第13話 消された葬儀記録
父の墓は、レクター葬儀社の裏庭にあった。
大きな墓ではない。
白い石の墓標に、名前と生没年だけが刻まれている。
イザーク・レクター。
死者を迎え、死者を送った者。
それはノアが選んだ言葉だった。
あの日、何を書けばいいか分からず、悩みに悩んで刻んだ。父が誰だったのか、ひとことで表すならそれしかないと思った。
だが今、その下に眠る父の死因すら、自分は知らない。
夜の裏庭に、ランタンの明かりが揺れる。
ミレイとグリムも来ていた。グリムは何も言わず、古い掘り道具を持っている。
「本当にやるの?」
ミレイが小声で聞いた。
ノアは墓標の前に膝をついた。
「父さん、失礼します」
死者を掘り返すことは、葬儀師にとって最も重い行為の一つだ。
安らぎを乱す。
眠りを妨げる。
それでも、死因に嘘があるなら、棺を開けなければならない時がある。
ノアは墓標に深く頭を下げた。
「あなたの死を、嘘のままにはしません」
グリムが土を掘り始めた。
重い音が夜に響く。
湿った土の匂い。石に当たる金属音。ノアは黙って手伝った。爪の間に土が入り、葬儀服の袖が汚れる。
やがて、棺の蓋が見えた。
父の棺。
ノア自身が選んだものだ。黒檀ではなく、父が好んだ落ち着いた栗材。余計な装飾はなく、蓋の内側にだけ小さく家紋が彫ってある。
グリムが蓋に手をかける。
「開けるぞ」
ノアは頷いた。
棺の蓋が軋む。
三か月前の防腐処理が残っているため、遺体は完全には崩れていなかった。ミレイが施したものではない。英雄管理局付き医師の処理だ。
父は、棺の中で眠っていた。
顔は、記憶よりも少し痩せて見えた。
布に包まれた胸元。
きちんと組まれた手。
ノアはしばらく動けなかった。
父を再び見ることになるとは、思っていなかった。
葬儀師である前に、息子だった。
「ノア」
ミレイが静かに言った。
「無理なら、私が見る」
「見ます」
ノアは白手袋をはめた。
父の胸元の布を解く。
心臓発作。
公式死因はそうだった。
だが、胸に外傷はない。顔色だけでは分からない。ノアは首元、手首、爪、耳の後ろを確認する。父の皮膚には、薄い防腐香油の匂いが残っていた。
ミレイが水晶板をかざす。
「魔術反応がある」
ノアは顔を上げる。
「防腐魔術ではなく?」
「違う。もっと細い。神経系に作用するやつ。毒か、拘束魔術か……」
ミレイは父の首筋に指を当てた。
「ここ」
耳の下、髪に隠れる位置に、小さな針跡があった。
ノアの呼吸が止まる。
「これは」
「薬針だね。心臓発作を起こす毒か、心停止を偽装する薬。三か月経ってるから断定は難しいけど」
ミレイの声は震えていた。
「病死じゃない」
ノアは棺の縁を掴んだ。
視界が揺れる。
分かっていたはずだった。
疑っていたはずだった。
それでも、実際に父の遺体が答えを示す瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
父は殺された。
死者に誠実すぎた葬儀師は、口を塞がれた。
「父さん……」
声が掠れる。
怒りより先に、悔しさが来た。
なぜ自分は、あの時ちゃんと見なかったのか。
なぜ父の死を、書類のまま受け入れたのか。
なぜ葬儀師でありながら、一番近い死者の声を聞かなかったのか。
グリムが低く言った。
「自分を責めるな」
ノアは顔を上げる。
グリムは父の棺を見ていた。その目には、いつもの無表情とは違う影がある。
「イザークは、お前に見せないようにされた。英雄管理局はそういうことをする」
「知っていたのですか」
ノアの声が硬くなる。
グリムはすぐには答えなかった。
「全部は知らない」
「何を知っていたのですか」
ミレイが二人を見比べる。
グリムは深く息を吐いた。
「イザークが最後に葬った棺を、作ったのは俺だ」
ノアは目を見開いた。
「父の消された葬儀の?」
「ああ」
「なぜ黙っていたんですか」
「言えば、お前が掘り返すからだ」
「今、掘り返しました」
「だから言う」
グリムは墓標の横に腰を下ろした。
「その死者の名は、俺も知らない。棺を作る時、名前を聞かされなかった。ただ、イザークは言った。『名前を呼べない男を葬る』と」
名前を呼べない男。
父の弔辞と同じだ。
「どんな人でしたか」
「遺体は見ていない。棺だけ作った。だが、サイズは大柄な男だった。勇者用の規格に近い」
「勇者?」
「ただし、王国の紋章は入れるなと言われた。代わりに、棺の内側に古い紋章を彫った」
「古い紋章?」
グリムは土に指で形を描いた。
円の中に、折れた剣と鐘。
ノアはその紋章に見覚えがなかった。
ミレイが眉を寄せる。
「それ、初代勇者団の古い印じゃない?」
「初代勇者団?」
ノアが聞くと、ミレイは頷いた。
「今の勇者制度が整う前、王国には最初の魔王討伐隊がいたって話。歴史書では、初代勇者たちは全員、魔王との最終決戦で名誉の戦死をしたことになってる」
「なってる、ということは」
「まあ、歴史書ってだいたい怪しいし」
ノアは父の棺を見た。
父が葬った、名前を呼べない男。
勇者用に近い棺。
初代勇者団の古い紋章。
局長が関わり、記録は消された。
「その棺は、どこに」
グリムは首を振った。
「分からない。葬儀のあと、英雄管理局が墓を封じた。場所も知らされていない」
「父は、何か言っていましたか」
グリムはしばらく黙った。
「弔辞を書き換えられた、と言っていた」
「誰に」
「局長に」
オルガン。
ノアの胸に、冷たい怒りが宿る。
「イザークは、王国が用意した弔辞を読まなかった。自分の言葉で送ろうとした。だが、葬儀の直前に局長が来て、弔辞を差し替えた」
「父は従ったのですか」
「表向きは」
グリムはノアを見る。
「だが、イザークは記録を残した。だから殺された」
ノアは父の棺に視線を戻した。
父の首筋の小さな針跡。
こんな小さな傷で、人は死ぬ。
そして記録には、心臓発作と書かれる。
ノアは拳を握った。
「父の記録を取り戻します」
「相手は英雄管理局だ」
「分かっています」
「局長は、お前を警告した」
「分かっています」
「次は警告で済まない」
ノアは父の遺体へ、もう一度深く頭を下げた。
「それでも、父の死をこのままにはできません」
ミレイがため息をついた。
「だと思った」
彼女は父の首筋から小さな試料を取り、瓶に入れた。
「詳しく調べる。毒の種類が分かれば、英雄管理局付き医師の処方記録と照合できるかもしれない」
「お願いします」
グリムは棺の蓋を静かに戻した。
「イザークは、お前を巻き込みたくなかった」
「そうでしょうね」
「それでも、記録を残した」
「はい」
「なら、お前に託したのかもしれない」
ノアは墓標を見た。
死者を迎え、死者を送った者。
父は、自分自身の死を迎えることはできなかった。
息子であるノアも、父を正しく送れなかった。
だが、まだ記録は残せる。
ノアは父の墓に土を戻した。
一掴みずつ、丁寧に。
まるで二度目の葬儀を行うように。




