第33話 父はなぜ殺されたのか
納骨堂の空気が凍りついた。
ロアンの棺は開かれている。
ノアの手には、初代勇者の遺言。
その前に、オルガン・レイスが立っている。
父が最後に葬った棺。
父を殺したかもしれない男。
王国の記録を書き換えてきた局長。
すべてが、同じ場所に揃っていた。
ノアは声を絞り出した。
「父を殺したのは、あなたですか」
エリシアが息を呑む。
ミレイの顔が強張る。
グリムは剣を握ったまま、オルガンを睨んでいる。
オルガンは、すぐには答えなかった。
「イザークを殺す決定を下したのは、英雄管理局だ」
それは、肯定だった。
ノアの中で、何かが静かに切れた。
「決定を下した」
自分の声が遠く聞こえた。
「人の命を、書類のように」
「そうしなければ、多くが死んだ」
「父は、一人の死者の遺言を守ろうとしただけです」
「その遺言は、王国全土を揺るがす」
オルガンは冷静だった。
あまりにも冷静だった。
「初代勇者団の真実が公表されれば、勇者制度は崩れる。魔王討伐の正当性も、聖務庁の祈りも、王国軍の遠征も、すべて疑われる。民衆は何を信じればいい?」
「真実を」
「真実だけで飢えは止まらない。恐怖は消えない。外敵への不安も、隣人への憎しみも、統治への不満も、真実だけでは収まらない」
オルガンの声は、納骨堂の石に冷たく響いた。
「王国は物語で保っている。勇者がいて、魔王がいて、聖女が祈り、民が希望を持つ。その構造があるから、王都は燃えずに済んでいる」
「その物語の下で、どれだけの人が死んだと思っているのですか」
「数えている」
オルガンの答えは意外だった。
「私は数えている。勇者の死も、聖女の死も、候補生の死も、魔王と呼ばれた者たちの死も。君が思うより多くを、私は知っている」
「知っていて、書き換えた」
「知っているから、書き換えた」
ノアは奥歯を噛みしめた。
オルガンは、悪事を隠す小物ではない。
王国が壊れることを本気で恐れ、そのために死者を管理している。
だからこそ、たちが悪い。
ノアは父の追記を思い出した。
これは王国を壊すための刃ではない。
死者の名を返すための灯りだ。
だが今、目の前に父の死を決めた男がいる。
灯りではなく、刃として使いたくなる。
ノアの手が震えた。
「父は、あなたに殺されるほどのことをしたのですか」
「イザークは、ロアンの遺言を複製しようとした」
オルガンは言った。
「棺に隠すだけなら見逃せた。いつか開けられる危険はあるが、管理できる。しかし彼は、複数の記録を残そうとした。君にも、他の誰かにも届くように」
「父は記録を残す葬儀師です」
「だから危険だった」
その言葉に、ノアの胸の奥が焼けた。
父の誠実さが、危険と呼ばれた。
死者を忘れまいとすることが、罪とされた。
「あなたは父を殺した」
「私は止めた」
オルガンの声がわずかに沈んだ。
ノアは顔を上げる。
「何を」
「イザークを処刑する命令が出た時、私は即時処分ではなく、記録の回収と監視を提案した。だが、彼は止まらなかった。君を逃がす準備までしていた」
「逃がす?」
「イザークは、自分が殺されることを予想していた。君を王都から出す手配をしていた」
ノアは知らなかった。
父はそこまで考えていたのか。
「だが、間に合わなかった」
オルガンは続けた。
「局内の強硬派が動いた。英雄管理局付き医師による薬針。急性心不全として処理。私が現場に着いた時には、イザークはもう死んでいた」
「あなたは、止めなかった」
ノアの声は低い。
「止められなかった」
「同じです」
「そうだな」
オルガンは初めて、静かに認めた。
「同じだ」
その一言が、ノアの怒りをさらに揺らした。
言い訳しない。
しかし謝罪もしない。
罪を知った上で、必要だったと言う。
「父の死を、あなたは記録しましたか」
ノアは尋ねた。
「急性心不全として」
「本当の記録は」
オルガンは沈黙した。
ノアは一歩進む。
「あなたは数えていると言いました。なら、父の本当の死因も記録したはずです」
オルガンは灰色の外套の内側から、小さな紙片を取り出した。
「イザーク・レクター。英雄管理局機密処理記録。死因、薬針による心停止。処理理由、初代勇者団証言記録の拡散阻止」
