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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第10章 英雄管理局の正体

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第37話 局長オルガンの取引

脱出は、ぎりぎりだった。


グリムが兵士二人を押し戻し、ミレイが煙瓶を三本割り、エリシアが追跡封印を祈りで乱した。ノアは記録の束を抱えたまま、英雄管理局の裏口から外へ転がり出た。


王都の夜気が肺に刺さる。


「走って!」


ミレイに腕を引かれ、ノアは路地へ駆け込んだ。


背後で警笛が鳴る。

英雄管理局の灰色の建物が、闇の中で巨大な棺のようにそびえていた。


四人は入り組んだ裏道を抜け、グリムの古い工房へ逃げ込んだ。レクター葬儀社へ直接戻るのは危険だった。


工房の扉を閉めると、ミレイが床に座り込んだ。


「もう二度と英雄管理局には入りたくない」


「次は正面から招かれるかもしれない」


ノアが言うと、ミレイは睨んだ。


「冗談に聞こえないからやめて」


エリシアはすぐに記録を広げた。


持ち出せたものは多くない。


英雄管理局基本綱領の写し。

勇者死亡時の処理分類。

聖女制度連携記録の一部。

魔王指定効果測定の写し。

ルシアン・ヴェインの消去記録。

候補生処理記録の一部。

イザーク・レクターに関する処理番号。

そして、初代勇者団制度設計案の断片。


十分ではない。

だが、何もなかった昨日とは違う。


ミレイは記録を乾かしながら言った。


「これ、公表したら王都中がひっくり返るよ」


「だから、簡単には公表できません」


ノアは答えた。


エリシアが頷く。


「ロアン様の遺言だけでも大きすぎるのに、これを一度に出せば、民衆は混乱します。聖務庁も、王国軍も、英雄管理局も、同時に敵になります」


「すでに敵みたいなものじゃん」


ミレイが言う。


グリムは首を振った。


「敵にする範囲は選べ。全部を敵にすれば、守れるものも守れない」


ノアは記録を見つめた。


オルガンの言葉が耳に残っている。


死者の真実を背負う覚悟があるなら、次はそれを生者にどう渡すかを考えなさい。


その通りだった。


真実を手に入れることが目的ではない。

死者の名を返すには、生きている者に届かなければならない。

だが、届き方を間違えれば、生者を傷つける。


アルトの手紙が教えてくれた。

ユージンの空の棺が教えてくれた。

ガルディアの葬儀が教えてくれた。


真実は、扱い方を間違えると刃になる。


その時、工房の外で物音がした。


グリムが剣を取る。


扉の下から、一通の灰色の封筒が差し込まれた。


英雄管理局の封蝋。


ミレイが青ざめる。


「早すぎ」


ノアは封筒を拾い、封を切った。


中には短い文面。


明日、日没。

鐘楼広場北側、旧慰霊堂。

一人で来い。

オルガン・レイス。


「行くつもり?」


エリシアが即座に言った。


ノアは封筒を見つめる。


「話す必要があります」


「罠かもしれません」


「罠でしょう」


ミレイが叫ぶ。


「じゃあ行かないでよ!」


ノアは首を振った。


「彼は、今夜僕たちを完全には止めませんでした。記録も一部持ち出せた。理由を知りたい」


グリムが低く言う。


「一人では行かせない」


「一人で来いとあります」


「だから罠だ」


ノアは少し考えた。


「では、僕は一人で行きます。皆さんは、外から見張ってください」


「それ、一人じゃないじゃん」


ミレイが呆れたように言った。


翌日の日没、ノアは旧慰霊堂へ向かった。


鐘楼広場の北側にある、小さな石造りの建物だった。今は使われていない。昔の戦死者を慰霊する場所だったが、英雄管理局が新しい慰霊施設を作ってから閉鎖されたという。


中に入ると、オルガンが一人で待っていた。


祭壇も花もない。

ただ、古い石壁と、割れた祈りの像があるだけだった。


「来ると思っていた」


オルガンは言った。


「話とは何ですか」


ノアは距離を取って立つ。


オルガンは灰色の外套を脱ぎ、古い椅子に置いた。


「取引をしよう」


「取引?」


「君が持ち出した記録を、今は公表しない。ロアンの遺言も、地下記録庫の写しも、君の台帳も、すべてだ」


「代わりに?」


「イザーク・レクターの名誉を回復する」


ノアの呼吸が止まった。


オルガンは続ける。


「公式には、彼は病死した葬儀師だ。だが、記録を改めることはできる。王国英雄葬儀に多大な貢献をした者として、正式に顕彰する。レクター葬儀社は王国公認の英雄葬儀機関とする。君には局の協力葬儀師として地位を与える」


