第36話 勇者制度の設計図
地下記録庫には、墓標の代わりに棚札が並んでいた。
勇者。
聖女。
魔王指定。
候補生。
消去記録。
弔辞修正。
遺族対応。
民衆反応。
詩歌・演劇監修。
英雄譚流布計画。
ノアは棚札を見て、寒気を覚えた。
死者の記録だけではない。
死者がどう語られるか。
民衆がどう受け止めるか。
後にどんな歌や物語として広まるか。
そこまで管理されている。
英雄管理局は、葬儀後の死者まで管理していた。
「こっち!」
ミレイが小声で呼んだ。
彼女が見つけた棚には、「制度設計」と書かれていた。古い記録から新しい記録まで、年代順に並べられている。
ノアは一番古い束を取り出した。
百年前。
初代勇者団結成案。
魔王脅威指定に関する民衆統合効果。
英雄称号付与による士気向上。
殉死美談の利用価値。
紙面には、冷たい文字が整然と並んでいた。
魔王という絶対悪を設定することで、王国領内の不満を外部へ誘導する。
勇者という絶対善を設定することで、若年層の徴兵忌避を抑制する。
聖女による祈祷儀式を組み合わせることで、犠牲を神聖化する。
死者の実態は、必要に応じて弔辞・布告・演劇・聖歌により補正する。
エリシアが震える声で言った。
「補正……」
リナの死も、ルシアンの死も、補正された。
カイルの背中の傷も。
アルトの手紙も。
ユージンの空の棺も。
セオの番号も。
ガルディアの処刑も。
すべて、物語の形に合わせて補正された。
ノアは次の記録を開く。
勇者死亡時の処理分類。
一、公式戦死。
二、魔王呪詛死。
三、名誉殉死。
四、裏切り処分。
五、行方不明者の戦死化。
六、逃亡者の死亡化。
七、失敗候補生の未登録化。
ミレイが吐き気をこらえるように言った。
「ユージンは六。セオは七。アルトは四。リナは二。カイルは一に偽装……」
「分類されている」
ノアは呟いた。
死者の苦しみが、分類になっている。
「ノアさん、これを」
エリシアが別の束を開いていた。
そこには、聖女制度との連携記録があった。
聖女候補の戦地投入は、民衆の士気向上に有効。
過労死・反動死は魔王呪詛として処理することで、聖女信仰を強化可能。
候補生の死亡率が高い場合、殉教美談として調整。
祈祷文には「尊い犠牲」「王国の光」「神の御許」を必ず含めること。
エリシアの手が震えた。
「私たちが教えられた祈りは……」
「最初から、死因を隠すための型だったのですね」
ノアは言った。
エリシアは目を閉じた。
「リナは、呪いで死んだことにされる前から、そう祈られる準備をされていた」
その痛みを受け止める時間はなかった。
上階から足音が近づいてくる。
警報鐘は鳴り続けていた。
グリムが入口を見張る。
「あと少しだ」
「必要な記録を絞ります」
ノアは棚を確認した。
「初代勇者団。勇者制度設計。聖女連携。候補生処理。魔王指定。父の処理記録。ルシアンの消去記録」
「多すぎる」
ミレイが言う。
「でも、全部必要」
「持てないなら、写すより印だけ覚えよう」
彼女は棚番号と分類印を素早くメモしていく。
その時、ノアは一冊の分厚い台帳を見つけた。
表紙には、こう刻まれていた。
英雄管理局基本綱領。
初版は百年前。何度も改訂され、現在のものまで綴じられている。
ノアは現行版を開いた。
第一条。
英雄管理局は、王国における英雄事象を管理し、民衆の希望と秩序を維持することを目的とする。
第二条。
勇者、聖女、魔王、災厄、殉教者等の認定は、王国の安定に資する形で行う。
第三条。
死者の記録は、王国の秩序に反しない範囲で保存する。
第四条。
死者個人の真実と公共の安定が対立する場合、公共の安定を優先する。
ノアはその条文を見つめた。
死者個人の真実と公共の安定。
そこに、オルガンの思想があった。
死者の真実より、生者の秩序。
個人の死より、国の物語。
「これが、英雄管理局の正体……」
エリシアが呟いた。
ノアは首を振った。
「まだです」
「まだ?」
「これは表向きの正体です。彼らは死者を管理している。でも、なぜそこまでしなければならないのか。王国は何を恐れているのか」
その答えは、ロアンの遺言にあった。
魔王は交渉相手だった。
和平を壊したのは王国側だった。
