。
レクター葬儀社へ戻ると、エリシアたちが待っていた。
ミレイは開口一番に言った。
「生きてる! よかった! で、罠だった?」
「取引でした」
「もっと嫌なやつじゃん」
ノアは、オルガンの条件を説明した。
父の名誉回復。
レクター葬儀社の公認化。
ルシアンとセオの限定的な記録修正。
その代わり、ロアンの遺言と地下記録庫の証拠を公表しないこと。
聞き終えたエリシアは、しばらく黙っていた。
「兄の名が戻ると言われたら、私は揺らいだと思います」
「僕も揺らぎました」
「でも、兄はまた嘘の形で戻されるのですね」
「はい」
エリシアは兄のペンダントを握った。
「なら、拒んでくださってよかった」
ミレイは腕を組む。
「でも、これで完全に敵だね」
グリムが言う。
「次に向こうが動くなら、証拠を消すか、こちらを消すかだ」
「その前に、私たちがどう動くか決める必要があります」
エリシアが言った。
ノアは台帳を開いた。
机の上には、持ち出した記録が並んでいる。
ロアンの遺言。
勇者制度設計案。
英雄管理局基本綱領。
勇者死亡処理分類。
聖女制度連携記録。
魔王指定効果測定。
ルシアンの消去記録。
セオたち候補生の処理記録。
父イザークの処理番号。
一つひとつは断片だ。
だが、つなげれば王国の物語を揺るがす。
「公表の場が必要です」
ノアは言った。
「誰も無視できない場。勇者、聖女、王国軍、英雄管理局、民衆が集まる場」
「そんな都合のいい場所ある?」
ミレイが言う。
その時、エリシアが顔を上げた。
「あります」
「どこですか」
「勇者アレスの国葬です」
ノアは息を止めた。
勇者アレス。
現代最大の勇者。
最後の魔王を討ったとされる英雄。
数日前から、王都では彼の国葬準備が進んでいる。
公式には、アレスは最後の魔王を倒し、世界に平和をもたらしたとされている。王国中の民が集まる大規模な国葬になるはずだった。
「次の葬儀……」
ノアは呟いた。
「そこなら、すべての目が集まります」
エリシアは頷く。
「聖務庁の祈り手も、王国軍も、英雄管理局も、民衆も。私も、まだ正式には除名されていません。祈りの場に立てる可能性があります」
グリムが眉をひそめる。
「危険すぎる」
「はい」
ミレイも首を振る。
「国葬で暴露なんて、普通に処刑案件だよ」
ノアは黙っていた。
勇者アレスの国葬。
そこは、王国が用意する最大の物語の舞台だ。
最後の魔王を討った勇者。
終わったはずの戦争。
王国の勝利。
民衆の希望。
もし、その場で真実を語れば。
届く。
だが、同時に最も危険だ。
「まず、アレス様の本当の死因を確かめる必要があります」
ノアは言った。
「公式記録だけでは動けません。彼が本当に最後の魔王を討ったのか。どう死んだのか。国葬で何が語られようとしているのか」
「また棺を開けるんだね」
ミレイが言う。
「はい」
ノアは静かに答えた。
「葬儀師ですから」
グリムが小さく息を吐いた。
「最後の勇者葬儀か」
その言葉に、作業室の空気が変わった。
最後の勇者葬儀。
それは、この物語の終わりへ向かう扉のように響いた。
その夜、ノアは英雄管理局の記録を台帳にまとめた。
英雄管理局。
表向き、勇者・聖女・英雄事象の記録管理機関。
実際、王国が必要とする英雄譚を設計し、死者の死因・弔辞・評判・民衆反応を管理する機関。
目的。
魔王という外敵を設定し、民衆の恐怖を誘導すること。
勇者という希望を作り、王国への忠誠を維持すること。
聖女の祈りによって犠牲を神聖化すること。
都合の悪い死者を、分類・補正・消去すること。
関連死者。
カイル、リナ、アルト、ユージン、セオ、ガルディア、ルシアン、ロアン、イザーク。
ノアは最後の一文を書く。
嘘で守った国に、死者は帰れない。
その言葉を書いた時、胸の奥に小さな痛みが走った。
それは、オルガンへの反論であると同時に、自分自身への戒めでもあった。
ユージンを守るためについた嘘。
ガルディアの遺体を隠すための嘘。
アルトの名誉を公にしなかった沈黙。
自分もまた、嘘と無縁ではない。
だからこそ、次の葬儀では、嘘の使い方ではなく、真実の渡し方を考えなければならない。
ノアは台帳を閉じた。
作業室の灯りが、静かに揺れている。
父の白手袋。
ロアンの遺言。
ルシアンの空の棺。
英雄管理局の記録。
すべてが、次の棺へ向かっていた。
勇者アレス。
最後の魔王を討った英雄。
もし彼の死にも嘘があるなら。
その棺を開けることは、王国の物語そのものを開けることになる。
ノアは窓の外を見た。
遠くで、鐘楼の鐘が鳴る。
その音は、もうただ時を告げるものではなかった。
国葬の日が近づいている。
死者の名を取り戻すための、最後の舞台が。