ノアは黙って聞いていた。


「さらに、ルシアン・ヴェインの名も限定的に回復しよう。魔王領で命を落とした勇者候補として、遺族向けの追悼記録に戻す。セオについても、身元不明者ではなく養護院児童として記録を修正する」


エリシアが聞いたら、どう思うだろう。


兄の名が戻る。

セオの名が戻る。

父が称えられる。

葬儀社は守られる。


魅力的な条件だった。


だからこそ、ノアは胸が冷えた。


「それは、真実ではありません」


「すべてを公表すれば真実になるのか?」


オルガンは言った。


「民衆は、初代勇者団の裏切りを知り、聖務庁の祈りを疑い、現役の勇者たちを疑う。魔王領への怒りと同時に王国への怒りも膨らむ。暴動が起きれば、最初に襲われるのは英雄管理局ではない。聖務庁の下級祈り手、勇者候補の家族、魔王領の避難民、そして君の葬儀社だ」


ノアは唇を噛んだ。


「私は、真実を消せと言っているのではない」


オルガンは少し声を落とした。


「時期を待てと言っている。君は若い。記録を保管し、少しずつ制度を変えればいい。私の側に来れば、それができる」


「あなたの側に?」


「死者を守りたいのだろう。なら、外から叫ぶより、中で書き換えを止める方が有効だ」


ノアの胸が揺れた。


英雄管理局の中に入る。

局の協力葬儀師となり、死因改ざんを止める。

少しずつ記録を正す。


それが本当に可能なら。


「あなたは、それを許すのですか」


「君が暴発しないなら」


「あなたは、死者の真実より公共の安定を優先する人です」


「そうだ」


「なら、僕が中に入っても、結局あなたの許す範囲でしか記録を直せない」


「それでも、今より多くの死者は救える」


それは、たぶん事実だった。


全部を救うか。

一部を確実に救うか。


ノアはまた、選ばされている。


オルガンは続けた。


「ノア・レクター。君は葬儀師だ。革命家ではない。王国を壊した先に、死者の安らぎがあるとは限らない」


「僕も、王国を壊したいわけではありません」


「なら、取引を受けろ」


旧慰霊堂に、長い沈黙が落ちた。


ノアは父の顔を思い出した。


もし父の名誉が回復されるなら。

父が王国に称えられるなら。

レクター葬儀社が守られるなら。


だが、父はそんなものを望んだだろうか。


父の手紙。


それでも、記録だけは残せ。

嘘に埋められた死者が、いつか本当の名で呼ばれる日のために。


ノアは顔を上げた。


「父が望んだのは、名誉ではありません」


オルガンの目がわずかに動く。


「父は、称えられるために記録を残したのではありません。王国公認の葬儀師になりたかったのでもありません。死者の名が、いつか本当の形で呼ばれるようにと願っただけです」


「理想論だ」


「はい」


ノアは認めた。


「でも、葬儀はいつも理想論です。死んだ人に、せめて安らかであってほしいと願う。届くかどうか分からない祈りを捧げる。もう戻らない人に、お帰りなさいと言う」


彼は静かに続ける。


「それでも、その理想を手放したら、僕は葬儀師ではいられません」


オルガンは目を伏せた。


「取引を拒むのか」


「はい」


「君の父の名誉も、ルシアンの記録も、セオの修正も、すべて失うかもしれない」


「偽りの名誉で戻された名前は、また別の棺に閉じ込められるだけです」


ノアは深く息を吸った。


「僕は、あなたと取引しません」


オルガンはしばらく黙っていた。


やがて、静かに言った。


「イザークなら、同じ答えをしただろう」


「なら、僕は父の息子でよかった」


その言葉に、オルガンの顔に一瞬だけ痛みに似たものが浮かんだ。


だがすぐに消えた。


「次は止める」


「分かっています」


「君が記録を公表しようとすれば、私は英雄管理局長として君の前に立つ」


「僕も、葬儀師として立ちます」


二人は、旧慰霊堂の中で向かい合った。


敵同士として。

そして、死者を扱う者同士として。

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