第14話 葬儀師への警告
父の墓を開けた翌朝、レクター葬儀社の扉に黒い封筒が差し込まれていた。
ノアがそれを見つけたのは、夜明け前だった。
まだ王都の通りは静かで、パン屋の煙突から細い煙が上がり始めたばかりだった。
封筒には差出人がない。
だが、封蝋には英雄管理局の紋章が押されていた。
ノアは迷わず封を切った。
中に入っていたのは、一枚の写真だった。
父の葬儀写真。
三か月前、簡易葬の時に撮られたものだ。
棺の傍らに立つノア。まだ黒い喪章をつけ、顔色も悪い。棺の中の父の顔は布で半分隠れている。
ノアはその写真を見て、指が冷たくなるのを感じた。
写真の裏には、短い文字があった。
棺を二度開ける葬儀師は、三度目には自分が入る。
さらにもう一枚、紙が入っていた。
次に弔われるのは、お前だ。
ノアはしばらく、その紙を見つめていた。
恐怖はあった。
当然だ。
死を扱う者でも、自分の死が怖くないわけではない。
むしろ葬儀師は、死がどれほど取り返しのつかないものかを知っている。
自分が死ねば、父の記録も、カイルの真実も、リナの死因も、アルトの手紙も、すべてまた閉じられるかもしれない。
ノアは封筒を机に置いた。
ミレイが起きてきて、それを見るなり顔をしかめた。
「最悪。やっぱり見張られてたんだ」
「父の墓を開けたことも、知られています」
「そりゃそうでしょ。裏庭にまで目があるんじゃない?」
グリムも奥から出てきた。写真を見ると、眉一つ動かさずに言った。
「分かりやすい脅しだな」
「慣れているんですか」
「戦場では、もっと雑だった」
ミレイが呆れたようにグリムを見た。
「比較対象が悪すぎる」
ノアは封筒を台帳の横へ置いた。
そこには、これまでの葬儀記録が並んでいる。
勇者カイル。
聖女候補リナ。
魔法使いアルト。
父イザーク。
死者の記録が増えるたび、王国の嘘が近づいてくる。
ノアは作業室の壁に掛けられた父の白手袋を見上げた。
父は、どこまで知っていたのだろう。
名前を奪われた英雄とは誰だったのか。
なぜオルガンは弔辞を書き換えたのか。
なぜ英雄管理局は、一葬儀師である父を殺す必要があったのか。
答えはまだ遠い。
だが、脅しが来たということは、近づいている証拠でもある。
「ノア」
ミレイが真剣な声で言った。
「しばらく葬儀社を閉める? 少なくとも、英雄管理局関係の仕事は断った方がいい」
「断れば、どうなりますか」
「命は延びるかも」
「死者の記録は止まります」
「生きてなきゃ記録も残せない」
その通りだった。
ノアは、自分が危険に鈍くなっていることを自覚していた。
死者のため、父のため、真実のため。
そう言えば、いくらでも無茶ができてしまう。
だが、自分が死ねば終わりだ。
それでも。
次の棺が届いた時、自分は扉を閉ざせるだろうか。
ノアが答えられずにいると、玄関の鈴が鳴った。
三人は同時に扉を見た。
ミレイが小さく呟く。
「早すぎない?」
グリムが扉の横に立つ。
ノアは深く息を吸い、扉を開けた。
そこに立っていたのは、見知らぬ老女だった。
黒い服を着て、両手で小さな木箱を抱えている。英雄管理局の使者ではない。聖務庁の者でもない。
老女はノアの顔を見ると、ほっとしたように言った。
「ここが、レクター葬儀社ですか」
「はい」
「イザークさんの息子さん?」
「そうです」
老女は木箱を差し出した。
「これを、あなたに渡すよう頼まれていました」
「誰に」
「あなたのお父様に」
ノアは息を止めた。
「父に?」
「ええ。もし自分に何かあって、あなたが三つの嘘の棺を開けたら渡してほしい、と」
三つの嘘の棺。
ノアの背筋が冷えた。
勇者カイル。
聖女候補リナ。
魔法使いアルト。
たしかに、三つだ。
父は予想していたのか。
自分の死後、ノアが三つの嘘の棺を開けることを。
ノアは木箱を受け取った。
軽い。
蓋には、小さな紋章が刻まれていた。
円の中に、折れた剣と鐘。
昨夜、グリムが土に描いたものと同じ。
初代勇者団の古い印。
老女は言った。
「イザークさんは、こうも言っていました。箱を開ける前に、必ず葬儀師としてではなく、息子として考えろ、と」
「どういう意味ですか」
「私には分かりません。ただ、あの方はとても悲しそうでした」
