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勇者葬儀社 〜世界を救った英雄の死因が、毎回おかしい〜  作者: swingout777
第8章 聖女エリシアの兄

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第27話 ルシアンの痕跡

エリシアは、兄の声を忘れかけていた。


顔は覚えている。

細い金髪。少し困ったように笑う目元。エリシアが泣くと、自分の袖で涙を拭いてくれた手。


けれど、声だけが曖昧だった。


大丈夫だよ、と言われた気がする。

すぐ帰る、と言われた気もする。

あるいは、何も言わなかったのかもしれない。


王立養護院の門の前で別れた日の記憶は、いつも途中で途切れる。


兄ルシアン・ヴェインは、勇者候補として王都北区の選定院へ送られた。

その後、魔王討伐任務中に死亡したと、聖務庁から知らされた。


遺体は戻らなかった。

葬儀もなかった。

ただ、祈りの場で名前が一度読まれた。


それだけだった。


エリシアは長い間、それを受け入れてきた。

兄は勇敢に死んだのだと。

魔王に殺されたのだと。

そう信じなければ、幼い自分は悲しみの置き場所を見つけられなかった。


だが、セオの葬儀を終えた今、その信じてきた物語はもう保てなかった。


王国は、子どもの名前を消す。


番号で呼び、選定し、役に立たなければ記録から外す。

ならば、兄も同じように消されたのではないか。


その疑いは、エリシアの胸の中で日ごとに大きくなっていた。


「記録室へ?」


ノアが尋ねると、エリシアは頷いた。


レクター葬儀社の作業室には、朝の光が差し込んでいる。机の上には、セオの葬儀記録と、王立養護院で集めた証言の写しが置かれていた。


「聖務庁の地下記録室に、勇者候補の祈祷記録があります。正式な戦死記録ではなく、祈りの依頼記録です」


「葬儀ではなく?」


「はい。遺体が戻らなかった者、戦場で行方不明になった者、名誉ある死とされた者たちに対して、聖務庁が祈りを捧げた記録です。兄の名も、そこに一度だけあったはずです」


ノアは少し考えた。


「危険です。あなたはもう聖務庁から警戒されています」


「だからこそ、今しかありません」


エリシアの声は静かだった。


「正式に止められる前に、記録を見ます」


グリムが壁際で腕を組んだまま言った。


「一人で行くな」


「もちろんです」


エリシアはノアを見る。


「ノアさんに、同行してほしいのです」


「僕が聖務庁へ?」


「葬儀記録確認の名目なら、入れます。リナの件で、あなたは聖務庁にも知られています。歓迎はされないでしょうが」


「それは歓迎より不安ですね」


ミレイが薬瓶を整理しながら言った。


「私は外で待つ。何かあったら煙を出して。逃げる準備だけはしておくから」


「煙?」


「聖務庁の香炉にちょっと細工すれば、礼拝堂中が咳き込む程度の煙なら」


「しないでください」


ノアが止めると、ミレイは不満そうに肩をすくめた。


「念のためだよ」


その日の午後、ノアとエリシアは聖務庁へ向かった。


白い尖塔が並ぶ建物。

王都の中心にありながら、どこか現実から切り離されたような静けさがある。床は磨かれ、壁には聖女たちの絵が掛けられ、空気には香油の匂いが漂っていた。


エリシアは聖衣を着ていた。


久しぶりに見る正式な姿だった。

だが、彼女の顔には以前のような従順な緊張はない。白い衣をまといながらも、その中身はもう、ただ命令を待つ聖女見習いではなかった。


受付の修道士は、エリシアを見るなり顔を曇らせた。


「エリシア・ヴェイン。あなたは現在、祈祷奉仕を制限されているはずです」


「本日は奉仕ではありません。過去の祈祷記録を確認しに来ました」


「許可は」


「リナ・メイベルの葬儀記録に不備がありました。レクター葬儀社との照合が必要です」


エリシアは迷いなく言った。


半分は本当だった。


リナの死因は、公式記録と違っている。聖務庁の記録にも不備がある。

ただ、今日の目的はそこだけではない。


修道士は不審そうにノアを見たが、葬儀社の名を聞くと渋々通行証を出した。


地下記録室へ続く階段は、ひどく冷えていた。


石の壁には小さな灯りが並び、奥へ進むほど香油の匂いが薄くなっていく。代わりに、紙と埃と古いインクの匂いが強くなった。


記録室の扉には、聖務庁の紋章と封印がある。


エリシアは祈りの杖をかざした。


淡い光が走り、封印が解ける。


「聖女見習いでも、開けられるのですか」


ノアが聞くと、彼女は少し苦笑した。


「昔は、記録整理をよく任されていました。誰もやりたがらない仕事でしたから」


