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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第8章 聖女エリシアの兄

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第30話 兄の名を呼ぶ葬儀

ルシアン・ヴェインの遺体は、なかった。


墓もない。

棺もない。

王国の記録には、魔王領偵察中に死亡とある。

聖務庁の祈祷簿には、名誉祈祷済みとある。

英雄管理局の消去記録は、鐘楼地下納骨堂にあるらしい。


だが、今すぐそこへ入ることはできない。


マルクに問い詰めたことで、エリシアは聖務庁から追われる立場になった。正式な拘束命令が出るのも時間の問題だった。レクター葬儀社も、これまで以上に監視されるだろう。


それでも、エリシアは言った。


「兄の葬儀をしたいのです」


夜の葬儀社。

作業室の中央には、空の小さな棺が置かれていた。


グリムが作ったものだった。

遺体を納めるためではない。遺品と名を納めるための棺。


棺の中には、三つのものが入っている。


エリシアと対になった、ルシアンの割れたペンダント。

ダンが隠していた番号札、一二。

そして、選定院での記録の写し。


ノアは棺を見つめた。


空の棺は、ユージン以来だった。

だが、あの時とは違う。


ユージンの空の棺は、生きるためのものだった。

ルシアンの空の棺は、失われた死を取り戻すためのものだった。


参列者は少なかった。


ノア。

エリシア。

グリム。

ミレイ。

ダン。

そして、密かに選定院を抜け出してきたトマとミナ。


二人は、ルシアンのことを直接は知らない。

それでも、彼が逃がそうとした子どもたちの一人が、自分たちだったかもしれないと知って、来たいと言った。


エリシアは棺の前に立っていた。


聖衣は着ていない。

白い簡素な服に、兄と対のペンダントを握っている。


ノアは弔辞を持った。


「本当に、僕が読んでよいのですか」


エリシアは頷く。


「兄を、葬儀師として迎えてください。そのあと、私は妹として祈ります」


ノアは深く一礼した。


棺の前に立つ。


「ルシアン・ヴェイン様」


その名を呼んだ瞬間、エリシアの肩が震えた。


長い間、祈りの記録の中でしか呼ばれなかった名。

魔王に殺された勇者候補として処理された名。

消去記録へ移された名。


その名が、ようやく葬儀の場で呼ばれた。


「あなたの遺体は、ここにはありません。あなたの墓も、正式な死因記録も、まだ見つかっていません」


ノアの声は静かだった。


「ですが、あなたを知る者たちの証言がここにあります。あなたが選定院で下の子どもたちを守っていたこと。命令に背き、逃がそうとしたこと。魔王領の村を焼く任務を拒んだこと。そして、子どもたちを守ろうとして命を落としたこと」