老女はそれだけ告げると、足早に去っていった。
ノアは木箱を作業室へ運んだ。
ミレイとグリムが見守る中、蓋を開ける。
中には、三つのものが入っていた。
一つ目は、古い鍵。
二つ目は、黒く塗り潰されていない弔辞の写し。
三つ目は、父からノアへの手紙。
ノアは震える手で、まず弔辞の写しを開いた。
そこには、父の消された弔辞の全文が残っていた。
あなたの名は、王国の記録から消されるでしょう。
あなたの功績は、別の誰かのものになるでしょう。
あなたの死は、都合の悪い沈黙として処理されるでしょう。
それでも、私はあなたを葬る。
名前を呼べなくても、あなたがここに帰ってきたことだけは、私が覚えている。
あなたは、初代勇者団最後の生存者。
王国が最初に作った英雄であり、王国が最初に消した証人。
ノアの呼吸が止まった。
初代勇者団最後の生存者。
父が葬ったのは、歴史上すでに死んだことになっている人物だった。
ノアは続きを読もうとした。
だが、グリムが低く言った。
「待て」
「なぜです」
「その先を読んだら、戻れない」
ノアは父の手紙を見た。
箱を開ける前に、葬儀師としてではなく、息子として考えろ。
ノアは目を閉じた。
自分は今、何のためにこの弔辞を読もうとしているのか。
父の仇を取るためか。
王国を暴くためか。
死者の名を取り戻すためか。
それとも、父が何を守ろうとしたのかを知りたいだけなのか。
答えは、一つではなかった。
ノアは父の手紙を先に開いた。
ノアへ。
お前がこの箱を開けているなら、私はもうそばにいないのだろう。
そしてお前は、私が望んだよりもずっと早く、王国の棺に手をかけているのだろう。
私はお前に、ただ穏やかな葬儀師でいてほしかった。
死者を迎え、死者を送り、名もなき人々の最期に寄り添う仕事を続けてほしかった。
だが、死者は時に、残された者を選ぶ。
もしお前が進むなら、忘れるな。
復讐のために棺を開けるな。
怒りのために弔辞を読むな。
死者の言葉を、生者を傷つける刃にするな。
それでも、記録だけは残せ。
嘘に埋められた死者が、いつか本当の名で呼ばれる日のために。
ノアは手紙を胸に押し当てた。
父の声が聞こえる気がした。
厳しく、静かで、不器用な声。
ミレイは何も言わなかった。
グリムも目を伏せている。
ノアは、しばらくその場に立っていた。
外では朝の光が差し始めている。
黒い封筒の脅しと、父の手紙。
死をちらつかせる王国の言葉と、死者のために残された父の言葉。
どちらも、ノアに選択を迫っていた。
逃げるか。
進むか。
ノアは弔辞の写しを丁寧に畳んだ。
「読みます」
ミレイが目を伏せる。
グリムは何も言わない。
ノアは続きに目を落とした。
初代勇者団最後の生存者。
王国が最初に作った英雄であり、王国が最初に消した証人。
あなたの遺言は、まだ棺の中にある。
私はその棺を閉じる。
だが、いつか開ける者が現れるなら、その者に託す。
ノアは古い鍵を見た。
鍵には、小さく文字が刻まれている。
鐘楼地下納骨堂。
王都の中心、勇者カイルの国葬が行われた鐘楼広場。
その地下に、父が葬った初代勇者団最後の生存者の棺がある。
ノアは鍵を握った。
手の中で、冷たい金属が重く沈む。
「父さん」
小さく呟く。
「僕は、復讐のためには行きません」
誰に言い聞かせているのか、自分でも分からなかった。
「でも、死者の言葉をこのまま閉じたままにはしません」
ミレイが苦笑した。
「結局行くんだ」
「はい」
「死ぬかもしれないよ」
「分かっています」
「分かってないと思うけど、分かった顔してるね」
グリムが鍵を見た。
「鐘楼地下納骨堂は、英雄管理局の管理区域だ。普通には入れない」
「普通ではなく入ります」
「父親譲りだな」
それは呆れた言葉だったが、少しだけ優しさが混じっていた。
その時、作業室の窓の外で、鐘楼の鐘が鳴った。
朝の鐘。
だがノアには、それが棺の中から鳴る音のように聞こえた。
名前を奪われた英雄。
初代勇者団最後の生存者。
父が命をかけて記録を残した死者。
第4章の終わりに、ノアはようやく知った。
父が弔辞を書き換えられた相手は、過去の英雄ではない。
王国が最初に消した証人だったのだ。
そしてその棺は、まだ王都の地下で眠っている。




