第28話 命令を拒んだ勇者候補
鐘楼地下納骨堂へは、すぐには入れなかった。
そこは王都中心部、鐘楼広場の地下にある英雄管理局の管理区域だった。表向きは、歴代勇者や戦死者の慰霊品を保管する聖域とされている。だが、父が残した鍵と、聖務庁の修道士が口にした「消去記録」という言葉が、そこがただの納骨堂ではないことを示していた。
ノアたちは、まず情報を集めることにした。
頼ったのは、王立養護院の老清掃夫だった。
彼は名を、ダンといった。
かつて選定院で雑務をしていた男で、今も子どもたちの世話をしながら、できる範囲で記録を隠していたらしい。
夜、レクター葬儀社の裏口から、ダンは小さな布包みを持って現れた。
「これを、ずっと隠しておりました」
布の中には、古い木札が数枚と、子どもたちの手紙が入っていた。
ノアは慎重に広げる。
番号札。
訓練成績表の切れ端。
選定試験の覚え書き。
そして、一枚の古い紙。
そこには、ルシアン・ヴェインの名があった。
第七候補群。
番号一二。
適性、治癒補助・結界魔法・剣術中等。
従順性、低。
備考、下位候補生への干渉多し。
エリシアの指が震えた。
「兄らしいです」
「従順性、低」
ノアはその項目に目を止める。
セオの成績表にもあった言葉だ。
従順性。
勇者の資質として、王国が何より見ていたもの。
強さだけではない。
命令に従うかどうか。
疑わずに戦えるかどうか。
誰かを見捨てられるかどうか。
ダンは深く頭を下げた。
「ルシアン様は、よく罰を受けておりました。自分の訓練を抜け出して、怪我をした子の手当てをしていたからです」
エリシアは小さく笑った。涙の混じる笑みだった。
「昔からそうでした。私が転ぶと、自分の上着を汚してまで傷を拭いてくれました」
ダンは続ける。
「最後の選定試験の前、数人の子どもが移送されることになりました。セオ坊と同じように、選ばれなかった子どもたちです。ルシアン様は、その子たちが地方施設へ送られるのではなく、別の場所へ連れていかれることに気づいた」
「どこへ?」
ノアが尋ねる。
ダンは首を振った。
「私も詳しくは。ただ、戻った子はいませんでした」
沈黙。
「ルシアン様は、その子どもたちを逃がそうとしました」
エリシアが息を止める。
「兄が」
「はい。夜中に寝室の鍵を開け、裏門まで連れていった。ですが、門の外には英雄管理局の馬車が待っていた」
ノアは眉をひそめた。
「待っていた?」
「最初から、試されていたのかもしれません」
ダンの声は重かった。
「ルシアン様が命令に背くかどうかを」
従順性、低。
それはただの評価ではなく、監視対象の印だったのかもしれない。
「その後、ルシアン様は」
エリシアの声が震える。
ダンは布包みの中から、小さな金属片を取り出した。
古いペンダントの片割れだった。
エリシアがそれを見た瞬間、手で口を覆った。
「兄の……」
「裏門の近くに落ちていました。返す機会がないまま、ずっと隠しておりました」
エリシアはペンダントを両手で受け取った。
片面には、子どもの字で小さく「E」と刻まれていた。
「私の名前の頭文字です」
彼女は泣きそうな声で言った。
「兄が、私が迷子にならないようにと、おそろいで作ってくれたものです」
もう片方は、今もエリシアが持っているのだろう。彼女は胸元から同じ形のペンダントを取り出した。二つを合わせると、小さな鐘の形になった。
ノアは胸が締めつけられた。
記録ではない。
証拠でもない。
家族の記憶。
それが、十年越しに戻ってきた。
「ダンさん」
ノアは尋ねた。
「ルシアン様は、その場で殺されたのですか」
「いいえ。少なくとも、私が見た時は生きていました。英雄管理局の馬車に乗せられた。口元に血がありましたが、自分の足で歩いていました」
「その後、魔王領偵察中に死亡と記録された」
「はい」
つまり、戦場で死んだという記録は偽装だ。
ルシアンは選定院で命令を拒み、子どもたちを逃がそうとして捕らえられた。
その後、英雄管理局へ移送され、死を別の物語に書き換えられた。
「兄は、どこで死んだのでしょう」
エリシアの問いに、誰も答えられなかった。
ダンはもう一枚の紙を差し出した。
「これが、最後に見た記録です」
そこには、短い文字があった。
第七候補群一二番。
反抗性高。
処分保留。
北東方面特別任務へ転用。
監督、英雄管理局局長補佐マルク・セイン。
ノアはその名前を見て息を止めた。
マルク・セイン。
リナを戦場で使い潰した聖務庁監督官。
英雄管理局との連絡役。
また、同じ名前。
「マルクは今も聖務庁にいます」
エリシアの声が低くなる。
「リナの死にも、兄にも関わっている」
「会う必要があります」
ノアが言うと、ミレイが横から言った。
「会うっていうより、捕まえる必要があるんじゃない?」
「乱暴なことは」
「しないとは言ってない」
グリムが静かに言った。
「マルクは口を割らないだろう」
「では、どうすれば」
「死者の方が正直だ」
その言葉に、ノアは顔を上げた。
「どういう意味ですか」
グリムはダンの持ってきた記録を見た。
「北東方面特別任務。ルシアンがそこへ送られたなら、任務に同行した者がいる。死んだ者もいるはずだ。その棺を探せ」
ノアは理解した。
死者の記録から、生者の嘘を辿る。
レクター葬儀社に残る台帳。
聖務庁の祈祷記録。
英雄管理局が隠した消去記録。
どこかに、ルシアンの最期に近い棺がある。
エリシアはペンダントを握りしめた。
「兄は、子どもたちを逃がそうとしたのですね」
「はい」
ダンは頭を下げる。
「逃げられた子もいました。全員ではありませんが、数人は。ルシアン様のおかげです」
その言葉に、エリシアは涙をこぼした。
兄は、何もできずに消されたのではなかった。
誰かを逃がそうとした。
少なくとも数人を救った。
それは慰めではない。
死の真相にはまだ遠い。
それでも、兄の姿が少し戻ってきた。
勇者候補でも、反抗者でも、記録から消された番号でもなく。
弱い子を放っておけない、エリシアの兄として。
「ノアさん」
エリシアは涙を拭った。
「私は、兄の死因を知りたいです」
「はい」
「でも、それだけではありません。兄が逃がそうとした子どもたちがどうなったのかも、知りたい」
「探しましょう」
「兄を弔うために?」
ノアは少し考えた。
「ルシアン様を弔うためにも。まだ生きているかもしれない子どもたちを、名前で呼ぶためにも」
エリシアは静かに頷いた。
その夜、ノアは新しい記録を台帳に挟んだ。
ルシアン・ヴェイン。
勇者候補。
公式記録、魔王領偵察中に死亡。
実際、選定院にて命令拒否。
子どもたちの逃亡を支援。
英雄管理局へ移送。
関連、マルク・セイン。
鐘楼地下納骨堂に消去記録あり。
最後の欄は空白のままだ。
死因。
そこに、まだ何も書けない。
だが、空白はもう諦めではなかった。
これから埋めるべき場所だった。




