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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第9章 父が葬った名前のない英雄

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第34話 葬儀師は復讐者ではない

鐘楼地下納骨堂を出た時、夜はまだ明けていなかった。


王都の空は濃い藍色で、東の端だけがかすかに白み始めている。鐘楼広場には人影がなく、昨日まで英雄の花が置かれていた石段も冷えていた。


ノアは外套の内側に、ロアンの遺言を抱えていた。


紙は軽い。


だが、胸に沈む重さは棺一つ分あった。


レクター葬儀社へ戻るまで、誰もほとんど話さなかった。

エリシアは兄の記録を探し続ける決意を固めた顔をしていた。

ミレイは何度も背後を振り返り、尾行がないか確認していた。

グリムは最後尾を歩き、剣の柄から手を離さなかった。


葬儀社に着くと、ノアはすぐに作業室へ入った。


父の台帳を開く。

その隣に、ロアンの遺言を置く。


イザーク・レクター。

ロアン・アルバ。


父が守った死者と、父自身の死が、初めて同じ机の上に並んだ。


ノアは羽ペンを取った。


だが、手が動かない。


頭の中で、オルガンの声が響く。


イザークを殺す決定を下したのは、英雄管理局だ。

薬針による心停止。

処理理由、初代勇者団証言記録の拡散阻止。


処理。


父は、処理された。


その言葉が、ノアの中で何度も刺さる。


気づけば、羽ペンの先が折れていた。

インクが紙に黒く滲む。


「ノア」


グリムが呼んだ。


ノアは顔を上げない。


「分かっています」


「何をだ」


「怒りで書いてはいけない。復讐のために棺を開けてはいけない。父の手紙に、そうありました」


「分かっている顔じゃない」


ノアは黙った。


グリムは向かいに座った。


その大きな手は、古い傷だらけだった。剣を握った手。棺を作る手。人を守れなかったことも、殺したこともある手だろう。


「イザークが死んだ時、俺も同じだった」


ノアは顔を上げた。


「グリムさんが?」


「ああ。俺は英雄管理局に乗り込もうとした。止めたのはイザークの手紙だ」


「父の?」


グリムは懐から、古びた紙を取り出した。


何度も読み返された跡がある。


「俺宛てだ。もし自分が死んでも、ノアを復讐に連れていくなと書いてあった」


ノアは言葉を失った。


父は、そこまで準備していた。


自分が死んだ後、誰が怒り、誰が動こうとするかまで考えて。


グリムは紙をしまった。


「俺はイザークを助けられなかった。だから、せめてお前を死なせないと決めた」


「僕は死にに行くつもりはありません」


「復讐に行くやつは、みんなそう言う」


その言葉は重かった。


ノアは机の上の遺言を見た。


「僕は、父を殺した人たちを裁きたい」


「当然だ」


「許せません」


「当然だ」


「オルガンも、マルクも、英雄管理局も、王国も。全部、間違っている」


「そうだな」


「それでも、僕は葬儀師でいなければならないのですか」


グリムは少し考えた。


「いなければならないんじゃない。お前が、そうありたいかだ」


ノアは答えられなかった。


葬儀師でいるということは、怒りを捨てることではない。

だが、怒りで死者を扱えば、死者は道具になる。


父の死を武器にすれば、父をもう一度利用することになる。


ノアはそれが嫌だった。


「僕は、父を利用したくありません」


「なら、今は書くな」


グリムは言った。


「泣け」


ノアは目を見開いた。


「何を」


「息子として泣け。葬儀師の顔をするのは、その後でいい」


その言葉は、父の手紙と同じ場所に届いた。


葬儀師としてではなく、息子として考えろ。


ノアはずっと、葬儀師であろうとしていた。

カイルを迎え、リナを送り、アルトの手紙を守り、ユージンの役割を葬り、セオの名を記録し、ガルディアを晒されることから守り、ルシアンを空の棺で迎えた。


誰かの死の前では、泣くより先に整えることを選んできた。


だが、父の死だけは。


ノアは、机に額をつけた。


最初は声も出なかった。


ただ、肩が震えた。

次に、息が崩れた。

そして、ようやく涙が落ちた。


「父さん」


声が漏れた。


「僕は、あなたに生きていてほしかった」


それは、誰にも言えなかった言葉だった。


「記録なんて残さなくてよかった。ロアン様の遺言も、王国の嘘も、何も知らなくてよかった。あなたが、作業室にいてくれれば、それでよかった」


エリシアは扉のそばで目を伏せていた。

ミレイは鼻をすすりながら、何も言わなかった。

グリムは黙って座っていた。


ノアは泣いた。


葬儀師ではなく、父を亡くした息子として。


長い時間が過ぎた。


外で朝の鐘が鳴る頃、ノアはようやく顔を上げた。


目は赤く、喉は痛かった。

それでも、胸の中にあった怒りの形が少し変わっていた。


消えたわけではない。

だが、燃え広がる炎ではなく、灯りの芯のように小さくまとまっている。


ノアは新しい羽ペンを取った。


グリムが尋ねる。


「書けるか」


「はい」


今度は、手が動いた。


ロアン・アルバ。

初代勇者団最後の生存者。

王国公式記録なし。

実際、初代魔王討伐の証人。

遺言、鐘楼地下納骨堂の棺内より回収。


ノアは、ロアンの遺言の内容を慎重に要約していく。


初代魔王は交渉相手だったこと。

和平を壊したのは王国側だったこと。

勇者制度が、魔王という絶対悪と勇者という絶対善の物語によって作られたこと。

初代勇者団の沈黙の上に、今の制度があること。


そして父の記録。


イザーク・レクター。

公式死因、急性心不全。

実際、薬針による心停止の可能性。

英雄管理局による処理記録存在。

理由、ロアン・アルバの遺言拡散阻止。

父は、死者の記録を守るために殺された。


ノアは最後の一文に時間をかけた。


怒りではなく、記録として。


父は復讐を望まなかった。

ただ、死者の名がいつか正しく呼ばれることを望んだ。


書き終えた時、朝日が作業室に差し込んでいた。


エリシアが静かに言った。


「ノアさん」


「はい」


「次は、英雄管理局の正体を明らかにするのですね」


ノアは頷いた。


「ロアン様の遺言だけでは足りません。父の死、ルシアン様の記録、勇者候補の消去記録、魔王領への侵攻記録。すべてをつなげる必要があります」


「鐘楼地下納骨堂には、まだ記録がありました」


「はい」


ノアは台帳を閉じた。


「でも、次に向かうのは納骨堂ではありません」


「では、どこへ」


ノアは父の手紙と、オルガンが見せた機密処理記録の一文を思い出した。


英雄管理局機密処理記録。


それは、納骨堂ではなく、局そのものにあるはずだ。


「英雄管理局の地下記録庫です」


ミレイが乾いた笑いを漏らした。


「いよいよ本丸じゃん」


グリムが頷く。


「警備は納骨堂の比じゃない」


エリシアは静かに言った。


「それでも、行く必要があります」


ノアは台帳に手を置いた。


「はい。死者の名を返すには、王国がどう死者を管理してきたのかを知らなければならない」


彼は作業室の奥に掛けられた父の白手袋を見た。


「父さん。僕は復讐者にはなりません」


小さく呟く。


「葬儀師として、あなたの記録を継ぎます」


外では、朝の鐘が鳴っていた。


それは勝利の鐘ではない。


終わらせるための鐘でも、まだない。


だが、ノアには初めて、その音が少しだけ前へ進めと言っているように聞こえた。

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