第15話 空の棺
その棺は、あまりにも軽かった。
王都の朝は晴れていた。昨夜まで降っていた雨が嘘のように、石畳の上には薄い光が差している。レクター葬儀社の前に停まった馬車も、これまでのような黒でも白でもなかった。
灰色の馬車。
英雄管理局の紋章はある。
だが、勇者カイルの時のような厳粛さも、聖女候補リナの時のような祈りの飾りもない。
荷台に置かれていたのは、小さな棺だった。
「勇者ユージン・クロフト」
英雄管理局の使者は、書類を読み上げた。
「東方魔王討伐任務中、魔王の炎により肉体を焼失。回収された遺灰のみを納棺。三日後、王国管理墓地にて簡易葬を行う」
ノアは書類を受け取った。
「勇者なのに、国葬ではないのですか」
使者は表情を変えなかった。
「ユージンは地方選出の勇者だ。王都で大規模な国葬を行うほどの功績はない」
勇者に、格がある。
その言い方が、ノアには引っかかった。
「ご遺族は」
「地方の農家だ。王都までは来られない。葬儀社が遺灰を整え、管理墓地へ送ればいい」
「遺体確認は」
「遺灰しかないと言ったはずだ」
使者の声が少し硬くなる。
「今回は、余計な確認をする必要はない。棺の中身はすでに英雄管理局が確認済みだ」
余計な確認。
その言葉を聞いた瞬間、ノアは胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
勇者カイルの時もそうだった。
調べるなと言われた。
死因は確定していると言われた。
確定している死ほど、なぜか調べられることを恐れる。
使者が去ると、グリムが棺を抱えた。
いつもなら無言で作業室へ運ぶ彼が、珍しく棺を持ち上げたまま眉を動かした。
「軽すぎる」
「遺灰だけなら、軽いでしょう」
「骨壺一つ分もない」
ノアは棺を見た。
外見は通常の棺と変わらない。だが、中に入っているものが遺灰だけなら、この大きさは不要だ。見た目だけを整えるために作られた棺。
死者がそこにいるように見せるための箱。
作業室に運び入れ、蓋を開ける。
中には白い布が敷かれていた。
その中央に、銀の小箱が一つ。
小箱には、勇者ユージン・クロフトの名が刻まれている。
ノアは棺に向かって一礼した。
「お帰りなさいませ、ユージン様」
そう言ってから、自分の声にわずかな違和感を覚えた。
帰ってきた。
本当に?
棺の中には体がない。顔もない。手もない。傷も、表情も、死に際の痕跡もない。小さな箱に入った灰だけだ。
それでも葬儀はできる。
遺体が戻らない葬儀は珍しくない。戦場では、剣一本、髪の一房、服の切れ端だけで送ることもある。
だが、この棺は違った。
遺体が戻らなかった悲しみではなく、最初から遺体を見せる気がない冷たさがある。
ノアは銀の小箱を開けた。
中には、灰が入っていた。
少ない。
指先で触れずとも分かる。人一人を焼いた量ではない。骨片もほとんど混じっていない。灰は妙にさらさらとしていて、色も均一すぎた。
「ミレイを呼びます」
ノアが言うと、グリムはすでに裏口へ向かっていた。
ほどなくして、ミレイがやって来た。
「今度は何? 棺が喋った?」
「軽すぎる遺灰です」
「それ、嫌な言い方だね」
ミレイは銀の小箱を覗き込み、すぐに顔をしかめた。
「これ、人間じゃないよ」
「分かるんですか」
「全部じゃないけど、少なくとも人骨の灰じゃない。木灰と獣骨の粉を混ぜて、それっぽくしたものだと思う」
ノアは息を止めた。
「では、ユージン様の遺灰ではない」
「うん。勇者様はこの箱の中にいない」
作業室が静まり返る。
ユージン・クロフト。
魔王の炎で肉体を焼失。
回収された遺灰のみを納棺。
公式記録は、最初から嘘だった。
「死んでいない可能性は?」
ノアが尋ねると、ミレイは肩をすくめた。
「遺体も本物の灰もないなら、死んでる証拠がないってだけ。生きてる証拠もない」
「英雄管理局は、なぜ偽の遺灰を用意したのでしょう」
「死んだことにしたいからでしょ」
グリムが低く言った。
ノアは棺の中の白布をめくった。
何もない。
空の棺。
だが、底の板に小さな傷があった。爪で引っかいたような線ではない。印のようにも見える。
ノアは身をかがめる。
底板の隅に、薄く文字が刻まれていた。
東の畑。
風車の下。
「誰かが書いた?」
ミレイが覗き込む。
「棺を作った職人か、運んだ人間か。あるいは、この棺に入るはずだった人か」
ノアは文字を指でなぞった。
東の畑。
風車の下。
それは、場所を示しているように見えた。
「ユージン様の故郷は」
ノアは書類を確認した。
東方クロフト村。
麦作農家の三男。
二年前、聖剣に選ばれ勇者となる。
東。
風車のある村。
「行くの?」
ミレイが聞いた。
「葬儀まで三日あります」
「最近、その三日で事件に首を突っ込むのが恒例になってない?」
「葬儀の前に、棺が空である理由を知る必要があります」
グリムは黙って棺を見ていた。
「死んだことにされた勇者か」
「知っているんですか」
「戦場では、時々いる」
グリムは短く答えた。
「逃げた者。消された者。帰れなくなった者」
ノアは銀の小箱の蓋を閉じた。
もしユージンが死んでいないなら。
王国は、なぜ彼を葬ろうとしているのか。
逃亡したからか。
失敗したからか。
それとも、知られてはならない何かを知ったからか。
ノアは空の棺に向かって一礼した。
「ユージン様。あなたがどこにいるのか、確かめに行きます」
死者を迎えるための葬儀師が、生者を探しに行く。
それは奇妙なことだった。
だが、空の棺は確かに何かを訴えていた。
ここにはいない。
ならば、本当の勇者はどこにいるのか。




