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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第8章 聖女エリシアの兄

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第29話 聖女の祈りが壊れる

マルク・セインは、聖務庁の中庭にいた。


白い柱廊に囲まれた、静かな庭だった。中央には小さな噴水があり、聖女像が水面を見下ろしている。祈りの場というより、上位聖職者たちが密談に使う場所だった。


エリシアは柱の陰から、その男を見ていた。


マルクは四十代前半。細い顔に、整えられた髭。聖務庁の白い法衣をまとっているが、胸元には英雄管理局との連絡役を示す灰色の飾り紐がある。


彼は、リナを戦場で使い潰した可能性のある監督官。

そして、ルシアンの「北東方面特別任務」に関わっていた人物。


エリシアは、手の中のペンダントを握りしめた。


ノアは隣で囁いた。


「無理に話す必要はありません」


「話します」


「怒りで問い詰めると、はぐらかされます」


「分かっています」


本当に分かっているのか、自分でも分からなかった。


兄の記録。

リナの日記。

セオの番号。

ガルディアの拘束痕。


すべてが胸の中で絡まり、祈りの言葉を壊していく。


エリシアは、これまで聖務庁で教えられてきた。


怒りは祈りを濁す。

憎しみは魂を曇らせる。

聖女は許しをもって死者に向き合うべきだと。


だが、今のエリシアには、許すという言葉がひどく空っぽに聞こえた。


許す前に、知らなければならない。

知らないままの許しは、ただの忘却だ。


エリシアは柱の陰から出た。


「マルク監督官」


マルクは振り返った。


一瞬、目が鋭くなった。

だがすぐに、穏やかな笑みを浮かべる。


「エリシア・ヴェイン。祈祷制限中の君が、私に何か?」


「兄のことで、お聞きしたいことがあります」


「兄?」


「ルシアン・ヴェインです」


マルクの表情は崩れなかった。


「懐かしい名だ。勇者候補として立派に戦い、魔王領で命を落としたと記憶している」


「嘘ですね」


エリシアは言った。


その言葉は、自分でも驚くほどまっすぐ出た。


マルクの笑みが少しだけ薄くなる。


「聖務庁の者が、記録を嘘と呼ぶのか」


「記録が嘘なら、そう呼びます」


ノアが一歩後ろに立っている。

グリムは中庭の入口で見張っていた。


マルクはノアに視線を移した。


「レクター葬儀社か。最近、死者を騒がせる葬儀師として名を聞く」


「死者を騒がせているのは、記録を書き換える方々です」


ノアが静かに返す。


マルクは笑った。


「若いな」


そしてエリシアを見る。


「ルシアンの何を知りたい」


「兄は、選定院で子どもたちを逃がそうとしたのですか」


「さあ」


「英雄管理局の馬車に乗せられたのですか」


「十年前のことだ。記憶が曖昧でね」


「北東方面特別任務とは何ですか」


マルクの目が、わずかに細くなった。


「どこでその言葉を」


「答えてください」


「君は、自分が何を尋ねているのか分かっていない」


また、それだ。


知らない方がいい。

調べない方が幸せだ。

分かっていない。


エリシアの中で、何かが切れた。


「分かっていないのは、あなたです」


静かな声だった。


「兄は私の家族です。リナは私の友人です。セオは名前を奪われた子どもです。あなた方にとっては記録の一行でも、私たちにとっては人です」


マルクの表情が少し歪んだ。


「感情論だ」


「葬儀も祈りも、感情を持つ人間のためにあるものです」


エリシアはペンダントを取り出した。


「これは、兄が残したものです。選定院の裏門で見つかりました。兄は魔王に殺されたのではありません。王国に連れていかれた」


マルクはペンダントを見た。


その目に、ほんの一瞬だけ、面倒なものを見る色が浮かんだ。


「ルシアンは、優秀な候補生だった」


彼はようやく言った。