トマが拳を握りしめている。

ミナは唇を噛んでいた。


「王国の記録は、あなたを魔王に殺された勇者候補としました。ですが、今日ここでは、あなたをそのようには送りません」


ノアはエリシアを見る。


「あなたは、誰かを見捨てられなかった人でした。命令よりも、目の前の子どもを選んだ人でした。その優しさを、弱さとも反逆とも呼ばせません」


エリシアの涙が落ちる。


「あなたの名を、ここに戻します」


ノアは棺に向かって一礼した。


「お帰りなさいませ、ルシアン様」


その言葉で、エリシアは崩れるように膝をついた。


何年も待っていた言葉だったのだろう。


兄が帰ってきた。


遺体はない。

声もない。

けれど、名だけは帰ってきた。


エリシアは棺に手を置き、震える声で語りかけた。


「兄さん」


それは祈りではなかった。


ただの呼びかけだった。


「遅くなって、ごめんなさい」


作業室の誰も動かなかった。


「私、ずっと兄さんは魔王に殺されたのだと思っていました。王国のために勇敢に死んだのだと思っていました。そう思えば、寂しさをきれいにできたから」


彼女はペンダントを握る。


「でも、違った。兄さんは、子どもたちを逃がそうとしていた。命令を拒んで、誰かを守ろうとして、王国に消された」


涙が止まらなかった。


「怖かったでしょう。痛かったでしょう。帰りたかったでしょう。私のことも、少しは思い出してくれたでしょうか」


ノアは目を伏せた。


エリシアの声は、聖務庁で学んだどんな祈りよりも、死者に近かった。


「兄さん。私はもう、王国の祈りだけを信じません。聖務庁の言葉だけで、死者を送ったりしません」


彼女は杖を持っていなかった。

だから、両手を胸の前で組んだ。


「あなたが守ろうとした子どもたちの名を、私は探します。リナのように使い潰された子も、セオのように番号にされた子も、ガルディア様のように敵として葬られた人も、もう見ないふりをしません」


彼女は深く頭を下げた。


「兄さん。どうか、今度こそ妹の祈りを聞いてください」


そして、ゆっくりと言った。


「あなたは反逆者ではありません。私の兄です」


その一言で、空の棺の中に何かが満ちたような気がした。


死体はない。

骨もない。

だが、ルシアンという名が、ようやくそこに置かれた。


葬儀のあと、トマが棺のそばへ来た。


「俺、ルシアンさんみたいになれるかな」


エリシアは涙を拭って、首を振った。


「ならなくていいです」


トマは驚いた顔をする。


「え?」


「誰かを守るために死ななくていい。まず、生きてください」


トマは何も言えなくなった。


ミナが小さく頷く。


「私も、生きたい」


「はい」


エリシアは二人の手を握った。


「生きてください。それが、兄の続きです」


ノアはその光景を見ながら、胸の奥に静かな熱を感じていた。


この葬儀は、ルシアンのためだけではなかった。

エリシアが兄の死を受け入れるためだけでもない。


死者の選択を、生者がどう受け継ぐか。


その始まりだった。


夜更け、参列者が帰った後、ノアは台帳を開いた。


ルシアン・ヴェイン。

公式記録、魔王領偵察中に死亡。

実際、選定院で命令拒否。

子どもたちの逃亡を支援。

北東方面特別任務へ転用。

廃礼拝堂にて、王国兵の槍により死亡した可能性。

遺体未回収。

鐘楼地下納骨堂に消去記録あり。

葬儀、遺品による空棺葬。


ノアは最後の一文を書いた。


彼は、反逆者ではなかった。

誰かを見捨てられなかった兄だった。


エリシアは隣で、その文字を見ていた。


「ありがとうございます」


「まだ終わっていません」


「はい」


彼女は頷いた。


「兄の遺体も、正式な記録も、まだ見つかっていません。マルクも、英雄管理局も、きっとこのままにはしない」


「鐘楼地下納骨堂へ行く必要があります」


ノアは机の引き出しから、父の残した古い鍵を取り出した。


円の中に、折れた剣と鐘。


初代勇者団の紋章。


「そこには、父が葬った初代勇者団最後の生存者の棺もあります。ルシアン様の消去記録もある」


エリシアは鍵を見つめる。


「すべて、そこへ向かっているのですね」


「はい」


ノアは鍵を握った。


「でも、今夜はここまでです」


エリシアが少しだけ笑った。


「葬儀師らしいですね」


「死者を送った夜に、次の棺を急いで開けるのは失礼ですから」


彼女は棺の前に立ち、もう一度ペンダントを置いた。


「おやすみなさい、兄さん」


それは、妹の声だった。


聖女見習いではなく、王国の祈り手でもなく、ただ兄を失った一人の妹の声。


そしてその夜、エリシアの祈りは静かに形を変えた。


王国のための祈りから、死者の名を取り戻すための祈りへ。


ノアは作業室の灯りを落とす前に、空の棺へ一礼した。


「おやすみなさい、ルシアン様」


外では、鐘楼の鐘が鳴っていた。


その地下に眠る棺たちが、次は自分たちの番だと告げているように。

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