第18話 生きている者への弔辞
王都に戻ったノアは、英雄管理局へ報告書を提出した。
勇者ユージン・クロフトの葬儀について。
遺灰確認済み。
簡易葬実施可能。
棺の状態に問題なし。
嘘だった。
ノアは自分の書いた報告書を見つめながら、胸の奥に鈍い痛みを覚えた。
カイルの死因を書き換えた王国。
リナを呪いで死んだことにした聖務庁。
アルトを裏切り者にした英雄管理局。
自分も今、嘘を書いている。
だが、この嘘はユージンを生かすためのものだった。
それでも、嘘は嘘だ。
ノアは報告書の控えを台帳とは別に保管した。公的な記録には書けない。だが、本当の記録は残す。
勇者ユージン・クロフト。
公式記録、魔王の炎により焼死。
実際には生存。
本人の希望により、勇者としての名を弔う。
以後、別名で生存予定。
家族には直接告げず。ただし母マリアは察知。
最後の一文に迷った。
ノアは羽ペンを置き、しばらく考えた。
そして書いた。
彼は死ななかった。
勇者を降りて、生きることを選んだ。
三日後、王国管理墓地で簡易葬が行われた。
参列者は少なかった。
英雄管理局の役人が二人。村から送られてきた花束一つ。ノアとエリシア。遠くに、顔を隠した農夫の姿があった。
ユージン本人ではない。
彼の兄だった。
母は来られない。父も来ない。村は、公式には勇者の死を受け入れるしかなかった。
棺の中には、偽の灰がある。
ノアはその前に立った。
今回は、弔辞を短くするよう命じられていた。
地方勇者の簡易葬。
あまり目立たせるな。
王国はそう言った。
ノアは用意された弔辞を見た。
勇者ユージン・クロフトは、魔王の炎にその身を焼かれながらも、最後まで王国への忠誠を失わず、勇敢に戦い抜いた。
違う。
彼は最後まで戦えなかった。
忠誠よりも、人を殺す恐怖に押し潰された。
魔王の炎で焼かれたのではなく、王国の期待で焼かれた。
だが、それをこの場では言えない。
言えば、彼の生存が危うくなる。
ノアは弔辞を折り畳んだ。
英雄管理局の役人が眉を動かす。
ノアは静かに語り始めた。
「ユージン・クロフト様。あなたは、遠い東の村から王都へ来ました。慣れない剣を持ち、重すぎる名を背負い、多くの期待の中を歩きました」
役人の一人が顔を上げる。
「あなたの旅路は、ここで終わります」
それは、勇者ユージンへの言葉だった。
生きている青年ではなく、王国が作った勇者という名前への弔辞。
「どうか、あなたが背負った重荷が、ここに下ろされますように」
遠くで、ユージンの兄が帽子を握りしめる。
「どうか、残された者たちが、あなたの名を誇りだけではなく、悲しみとともに抱けますように」
エリシアが目を伏せる。
「そして、もしどこかで新しい朝を迎える魂があるなら」
ノアは一瞬だけ言葉を止めた。
英雄管理局の役人がこちらを見ている。
ノアは続けた。
「その魂が、今度こそ自分の足で歩けますように」
それが、限界だった。
でも、ユージンには届くだろうか。
届かなくてもいい。
彼は生きている。
生きていれば、いつか自分で受け取れる。
葬儀は静かに終わった。
棺が埋められる。
偽の灰が土の中へ入っていく。
そこにユージンはいない。
だが、勇者ユージンという役割は、確かにそこへ埋められた。
式のあと、ノアは管理墓地の外でエリシアと並んで歩いた。
「嘘の葬儀でしたね」
エリシアがぽつりと言った。
ノアは頷く。
「はい」
「でも、悪い葬儀ではありませんでした」
「そうでしょうか」
「少なくとも、ユージン様を死なせるための葬儀ではなく、生かすための葬儀でした」
その言葉に、ノアは少しだけ救われた気がした。
だが、完全には救われない。
嘘は嘘だ。
たとえ誰かを守るためでも、記録を偽る痛みは消えない。
その時、墓地の門の近くに一人の男が立っていることに気づいた。
灰色の外套。
静かな目。
オルガン・レイスだった。
ノアは足を止める。
オルガンは、二人に近づいてきた。
「よい葬儀だった」
「見ていたのですか」
「葬儀は、いつも見ている」
それは比喩ではないように聞こえた。
オルガンはユージンの墓の方へ視線を向けた。
「君は、嘘を書いたな」
ノアの背筋が冷える。
「何のことでしょう」
「ユージン・クロフトは生きている」
エリシアの顔が強張った。
ノアは沈黙した。
オルガンは穏やかに続けた。
「安心しなさい。今のところ、彼を追うつもりはない。逃亡勇者の処理は、死者にするのが最も穏便だ。本人も、家族も、王国も、それで救われる」
「救われる?」
ノアの声に怒りが滲む。
「彼は、勇者を降りる場所がなかっただけです」
「だから、君が葬った」
オルガンはノアを見た。
「興味深い葬儀だった。死んでいない者を、死者としてではなく、役割として送った」
「見ていたのですか」
「言っただろう。葬儀は、いつも見ている」
ノアは拳を握った。
「あなたは、知っていて偽の灰を用意した」
「当然だ」
「彼が壊れるまで勇者でいさせたのも、王国です」
「勇者は必要だ」
「壊れても?」
「壊れない者だけを勇者にすることはできない」
オルガンの声は冷たくも熱くもなかった。
「世界は、誰かに重荷を背負わせなければ保てない。君はその重荷を下ろす葬儀をした。ならば理解したはずだ。人は時に、嘘によってしか生きられない」
ノアは返せなかった。
ユージンを守るために、自分も嘘を書いた。
オルガンと同じことをしたのか。
その疑問が、胸に刺さる。
オルガンは、ノアの迷いを見透かしたように言った。
「君は私を憎む。だが、今日の君は私に近かった」
「違います」
ノアは即座に言った。
「本当に?」
「僕は、ユージン様を物語に閉じ込めるために嘘を書いたのではありません。物語から出すために書きました」
オルガンの目がわずかに細くなる。
「では、その違いを忘れないことだ」
彼は静かに去っていった。
エリシアが小さく息を吐く。
「怖い人です」
「はい」
「でも、全部間違っているわけではないのが、もっと怖いです」
ノアはユージンの墓を振り返った。
そこには、勇者ユージン・クロフトの名が刻まれるだろう。
彼は死んだことになる。
王国の記録では、永遠に。
だが、どこか遠くで、一人の青年が新しい名を名乗り、畑を耕し、朝を迎えるかもしれない。
それが嘘の上に成り立つ生だとしても。
ノアは思う。
葬儀師は、死者の真実をすべて暴く者ではない。
生者を守るために、言葉を選ばなければならない時もある。
だが、だからこそ記録だけは残す。
いつか、誰かが棺を開ける日のために。
その夜、レクター葬儀社に戻ったノアは、ユージンの台帳を閉じる前に、最後の一行を書き加えた。
勇者は死ななかった。
ただ、勇者であることを弔われた。
ノアはペンを置いた。
作業室は静かだった。
死者のいない葬儀。
生きている者への弔辞。
空の棺。
それでも、今日確かに何かが終わり、何かが始まった。
ユージンは、もう勇者ではない。
だが、ようやく生きることができる。