「だが、勇者には向かなかった。優しすぎた。命令の意味を理解しなかった」


「命令とは」


「魔王領の村を焼く任務だ」


エリシアの呼吸が止まる。


ノアも表情を硬くした。


マルクは、淡々と続けた。


「北東方面では、魔王領と王国領の境界が曖昧だった。敵に食糧を渡す村もあれば、魔族を匿う村もあった。戦線を維持するには、境界の村を整理する必要があった」


「整理……」


エリシアの声が震える。


「兄は、それを拒んだのですね」


「彼は、敵味方の区別がつかなかった。子どもを逃がそうとした。任務前に情報を漏らし、候補生数名を逃がした」


「それで処分したのですか」


「処分ではない。転用だ」


マルクの声は冷たかった。


「反抗的な候補生でも、使い道はある。魔王領へ送り、交渉の餌にした。彼は魔族側に同情していたからな。囮には適していた」


エリシアの顔から血の気が引いた。


「囮……?」


「魔王側の抵抗勢力を引き出すためだ。彼を使えば、逃げた子どもたちや魔族の保護者が動くと見込まれた」


ノアは一歩前へ出た。


「ルシアン様は、どこで亡くなったのですか」


マルクはノアを見た。


「君たちは死因を知りたがる。まるで、それで死者が救われるかのように」


「少なくとも、嘘の死因よりは」


マルクは肩をすくめた。


「北東の廃礼拝堂だ。魔族側の避難民が隠れていた場所。ルシアンはそこで、王国軍の突入を止めようとした」


エリシアは声を出せなかった。


「彼は、どちら側にも立てなかった。王国の命令にも従えず、魔族側の完全な味方にもなれず、最後まで子どもたちを逃がそうとした」


マルクは淡々と告げた。


「結果、王国兵の槍を受けた」


世界から音が消えた。


噴水の水音も、鳥の声も、遠くの祈りの鐘も、何も聞こえない。


エリシアの中で、長い間守ってきた祈りが壊れた。


兄は魔王に殺されたのではない。

王国の兵に殺された。

子どもたちを逃がそうとして。

命令を拒んで。

誰かを守ろうとして。


エリシアは杖を握りしめた。


「なぜ、葬ってくれなかったのですか」


それは問いというより、悲鳴だった。


「なぜ、兄の遺体を返してくれなかったのですか。なぜ、名前を祈りの中から消したのですか」


マルクは初めて、わずかに苛立ちを見せた。


「反逆者を英雄にできるわけがない」


「兄は反逆者ではありません!」


中庭に、エリシアの声が響いた。


「兄は、子どもを守ろうとしただけです!」


マルクは冷ややかに言った。


「その甘さが、勇者制度を危うくする。勇者は、救う相手を選んではならない。王国が敵と定めたものを斬れる者だけが、勇者になれる」


エリシアは震えていた。


ノアは彼女の前に出た。


「十分です」


「そうだな。これ以上聞けば、彼女は聖務庁には戻れない」


「もう、戻る必要はありません」


エリシアが言った。


ノアが振り返る。


彼女は泣いていた。

だが、崩れてはいなかった。


「私は、兄を反逆者とは呼びません。リナを殉教者としてだけ祈りません。セオを番号では呼びません。ガルディア様を魔王としてだけ見ません」


彼女はマルクを見た。


「あなた方の祈りは、もう信じません」


マルクはため息をついた。


「愚かな」


その瞬間、中庭の入口から足音が近づいた。


聖務庁の衛兵。数人。


マルクが呼んでいたのだ。


「エリシア・ヴェイン。君は聖務庁の秩序を乱し、虚偽の情報に基づいて監督官を脅迫した。拘束する」


グリムが前に出る。


ミレイが、どこからか煙玉のような瓶を投げた。


「だから言ったじゃん、煙は役に立つって!」


瓶が割れ、白い煙が中庭を覆う。


衛兵たちが咳き込む。


ノアはエリシアの手を掴んだ。


「走ります!」


エリシアは頷いた。


三人は柱廊を抜け、聖務庁の裏門へ向かった。


背後でマルクの声が響く。


「逃げても、祈りの場はもう君を受け入れない!」


エリシアは振り返らなかった。


受け入れられなくてもいい。


彼女の祈りは、もう聖務庁のためには戻らない。

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