第24話 魔王領の真実
ミレイはガルディアの遺体を見るなり、珍しく黙り込んだ。
「魔王って、もっと角が大きくて、牙があって、いかにも人を喰いそうな顔してるものだと思ってた」
「実物を見るのは初めてですか」
「生きてるのも死んでるのもね」
彼女は手袋をはめ、慎重に遺体を確認した。
「拘束痕は生前。かなり強く縛られてる。少なくとも数時間以上」
「捕虜だった可能性は」
「高いね。胸の槍傷は致命傷だけど、戦闘中に真正面から受けた傷じゃない。膝をついているか、倒れている状態で刺されてる」
ノアは息を詰めた。
「処刑ですか」
「そう見える」
まただ。
勇者カイルは背中から刺され、魔王に殺されたことにされた。
魔王ガルディアは拘束された後に刺され、討伐されたことにされている。
敵味方が違うだけで、死の整え方は似ていた。
ミレイはさらに首元の皮膚を確認した。
「おかしいな」
「何が」
「魔王級災厄って、強い呪いの核を持ってるはずなんだけど、この人にはそれがほとんどない。魔力は強いけど、災厄というより領主級の守護結界に近い」
「守護結界?」
「土地を守る魔術。攻撃じゃなくて、防御に特化してる」
ノアはガルディアの手を見た。
大きな手だった。武器を握る者の手でもあるが、指には古い火傷と細かな傷がある。鍛冶師か、農民のような手にも見えた。
「この方は、本当に人間の村を襲ったのでしょうか」
「それを知るには、向こう側の話を聞くしかないね」
向こう側。
魔王領。
ノアは王国の地図を開いた。北東辺境ノクス領。王国の記録では、魔族が占拠する危険地帯とされている。だが王都からは遠く、実際に見た者は少ない。
その時、グリムが言った。
「生き残りがいる」
ノアは顔を上げた。
「知っているんですか」
「王都の外れに、魔王領から逃げてきた者たちが隠れている。捕まれば尋問されるから、表には出ない」
「なぜ知っているのです」
「棺桶職人には、死体以外の逃げ道も見える」
よく分からない答えだったが、グリムはそれ以上説明しなかった。
夜、ノアとグリムは王都南端の廃倉庫へ向かった。エリシアも同行した。
「危険です」
ノアは言ったが、彼女は首を振った。
「魔王の遺体を弔うなら、私も知らなければなりません。祈れるかどうかは、見てから決めます」
廃倉庫の中には、十数人の魔族が身を寄せ合っていた。
角のある者。耳の尖った者。肌の色が人間と少し違う者。だが、ノアが想像していた怪物ではなかった。
疲れた顔の母親。
腕を怪我した老人。
毛布にくるまった子ども。
彼らは、戦争から逃げてきた避難民だった。
グリムが奥にいた老女に声をかける。
「ガルディア・ノクスのことを聞きたい」
老女の顔が強張った。
「領主様を、知っているのか」
ノアは一歩前へ出た。
「ご遺体を預かっています」
倉庫の中がざわめいた。
子どもが母親の服を握る。老人が目を伏せる。誰かが小さく泣き出した。
老女は震える声で言った。
「領主様は、死なれたのか」
「はい」
ノアは深く頭を下げた。
「お悔やみ申し上げます」
その言葉に、老女は驚いたようにノアを見た。
人間から悔やみの言葉を受けるとは、思っていなかったのだろう。
「王国は、ガルディア様を魔王と呼んでいます。人間の村を襲ったと」
老女の目に怒りが宿った。
「襲ったのは王国軍だ」
倉庫の中が静まり返る。
老女は続けた。
「ノクス領は、小さな土地だ。人間も魔族も、昔は境界で商いをしていた。領主様は争いを好まなかった。人間の村とも水路を分け合っていた」
「では、なぜ魔王指定を」
「鉱脈が見つかった」
その一言で、ノアはすべてが変わった気がした。
老女は苦しそうに語る。
ノクス領の山で、魔力鉱石の鉱脈が見つかった。王国はそれを欲しがった。ガルディアは採掘権の共有を求めたが、王国軍は魔王討伐を名目に軍を進めた。
人間の村を襲ったという記録は、王国軍が境界の村を焼いた事実を隠すために作られたものだった。
「領主様は、村を守ろうとした」
老女は言った。
「魔王軍などなかった。いたのは、鍬を持った農民と、古い槍を持った衛兵だけだ」
エリシアは青ざめていた。
「でも、王国の布告には、魔王ガルディアが人間の村を焼いたと」
「焼いたのは王国の火だ」
老女の声は低く震えた。
「領主様は、子どもたちを逃がすために最後まで結界を張っていた。王国軍に捕らえられた時も、抵抗しなかったと聞いた。人質を殺すと言われたから」
ノアは、ガルディアの手首の拘束痕を思い出した。
捕虜。
処刑。
討伐として発表。
「ガルディア様のご遺族は」
老女は首を振った。
「奥方は戦火で亡くなられた。娘君は……行方が分からない」
その時、倉庫の隅で小さな影が動いた。
角の片方が欠けた少女だった。年は十歳ほど。母親らしき女性が慌てて彼女を抱き寄せる。
ノアはそれ以上、尋ねなかった。
聞かなくても分かった。
ガルディアの娘だ。
少女はノアを睨んでいた。恐怖と憎しみと、泣きたいのを我慢している顔。
エリシアが一歩近づこうとしたが、少女は身を引いた。
「人間の祈りなんかいらない」
その言葉が、倉庫に刺さった。
エリシアは立ち止まる。
ノアも何も言えなかった。
少女の言葉は正しかった。
王国は彼女の父を魔王と呼び、殺し、晒そうとしている。
その王国側の人間が、今さら祈りたいと言っても、届くはずがない。
老女が少女をなだめようとしたが、ノアは首を振った。
「構いません」
彼は少女に向かって静かに言った。
「祈りを受け入れるかどうかは、あなたが決めることです」
少女は黙ってノアを睨んだままだった。
ノアは老女に向き直る。
「ガルディア様を、見世物にはしません」
「できるのか」
「分かりません。ですが、葬儀師として、死者を晒すためだけに返すことはできません」
老女はノアの顔をじっと見た。
「人間の葬儀師が、魔王を弔うのか」
「魔王としてではありません」
ノアは答えた。
「ガルディア・ノクスという、一人の死者として」
倉庫の奥で、少女が目を伏せた。
その小さな反応だけで、ノアは十分だった。
王国の記録とは違う死が、また一つ棺の中にある。
そして今度の死者は、敵と呼ばれてきた側の人だった。