扉が開く。


中には、壁一面の棚があった。


祈祷記録。

戦地慰霊記録。

聖女候補派遣記録。

名誉戦死者祈祷簿。

行方不明者追悼簿。


ノアは棚を見上げた。


ここにも、死者がいる。


棺ではなく、紙の中に。

名前だけになり、祈りの言葉だけを与えられた死者たち。


エリシアは迷わず奥へ進んだ。


「十年前の勇者候補祈祷簿は、このあたりです」


古い台帳を取り出す。

革表紙は乾き、角は擦れていた。


エリシアは慎重にページをめくる。


いくつもの名前が並んでいた。


勇者候補。

魔王討伐予備任務。

戦死。

行方不明。

魔王の呪い。

名誉祈祷済み。


ノアは眉をひそめた。


同じような言葉が何度も繰り返されている。

死因が違うはずの子どもたちが、まるで同じ型に押し込まれるように記録されていた。


エリシアの指が止まった。


ルシアン・ヴェイン。


彼女は声を出さなかった。


ただ、その名に指を置いたまま、動けなくなった。


ノアは隣から記録を読む。


ルシアン・ヴェイン。

勇者候補。

北東方面予備任務。

魔王領偵察中、敵襲により死亡。

遺体未回収。

名誉祈祷済み。


その下に、赤い印が押されていた。


記録移管済。


「移管?」


ノアが呟く。


エリシアは唇を震わせた。


「聖務庁から、別の部署へ記録が移されたという意味です」


「どこへ」


ページの端に、小さな記号があった。


HMB。


英雄管理局。


ノアは息を呑んだ。


エリシアも、その記号を知っていたのだろう。顔色が変わる。


「兄の記録は、聖務庁には残っていない」


「英雄管理局へ移された」


「なぜ、ただの戦死者の記録が」


答えは、二人とも分かっていた。


ただの戦死ではないからだ。


エリシアは次のページをめくろうとして、指を止めた。


ルシアンの記録欄の下に、薄く削られた跡がある。羊皮紙の表面を刃でこすり、文字を消した跡。


ノアはランプを近づけた。


削られた文字はほとんど読めない。


だが、かすかに残ったインクがある。


命令拒否。

第七候補群。

移送。


エリシアの息が止まる。


「命令拒否……」


その時、記録室の奥で物音がした。


ノアが振り返る。


棚の影に、人影がある。


白い聖務庁の服。

だが、顔はフードで隠れていた。


「誰ですか」


ノアが声をかけると、その人影は逃げようとした。


グリムがいれば止められただろう。だが、ここにいるのはノアとエリシアだけだ。


エリシアが杖をかざす。


「待ってください!」


光が走り、人影の足元に小さな結界が展開する。


相手は転び、フードが外れた。


若い修道士だった。受付にいた者ではない。顔は青ざめている。


「やめてください、私は」


「何をしていました」


エリシアの声が厳しくなる。


修道士は震えていた。


「私は、命令で……」


「誰の命令ですか」


修道士は答えない。


ノアは彼の手に握られた紙を見た。


古い記録の写しだった。


そこには、ルシアン・ヴェインの名がある。


「それを、どこへ持っていくつもりでしたか」


修道士は唇を噛む。


「英雄管理局へ。あなた方が記録を見たら、すぐ報告するようにと」


やはり見張られていた。


エリシアはさらに問いかける。


「兄の記録について、何か知っていますか」


「知りません」


「本当に?」


「私が知っているのは、地下保管庫に移された写しがあるということだけです」


「どこの」


修道士はノアを見た。怯えた目だった。


「鐘楼地下納骨堂」


ノアの胸が強く脈打った。


父の鍵。

初代勇者団最後の生存者。

鐘楼地下納骨堂。


そこに、ルシアンの記録もある。


「なぜ、聖務庁の祈祷記録が納骨堂に?」


修道士は首を振った。


「分かりません。ただ、英雄管理局が管理する“消去記録”は、そこに集められると聞いたことがあります」


消去記録。


その言葉に、エリシアの顔がこわばった。


兄は戦死者ではなかった。

消去された記録だった。


「出ましょう」


ノアは言った。


「これ以上ここにいると危険です」


エリシアはルシアンの記録を写し取る。震える手で、それでも一字も落とさないように。


記録室を出る時、彼女はもう一度だけ棚を振り返った。


「兄は、ここにもいないのですね」


ノアは答えられなかった。


ルシアンの名はあった。

だが、本当の死は、別の場所に移されていた。


鐘楼地下納骨堂。


そこに、また一つ棺が待っている。

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