ノアの視界が揺れた。
父の死が、そこにあった。
やっと。
だが、それはあまりに冷たい文字だった。
薬針による心停止。
処理理由。
父の人生が、処理という言葉に押し込められている。
ノアは紙片を受け取ろうとした。
オルガンは渡さなかった。
「これはまだ渡せない」
「なぜ」
「君が今、それを受け取れば、復讐の証拠として使う」
図星だった。
ノアは何も言えなかった。
「ノア」
グリムが低く呼ぶ。
その声で、ノアはかろうじて自分を保った。
グリムは剣を下ろしていない。だが、ノアの方を見ている。
「イザークの手紙を思い出せ」
復讐のために棺を開けるな。
怒りのために弔辞を読むな。
ノアは息を吸う。
苦しい。
父を殺された怒りが、胸の内側から暴れる。
オルガンを責めたい。
英雄管理局を壊したい。
この遺言を王都中にばら撒き、王国を震え上がらせたい。
だが、それは父が望んだことなのか。
ロアンが、死の床で願ったことなのか。
エリシアがそっと言った。
「ノアさん」
彼女の声も震えていた。
兄を王国に殺された彼女だからこそ、その怒りを知っている。
「私も、マルクを許せません。英雄管理局を許せません。でも、兄の葬儀で誓いました。兄の死を、ただ憎しみの理由にしないと」
ノアは目を閉じた。
父の顔が浮かぶ。
厳しい顔。
不器用な手。
棺の前でだけ優しかった背中。
父はきっと、オルガンを殺せとは言わない。
王国を燃やせとも言わない。
記録を残せ。
それだけを言うだろう。
ノアは目を開けた。
「オルガン局長」
「何だ」
「父の本当の死因記録を、いつか受け取ります」
「いつか?」
「僕が、それを刃ではなく記録として扱えるようになった時に」
オルガンの目がわずかに揺れた。
「強がりか」
「半分は」
ノアは正直に答えた。
「今すぐ奪いたい。あなたを責めたい。父の墓前に持っていきたい。でも、今の僕がそれをすれば、父の死を復讐の道具にします」
納骨堂に沈黙が落ちる。
「だから、今はロアン様の遺言を持ち帰ります。父が守ったものを、読み解くために」
オルガンはノアを見つめた。
そして、ほんのわずかに息を吐いた。
「イザークに似てきたな」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてはいない。危ういと言っている」
その時、英雄管理局の兵士の一人が進み出た。
「局長、遺言を回収しなくてよろしいのですか」
空気が変わった。
オルガンは兵士を見た。
「下がれ」
「しかし、規定では消去記録の持ち出しは」
「下がれと言った」
兵士は不満そうに一歩退いた。
ノアは気づいた。
英雄管理局は一枚岩ではない。
父を殺した強硬派。
オルガンが止められなかった処理。
そして今、遺言を奪おうとする者たち。
王国の内部にも、何かがある。
オルガンはノアに向き直った。
「今夜は見逃す」
「なぜ」
「君が遺言を読んだ。もう棺に戻しても意味がない」
「あなたらしくないですね」
「私は無意味なことをしない」
オルガンは背を向ける。
「だが、次からは違う。君がそれを公表しようとすれば、英雄管理局は全力で止める」
「あなたも?」
「もちろん」
ノアは遺言を胸に抱えた。
「その時は、死者の名を守るために向き合います」
オルガンは振り返らずに言った。
「死者の名だけでは、国は守れない」
ノアは答えた。
「死者の名を踏んだ国は、いつか自分の足元を失います」
オルガンは何も返さなかった。
兵士たちを連れ、納骨堂の奥へ消えていく。
ノアたちはしばらく動けなかった。
やがてミレイが小さく言った。
「生きて出られるんだよね?」
グリムが周囲を確認する。
「今のうちに出る」
ノアはロアンの棺へ向き直った。
遺言は受け取った。
だが、棺を開けたままにはできない。
ノアはロアンの手を整え、布を戻し、棺の蓋を静かに閉じた。
「ロアン様」
彼は深く頭を下げる。
「あなたの言葉、確かにお預かりします」
そして、父にも向けて言った。
「父さん。僕はまだ、あなたの死を許せません。でも、あなたの記録は守ります」
鐘楼の地下で、冷たい空気が揺れた。
まるで、長く閉じ込められていた死者が、ようやく息を吐いたようだった。