勇者制度は、その罪を隠すために作られた。
だが、百年も続ける理由は何か。
ノアは「魔王指定」の棚を開いた。
そこには、歴代の魔王とされた者たちの記録が並んでいる。
初代魔王。
北方魔王。
黒霧の魔王。
灰角の魔王。
ガルディア・ノクス。
多くは、領主、反乱指導者、交渉代表、異民族の長、鉱山主、水路同盟の代表。
魔王というより、王国の拡大にとって不都合な者たちだった。
「魔王は、作られている」
ノアは呟いた。
ミレイが別の記録を開く。
「これ、ひどいよ。魔王指定後の効果測定だって。税収増加、志願兵数、聖務庁献金、反王政運動の沈静化……」
エリシアが青ざめる。
「人々の恐怖を、数字にしている」
グリムが低く言った。
「戦争は金になる」
ノアは記録を握りしめた。
魔王が必要な時、王国は魔王を作る。
勇者が必要な時、王国は勇者を作る。
そして死者が出れば、死因を整える。
英雄管理局は、死者の管理機関ではない。
王国が恐怖と希望を生産するための装置だった。
その時、地下記録庫の入口に人影が現れた。
兵士たちではなかった。
灰色の外套。
オルガン・レイス。
彼は一人で立っていた。
「よくたどり着いた」
その声は、静かだった。
ノアは台帳を手に、オルガンを見た。
「あなたは、これを守ってきたのですか」
「そうだ」
「こんなものを」
「こんなものがなければ、王国は百年前に崩れていた」
オルガンはゆっくり近づいてくる。
グリムが剣を構えたが、オルガンは手を上げた。
「争うつもりはない。少なくとも、今は」
ノアは言った。
「勇者も、魔王も、聖女も、すべて王国が作った物語だった」
「すべてではない」
オルガンは即座に返した。
「勇者に選ばれた者の勇気は本物だ。聖女が誰かを救ったことも本物だ。魔王と呼ばれた者たちが民を率いたことも本物だ。管理局は、それらを王国が耐えられる形に整えただけだ」
「整えた?」
「民衆は複雑な真実に耐えられない」
「あなたが耐えさせなかった」
ノアの声が強くなる。
「カイル様の恐れも、リナ様の疲労も、アルト様の嘘も、ユージン様の逃亡も、セオの名前も、ガルディア様の民も、ルシアン様の優しさも、全部、耐えられないからと消した」
「消したのではない」
「では何です」
オルガンは答えた。
「国が使える形にした」
その言葉に、エリシアが息を呑んだ。
ノアは静かに台帳を閉じた。
「死者は、国の材料ではありません」
オルガンは、わずかに目を伏せた。
「そう言える君は、まだ国を背負っていない」
「背負いたいとも思いません」
「だが、君はすでに死者を背負っている」
その言葉は、ノアの胸に刺さった。
オルガンは続ける。
「背負うものが増えれば、選ぶ真実と捨てる真実が出てくる。ユージンの時、君は嘘を書いた。ガルディアの時、君は遺体を隠した。アルトの時、君は名誉回復をしなかった。君もすでに選別している」
「生者を守るためです」
「私もそうだ」
オルガンの声は、初めて少しだけ熱を帯びた。
「王国という生者を守るためだ」
地下記録庫に、重い沈黙が落ちた。
ノアは理解した。
この男は、自分の罪を知っている。
それでも、王国を一人の巨大な生者として見ている。
だから、個々の死者を切り捨てる。
ノアは静かに言った。
「あなたは、国を弔ったことがありますか」
オルガンの目が動いた。
「国を?」
「はい。国も、間違えれば弔われるべきものになるのではありませんか」
オルガンは答えなかった。
その時、背後から兵士たちの声が響いた。
「局長! 侵入者を確認しました!」
オルガンはノアから目を離さずに言った。
「今夜はここまでだ」
ノアは記録の束を抱える。
「通してくれるのですか」
「通すとは言っていない」
オルガンは指を鳴らした。
地下記録庫の棚に、青白い封印光が走る。扉が次々と閉じていく。
「必要な記録を持って逃げられるかどうかは、君たち次第だ」
ミレイが叫ぶ。
「最悪!」
グリムがノアたちを押し出す。
「走れ!」
ノアは記録を抱え、地下記録庫を駆け出した。
背後で、オルガンの声が響く。
「ノア・レクター。死者の真実を背負う覚悟があるなら、次はそれを生者にどう渡すかを考えなさい」
それは警告だった。
そして、おそらく試験でもあった。




